教鞭1
「五体目!」
漆黒の頭を踏み潰して、新野は怒号をあげる。
息はあがっているがすぐに回復する。
残されるのは元はただの生き物だった、化け物。
五体目はヒトではなかった。街の住人だろう、二足歩行で人間の子どもくらい大きいが猫である。
愛らしかったはずの顔いっぱいに複眼が並び、開いた口から長い舌が垂れていた。今はその顔は無残に潰れている。
新野はその死骸を見つめる。
瞬きもせず、息を荒く吐いて。
自分の呼吸音だげが響く。
「新野!」
はっと我に返った。気が付けば龍王が新野の両頬をその手で包んでいる。
焦点が合ったのを確認してから、その手はそっと離された。橙の瞳は依然厳しいまなざしで新野を見上げる。
「だい、大丈夫だ」
心配されまいと言ったが、明らかにかんでしまった。どうにも嘘が下手くそだ、と内心唇を噛む。
新野はわかっている。龍王がナスを倒すことに心を痛めていることに。新野と全く同じ気持ちであることに。
だから尚更龍王にナスの相手をさせることはできない。
ここは意地でも、自分の心を殺してでも戦うべきだ。
それがどんなに自分のなにかが壊れていく行為でも。
動物だったものを倒した時、言い聞かせた。
これは猫じゃない、俺は猫を殺していない。怪物は殺していい、大丈夫だ、と。
だがどうしても心からなにかがこぼれていく。もう拾うことができないそれは、「偽善」だろうか、大切なものでなければいいが。
建物の向こうには森が見えていた。
もともと住宅が点々としかない範囲だ、人影も見当たらない。
「ここから街中へ向かって掃除していけばいいわけだよな」
そう告げる新野の顔は口元がゆるんでいた。なのにそれ以外は無表情。感情が浮かんでいない。
龍王は少し悲しそうな顔をするが、新野はそれに気が付かない。
「新野、少し休んだらいい。ここらへんなら誰もいない、僕が見て回ってくる」
「いやいい。疲れてない」
「まあまあいいから! 座ってろって!」
少女は無理矢理新野の肩を押して、近くのベンチに向かわせようとする。
「ほんとにいいって! 離せ……ってかどんだけ怪力だお前は! いでででで、肩壊れる!」
「ご、ごめん!」
あわてて離した隙に、新野は強く地を蹴った。
壁面を脚甲のつま先で蹴って、あっという間に四角い五階建ての屋上まであがる。
龍王が驚いた様子で見上げてくる。
「ここから探してみる!」
「ま、待てよ。僕も行くから!」
龍王は橙の髪を揺らして建物の入り口へとまわっていった。
強めの風が新野の顔にぶつかる。
それほど高さのある建物ではないが、近辺を見回すだけなら十分だ。
コンテナが乱立する向こうには109が建っている。
その塔を見ていたら、近づいてくる影があった。まばたきよりも速く向かってくる。
とっさに身を固めるがその暴風は一瞬で新野の背後にまわった。
「――ッ!」
半分振り返る新野の真横に、赤い舌がねっとりと見える。それとらんぐいの牙。
肉食獣の口だ、それがかっ開いて新野の顔面に迫っている。
刹那、その口は新野の視界からかき消えた。
肉と骨がコンクリートに叩きつけられる壮絶な音が聞こえる。
「いくらか倒して慢心でもついたか、新野」
「あ、あんた……」
呆然と見るそこでは、床に倒れるナス化した狼の化け物、その頭を踏み潰している男の姿だった。
狼王は、新野に背中を向けたままもう一度踏みつける。ナスの頭が壊れる様は、果物が落ちて破裂する様と酷似していた。
完全に沈黙した狼ナスの遺骸から足を上げた男は、じろりと新野をねめつける。
その睨みに新野は背筋を正した。受けた殺気が悪寒となって全身を駆け上る。
危機に反応して、新野の両足に冴龍の脚甲が出現する。
それを見て狼王はぱっと殺気を霧散させた。
「少しは成長したみたいだな、龍王のテュラノス」
「…………」
唐突に普段のくだけた様子になる彼の真意が読めず、新野は身構えたまま冷や汗を流す。
そんな様子を狼王は笑い飛ばした。
「だがお前全然使いこなせていないようだな」
「そうかな? あんたから逃げるくらいはできそうだけど」
「……試すか?」
再びぶつけられる気配に総毛立つ。しかしすぐさまそれは解除された。
「まあ使い方はおいおいわかる。自分で学ぶしかない、間違ってもお前の王を頼りにしないことだ」
新野は答えないながらも表情に感情が出ていた。
「不満そうだな?」
図星。固い表情のまま黙る。
「のん気でわがままなお前の主に任せていたら、お前はいつまでたってもロットやブラウにも勝てない」
「ひとの王の悪口はいただけないな……」
狼王の言い分に無性に腹が立ち、低い声で威嚇する。絶対に敵わない相手とわかっていても。
その新野の業腹な態度を狼王は一笑に付す。
「テュラノスの性にとらわれてばかりだと命を落とすぞ。喧嘩を売るなら相手を選べ」
「性……?」
「出会ったばかりのあんな小娘に、なんでそこまで心酔できる? 出会って数日の仲になんで信頼があると思う? お前は龍王の何を知っている?」
答えられない。なにも答えることができなくて、新野は目を見開いた。
「テュラノスは獣王の隷属だ。間違っても主に離反することがない忠実な僕。お前は生き返らせてもらったかわりに主に尽くす運命にある」
「り、龍王は、いい奴だ……」
「だからそれがどうしてそう思うのか、考えたことはないのか?」
「それ、は……」
「王が近くにいればいるほど、テュラノスは無条件で王を信奉する。そういうものなんだ、そうできている」
愕然とした。信じられない言葉だが、確かにそうだと思うこともできる。
狼王が顔を上げる。
「少し話すか新野、ここじゃあいつが邪魔だな」
固まる新野のフードをつかんで狼王はいとも簡単に跳んだ。
抵抗を忘れていた新野は、屋上から離れる一瞬、現れた龍王の驚きの顔を小さく見た。




