羊タイム
駅を出てぼんやりしていたところで、新野の意識は途絶えた。
立ったまま寝に入るだなんて、我ながら器用だなと思いながら、近づく地面を眺めていた。
まどろみの中、重みのある足取りが近寄ってきた気がしていた。だが睡魔に勝てなくて、その青銅色の毛並に触れられても目覚めることはなかった。
◆◆◆
(……?)
目を開けるとそこは陽だまりの中だった。
しかしとても違和感を覚える。自分の視界が自分のものでない感覚。窓の向こう側を中からのぞいているように世界が見える。
(こりゃ夢だな。でも俺の記憶じゃないような……)
新野はその借り物の視界を通して、世界を見ている。
陽だまりが映すのはザルドゥ首都だった。新野も通ったことがある、ブラウとロットの店「アンファ」から一本離れた道に広がるバザールだ。
「ああ、お待たせ。待った?」
呼びかけ声に視界が反転する。
少しばかり低い位置に青い髪の彼女が笑顔で立っていた。
(鼠の王のテュラノス……! 二人の、母親……)
実際新野が知るのは、この外見をした鼠の王なのだが、声も姿も新野の知るそれと同一だった。
「ふふ、こうして二人でいると、まるでデートみたいね」
「人妻が何言ってんすか!」
「あらいいじゃない、減るもんじゃなし」
「あとで鼠の王にぶっ殺されるのは俺ですからね。いやうちの馬鹿王も面白半分に参加しそうだ、王二体の相手は流石にキツイな……」
「あはは! 真剣にそんなこと考えられるなんて、流石狼王のテュラノスね。最強の牙さん?」
「その呼び名俺気に入ってませんよ?」
和やかに会話をしながら、彼女と新野の視界の主は買い物を始める。
新野が見てきたような悲惨な雰囲気はこの世界にはどこにもない。
青い髪の彼女も終始朗らかな笑顔で包まれている。
(…………)
見ているうちに胸が痛んでくる錯覚を覚え、新野は重たく瞬きをした。
すると景色も転換する。
次に映ったのは、赤い戦場だった。
空に黒煙がいくつも登り、すすが舞っている。
街が燃えていた。
視界は途方もない速度で街を駆ける。
ビルを何棟も跳び超えた先で、青い髪を見つけ降りる。
「奥さん! あんたこんなとこまで出てきて――!」
視界の主の怒号はすぐに消えた。彼女はビルの屋上でうずくまっている。その腹が真っ赤に染まっていた。
「怪我してるのか! 大丈夫か?!」
「平気よ……。だめね、私。自分は回復できないなんて、とんだ半人前のテュラノスだわ」
「ほんとだよ! なんでこんな前線に出たんだ、あんたは避難民の看護が仕事だろ! 子どももいるのに、こんな時は一緒にいてやれよ!」
「うん……、それが母親としては正解だってわかってたんだけどね……」
微笑みに細められた青い目に、真紅の光景が映っている。
「この街が終わるのは、嫌だったから。私もテュラノスなんだし、なにかできるかなあって思ったんだけど」
「大丈夫だよ。火龍の相手は王たちがしてるんだ。それより白銀龍が厄介だ、見つかる前に戻ろう」
細い肢体に腕を通し、抱きかかえようとするが彼女がそれを拒む。
「待って。やっぱりあの人たちと一緒に戦いたいの。私だけ待ってるなんて、そんなの怖くてつらいじゃない?」
「だからってなあ」
「たまには年上のわがままも聞いて。ね? 王と一緒にいたいのよ。あなただってそうでしょう? 狼王のテュラノスさん」
「……あなたが頑固なの、忘れてた」
(狼王のテュラノス……?)
視界の主を彼女はそう呼んでいた。そう呼ばれた男は、かけていた手を離す。
燃える街。悲壮的な背景に構わず、彼女の柔らかい微笑みは崩れなかった。
しかしそれから断片的に訪れるイメージ。
青い髪がひるがえり、彼女の顔を隠す。
その胴体に今にも噛みつかんと広げられた赤い口腔。
「やめろ……っ!」
誰かの悲鳴と怒号。
傷ついていた腹なんてもうどこにあるかわからなくなってしまった。
「治らない……! なんで?!」
「やだよ、死んじゃやだよ……!」
「神子、泣いてる場合か! 鼠の王を呼んで来い、距離が近くなれば回復が始まるかも……!」
か細い息を吐き、うつろな瞳で宙を見ている彼女が倒れている。
ほどなく合流した鼠の王と彼女から視界が距離をとり、誰かと話していた。
「どうなるんだ……?」
「さあな。惜しければ食うだろうよ」
「は……?!」
「テュラノスを食うんだよ、俺達は。そうすれば記憶もなにもかもあらかた共有できる、まだまだこれからも、一緒にいれる」
「一緒に……」
「こいつは戦争だからな。死ぬなんてことは、雨が降るくらいに日常に溶け込んでる。それが別れとなるかどうかは俺達次第だ」
「……そうかよ、じゃあ俺達テュラノスにはどのみち一択じゃねえか……くそったれ」
雨が降り出しそうな悪天候。
視界の中では青い髪の彼女が心配そうにのぞいている大きな鼠の首を、腕をまわして抱いていた。
◆◆◆
まぶたを開くと、壁の大穴の先には光る景色が広がっていた。
雨上がりの朝だ。
ぼんやりとそれを見つめる頭は、まだまどろみに片足をつっこんでいるらしい。
しかしすぐにさっと血の気がひいた。
背中がもふもふする、そろっと振り向くと、青銅色の毛並み。
新野は声もなくがばっと立ち上がった。
ここは109の最上階のようだ、いつも奥で寝そべっている巨狼を枕がわりにしていたらしい。
その狼がちらりとこちらを一瞥して背中に悪寒がはしった。
赤い眼はまたすぐ閉じられて、それ以降開かなくなった。
新野の頭など犬歯一本でくし団子のごとく貫けるような巨体だ。意識がなかったとはいえとても勇気のある行為をしていたと思う。
「死ぬ気か俺は……!」
小声で自分に突っ込みつつ、とりあえず下の階に降りた。
するとそこには、
「あ、おはよう」
頬いっぱいになにかをつめた自らの王がいた。
間抜け以外のなにものでもない顔だ。龍王の周りには果物がごろごろ転がっている。
頬の中身を飲み込んだあと、龍王はにっこり笑う。
「君も食うかい? 新野。こっからここまで以外ならあげよう」
元気よく動いた手が示した範囲は全体の九割以上。新野に指定されたのはわずかに桃に似た果物二個分。
自分の王の心の狭さに閉口した。
もぐもぐと小動物を連想させる食事中の彼女の横に座り、新野はまだぼうっとする頭を振った。
(さっきのはやっぱり夢だったか。それにしちゃ鮮明で、よく覚えてる……)
鼠の王のテュラノスの生前の姿。そしておそらく最期の時。
(もしかして二年前ってやつのことなのか?)
二年前に襲ったというこの街の悲劇。鼠の王がテュラノスを食い、ナスシュへと堕ちてしまったという時。
もんもんと思考に没頭しながら果物をかじると、桃に似たそれは柑橘系の味で、驚いて少し目が覚めた。
「それ僕が一番好きなやつだから」
けらけら笑う龍王。
「それで俺が嬉しくなるとでも?」
「新野はそこんとこちょろそうだからね」
殴るフリをすると可愛い悲鳴をあげて龍王は逃げる素振り。
そんなじゃれあいをしつつも心のすみがなにか叫んでいる。
なにか忘れてやいないか?
唐突に、龍王を追っていた新野は肩を叩かれた。
振り向いたその顔を、誰かが全力で殴る。
轟音とともに壁に叩き付けられて、回る視界と悲鳴をあげる顎。
「な、な……」
意味の伴わない声を上げて必死に体勢を整えようとする。
その上げた視界で仁王立ちする彼らを見て、新野は水を浴びたように我に返った。
灰色の髪に包帯がぐるぐる巻きつけられている。
顔にも手にも、見えるところ全てに絆創膏やガーゼが貼られて、痛々しく赤い血がにじんでいる箇所もある。
二つの同じ顔は、ひたと新野を見下ろしていた。
「おい、てめえ。なに楽しそうにしてんだよ……」
まだぐらつく頭では、その台詞をどちらが吐いたのか判然としなかった。
新野は逃げ場のない壁に背中を貼り付け、鯉のようにぱくぱくと口を開閉した。




