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獣のテュラノス  作者: sajiro
ザルドゥ首都/狼王編
52/147

ファイント

「まだですよ……」

 その声にはっと振り向いた。

 二人の視界に、薄汚れてもなお美しい女がゆらりと立った。

 怜悧な美貌にふつふつと燃える怒りを灯した瞳が並ぶ。

「獣王のテュラノスごときに、私が負けるはずがない……!」

「それはお前もじゃないのか?」

 邪龍王のテュラノスであるはずの相手に、静かに龍王のテュラノスは問う。

 女は鼻で笑った。

「所詮貴方たちは、獣王の力を高めるための贄なんですよ。雛を育てるようにテュラノスの生命力を高め、それを食らって王が取り込む。鼠の王のように擬態と能力も得ることができる。私たちは我が主に自ら仕える意思があるけれど、貴方たちにはそれが無い! 信奉の性にとらわれて、自らが贄であることにも気が付かず喜んで身を捧げる。そんなまやかしの信仰心に、私が劣ることなどありえない!」

「まやかしねえ……」

 女の周囲に風が起き、きらきらと光りのつぶてが宙に散る。

 また白銀龍の装甲に身を包もうとする女を、新野は睨んだ。

 自分の命を絶つように懇願してきた鼠の王の顔が、女の顔とだぶって見える。

「それでもこんな悲劇を生むなら、俺はあんたを悪と決められる――!」

 隣の龍王から太く強いつながりを感じる。

 今までの疲労も消し去る高揚と自信が新野の身体に満ち満ちている。

 これがまやかしとは思えない。たとえそういう仕組みだとしても、現実に受けるこの感覚が新野にとっての唯一の真実。

 冴龍の装甲と白銀龍の装甲が今一度対峙した時――、空気が凍った。

「モナド!!」

 直後龍王の怒号が響き、少女の姿がかき消え莫大な質量を有した龍が顕現した。

 爆音の咆哮の前で、白銀龍の女の姿が消える。現れた時と同じ、まばたきよりも短い一瞬でその姿は見えなくなる。

 代わりにそこに、一人の青年が立っていた。

 喪服のような黒い詰襟を来た橙の髪の彼を前にして、新野に戦慄が走る。

 青年の橙の瞳に射抜かれたと同時に、新野の膝が地に落ちた。

「な……?!」

 完全に足に力が入らず、立ち上がれなくなっていた。

 見えない重力がのしかかってきているようだ。抗えない力に手の平も地面に縫い付けられる。

 青年は狂気じみた笑みをその顔にはりつけて言った。

「そこの塵にも等しいのを連れて、また俺とやる気か? えぇ、龍王よ?」

 冴龍は青年に迫り、今にも弾けそうな殺気をのせた唸りを上げている。極限まで開かれた翼によってその巨躯は何倍にも膨れ上がっているようで、空間の空気を恐怖で震えさせている。

 新野の全身を粟立たせ、呼吸とともに喉を刺すほどの緊張感が寸分の隙間なくホームを覆っていた。

(これがあの龍王……?!)

 隣にいる主を視界におさめることすら恐ろしい。目の端でたちのぼる漆黒の気配にすら冷や汗がふきだしてくる。

 そんな意志を正面からぶつけられながらも青年は平然と立っていた。

 そして牙と歯茎をむき出しにしているその顎の鱗を愛しむように撫でた。

「今度こそお前を過ちから解放してやるよ」

(……モナド! 間違っているのは、お前だ! お前が他愛なく奪った幾多の命は、もう還ってこない! お前が嗤った涙の量を俺は忘れない! お前は許されないことをしている!)

「問答はよそう。どうせ結果が出ないことは、もうこの百数十年でわかってることだろう?」

 龍王から発せられる、金属が響き合うような金切声に青年は肩をすくめた。

「今日は龍の因子を回収しに来ただけだ。お遊びで失うにはちと惜しいのでね」

 くつくつと青年は笑い、片手を振った。

「これからまた忙しいことになりそうだな、お互い。じゃあまた、ふさわしい場で会おう」

 面倒そうに息をついた後、青年の足先からその姿が幻のごとく薄くなっていく。

 姿が消える前に、青年は新野を一瞥した。

 その細められた瞳が消えても尚、新野は身体の震えを抑えることができなかった。

 虫の足をちぎって遊ぶ、気持ち悪いやら可笑しいやら、とにかく無邪気な残虐性を秘めた視線だった。

 たったその一瞥で、新野は相手が「敵」であり「悪」であることがわかったほどだった。

 少女の姿にいつの間にか戻っていた龍王に肩を揺すられるまで、新野は青年がいたはずの場所を凝視していた。  

 正気に返って、慌てて動き出す。龍王の手を借りつつ、ブラウとロットを助け出した。

 駅を出ると狼王の姿は無く、代わりにいた白狼ブランカに鼠の兄弟をたくす。

 病院かなにか、ともかく治療する場所へと狼は跳んでいった。

 その姿が小さくなった頃、ようやく新野は空を見上げる。

 駅内にいたのは、そう長い時間ではなかったはずだ。しかし空がまるで人生で初めて見たもののように新鮮に感じる。

 隣で立っていた龍王の肩に、鼠が一匹登ってきた。桃色のペイントが今では落ちかけている、小さな鼠。

「チュンリーちゃん」

 龍王は鼠の姿に嬉しそうに笑って、指で彼女の背を撫でていた。

 頭が働かない。

 体にあたる風が冷たく感じた。

 ぽっかり空いた胸と頭。なんの感情も湧かない。

 服もすすと灰に汚れていて、修復中ではあるがよくよく思えば体中が痛かった。

(あ、右手……)

 グローブをめくると右手はなにごともなかったようにヒトの肌色をさらしていた。

「…………」

 なにを思えばいいのだろう?

 今にも泣き出しそうな曇天が上空に広がっている。今夜は雨だろう。

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