シブヤ駅の外と中
新野を連れ去った狼王は龍王など一顧だにせず跳んで行ってしまった。
何故か全然わからない、龍王は口を開けて途方にくれていた。
数秒後になってようやく我に返る。とりあえず追いかけようと屋上の柵をまたぐ。
下から吹き上げる強い風が、少女の体に当たる。
その眼下に見かけた二人組。
ブラウとロットは走っていた。
しかし唐突に、その眼前に人影が落ちる。
「どわあ!」
急ブレーキをかける二人の前には黒衣の少女。
「あ、あんた……!」
「どっから降ってくんだよ。あれ? ニイノは?」
髪をふわりと揺らして振り向く彼女は眉根を寄せてうなる。
「それが、狼王に連れていかれちゃって……」
「え、なになに、ニイノ拉致られちゃった?」
大口を開けて笑うロットとは裏腹に、ブラウは大いに顔をしかめた。
「あの馬鹿いったい何考えてる……」
三人はそのまま移動を再開する。狼王が跳んでいった方角、街の中心部へと。
「狼たちが森のナスをこの機に殲滅してる。俺達もそれにまざるようにあのおっさんに言われてた。でもおかしいだろ? 街にナスがいるなら、ナスシュは街の中心部にいるに違いないのに」
「……狼王は君たちを危険から遠ざけようとしたんだね」
「そんなことなんでわかんだよ」
龍王は沈黙を返した。
ブラウは苛立たしく舌打ちをする。
「だとしても、余計なお世話だっ! 俺達にとっては、ようやく訪れたチャンスなんだ」
「チャンス? ナスシュが?」
「ナスシュは殺す! 絶対にだ!」
揺るぎのない眼は前方をひたと見つめている。
二人の灰色の眼は、憎しみに染まっていた。
「君たちはもしかして、二年前の……」
「そうだ。地上が落ちてきて、ナスが俺達の故郷を蹂躙した。親父も、母さんも……!」
「敵討ちって柄じゃねえけどなあ。こればっかりは煮えくり返って仕方ないし」
二人の沸々とした怒りを目の当たりにして、龍王はうつむく。
「……神子に聞いて驚いたよ。あんたが起こした喧嘩の末に、ザルドゥができちまったなんてな」
二年前、龍王と邪龍王の衝突により、異界ナハバルに地上が落ちた。二つの異世界は溶け合い、煉獄となってこの地へと生まれ変わっている。
その際にどちらの世界も甚大な被害を被った。
「…………」
謝罪しようと思っても、言葉が見つからない。
目の前の青年たちにいくら謝ったところで失われた命は還らない。時も戻らない。
「過ぎたことをどうこう言うつもりはねえよ。あんたを責めるのも、なんか違う気がするし」
そう言うブラウの声は龍王を責めるどころか、慰めるように優しかった。
「ただナスシュは許さない。おっさんを信じるのは癪だが、親父たちを殺したナスを生み出すような奴は!」
「信じるって……?」
「気づいたらなにもかも終わってたんだ。俺達は狼王に拾われてて、親父と母さんはナスに殺されたって言われてさ」
ロットがつらつらと語り、ブラウは憮然と黙り込む。
「んで狼んとこで世話になってた。最初は冷や冷やしたよな、獣人つっても、所詮鼠だし? いつ食われるかって」
昔を思い出したのか破顔するロットの言葉に、龍王は驚く。
「君たちは鼠の獣人なのか」
「そ。狼に育てられたせいなのか、鼠たちにもあんまり気が付かれないけどな」
龍の嗅覚をもってしても二人の存在はあやふやで、純粋な人間ではないだろうが、ではなにかといえば判然としない。そんな気配を伴っていた。
「故郷はもとは鼠の国だ、この街の地下に広がってた。二年前までは、鼠以外にほとんど会ったこともなかったんだぜ」
「それが突然狼の仲間入り。今じゃ地下は無くなっちまって、故郷の影なんて欠片も無い」
渋谷が落ちた異界の地下は、鼠の楽園だった。鼠の王が統治する、つつましくも温かい国。
そんな国に戦乱を持ち込み、余波といえど壊滅させてしまった。
後悔など数えきれないほどした。それでも尚絶えない自責の念に龍王は唇を噛む。
しかし同時に意外でもあった。
他人など興味もなく、唯我独尊の狼。
それがこの二人を拾い世話をしていたなど、なんとも想像し難い。
龍王や当時の仲間でさえ、気まぐれな狼王には振り回されることが多かった。
狼王に悩まされることが無い人物など、彼のテュラノスや、ザルドゥ首都の先代ヌシくらいだろうか。
それらの顔を思い出していた龍王は、徐々にあることに思い至っていく。
「まさか……」
もしその仮説が正しければ、狼王の思考が、挙動が納得できるものとなっていく。
それはあまりにも哀しいことだが。
「ねえもしかして、君たちのご両親ってさ……」
取り繕う嘘の笑みさえぎこちない。龍王の問いの続きを、二人は不思議そうに待つ。
もしその仮説が正しければ、狼王にナスシュは倒せない。
だからこその、龍王のテュラノスだったのか。
これ以上狼王と対峙していることは辛い。
新野は狼王から後じさる。それは旧シブヤ駅への入り口に向かうことだった。
「行け新野、さもなくば化け物だぞ。俺はナスには容赦しない」
冷気を漂わせるような視線に刺され、新野は覚悟を決める。
ナスはいなくなった。背後にぽっかりと開く駅の入り口。新野は最早そこ以外の道を、この王によってふさがれている。
「せいぜい死ぬなよ」
冗談か本気かわからない調子の彼に、新野は必死に笑ってみせた。
「俺はさぞかし強くなれるだろうよ」
「ほう、そりゃ上々だ」
「あんたをいつか、ぶん殴るためにな」
楽しそうな狼王を指差して、新野は踵を返す。
電灯の消えた、旧シブヤ駅へと足を踏み入れた。
四つか五つ、長く伸びたホームは静謐を保っていた。
真っ暗で電光掲示板もなにも表示していない。
新野の足音だけが広い空間に響いている。
電車はホームに二台停まっていた。もちろん人気は無い。
地上で見ていた人混みと騒々しさが脳内では思い出されて、余計に今の静けさを不気味にさせる。
ホーム上に点在する地下への階段は、土砂によって塞がれていた。
ふと、視界のはしで明滅するものがあって注視する。
停まっている電車の内のひとつ。その最後尾の車両の電灯だった。
ときたま思い出したように光がちらつく。
心臓が早鐘を打つような緊張感。
ホームから降りて、その電車に並んで線路上を歩く。
そして問題の車両に近づいた。窓からは誰の姿も見えない。
中に入って調べるしかない。
車両の扉は閉ざされている。力ずくで開けたことなど無いが、今の新野ならば簡単に開けられることだろう。
近寄って、扉の隙間にそっと指をのばした。
「ちょっと」
すぐ耳元で声がして、声も出さず跳び下がった。
全く気が付かなかった。すぐ背後で声がした。
しかし誰もいない。
「何者だね?」
戦慄する。またすぐ背後から聞こえた。耳に当たる吐息もあった。
声にならない驚愕のまま、ブリキ人形のごとく新野はおそるおそる振り向いた。
背中ぴったりに、髪の長い女が立っていた。




