殺される前に?
「つ、強い……!」
「何者だ! オオカミでないぞ!」
「防御陣形を張れい! スンダイノカミ様をお守りしろ!」
どよめきながらも整然と隊形を立て直す猪の群れにティカは内心感心をしていた。
それだけ、今殺したダヤクと呼ばれていた猪が強敵だったといえるだろう。
手元の猪の肉はまだ温かく、芳醇な芳香を放っている。うまそうだった。しかし同時に重たそうだ。
「あとでゆっくりいただくとしよう」
うっすらと笑みを浮かべクロヒョウは枝の上で立ち上がる。
スンダイノカミまでの猪の兵の壁はより厚いものとなった。
最早奇襲時の動揺は一切なく、守りは段違いに強度を増している。
少し考えるティカの視界の端では、兵の一派と乱戦を起こしている、ここからはごく小さな諍いが見えていた。
クロヒョウは唐突に素晴らしいスピードで樹上を滑るように走った。
その黒い獣が急激にこちらに向かってきているのに、新野だけでなくブラウたちも声を上げた。
「おいこっちに来たぞ!」
続くのは憎しみと怒りを抑えて進軍してくるスンダイノカミの大群。
「あいついったい……!」
敵を連れてくるティカの真意を想像もできないうちに、その漆黒の姿が新野の横を駆け抜ける。
瞬間愉快そうに細められていた瞳と交錯した。
「ティカ!」
「伏せろニイノ!」
強制的に頭を抑えつけられ地面に倒れこむ。その上を巨大な猪たちが跳んだ。
ティカを直線に追う群れが頭上を走り抜ける。
槍が降りては地面を刺しつらぬき、また戻り次の槍がくる。
天気予報を思い出した。今日は槍が降る地域があると。
そののんきな思い出とは裏腹に、新野は叫び、しかし大群の足音に全て掻き消されながら必死に槍の雨の中を転げまわる。
大群の軌道から突然外へ出て茂みに突っ込み、ようやく自分の荒い息が聞こえる。
奇跡的にどこも踏まれることなく生還した。ひっかかっただけでも体を粉砕される進軍だ。
それに追われるティカ、それと同じ目にあったはずの仲間二人のことを思い顔を上げる。
そこに一頭猪が突っ込んできた。
牙が自分の脇腹にかかる重みを感じ、新野は全身をすくいあげられた。
「うあ! あああ!」
浮遊感の中猪の殺意がこもった眼が見える。
(殺される! ぜったい殺される!)
腹へと手をのばし牙に触れた。そこに全力をこめて、新野は牙から降りる。地面に背中から落ちた。
肺から空気がびゅっと抜けて、息がつまる。視界はちかちかと瞬く。
しかし猪が口吻でもって新野をたたき潰さんと振り下ろそうとしている。
仰向けに倒れたまま地面を滑る。ひざを曲げたところに重い衝撃で地が揺れた。
降りてきた牙を両足で蹴りこみ、新野は後転をする。勢いのまま立ち上がり、猪と対峙した。
コートの上から腹部を探る、衝撃はまだ残っているが傷は無いようだ。
「はは! さすが特別製!」
泣きそうに顔を歪め笑い、新野は左胸からダガーを抜いた。
猪が身構えてくる。
(ああ、嘘だろ、勘弁してくれよ)
心の静かな部分がこんな時でも発言をする。
そんなの抜いて、ドウスル気だ、と。
ブラウやロットの助けが来るのを一瞬願った。しかしすぐさま捨てる。
狼と対峙した時、迷ったことを今でも後悔している。
決める時は一瞬にしなければいけない。
さもないと傷つく。ボロボロに、取り返しがつかないほどに。
相手の殺意が本物であるともう実感しているのだから、
「俺は――!」
新野は踏み込んだ。恐怖に体が凍り付く前に全力で猪に向かって!
猪が四肢に力をこめるのが見えた。それが予想通りで、新野は直角に曲がり全力で走った。
逃げた。切りかかるとみせかけての全力疾走。奇をてらったつもりだがその結果が上手くいったのか、それは考えない。とにかく走った。
進路上をさえぎる枝をダガーで斬る。茂みに足を取られそうで、時折ある根に転びそうになりながらも耐える。
その新野の耳に、特徴的な鼻息が聞こえた。
真横から猪が現れた。
新野の後ろに流れた足の先に、猪の突進がかする。たまらず転び、地に倒れ止まらず何回か転がった。
転がるのが終わっても視界は回り、耳が爆音となった自分の鼓動しか拾わない。
ひどく打ち付けたはずの全身はまだ痛みを感知していない。
逃走の失敗を感じた。
足音が小さく聞こえる。追ってきた奴か、先刻ぶつかった奴か、新手か。
すぐ近くに現れた猪がそのどれに該当するのかわからなかった。なにしろ猪たちの判別などあまりつかないのだから。
その時ようやく右手に握っていたはずのダガーがないことに気が付いた。
唯一の武器を落としてしまった。
倒れこんだまま、力も入らない。頭も働かず、猪が近づいてくるのに目をみはることしかできない。
はっとした。
猪の奥に見覚えのある姿を見つけた。ティカだった、草地にちょこんと座って新野を見ていた。
目が合う距離ではないが、完全にこちらを眺めていた。
(俺が殺されるのを見てる……?)
猪がいよいよ新野の視界を埋めて、ティカが見えなくなった。




