ライク・ファーザーライク・ソン
その感染に驚いたのは、白銀の女もだった。
「ナスシュ! なにを勝手なことを……!」
女が鼠の王をふり仰いだ時、鼠の王はその巨体を震わせまるで怒りを鎮めたようにうなだれた。
「貴様!」
叱咤する声を上げ女は突撃槍の柄を脇に抱える。その矛先を鼠の王へと向けた。
しかしニイノがその女へと跳び、ニイノの防護膜が女の背に突き当たる。
予想だにしていない衝撃に少しだけよろめいた女はしかめた顔をニイノに向ける。
「邪魔はさせないとでも? ご友人がナスになったというのに、獣の頭では理解できていないのかしら」
女の言葉に反応もせず、ただニイノはじっと女を見つめていた。
そしてブラウとロットはその時、そびえる巨大な鼠を見上げていた。
「親父……」
異口同音に呼ばれた声に、鼠の王はひげをそよがせる。
その鼠は胴体が長く、全身に針のような体毛を生やしていた。
耳は頭に対して小さく、首もしゅっとしていて、勇気の団たちのように丸い体型ではなかった。
漆黒の影の怪物ではなく、茶褐色のひたすら巨大なだけの鼠がいた。
「な、なんで。さっきまではナスだったのに」
混乱するブラウに、ロットの肩の上の鼠が答える。
「それはね旦那、ナスになったからでしょうよ」
そのデイボウの体も一瞬前に見た漆黒のそれとは違う、元の鼠になっている。
鼠は申し訳なさそうに耳や顔を腕でかく。
「王のご命令とあって、旦那と兄貴をナスにしてしまいやした。失礼を」
「それよりお前たちもナスに……」
「へい。あっしらのような鼠には、王の御力――感染力に対してとくに免疫がございません。たとえそれがナスシュのものだとしても。あっしらはとくに黒化しやすいようでさ、旦那や兄貴のように強い精神力も持っていませんで。それに王がナスなら、あっしらもそうなったって構わない……」
「馬鹿言うなよ、ナスは……化け物なんだから……」
言いながらその化け物にこの鼠も自分たちもなったのだと自覚してブラウは声を落とした。
「それで化け物同士だから見え方も変わっちまったってことか?」
「へい。同じ世界を共有しているのだと」
「じゃあこれで、言いたいことも言ってやれるってことだよな」
ブラウとは真逆に、ロットは不敵に笑ってみせる。
そして大剣の切先を鼠の王に向けた。
「おい馬鹿親父! わざわざ息子を化け物にしておいて、なにか言うことがあるんだろうな! こっちは聞きたいことが山ほどあるんだ!」
鼠の王は長いひげをまたそよがせた。
「狼王が言ってた、親父と母さんは二年前にナスに殺されたってのも嘘だったのか?」
――それは、本当だ。半分はな。
耳に届く懐かしい声に、二人は目を見開いた。
姿を見てもまだどこか実感がなかったのに、その穏やかな低い声によって、二人の脳裏に過去の思い出がつぎつぎとよみがえる。
本当に自分の父なのだ、このさっきまで怪物にしか見えなかった相手が。
二年前に死を告げられても、どうしても信じることができなかった。毎日毎日自分に言い聞かせるしかなかった別れ。
何度も狼王に事実なのかと問い続け、鬱陶しそうに相手にされなかった日々。
狼の群れの中で強くなるしかなかった日々。
そうしているうちに薄れていった家族との記憶の中で、母の手をひき会いに行った巨大な鼠が、今目の前にいる。
――お前たちのナス化はまだ浅い、感染の根源が消えれば助かる。そのためにも時間がない、私の声を聞け。
「感染の根源……。ナスシュ?」
ブラウの明察に鼠の王はその眼を細めた。
――ブラウ、お前は賢い。だが脆いところがあるね、ロットに支えてもらいなさい。
「はあ? こいつに?」
「こいつとはなんだよこいつとは」
――ふふ。……ロット、お前は行動力がある、だがそれだけではやがて壁に突き当たる。その時はブラウの助言を頼りにするといい。
「わかった」
「嘘つけよ、なにがわかっただよ」
――まったくお前たちときたら、相も変わらないなあ。母さんがいつも言っていただろう、兄弟仲良く、助け合っていきなさいと。
母の存在に、沈黙がおりる。
鼠の王は眼を細めたまま、静かに続けた。
――さっき、半分は本当だ、と言ったね。……母さんをナスから守ってやれなくて、私は本当に、駄目な王だ……。
与えられた真実に二人の兄弟は口を結んでなにも言わなかった。
――二年前、我々鼠の王とそのテュラノスも龍王につき参戦をした。が、当時のナスシュによって母さんは倒れ、私は母さんを
鼠の王は一旦息を吐き、吸って覚悟したかのように眼を閉じ告げた。
――食ったんだ。
「は……」
言われた意味がのみこめない二人の前で鼠の王の姿が小さくなっていく。
収縮したそれは、存在を変え、青い髪の女へとなった。
まさしく記憶の中の母の姿だ。
「王はテュラノスを食らうことでその存在を取り込むことができる。命の灯が消えようとする母さんを、私はどうしても惜しくなって食らったんだ」
その衝撃的な事実を語るのも母の声だった。
しかし口調は父のものである。
呆然とするロットは、隣でブラウが頭を抱えていることに気がついた。
とっさに言葉が出る。
「じゃ、じゃあ」
なんら整理されていない頭のままだったが、隣の奴のためにもこれ以上父の言葉を続けさせてはいけないと感じた。
「じゃあ俺は、あんたを倒せばいいのか……?」
ブラウが驚いてロットを見るが、当のロットも驚いている顔をしている。
鼠の王はふわりと笑った。
「そうなんだよ、ロット」
「違う! 母さんの仇はナスシュなんだ! だったらナスシュを生むあの女が仇だ!」
ブラウが必死に否定するが、鼠の王は笑顔のまま頭を振った。
「戦いで命を落とす覚悟など、母さんはできていたよ。それができていなかったのは私だ、そんな弱い心だから天魔につかまり新たなナスシュへと身を落としてしまった。私はナスシュだ、悲劇を生む悪魔なのだ」
「そんなのはわかってる! わかってるけど……!」
ブラウは言葉をつまらせた。ロットは全く動じていない表情のままだった。
「それで、俺達はどうしたらいいんだ?」
そのどこか感情を失くしたような声に鼠の王は眉を下げる。
「王を倒すことができるのは、別の王か……龍王のテュラノスのみ」
「ニイノが?」
「天魔が自死を阻むだろうから、もはやその方法しかあるまい。お前たちからもどうか説得をしてくれ。私の声は届かなかった」
ロットは上方で女と対峙しているニイノを見上げた。
「そうか、あいつなら……」
ニイノを見上げたロットの肩を、ブラウが強い力でつかんだがロットは怯まず振り向きもせず声を投げた。
「おいニイノ! ナスシュを殺せるのはお前しかいねーんだとよ! だからやれ! ……俺達はもう、いいからさ……」
兄弟がなにか文句を叫んでいたが、ロットは構わず振り向いたニイノの橙の眼を真っ向から見上げた。




