シブヤカオスイン
渋谷駅構内は混乱に満ちていた。
多くの人間がひしめき合い、それぞれが我先にと前へ進もうとしている。
隣の人間の顔を押しつぶしても気にもとめず、誰かが人の波に踏まれ悲鳴を上げても波の潮に一切変化は見られない。誰もかれもが自分の身を案じ、この渋谷を去ろうともがいていた。
人の苦鳴と怒声に充満したこの光景は、さながら地獄絵図のようだ、といっても過言ではない。
だが誰にもそれと気づく余裕はなかった。
この渋谷は今や未曾有の脅威にさらされた土地となり、人々は恐怖の坩堝に陥っていたのだから。
駅外の頭上に広がる空は灰色に染まり、低くごろごろと、まるで龍の鳴き声のようなおそろしい放電音が一帯にこだましている。
空気は肌にねっとりとからみつくような湿気をおびていて、奇妙な悪臭がたちこめている。
人をかきわけかきわけして、新野は構内からそんな変貌した街に飛び出した。
肩で息をしあたりを見回す。
四方八方から続々と、人々が悲鳴をあげながら殺到してくる。
その流れの中、新野は立ちすくんでいた。
「嘘だろう……?」
自然とそう呟く。
今日もいつものように私服に身を包み、いつものように電車に乗って、仕事場がある渋谷に向かったのだ。業務中は帽子を被ってあまり見えなくなるぼさぼさの金髪も、今は曇天の下ではくすんで見える。
通勤ラッシュの電車内、密着する圧迫感に耐えてあと一駅で渋谷、というところだった。
あと一駅我慢するだけで、いつものように仕事が始まると思っていた。
不意に上着のポケットが震えて驚く。取り出して画面を見て、すぐさま通話ボタンを押した。
「もしもし、課長!?」
『新野か? 今、どこだ?! 無事か!?』
声の合間はひどく雑音が混じっている。
「駅にいます、課長は園に?」
『こっちはもう、だめだ。半分落ちてる、危険だから来るんじゃな』
ぶつりと通話は切れてしまった。
とっさに画面を見るが、通話終了の画面でしかない。
「落ちてる、って」
確かに聞こえた言葉。
その言葉の意味することが新野にはわかって、頭が真っ白になっていく。
その頭上を数機のヘリコプターが飛び去っていく。暴風と爆音を置き去りにして、それらは全て渋谷の中心街へと向かっていった。新野の職場の方向へと。
新野だけでなく、その場の数名も呆然とそれを見送っていた。
誰かのつぶやきが聞こえる。
「まさか日本も、こうなるなんて」
駅へとごった返す人々、呆然と立ち尽くす人々。
その中で、新野も虚脱感に似た絶望に全身を包まれていた。
2015年7月13日。
渋谷の中心街一帯が完全に崩落した。後に残されたのはのぞいても虚無しか見えない巨大な穴のみ。
「混沌」と呼ばれるその穴は、諸外国において既に十二。十三めの混沌として、渋谷は地図上から消え去った。
地球は文字通り、穴だらけの星となりつつある。




