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獣のテュラノス  作者: sajiro
外伝/三条 纈編
143/147

大全世界の鬼ども集え 1

※完結後の蛇足です。

 うっそうとした森の中、深い深い土地の奥にこぢんまりとした村があった。

 村というよりも集落だろう。木で組まれた家々はまだ新しく、全体が穏やかな空気に包まれていた。

 縁側では老人が日向にあたり、子どもたちが走り回って遊んでいる。桶の水場では数人の女性が談笑しながら野菜を洗っていた。

 その女性たちの中でも若々しく、凛とした顔立ちの女がいた。

 女は背中に赤子を背負っている。

「ロク、ユハタはどこかな?」

 不意に投げられた問いに、女は顔を上げた。帽子もかぶらず、美しい顔を一切隠していない女――ロクは声をかけてきた少年ガシを見やった。


 バルフという故郷が消失し、村はここトロントの森の一角に移住した。

 新しい土地での生活において、なにが足らずなにを備えればいいのかようやく見えてきた頃。

 村の守護者であった虎の王とその従者、テュラノスであるユハタが異界から戻ってきたのだった。

 ロクは返ってきたユハタを迎え入れた時の印象を、忘れることがなかなかできない。

 村人たちに囲まれ、再会を喜んでいた時のこと。

 ユハタは村人と同じく嬉しそうに破顔していた、ように見えたのはロク以外の全員だけだ。

 ロクはその笑顔がとてつもなく遠いもの、嘘のそれだと看破し衝撃を受けた。

 村人はもちろんロクも、ユハタとの暮らしを夢見ていた。

 何故ならそれは過去亜龍の襲撃に怯えながらも、しかし懸命に生きていた頃の村の姿を象徴していたから。

 村人にとってはユハタは仲間であり兄弟であり家族であった。

 それはユハタも同じように思っているとばかり信じていた。

 

 ああ、だが、この男は最早それでは満足できないのだ。


 ロクはその時に確信したのだ。

 薄々わかってはいたが目を背けていた。ロクはけしてユハタと同じ「理想」を夢見ることがかなわないのだと。ロクの幸福はユハタにはなんでもないのだと。

 その瞬間、ロクは子どもの時から抱いていた彼への淡い思慕を、深い無念とともに捨て去る決心をした。


 ガシに問われてロクはやれやれと立ち上がる。

「どうせいつもの、墓参りか虎参りかだろう」

「やっぱり? 朝は畑にいたんだけどさ」

「それはいかんな。あいつはああ見えて、畑仕事が下手だ。あとで直しにいかねばならん」

 全く余計なことを、とロクは嘆息する。

 しかし冗談のように言ったその言葉に、ガシが肩を落し戸惑っているのでロクは首をひねった。

「すまん。なにかおかしなことを言ったか?」

「い、いや。……たださ」

 気の強い少年がこうまで言いよどむのは珍しい。ロクは背中の赤子をあやしながら言葉の続きを待つ。

「ただ、ユハタ様……じゃなくてユハタ、最近元気が無いようだから。ここの暮らし、楽しくないんじゃないかってヤサも心配してんだ。ユハタの笑いはぎこちないって」

「そうか……」

 さもありなん、とロクは心中毒づく。

 綻びが大きくなっているのだ。だから始めロクしか気づかなかったような違和感を、村人ですらこのところ気づいていく。

「で、探している用件はなんだ。代わりに伝えてやろう」

「ほんと?」

 ガシはほっとして表情を明るくした。今の心境で当の本人に出会うのは不安だったのであろう。

 用件を聞いて、子守を代行していたので赤子を母親に返却した後、ロクはのんびりと森に入った。


 この土地はかつてカラスが支配していた。

 今でもその名残でカラスの数は多いけれど、いかんせんそのカラスを統率していた王の力が弱まっては以前と同じというわけにいかない。

 カラスの王は健在であるが、以前とは違い異能を持った鳥ではなくなった。

 少し大きくて、足が三本あって、人語を解する。それだけでも随分な異形だが、眷属である島中のカラスたちは平々凡々なカラスになってしまった。

 もう森を監視することも連携して戦うこともできない。

 トロントの森は観光地であることに変わらないが、運営するのは鳥ではなく人となり、そのため森の安寧は二の次となった。

 なのでロクの村の周囲も、もちろん安全というわけではない。

 森の中には大小様々な動物が生息している。

 それでも、バルフにいた頃周囲には龍がはびこっていたのだ、比べてしまえばこちらは天国である。

 罠は獣除けと捕獲のみで事足りる。

 熊や猪は、虎を恐れて近づかない。

 森の中を数分歩いて、開けたところに出た。

 木々を切り開いて作った空間には、細工された石が並ぶ。村人の墓地だ。

 目当ての男はやはりそこにいた。

 柔和と清廉な空気を漂わせる、背筋の伸びた男。

 物音でロクが来たことは気づいているだろうに、ユハタは草原に座ったまま振り返りもしない。

 そんな彼にこちらから声をかけると、なんとなく負けた気分になるのでロクは隣に無言で立った。

 ユハタが眺めているのは、ロクもよく知る人物の墓だ。

 それも予想通りだったので、少し腹が立ちつつロクは愚痴を地面に向かって話すことにした。

「墓参りをする気もないくせに来られたのじゃ、墓の中の者も困るだろうな」

 ユハタはくすっと笑った。

「全くだ」

「わかっていたらやめればいい。働かざるもの食うべからずという言葉を知っているか」

「知っているが……お陰様で仕事が無いのだ」

 珍しい、とロクは思う。この男がこんなふうに文句を零すのは。

 当の本人もそれを自覚し、恥じ入るように顔を伏せて立ち上がった。

「ここにいるとたまに虎が遊びに来る」

 言って、やっとユハタはロクの顔を見た。彼は爽やかに破顔する。

 ロクは眩しさに目を細める。

「知っている。だがお前目当てではないだろう。いつになったら虎離れできるんだお前は」

「ロクは本当に私に厳しいな」

 言いつつもユハタは愉快そうに失笑した。


 三条纈は、もう虎王の従者ではない。

 ロクもユハタがその資格を喪失する瞬間に立ち会った。

 虎王とユハタが龍王とともにトロントに戻ってきて、すぐのことだった。

 ユハタがロクを呼び出した、ロクも当事者だからと。

 龍と虎は明るい調子で会話をするのに比べ、ユハタが端で日陰に立っていたのを覚えている。

 二言三言ユハタと虎王が会話した後、唐突にその場に女性が倒れ伏した。

 仰天する前にようやく理解した。

 それはロクの実の姉だった。長い髪にすらりとした肢体、初めてテュラノスになった時の姿そのままの彼女が横たわっている。

「あ」

 ユハタがそんなぽかんとした声を出す。自身の首にある、交差した爪の紋様が、蒼い光を放った後にすっと消えた。残るはなにも浮かんでいない綺麗な肌のみ。

「いったい、これは……」

 ロクが狼狽しながら姉の体に触れようとする前に、虎王はぐるぐるとのどを鳴らしながら尾を立てて森の中に歩いて行ってしまった。

「は? おい」

 他についていた虎もその後を追って去ってしまう。それでいいのか、とロクはユハタを見やったが、彼はぽかんとしたまま虎が意気揚々と去っていくのを見送っていた。

 後に残ったのは冷たい、もう動かない姉と、やや気落ちしているふうの黒い龍だけだった。


 そうして姉はこの墓に埋葬された。

 龍王から聞いて、虎王がユハタをテュラノスから解放したこと、その反動で異能がほぼ失われたことを知っても、ロクにとっては正直どうでもいいことであった。

 だがこの男にとっては大事であったのだろう。

 ロクが知る限り、ユハタは目的に邁進する性格で、そのための努力を惜しまずむしろ恍惚と苦しむ厄介な性質である。

 それが今やなんの目的も得られず、それゆえに他人が心配するほどに「元気が無い」状態なのだ。

 だがそれが普通の人間の生活だ。

 異常な生活に身を置くあまり、ユハタにはその感覚が今は失われているだけだ。

 それもこれも、獣の従者などになるからだ、とロクがいつもの思考迷路に陥った時、はたと気が付いた。

「そういえば、お前にずっと言っていなかったことがあった」

「ロクが? 珍しいな」

 どういうつもりでその感想なのか問いただしてやりたいところだが、今は言いたいことを言ってしまわないと胸がつかえる気がした、ので続ける。

「礼を言っていなかった。わたしの代わりに、テュラノスになってくれてありがとう、ユハタ」

 いつもは起伏の無い平坦な声の彼女が、これまた珍しく微笑みを浮かべてユハタにそう言った。

 村長の子である姉が虎王のテュラノスになり、戦死した際、後がまは妹のロクであった。

 だがそれを相談していた会議に突如割り込んだのがユハタであった。

 ユハタは主張を通し虎王のテュラノスになった。

 虎王はテュラノスに対して積極的でなかったが、目の前で誠心誠意をもって勤め上げる、と誓い死んだ青年を放っておけるほど無情になることができなかった。

 村の者は信じていた。テュラノスを捧げる限り虎王が守護者であってくれることを。虎王の真意など知る由もなく。

 ユハタだけが知っている。虎王はテュラノスがいなくとも、そんな非情なつながりがなくとも、村を守らんとしていてくれていた。だが今ではどうかはわからない。

「ロクは、昔は可愛い赤子であったのに。すっかり姉上様に似たな」

 だからテュラノスや王の話が始まると、ユハタは自然と話しを逸らしてしまう。

 ロクはそれには気づかず、ただ純粋に疑問を投げた。

「ところでお前は姉上に恋していたのか。あの美しく強いひとに」

「そんな」

 全く思いがけない問いにユハタはきょとんとする。

「考えたこともなかった。……だが美しい背中と、そして燃えるような散りざまは、強く私の中に残っている。そうだな、私はあの人の生き様に恋慕したのかもしれない」

 遠く過去を思い起こすユハタの横顔をロクはじっと見つめる。

 ユハタはロクの姉ではなく、自分の父の姿を思い出していた。

 彼の父はバルフにやって来る前は、刀匠といって、武器製造を生業としていた。

 だがバルフでは十分に資源が採れず、自慢の刀や槍を造ることはめったにない。重宝されたのは龍対策の罠造りの技術であった。

 ユハタが愛用していた槍ももちろん父が造ったものだった。

「父上のように、美しく強い刃を造ることに憧れていた。だがそれは無理だと言われたんだ、幼子の夢を斬り捨てるなど酷い事をされる方だ」

 くつくつと笑う顔は少年のそれであった。ロクは見つめたまま静かに聞いている。

「父上は私の気性をよくわかっておられたのだ。生まれたばかりの私は、父の刀と笑って寝ていたらしい。頬が切れても尚嬉しそうに」

「夜叉か鬼の子だな」

 彼女の呆れた声にユハタは声を上げて笑った。

「まさにそうだな。だから私は、刀匠にはなれない。わたしは使うほうだと、使って刃を壊すほうだと、父上は言っていた。だから私はテュラノスになったのだ」

 畑仕事も下手だったしな、とお茶目につけたすのをロクは憮然と受け取る。

「姉上様に憧れたわけでも、ロクをかばい立てしたわけでもない。私が望んだのだ。力を欲し、振るいたいという浅ましい欲に従ったまでだ」

 不意に目端の藪ががさりと音を立てロクはぎょっと振り向いた。

 だがそれは兎だった。ユハタはわかっていたのか、振り向きもしなかった。

「そして……戦場を失いこうして途方に暮れている。残ったのはただ一人の哀れな餓鬼だ」

 その言葉を吐いたユハタの顔をロクは見落としてしまった。兎に驚いた自分を隠すようにロクはあわてて返答をする。

「虎王もまさか、貴様がそんな馬鹿であったとは思いもよらんだろうよ。情け無い顔をしている暇があれば、畑の腕でも上げてみてはどうだ」

 ユハタは聞いているのかいないのか、どこか上の空でいた。

 その煮えきらない態度に業を煮やしてロクは彼の二の腕を叩いた。

「それが出来ぬなら、さっさと新しい道を探せばいいだろう!」

「新しい道?」

 ユハタが真顔で反駁する。ロクはひやりと感じたが、もう遅い。

「そうだ。つまらない顔をしているよりよっぽどいい。お前はもっと生き生きとして、凛々しくて、馬鹿正直で……ええい! とにかく今のままでいいはずがないのなら、行動をしろ! 欲しているものが村に無いのなら、他所に探しに行けばいいだろうが! そんな簡単な事もわからんのか、阿呆!」

 言ってやった! とロクはほとんど投げやりになってもう一度ユハタを叩いた。

「そうだ、お前に用件があったのだ。カラスの王が城に来いと言っていたぞ」

「あ、ああ、了解した。行ってこよう」

 早口にまくしたて、ロクはさっさとユハタに背を向けその場を去った。

 風がざあっと流れ、彼女の髪も大きく散らす。

 まるで彼女の心中を表現しているかのような、吹き荒れる風だった。


 ロクが去っていった後も、ユハタはしばらく墓地に立っていたが、望んでいた者は現れなかった。

「虎王様……」

 ぽつりと待ち人の名を呼んでみると、ひどいむなしさが胸を包む。

 テュラノスであった頃の、胸の内が熱くなるような感覚はまるで湧いてこない。

 常時感じていた王の気配なども、最早どんな感覚であったか覚えていない。

 これが普通の人間であるということか。

 傍らに信じる者もいない、孤独。

 隷属であった頃よりもよほど今のほうが幽鬼かなにかだ。

 ため息をつきかけて、ユハタははっとした。

 なにを泣き言を、と強く首を横に振る。

 大きく自分の頬を打って、自分を包む陰気を無理矢理無かったことにする。

 かつて虎王は言った。

「生きろ、か」

 ユハタは強い男だった。それゆえに自分の弱気も許すことができないでいた。

 自分が迷っていることもすぐに気づき、それが一過性のものであると断じることができてしまう。

 ユハタは強い男であるゆえに他の誰にも弱音を吐くことができないし、吐く自分を想像したこともない。

 だから今この時も、暗くなりがちな自分を叱咤する。

 虎王と別れてからほぼ毎日、彼は渾身の力を振り絞って立ち上がり、前を向いた。

 そうしていかに疲れが蓄積しても、そんなものはまだ疲労の序の口にも入っていないと断じてしまい、ユハタは今も元気に鴉王の城へと歩き出した。

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