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獣のテュラノス  作者: sajiro
地上の現代/獣王のテュラノス編
140/147

行く末を決める者

 脈動する胎動のような、その青光りする柔らかい空間に邪龍王はいた。

 肉の中にほぼ全身を埋められた青年がいる。かつての自分を見ながら冴龍はずしりずしりと静かに近寄った。

 青年の目は固く閉じ、一見して誰もが眠っていると思える状態にある。だが龍の鼻は、その者が既にこと切れていると突き止めた。正しくはその肉体には既に精神と呼ばれる者がいなかった。

(ようこそ、俺のナカへ。こんなところまで来やがって、おとなしく殺されていれば楽なのによ)

『そんなこと、絶対に嫌だね』

 モナドの声は空間中から響いていた。

 彼が言うように、最早この海竜自体が邪龍王と同期してしまったということになる。

『モナド、ここでお前をようやく止められる』

(馬鹿を言え。お前は消化されに来たんだよ)

 ひときわ大きな脈動をすると、周囲の肉の壁が膨張し、やがて分離してくる。

 大きな肉塊が数体、龍王を取り囲んだ。不細工で顔もなにもないそれは、消化液かじゅうじゅうとあたりを焼きながら進んでくる。

 だがいたって冷静に黒い龍は告げる。

『今さらこんなもの、僕に通用すると思うか?』

(なに?)

『一人でここまで来たわけじゃない。僕には仲間がいるんだ』

 巨大な龍の姿が収縮していき、やがて龍王は橙色の髪を垂らした少女の姿になった。

 かつて共に戦った相棒の姿、その愛らしい声で凛と言う。

「モナド、それが僕とお前との絶対的な差だ。みんなは僕の幸福を、僕の勝利を祈ってくれている!」

 肉塊が少女の足元に近づく。しかしその時、少女を覆う膜がその進行を阻んだ。

 七色にうっすらと光る膜。

 そして同じ色に輝く剣を少女は握りしめる。

 獣王とテュラノスが想像し、創造した、龍王の力。

「お前を倒してでも、未来を勝ち取るんだ。そう決めている」

 痛みを知らない肉塊は、防護膜に自身を削られていることにも気づかず侵攻し続け、やがて全て蒸気のように溶かされていた。

 剣をひっさげ少女は一歩進む。

 空間の声はようやく焦りを含んだ声色になる。

(間違っているのは、貴様なんだぞ?!)

「その問答はよそうってお前が先に言ったんだろ」

(どうしてそう人間に執着する? ヒトの命なんて幾らでも湧いて来るだろう、だが龍は違う、星を存続するためには俺達の干渉が必要になるんだ!)

「お前のは干渉とは言わない、蹂躙というんだ。ヒトだって現状を理解して改善しようと、それこそ何千何万と命を使って、血のにじむような努力をしている。それは素晴らしいことだろう」

(俺は……星の、地球のために最善な路を進んでいる!)

 ついに空間の声は金切声を上げ、その空間自体を縮ませた。

 つまりは中に隙間なく、肉の壁を閉じ切った。

 壁に埋められていた青年の体もぶちぶちと音を立てて潰された。だが、その圧力の中龍王を取り囲む防護膜はけろりとそこに存在している。

 中の龍王には全く損傷が無い。

(なぜだ、なぜ潰れない。なぜ死なない! 外の奴らか、あいつらさえいなければ……!)



 唐突に動きを止めていた海竜が莫大な吠え声を上げた。

 龍王が海竜の中に取り込まれてからさほど時間も経っていない。

 鼓膜を破られそうな勢いに顔をしかめつつ、全テュラノスと獣王は皆一様に好戦的な笑みを浮かべた。

「最後のあがきってやつか? おもしれー!」

「やってやるぜ、海竜だろうとなんだろうと」

「ちょっとちょっと、龍王が中にいること忘れんじゃないわよみんな!」

「那由多様の仇討ちといきましょう」

「神獣の本領もまだ見せていないことだしな」

「さーて復帰早々全力で相手してやるぜ! 最強の牙の由縁見せてやるからよ!」

『ヒャハハ! 海竜相手に勝てる気でいやがる馬鹿ばっかだぜてめーらはよ!』

『ガオーン! 相手にとって不足なしダな!』

『斃せるかどうかは定かではないが、止めることならば造作もないである』

『ふん、俺と纈とで十二分だ、足を引っ張るなよ愚図どもが』

『…………』

『ったくお前ら、喜びすぎだ。特に俺のテュラノス』

 巨大な山が、青い山がのっそりと動き出す。

 三条のつけた裂傷は当然のように修復されていて、重い足取りが地面を揺らした。

「みんな! 龍王が融合するまでの間、頼む!」

 葵の一言に全員がそれぞれ飛び出した。

 海竜の口腔が開かれ、光が灯る。冷気の大砲が来る、飛び立とうとした鴉王の背で葵は、

「鴉王! 行けっ俺が防ぐ!」

『なにィ!? 正気かてめえ!』

「当たり前だ!」

『ぬぐぐぐぐ……!』

 カラスは逡巡を一瞬で済ませ、飛翔する。真っ向から海竜の口腔に向かって。

『てめえこれでもし死んだら七代祟る!』

 葵は苦笑しつつもこめかみから冷や汗を垂らす。しかし敵は待ってくれない。標的が中心にわざわざ来たのだ、撃たない手はない。

 今までで一番大きな光を海竜は、射出した。直撃すれば町が破壊されるだけでは済まない。余波ですら家屋を吹き飛ばす威力だ、もしも町の奥、原子炉に到達してしまえば戦いの意味自体が無くなってしまう。

 龍王のテュラノスは両手を突き出した。花びらが開くように防護壁が展開される。

 そこに吹雪と大嵐と大地震とがいっしょくたになったような衝撃が衝突する。

 防護壁の向こうで世界は真白の奔流に染まり、大音量が全身を通過していく。

 あまりの衝撃に鴉王が悲鳴をあげている。

 受ける葵の手が徐々に霜に覆われていく。両手は揺れに揺れ、歯を喰いしばって壁を支えた。

「負、け、る、かああああ!」

 怒号を上げて衝撃に抗う。呼応して、バルフの時のように葵の全身が虹色に輝いた。

 髪色は橙に染まり、瞳孔は針のように細い。犬歯が鋭くなり爪の先が鋭利になっている。

 ヒトならざる者に変わっていく。

 ついに海竜の豪風の吐息が終息していく。

「粘り勝ちだ坊主!」

 葵を称賛する声。見れば狼王のテュラノス、幸野あきまが双刀を手に海竜の体を駆けあがっていた。

「出し惜しみ無しで行くぞ狼王!」

『ああ、見せてみろ、俺のテュラノスの本領を』

 あきまの眼光が赤く染まる。連動して右手の甲に輝く牙のしるし。

「出番だクルトー! キュラック! そんでロボ!」

 呼び声に応じ、王者たちが現れる。眩い光りと何本もの槍を背負った狼が、悪魔のような金切声を上げて額に十字の焼き印をつけた狼が、そしてあきまと並走していた青銅色の狼王は青い炎を全身にまとう姿となった。

 ロボ、と呼ばれた狼王が走りながら遠吠えを上げる。追随して二頭の狼も吠え声を上げた。

 そこに紅い炎をまとった赤狼も並ぶ。狼王のテュラノスが変異した姿。

 四頭の狼はひとつの群れとなって海竜の肩を登りきり、頂上へと跳んで行く。

 凍える吐息を終えた海竜がその侵攻を阻むように体を揺すった時、周囲の音が無くなった。

 そんな錯覚を覚えるような一瞬後、海竜の顎下から上にかけて、一本の矢が貫通していた。

「な……っ!」

 葵はなにが起こったのかわからず、矢の軌道を逆につたう。

 本名が白い靄を弓に変えて立っていた。傍には黄金の角、青銅の蹄をした四頭の巨鹿がおり、本名が手を向けると、鹿は矢に姿を変えてその手中に収まった。

「雌鹿の聖獣は必中の呪い。避けられると思うな」

 海竜は唸り頭を振り下ろし、電柱程の巨大な矢を落とした。穴からは血が噴出し、怪物は痛みと怒りに狂ったような声を上げる。

 町に降る雪が氷のつぶてに変じ、暴風に荒れ狂う。それに体を打たれながらも本名は冷徹に二射目を狙った。弩級の矢が海竜の胸に深々と突き刺さる。

 更に苦鳴を上げる獣へ、狼たちが襲い掛かる。六つの眼に一斉に牙が振り下ろされ、無茶苦茶に噛み砕かれていく。

「すっげ……」

 防護壁の反動で体が動かない葵は飛翔する鴉王の上で感嘆をこぼした。

 しかし海竜の猛攻は止まない。

 眼球を潰され顎と胸、体のあちこちから血の滝を流しながら、海竜は鳴いた。

 怒号や苦鳴ではなく涼やかな音。鐘が鳴り響くような音が町にこだまする。

 雹の吹雪が唐突に動きを変え、それぞれがぶつかりあい上空に何百という氷塊を形成する。

 その氷柱の大群が意思をもっているようにそれぞれに降り落ちてきた。

 華麗な速度で飛翔する鴉、神子は氷柱を誘導し破壊していく。地上の者たちも応戦していた。だが数が多すぎる。

 加えて足場はどんどん凍てつき、最早厚い雪に覆われている。吐く息は白く、凍えた体は満足に動かない。

 ぜえぜえと荒い息をした三条が不意に足をとられ、襲う氷塊との間に青い虎が入った。

「虎王様!」

 必死に身を投げて、虎王ともども三条は辛くも氷を避ける。声を上げ気力だけで槍を振るった。

 鴉王も大きく羽ばたき風をつかもうとするが、氷雨は徐々に翼を削っていく。

『くっそが! 無尽蔵かよ!』

 揺れる鴉の背で葵は荒い呼吸のまま、視界を巡らす。

 海竜の直接的な攻撃は狼王と鹿王たちの奮戦で止められている、だが環境さえも操る相手にどうしたってこちらは消耗せざるを得ない。

 このままでは、と焦りがかすめる。

「だけど、これが最後だ」

 ぎり、と奥歯を噛みしめ。強く拳を握る。

「諦めるな!」

 自分に言ったのか、仲間たちに言ったのかわからない。ただその想いだけで、同じ想いであるはずの龍王を目に浮かべて、葵は吠えた。

 龍王のテュラノスは額のしるしを輝かせ、冴龍の鱗に半身を覆われる。

 その強い意志を後押しするように、内なる龍の因子たちが咆哮を上げた。

 海竜の途方もない巨体にずん、と重力がかかり、動きが悪くなったところへ荒れ狂う炎の柱が激突する。その炎に燃え盛れと颶風があとからあとから後押しして、海竜は火の海に飲まれ悲鳴を上げた。

 まるで夕焼けのごとく世界が炎に照らされ、雹は霧へ変わる。

 熱を間近に受けながら、仲間たちがその光景を眺めた。

「坊主すげえじゃねえか! みあいに匹敵するぜありゃあ!」

 赤狼の称賛に本名はしかし呻いた。

「だがこれは、明らかに本人の限界を超えている。こんなもの長く続くはずがない」

「お兄さん……!」

 ぼろぼろの羽で地に落ちた神子は、空に龍のごとく顕現する葵を見上げた。

 その横顔、歯を食いしばり決死の想いであろう彼に向かい、神子は祈るように手を組む。

「頑張れ! 頑張れお兄さん! 龍王!」



 仲間たちの懸命な姿を海竜の中から感じていた龍王が、ついに剣を振り下ろす。

 両断された肉塊の奥で、青の宝石が煌々と輝いていた。

 肉壁に手を入れ、石に向かって手を伸ばす。

(俺が、正しいんだ!)

 邪龍王の怨嗟の声が全方位から響いてくる。

(やめろ!)

「やめない」

(止まれ、考え直せ、地球を救いたくないのかお前は!)

「救うさ。でもそれは僕だけでじゃない、みんなでだ。みんなで幸せになるんだ!」

 宝石に指先がかかる。ますます邪龍王の声が荒々しくなる。

(そんなこと、無理に決まっている! もう決まっている未来を否定するほど無駄なことはない!)

 宝石は龍王の指から逃れるように肉塊に埋まっていく。手を伸ばしてもそれよりわずかに早く逃げ去ろうとしてしまう。

 龍王は懸命に海竜の肉の中に体を押し込み、宝石へ、モナドへ、その向こうの過去の龍の思念たちに叫んだ。

「僕たちが守るべきは、星でも人間でもない、世界だ。全部の営みだ! モナド、いや龍の因子たちよ知識(君たち)はいろんなことを教えてくれた。でも決めるのは感情()だ!」

 その時ほんの少し宝石の動きが止まる。

 龍王の語り掛けが邪龍王の中にある龍たちの因子に届いた。

(まさか、何故だ! 意思もない塵のような奴らが、俺から離れるのか?!)

「最後の龍は、この僕だモナド!」

 力を振り絞り龍王は宝石を握り込んだ。

 モナドの声が掻き消える。声なき悲鳴が龍王の耳に残った。

 目の奥まできた熱いものを、龍王は流さないようにこらえる。

「ごめん……っ、ぼくの、さいしょのともだち、もっとはやく……」

 

 

 葵の体から龍の因子が突然抜けた。

 頭の中で声がする、シビノ、風王、火龍が別れを告げてきた。

 どっと葵は鴉王の羽毛に倒れ込む。海竜を襲っていた加重と炎が掻き消え、薄黒く焦げた怪物が解き放たれる。恐るべきことにその体は修復が始まっていた。

 葵の気力が先に潰えたのだと思った仲間たちに動揺が走るが、海竜の額からぬるりと粘液とともに出てきた者がいて動きを止めた。

「ちょっと、遅かったな……」

 突っ伏したまま起き上がることもできない葵はその存在を見上げて微笑んだ。

 粘液をぶるぶると振り落として見事な両翼を広げたのは、まぎれもなく冴龍。

 龍王は海竜の額に青い宝石を返すと、天高く吠えた。

『海の主よ、ここにはもう破滅は存在しない。あるべきところへ還ってくれ!』

 龍王の呼びかけに成り行きを見守る全員が緊張する。

 蒸気を上げ鱗を再生成している海竜は動きを止めていた。

 そしてゆっくりと動き出す。

 現れた時と同じく、まるで外界に興味を示さずに海の獣は元来た道を帰ってゆく。海原の方角へと。

「や、った……?」

 神子がぺたんと腰が抜けたのか地にへたりこんだ。

 続けて他の面々も各々疲れ切った様子でその場にとどまる。

 鴉王も皆のところに降り立ち、葵も震える足で地面に立った。

 そこへふわりと龍王が着地する。

 堂々たる体躯に澄んだ双眸、変わらない王の姿に葵はやっと全力で安堵した。

「邪龍王は?」

 ヒトの姿に戻ったあきまが低い声で問う。本名も静かに龍王を見上げた。

『……僕の中に戻った、ひとつの因子として。人格や意思はもう消えたから、大丈夫さ』

「再び現れることは無いということか」

『僕が、モナドのようにならない限りね』

 龍王の言葉に珍しく本名がふっと笑みをこぼす。

「それならば、今さら心配もしない」

 長い息を吐いて、本名もその場に座り込んだ。労うように鹿の王が口吻をその頬に押し付ける。

 狼王が鼻づらにしわを寄せ憤懣やるかたないようだったが、その頭をあきまが撫でるとおとなしくなった。

「てことは俺ら、勝ったんだよな」

 汚れきった顔でロットが破顔する。ブラウもつられて笑顔になった。

「ああ、みんな、ありがとう」

「何故そこで葵が礼を言うのだ」

「そうよ! お兄さんのためにやったわけじゃないんだからね!」

『ヒヒ、じゃあ誰のためか言ってみろい』

「そ、それは……」

 神子が顔を赤めると皆が吹き出す。

 そんなぼろぼろでありながら、和やかな仲間たちを龍王は愛おし気に見回した。

『みんな、本当にありがとう。じゃ最期に言わせてくれ』

 一瞬全員が呆けた。

「へ?」

「え、なに?」

 ロットと神子がわかりやすく疑問符を頭に浮かべる。

 それに体を揺らして黒い龍は笑ったあと言った。

『今ここでテュラノスには消えてもらいます』

 空に晴れ間がさしてきていた。

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