大全世界の鬼ども集え 3
「や、槍から声が!」
と叫ぶところが普通だろうが、なにしろ虎と話していたユハタにとってそんなことはさして驚くことでもなく、ただ声がたおやかな女のものだったことにはいささか驚いた。なので、
「今度は槍か……」
と呟いたのが現実である。
<ほう。わらわの声を聞いてもそんな反応か、陰気臭いうえにつまらぬ男よ>
「それはすまない。それで、貴方様はいったい」
周囲に人気がないことを確認し、ユハタは駅の段差に腰を据えた。
直槍は穂先だけでもゆうに二尺以上あり、黒塗の柄が美しく光っている。また刃には光の角度によって泳ぐ龍の姿が見え隠れする。誰が見ても至高の一品と溜息をこぼすような槍であった。
その槍からたおやかでありながら、高貴で怜悧な女性の声が滑り出てくるのだから、常人ならば緊張して会話をすることだろう。
しかしユハタは無遠慮にも聞こえる率直さで槍へと問うた。
<わらわはさる高潔なる一筋の写し身であるが……名乗っても貴様には知らぬことよ。それよりも若造、名を述べよ>
「若造か」
尊大な槍の態度にユハタは懐かしさを覚えて笑みをこぼした。
「私は三条纈という。鴉王様にてこの乗り場を守護せよと仰せつかったのだが」
<ふふ、たわけが>
「?」
ユハタの言葉を途中で切って捨てて、槍は軽やかに笑った。笑うと女の声は無邪気な少女のように聞こえる。
<守護を仰せつかったのはこのわらわじゃ。きみ――三条といったか、きみはただの案山子よ。ただわらわを握り、振るえば良い。あの三本足ガラスが不在のおりは何時でもそうしてきたのだから。それと、わらわは名乗れと言った。何故それ以上言葉を続ける?>
「……申し訳ない」
尊大にも過ぎる様に唖然としながらユハタは謝った。あまり謝罪の気持ちは無かったが、虎王といい、鴉王といい、こういう輩には反論しても話しが進まないことを身をもって知っている。
「では私は、貴方様の御力を発揮して、この地で働けばいいのですね」
<よいよい。三条、きみはものわかりは良いようだな。わらわを振るうこと許そう。さてでは早速、一働きをばしてもらおうか>
鈴が転がるように笑ったあと、すっと声を低くして槍が言う。
ユハタも異様な者がその時現れたことに気が付いた。
見渡す限りの平原の先にぬっと立っている者がいる。
それは平凡な人間であった。旅支度をした一人の若い男が、無表情に駅を目指して歩いている。
ユハタは立ち上がり、その男へと目を細めた。
「あれは……」
<あれなるはわらわの怨敵にして、かの地を目指す幽鬼よ。さあ三条、見事討ち果たしてもらおうか>
「だが、あれは」
ただの人間だ、とユハタが戸惑った時、男の後ろからまた一人人影が出てくる。
今度は女だった。やはり無表情に、機械的にも見える歩みでこちらへ向かってくる。
その後ろにはまた一人、今度は老爺が。畑作業の格好をしている。
その後ろからは子どもが。手には風車を持っている。
その後ろからは中年の男が。最早旅支度などではなく、店を営んでいるのか前掛けをしたままの姿で。
その後ろからも、その後ろからも――。
ユハタは言葉を失った。
平原の向こうから続々と意志の無さそうな人々が歩いて来る光景は、異様でしかない。
<見た目など気にするな、鬼は鬼よ。あれらはかの地――この天上に浮かびしカラスの島へとただ向かう亡者たちだ。なにしろかの地は生者の陽の気であふれているからな。平時ならばあのカラス王の陽光が届いてここまで来れんのだ>
「陽光? 鴉王様の?」
<ふふふ、不思議かえ。陰の気でもまき散らしていそうな奴だものな、あいつ。だが元はただの鳥であっても今はくさっても太陽の霊鳥ぞ。喋れば台無しだが、いるだけであの島を守るくらいは働いているのさ>
「それは知りませんでした」
<ああ。だが太陽があれば影もできる。亡者にとりついているのはカラス王へ恨みをもってどこぞで死んだ者たちだ。人間の遺骸はとかく空っぽで乗り移りしやすいものだからの、とっかえひっかえして何度打倒してもああしてここに戻ってくるというわけさ>
「貴方様はそれらを打倒すお役目でいらっしゃるのか」
<そうよ。わらわは輝く日の槍ぞ。影を暗き底へ帰すことにこそ振るわれるべきであるのさ。それに、そういう道具として生まれた。それ以外に生き方を知らん>
「生き方……」
槍の言葉にユハタは瞠目する。槍はそれだけでユハタの心中を見透かしたのか、鼻で笑った。
<生き方に迷うのは若造の常よな。よいよい、許すぞ。であればなおの事、わらわを無心で振るが良い。それでひとつの答えが出る>
ユハタが槍の真意をはかりかねて止まっていると、槍はひとつ大きな声を上げた。
<では、構えい!>
その言葉に従って、ユハタは黒塗の豪槍を構える。
<よいぞ。わらはにはもうわかる、きみ、なかなか慣れている>
「それは、そうかもしれませぬ」
<謙遜するな! 今ここにおいては我慢もするな。きみはこれからわらわと踊るのだ。それを甘美と思えば尊べ、醜悪だと思えば耐えろ。思うさまを解放し、きみの素直な姿をわらわと彼奴らに見せつけてやれ。どんな姿であれ、それがきみの本性だ>
ごうん、と背後の駅で機械の稼働音が聞こえた。
無人の箱が駅を発車する。こちらから乗る者はいなかったが、天井からこの地へ降りてくる者がいるだろう。
<邪魔が入る前に片づけてしまおうではないか>
「承知致しました。では、参ります」
ユハタはひとつ息を吸って、地を蹴った。
テュラノスでなくなってから戦場に赴いたのはこれが始めてだ。
トロントの森にて猪や兎を狩ったりはしたものの、それらははっていた罠に頼っている。
身ひとつ、刃一振りで駆けて戦うのは、久しぶりだ、とユハタはぼんやり頭のすみで思う。
目端で農夫が振り払ってきた鎌をわずかな動作で避けると、ユハタは手の内で返した槍の先で、男の胸を撃ち抜いた。
どんっと重い衝撃を払い捨てるように振るえば、胸を貫かれた男の亡骸が紙細工のように地に落とされる。
その次にはすぐ足もとにせまっていた女の肩を打ち払い、跳んできた少年の頭を石突きで突き捨てる。
<いいぞ三条! きみの踊りは激しく熱い!>
時折こうして槍がはやしたててくる。だが努めて冷静にユハタは襲い掛かって来る鬼どもを一人、また一人と行動不能にしていく。
「これは、本当に鬼なのでしょうな」
<ははは! 気にするなと言ったはずだ。それに、それを確認するには方法が定められないとも思わないか? 幽鬼のような人間もこの世にはいるだろうさ>
「私は、かように弱い人をなぶり殺す趣味はない」
ユハタの片足にとりついてきた男の顎を蹴り落としてから、その胸を突き刺す。動かなくなった男にはもう一度も視線を送らない。
<きみ、言っていることと行動が矛盾しているぞ>
立ち向かってくるものを容赦なく全て、ユハタは行動不能にする。はたから見れば異常な、それでも人間に見える人々を次々と殺しているようにしか見えない。
「だってこれらは、鬼なのでしょう?」
まっすぐに敵を見据えて、息も荒くなってきたユハタは至極単純な答えを述べるように言った。
「私はそれを疑いはします。だが同じくして、襲いくる彼らに同情しても仕方ないことはわかっています」
なぜなら、とユハタは槍を振るう。
眼前の少女の膝を串刺しにしてから、距離をとるため後退してみせる。
少女は今まさに貫かれた足から少なすぎる血を流し、痛みもなにも感じていない無表情のまま立ち上がろうとする。だが壊れた膝ではそれはかなわず、少女は地に膝をつく。それでも彼女は立ち上がろうと、まるで壊れた人形のように何度も挑戦をしては膝をついていた。
「鬼ではなくとも、人にもなれない者どもに見えますが」
壊れた少女を同じく無表情にユハタは見下ろして、その胸を無造作に貫いた。
心臓が破壊されると少女の体はとたん地面にくずおれて動かなくなる。
<なんだ、きみはあんまり揺さぶってもつまらないのだな>
槍はそう言って嘆息した。再び淡々と人々を倒してまわるユハタに、槍は観念したと声をかける。
<安心するがいい、それらは真に亡者たちよ。しかもとりついている鬼どもはさまよいどこかで亡者を見つけることができれば、再びこの地を目指す。つまりきみが殺しているものなど、なにもないのさ>
無言で働くユハタに、槍は愉快そうに声を弾ませた。
<だがなあきみ、安心するのとは裏腹に実は残念なんだろう?>
刹那、ユハタは怖気を人々の中から感じ、反射的に歩みを止めた。
振り上げた槍の柄に、火花を上げて極厚の刃が振り下ろされた!
「これは――!」
初めて警戒したユハタの見上げる先、それは他の亡者どもとは全く違う者だった。
牛の頭と下半身に人間の上半身、両手に構える武器は巨大な手斧。
甲高い音をたてて刃をかち上げ、ユハタは近すぎる距離を離そうとするが、真横から迫ってきた勢いに遅れて気が付き頭を下げ転ぶように後退した。
<ふふ! そうら、本命ぞ、喜べ!>
荒い鼻息でもって棍棒の空振りに憤慨しているのは、馬の頭に下半身と、人間の上半身をした者。
その巨躯見上げるほどで、武器も比例して巨大である。筋骨隆々たる様から放たれる威圧感は、他の亡者たちがまるで雑草のように感じられるほどであった。
<これらは見るからに怪物よな。牛頭、馬頭、獄卒どもよ、いつもながらに労働に忠実よな>
「こんなものまでいるのですか」
<うん? 三条よ、その声少しばかり跳ねていると自覚はあるか>
ユハタは口端をわずかに上げながら、きっぱりと否定した。
「いいえ。私はあまり戦うことは好みませんので」
<あっはっは! 嘘がまことに下手な奴よ。だがいいだろう、そのほうが面白い。存分にこの戦いで自覚しろ。きみは鬼でも怪物でもない、それらを打倒す人間よ。だが人間であればその迷い、晴れるわけではない。認めなければその苦しみ、永劫続くぞ?>
まだ十数人もいる亡者に加え、一切の慈悲もなく迫って来る怪物二頭を前に、ユハタは油断なき槍を構えた。