融合への路
龍王の帰還には邪龍王ももちろん気が付いた。
海竜の登頂部に残っていた青年の顔が、龍王を見上げにやりと笑む。それを最期に彼の姿は波にのまれるように海竜の体に飲み込まれていった。
「龍王! それにおにいさんも!」
真っ白い息を吐き、汚れた顔で神子は上空を見上げた。
空に浮かぶ一点の星だった龍王が、ぐんと加速して降りてくる。
『みんな無事か?!』
葵も龍王の背中から降り立った。
集まった全員の傷だらけの姿を見回す。
『無事なわけがねえーだろーが! あんなもんまでお出ましとあっちゃもうどうしようもねえぞ!』
鴉王が大げさに羽音を立てて騒ぎ立てた。他の面々もそれに声を上げて同意するわけではないが、無言でいる。
『だいじょうーぶ!!』
その皆の顔を驚きにするくらい、龍王が声を張る。
『僕に案がある! 簡単なことだ、でもみんなの力が必要なんだ!』
「あ、案?」
呆気にとられている皆に冴龍は大きく頷いた。
『今モナドは僕から奪った肉体を捨てて因子に戻っている。今ならまた、因子として僕の中に元あったように戻せるってことなんだ! つまり海竜との融合を切り離して、僕と再融合させるってこと!』
「そんなこと――」
神子やブラウたち若いテュラノスが不可解そうに、だが希望が見えたことにわずかに顔を晴らす。
しかし刹那、全員を覆う膨大な殺気に血の気が失せた。
「それはつまり、奴を殺さないってことだな……?」
本名以外のテュラノスたちが、まるで敵を見るように振り返る。
龍王を凝視する狼王を。
「それを俺が許すと思ってんのか?」
「そういうことなら」
狼王の横に本名が並ぶ。一帯を包む緊張感が倍増した。
「私も承諾できない。あくまで目指すのは奴の八つ裂きだ」
「復讐で動いてんだよ、こっちは」
言葉は静かでも二人の眼は本気だった。
本気でこの場の、意見の合わない者たちを敵とみなす意志を表明していた。
「ちょっと! 仲違いしてる場合?!」
「そうだな、さくっと俺に従え」
狼王が両手に赤い刃を持ち体勢を低くする。本名もそれを援護する構え。二頭の獣が狙っているのは対峙する海竜ではない、冴龍のほうだった。
一触即発の空気は一秒ももたない。龍王が発言する間もないうちに狼王は飛び出した。
その刃を葵の剣が受ける。
狼王の赤と葵の橙が火花を散らして押し合う。
愉快気な狼王はしかし渾身の力でもって葵の剣を跳ね上げようとしてくる。
「新野、お前も少し冷静になれ。龍王と奴が融合できたとして、またそいつが肉体を奪う可能性は? 邪龍王が大虐殺をまたした時、やはり殺しておけば良かったと後悔する。そんな未来が見えないか?」
ぎりぎりぎりと剣が押し合う。懸命に負けないよう葵が歯を食いしばった。
その葵に向かって本名の雷槍が降り落ちようとした時、またなんの前触れもなく巨大な狼が出現する。
地を揺らし着地した青銅色の狼。体毛を膨らませて本名に歯をむき威嚇する。
「あきま……?!」
本名と狼王が目を見開いた。その一瞬の隙に、巨狼は狼王へと身を翻す。
どっと一頭の獣と男性の体がぶつかる。
受けた男は地を滑り勢いを殺し、すぐさま巨狼の牙に対峙した。
狼の犬歯を赤い双刀が受けとめる。
『あきま! なんのつもりだ!』
狼の唸り声とともに声が響く。
それに対して、男――狼王だったはずの男が答えた。
「まあいいじゃんか。そうカリカリするなよ、狼王」
男はついぞしなかった無邪気な笑みを浮かべる。今までの狼王からは想像できない声の調子に表情。
「え、これどゆこと?!」
巨狼と男を見比べてロットがあたふたするが、それは意に介さず男が龍王を振り返る。
「よう久しぶりだな龍王! この分からず屋は俺が押さえとくから、さっさと他の奴らと融合でもなんでもやりに行け!」
『君、あきまなのか?』
「そーそー! おっと櫛奈動くなよ!」
あきま、と呼ばれた元狼王。その名は狼王がかつて紹介していた狼王のテュラノスの名前。
魂を修復するため狼王の本体の中で眠っていたはずの存在。
そのあきまの声に本名は白い槍を止めた。彼らしくない困惑した顔で、
「あきま、お前は復讐に反対だというのか?」
「いや全然? ただ復讐って相手をぶっ殺すこと以外でも成立すると思うし。ほら早く行けよ龍王!」
『わ、わかった! みんな頼む!』
困惑は龍王たちもだったが、冴龍が飛び上がると他の獣王とテュラノスたちもつられて行動を開始した。
残された巨狼――本来の姿に戻った狼王が鼻づらにしわを寄せ、歯茎をめくり上げてあきまに盛大にうなる。
『わかってるのか、こうしているうちにもお前の残り時間が減るぞ!』
「もちろん。だから早く俺と邪龍王のところに行こうぜ? 王さま」
「あきま……!」
「テュラノスが止めてるんだ、獣王の本心ではあながち反対ばかりってわけじゃないってことだろ? だったらさっさと葛藤は止めて、望み薄な復讐劇より、あのくそったれが悔しがる顔を拝みに行こうぜ!」
『元龍王のテュラノス、みあいを殺した奴を、殺し返さなくていいのか!』
「できたらそうしてんだよ馬鹿野郎!」
刹那、あきまの力が勝り、火花を散らして狼王の牙を打ち返した。よろめく狼の前に燃え上がる双眸をたたえた男が立つ。
怒りに満ち満ちた目だった。
「だけどわかるだろう!? みあいがいたら、龍王と同じことをする! あの葵って坊主のようにな。だったらそれを助けたいんだ! 狼王、櫛奈、俺の最期の願いだ、邪龍王を一緒に止めてくれ!」
男の眼が赤色に染まる。同じく右手の甲に真紅に光る牙のしるしが燦然と輝いた。
「……お前がそう言うのならば、それ以上に言えるはずがない」
本名がため息とともに応え、狼王は低く唸りながらも耳をぱたんと倒して反対の意見を飲み込んだようだった。
一方先に空へ飛び出した龍王の背の上で、葵は豪風に抗い叫ぶ。
「本当に邪龍王と融合なんてできるのか!」
『さあね! でも海竜を倒すよりは現実味があるさ! モナドが埋まってる額まで飛ぶ、援護してくれ!』
「まっかせなさーい!」
並んでいた燕が、流星となって飛び出す。
巨大すぎる海竜は振り向くのにも膨大な時間がかかる、しかしそこは六つの眼がぎょろぎょろと動き、豪速で接近する神子、そして地上からの三条を捕捉した。
一瞬ぴかりと空間が光る。広範囲にわたる氷の波動、いや大砲が空を横断した。
着弾した地上が莫大な衝撃波に蹂躙され、凍りつく。
「ぐ……っ!」
上空の龍王と葵ですら大きく吹き飛ばされた。
だが、その暴風の流れに乗って燕王が飛んで行く。
海竜のはるか上空。
「ほら来たあ!」
神子の手には、黒い羽。
『ヒヒヒ! 当たって砕けてこいやあ!』
鴉王が高笑いとともに、三本足でしっかりと龍王をつかんだ。刹那視界が変わり、龍王たちは神子のもとへ瞬間移動する。
海竜の殺意がびりびりと空気を振動させるほどに葵たちの全身を襲う。
しかしそこへ、地上から駆けていた虎王のテュラノスが、
「虎王さま参ります!」
『往け! 全力で!』
半身を凍らせながらも、痛みを感じない三条は海竜の足元まで追いついていた。
間近では山のような蒼い怪物の足。
青い虎の姿が変化する。巨人が持つような槍へ。上空の葵でさえ目を疑うような規模の武器。
「ながっ! でかっ!」
それを全ての能力を剛力にまわした、まっすぐで揺らぎの無い想像力を持った男が抱える。
「はああああああ!」
全身の痛みも、抱えた武器の重さも長さも、男には念頭にない。
斬る、これで障害を破壊する。ただその一念で巨人の槍が旋回する。
それを脅威と感じた海竜が口腔に冷気を集める。足元の蟻のような男を吹き飛ばそうと。
「かませロット!」
「オォッケェーー!」
そこへ、後方にとどまっていた二人の照準が定められる。
家一軒よりも大きな、空間の穴を生成したブラウ。そしてそれに向かって、ロットが拳を振りかぶる。その拳にはライオンを模した機械がはめられている。獅子王が姿を変えた、砲台の射出口のような腕甲。
「スーパーキングデストロイパアアアアアアアアアアアンチ!」
振り抜いた瞬間閃光とともに、巨大な獅子が空間の輪をくぐった。海竜の口腔に、形になって衝撃波が突撃する。獅子は海竜の冷気に衝突、爆弾が落とされたかのごとく爆散、水蒸気が爆発する。
視界が白く染まった海竜は、ずんと思い一撃を受ける。
怪物の生涯で感じたことのないもの。衝撃、そして焼けるような熱さ。冷気に包まれた体が初めて感じる熱。
海竜の足先には大きな断裂ができていた。
山は横断は免れたが、深く槍が刺さっている。青色の血液が津波のごとく流れ、三条を飲み込んだ。
持ち主の意識が消えたのか槍の姿も消えると、海竜の体がわずかに傾いだ。
その時には龍王は海竜の額にたどり着いていた。
『みんながつなげてくれた路だ、行ってくる!』
龍王が邪龍王と同じように額にとりつく。
葵が、テュラノスと獣王が、願いをこめて龍王へと手を向けた。
「行けるさ龍王、背中は俺達が押してやる」
海竜が抗うように巨体を揺らし、咆哮を上げる。
龍王から降りた葵は、鴉王の背中に拾われた。
今や海竜に接しているのは龍王のみ。
「龍王……!」
『モナド、来るなって言ってるな? だったらこじ開けてやる、僕にはみんなが付いてるんだからな』
龍王の体が沼に沈むようにゆっくりと海竜の体表へ沈んでいく。
その時全員のテュラノスのしるしが輝いた。
◆◆◆
龍王は深淵の中で夢を見る。
はるか遠い記憶。だが忘れられない思い出。
初めての接触は、生まれてすぐのことだった。
龍王を生んだ母はすぐさま絶命し、悲しみもわからず腹が空いてぴいぴいと亡骸にすがりついていた。
その時声がしたのだ。
『母を生き返らせたいか?』
内側からするその奇妙な声を、不思議とも思えず、ただぼんやりと聞いていた。
『お前が死んでは困る。母を喰え、生きよ』
ただその声に従った。生存本能が従った。
そして龍王は奇妙な声――知識に従って成長する。
言葉は歴史だった。今までの龍たちが育んだものを全て知っていた。
どうやら最後の一頭であることも自覚した頃、龍王はその声が確かに内面から発せられているものなのだと確信した。
母を含めた全ての龍が自分の中で生き続けていることに安堵しながら、龍王はそれとなく楽しく生きられるようになっていた。
言葉を知り本も読み、学び遊ぶことも知った。
外界からいろんな刺激を吸収していくうちに龍王は自分の性格を確立させ、同時に内面の声の変化にも気がついた。
『なー今日は本が読みたい気分だ』
「…………」
マンガを読んだり人間たちとおしゃべりしてばかりいたせいか、声の荘厳な雰囲気はいささか欠落しているようだった。
だいぶ声の考え方と気が合うようにもなり、むしろ居心地が良くなっていた頃、事件が起きる。
友人であった人間が大怪我をした。
「ああ、どうしよう! 僕の友達だ、死んでほしくない、嫌だ」
最早なにをしても手遅れに見える女の子を前に龍王は泣く。
見かねた知識の声が助け舟を出した。
『おい助ける方法、ひとつだけあるぞ』
「え?」
『古代の龍王が封印した隷式がある。願いを叶えてくれるんだ、それを持ち出せば』
「お願い! 助けて!」
そこにはなんの迷いもない。声に従って生きてきた、いつだって知識は正しいことを教えてくれていた。
『いいのか、大変な式になる』
「お願いだ。友達なんだ、一緒に生きていたい大切な」
『わかった、助けよう。一刻を争う、急がなければ死んじまう。お前の体を借りて俺がやったほうが早い、いいか』
「わかった、頼む!」
『終わったら起こす。任せろ!』
そして祈る気持ちで少し眠りにつき、ふっと目が覚めた。
世界は火の海になっていた。
龍王はその中で立っていた。
「は?」
『無事起きたみたいだな。聞け、成功したぞ! やったな!』
純粋に喜んでいるような声。見れば龍王と同じように呆然として女の子が座っている。
火の海の下にあった故郷、家族、友人、全てが破壊された光景をぽかんと見ていた。
業火に家屋が倒壊していく音だけが時折響く。黒い生き物だったものたちが無数に転がっていた。阿鼻叫喚はとうに済んでいたようだ。
『しかしお前、よくこの騒ぎの中寝ていたな、すぐに起きないから心配したぜ』
声のあっけらかんとした調子とは逆に、龍王はじわじわと焦燥感に襲われていく。
「た、たすけないと、みんな」
『え? どう見ても手遅れだろう、死にたいのか。それにお前もまだ回復しきっていない、休んでろ』
そこでようやく自身がぼろぼろであることに気づく。
『隷式――テュラノスっていうんだが、封印を解くのに苦労した。まさか海竜が封印式の門番だとは。まあなんとか撃退して式も成功だ。これでこの女の子は死から解放され、お前と一生をともにできるぞ!』
驚愕だった。声は言葉にのせて知識を龍王に送り込んでくる。ここでようやくテュラノスというものがなんなのか理解した。
少女は王の意思に従う者に変わっていた。王がいる限り死なない体にも変わっていた。
そしてそれをつくりあげるためにこの場で龍王は海竜と死闘した。
結果地域一帯、破壊され、その場の生き物全てが巻き込まれ、苦痛にまみれ死んでいった。
『どうした? 喜ばないのか? 龍の顔ってわかりにくいな。ああ、そうなんだ、海竜との戦闘に傷ついたその体には龍族の因子群は重すぎて自然治癒に力をまわせなかったからな、悪いが大半といっしょに、体を分離した』
龍王の背後にはもう一人人間のようなものが倒れていた。それは自分だった。
いつも過ごしている、ヒトの姿をした自分。生まれた時と狩りの時にしかならない獣の姿を今はしている。
『まあいいだろ? 本体は龍、大事なのは龍だ。ヒトの姿を捨てるのももったいない、俺がそっちに移ろう。全快したらまた一緒になろう』
「あ、の。ま、街は」
『海竜は火に弱いと聞いたからな、苦戦した。でも間に合ったぞ』
「み、みんな、死ん……」
『そりゃあ、こんなようじゃなあ』
口も眼も開けて驚きから抜け出せない龍王と女の子は全く同じ表情をしている。少女のその大きな瞳から一粒涙が零れ落ちた。
紅い火に照らされた涙が、次から次へとあふれていく。
そして少女の額に橙色に輝くテュラノスのしるしが表れた。
『テュラノスが定着したようだ。王とのつながりを表す隷痕が。良かったな』
◆◆◆
「あ……」
神子は自然とあふれる涙に遅れて気づき、強引に拭った。
龍王と回線のつながった獣王、テュラノスたちに視える。それは、龍王と邪龍王のはるか昔の記憶のようで、記憶の最後、少女の涙を見て龍王が絶望していたのが自分のことのようにわかる。
「龍王と邪龍王、昔はほんとに一心同体だったんだ」
「だからこそ、だ」
葵は澄み切った眼を、今やぴたりと動きを止めた海竜へ向けていた。
外界に対抗できないくらい、海竜の中で戦いが起きている。
巨体を見上げ、あきまが、本名が海竜に向かい手を伸ばした。
狼王が唸る。悔しさと、それに勝る龍王への憤りを感じている。
『馬鹿野郎が、どこまで喧嘩を大きくすれば気がすむんだ』
「みんなで後押ししてやろう、龍王の馬鹿を」
本名の後ろにも、鹿の王が現れた。
そっと耳元で発せられた声に本名が頷く。
「珍しく意見を言ったな、鹿の王。了解した、全力で想像しよう」
三条も海竜の血の海から虎王に引き上げられて、海竜へ、その内部へと手を伸ばす。
「龍王様、想いを伝えられますよう」
テュラノスの想像を、獣王の力を介して龍王へと、届けと念じる。
葵の額に龍王のテュラノスのしるしが花開く。ひし形模様に開く両翼の形。
全身に光が行き届き、橙に光る彼は穏やかに、確信のままに想像する。
「龍王、今度こそ邪龍王を、つかまえろ!」