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獣のテュラノス  作者: sajiro
ザルドゥ首都/狼王編
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おひさまかげる

 現れた二人組の姿を見て、新野はとっさに机の影に身を潜めた。

 しかし体が異常に重く、両足はしびれたようで這うようにしか動けない。遅々とした動きでは確実に見つかってしまっただろう。

 案の定その二人組はすぐさま新野の存在を確認する。

 一人は片手剣を、もう一人は大剣をひっさげており、いかにも凶暴な顔をしていた。

 小さい頃本で見たような、青鬼と赤鬼が今現実に居て、しかも目の前に現れている。

 角を生やし裂けた口から牙が飛び出している。憤怒の表情が面となって動かず、しかしそれが逆に不気味で恐怖を煽る。

 その鬼たちの格好がブラウとロットそのままなので、新野は混乱におちいった。

 しかし鬼たちから迸る殺気は本物で、どうあっても新野の知る獣人たちではないのだ。

 薄闇の中刃が滴り光っている。

 体が動かないから逃げることもままならない。

 鬼たちの異様さに身がすくみ、抑えきれないほどに全身が震えた。

 龍王のテュラノスは完全に委縮して、屠殺前の動物並に無情に死を見据えていた。

 青鬼と赤鬼はそんな怯える新野を見て低い声で笑っている。

 肩が揺れているが顔は微動だにしていない。

 青鬼の剣がゆっくりと持ち上がる。

 新野は震えながら床の一点を見つめていた。



 そのナスは奇妙だった。

 うつむいたまま動かないその体は震えているようだった。

 真っ黒で歪な形になっている右手が袖からのぞいている。それは最早ヒトの指ではなく、鱗がびっしりとつまっている。曲がった背中は肩甲骨が盛り上がっていてコートを山なりに持ち上げていた。

 どう見ても最早ヒトではない。

 しかしブラウとロットのことを襲ってくる様子はなく、とにかく怯えているようだった。

 そして一番奇妙なことに、知り合いの格好と似ている。

 二人よりも先にこのシブヤ駅へと侵入したであろう、新野のものと。

「おい、どうすんだこれ」

「どうするって……」

「だってこれ、もしかして……ニイノ?」

 同じ顔をした二人はその顔を見合わせた。

「違うだろ」

「なんで?」

 即座に否定したブラウに、即座にロットが質問する。

「いや、オレもまさかと思ったけどよ、やっぱこれニイノなんじゃねえの? 服同じだし、俺達を襲ってこないしそれしかねーんじゃねえの?」

「知り合いだったら襲ってこないなんてあるわけないだろ。今までにもナスになったとたん身内を食った奴をわんさか見ただろうが」

 そうだ、説明がつかない。襲ってこないから新野であるなどと。

「じゃ服は?」

 それについてはわからないのでブラウは憮然とした。

「じゃま、いいや。こいつがニイノかどうかとかわかんねえんだし。要はこれからどうするかだよな」

 ロットは手の平を返したようにすぐさま切り替える。

 だいたいいつもの展開だ、ブラウが答えを出そうと考え込む前にロットは考えることを放棄する。

 外見がほぼ同じ二人でも、この似ているようで真逆な性格。

 ブラウ一人だと硬直してしまう展開もロットがいることで動き出す。

 この時もそうだ。ロットの言葉によって、ブラウがこのナスが新野なのかどうか考え込む穴に落ちずにすむ。新たにどんどんと問題提起がされていくからそれに流される。

「もしこいつがニイノだとしたら」

 そうして考え込むことができないから答えを導くことができないロットに代わってブラウがその役目を仰せつかるのだ。

 二人はこのシブヤ駅に入る前の狼王からの情報により、新野が感染をしてしまっていることを知っていた。

「ニイノはナスシュに会ったんだ」

「親玉に? まじか!」

「そうじゃなかったらこの短時間でこんなに黒化がすすまないはずだ。ナスシュとの距離で感染力が決まるなら、ニイノはナスシュと接触して、感染を早めた」

「なる!」

 本当にわかっているのか怪しい陽気な相棒を尻目に、ブラウはナスを見下ろす。

 こうして二人が会話している間もナスに変化はない。

 びくびくとした雰囲気で時折こちらの様子を盗み見るようにうかがってくる。

 ブラウはおもむろに左手に握っていた剣の切先を上げた。

 ナスの肩がびくんと反応する。

「殺すのか?」

 ロットの珍しく神妙な声。

 切先はゆっくりとナスに向かい、その首後ろに並んだ。

 うなだれたナスの、さらけだされた急所。

 ナスは首をおとせば復活しない。完全なる死へと戻すことができる。

「テュラノスは体の一部でも残っていれば元通りになる。こいつがニイノなら首を落としても大丈夫」

 淡々とそう告げて、冷徹な灰色の眼差しが集中に細められる。

 片刃のそれは、無慈悲に振り下ろされた。



 衝撃は一瞬だった。

 どっと首を襲った重い一撃。

 靄がかかった頭の中は、言語が生み出されなくなっていた。

 青髪の女と出会い別れてから、新野は自分が端から少しずつ自身のいろいろなものが欠けていく感覚に襲われていた。

 体が動かなくなったのではなく、今まで動かしていた体のカタチでなくなったことを新野は知らない。

 言葉が思いつかなくなったのではなく、今まで使っていた言葉を使わないモノになったことも新野は知らない。

 もうヒトだった頃の新野ではなくなった。

 その新しい体や言葉の使い方ももう少ししたらわかるかもしれないが、今の新野にはわからなかった。

 だがら動かず喋らずしていたが、その間に処刑が施された。

 首を真後ろから襲ったそれは、しかし皮も切らなかった。

 


 弾かれた。

 ブラウの手まで振動は響き、取りこぼさないように剣を握り締める。

 ブラウ本人も、それを見たロットも目を見開いた。

 ナスの首はなにごともなかったように漆黒の衣服に戻っている。

 しかし今ブラウの刃を弾いたものは、まさしく龍の背鰭だった。

「……超クールじゃん」

「馬鹿、殺せないナスなんて、タチ悪すぎだ」

 口笛を吹くロットをたしなめて、しかし二人ともわずかに嬉しそうに声が跳ねていた。

 ブラウは剣を納める。

「殺されそうになってもこっちを襲ってこなかったんだ、このナスはひとまず保留だな」

「ナスじゃなくてニイノだろ」

「どっちも同じ。そもそもナスになった時点で、首をおとされたら死んじまうようになってたかもしれない。とも思ってたが、テュラノスのつながりってのはあの女が言うとおり柔じゃないようだな」

 ロットも大剣を背中に戻して、汗をぬぐう動作をわざとらしくする。

「わかってて本気でニイノを殺す気だったなんて、おっかねえー」

「テュラノスでなくなって完全にナスになっちまってたら殺すしかねえよ、いくらニイノでも」

「そうじゃなくてヨカッタね」

 さて、と灰色の二人組は改めてそのナスに対峙した。

「ナスとおしゃべりなんてできるんかなあ?」

「やるしかないだろ」



 ぬっと眼前に出てきた少女の顔を、狼王はうっとうしそうに手でどけた。

 狼王が足を組んで座るそれは崩落した中華料理点のネオンだが、彼がどっかりと体を預けていると革張りのソファにすら見えてくる。

 その周りを龍王が髪を揺らして右往左往する。

 唐突に足を止めて狼王を睨む。

 対する彼は優雅に微笑む。

「……ッ! 君ねえ、本当に、どうして話してくれないんだ!」

「なにをだ?」

 心底わからない、としらばっくれる相手に龍王はこめかみをひくつかせた。

「今回のことだよ! 話してくれればよかったんだ、そうしたらなにも新野を巻き込まずにすんだ」

「それでお前がナスシュを殺してくれるのか?」

「殺すものか!」

 声を荒げた少女を、狼王は優しい瞳で見返す。

「だからお前には話さなかったんだ。お前のいらない情で誰が得をする?」

「得とかそんなことは考えるなよ! ヒトの命の話でさ!」

「ヒトじゃなくてナスシュだ」

 とたんに狼王からぶつけられる怒気に龍王は負けじとむっと顔をしかめる。

 あどけない少女の精一杯の表情がおかしくて狼王は手を振って元の空気に戻した。

「だいたい新野を甘やかすな。お前のテュラノスがナスシュを、悪魔を殺すのは自然なことだろう? これは邪龍と龍――お前の問題が最前提なんだからな。おっと、責めてるわけじゃない、邪龍はお前だけでなく俺達も殺したいんだから」

「……いじわるだな、君は。僕が新野をその戦いに巻き込みたくないのをわかっているくせに」

「訂正しろ。もう巻き込んでる。少なくとも新野は覚悟を決めている、お前はまだ駄々をこねているようだが」

「わかってるよ! でもナスシュに新野を仕向けたのは反対だ」

 少女の両肩は怒りか哀しみか、わずかに震えていた。

「残酷だ、君のシナリオは」

「それはもう破綻した。お前が二人を行かせたから」

「知っているべきだ、隠し事なんていつかばれる! そうして傷つく、君も彼らも」

「新野もあいつらもなにも知らずにナスシュを殺してくれれば、誰も傷つかないだろう?」

「そんなことない。彼らはきっと真実を知る。それがいつかになるくらいなら今がいい」

「そうしてナスシュを殺せなくなったらどうする?」

「僕がやる」

 ヒトのカタチをした狼の王は、声を上げて笑い飛ばした。

「それが一番不確実だ!」

 その言葉に胸をつかれながらも、龍王はこらえる。

「い、猪の王は、僕が、殺したんだ」

「……まさか新野も知らんだろうなあ。仕えた王が、初めて敵を殺したのが、あの猪だとは。それも新野自身の哀しみのせいで、新野を哀しませないようにと一番嫌だったことを王にさせたとは」

 刺々しい言葉に刺されながら、少女は苦渋に顔を歪ませる。

「責めてないぞ、事実を言っているだけだ」

 やはり笑いながら、乗り出していた体を戻す狼王。

「まあもう話したところで仕方ない。お前がブラウとロットを行かせたからな、俺はもうなにもしない。お前も後を追うなら追え、俺をここで止めるのももう必要ないだろう?」

 ブラウとロットをナスシュのもとへ行かせたくない狼王を防ぎ、龍王は二人を駅内へと行かせた。

「全く、お前がもっと勘が悪いままでいてくれたら」

 残念、と肩をすくめ狼王は欠伸をする。そうして仰向けに寝そべった。

 それを立ちすくんだままの龍王が見ている。

 駅の中から伝わる新野の気配が揺らいでいた。

 なにが起こっているかわからない、それが良いことでないことはわかる。

 龍王が気が付いた真実を、追いついてブラウ、ロット、新野の三人に伝えることも今ならできるだろう。

 しかしそれを阻止できる狼王が、当事者である狼王が、こうしてその意思は無いと見せている。

 ならば龍王がどうしてそれを開示できるだろうか。

 それはなんだか、ずるい。

「これがいらない情ってやつなのかな」

 龍王のその性質を知って、狼王は寝転んでいるのかもしれない。

 結局は彼の思惑に乗っているとわかっていても、龍王は狼王の隣にちょこんと腰をすえた。

 その両手はものすごい力で握りしめられている。内なる葛藤を抑え、この場に自身をとどまらせることは、龍王にとって苦行だった。

 信じるとはなんだろう。放っておくのとどう違うのだろう。

 なにもしないのと、見守るの違いは?

「僕は今、さてどっちでしょう?」

 口調は軽やかに。しかし声は地底を這うように極限まで意志を抑え込んだもの。

 龍は全身全霊で、手を出すことを我慢していた。

「新野、ナスシュを安易に殺すな。その正体は……」

 少女は祈るように目をつむった。

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