異界のものども日本へ行く
すぐさま全員が奥の幕下に集合する。
女たちが繋がる幕の布を引き上げ、灯りを手配し、広い空間を作り上げてくれた。
皆ずらりと丸く座りこむ。青共だけがそばに控え、他の村人は引っこんでいった。
「日本にいるというのは本当なのか」
本名の低い質問に、だらしなく足を投げ出している鴉王が元々つり上がっている目を更につり上げた。
「誰にもの言ってんだてめえ、そうだっつったらそうなんだよ。飛べないくせに疑ってんじゃねえぞニンゲンが」
本名の冷徹な視線が眼鏡越しに鴉王を刺す。あまりの緊迫した空気に青共がごくりとつばを飲んだ。
しかし当の他の面々は慣れきっているのか胆がすわっているのか、全く気にもとめず話を続ける。
「じゃあすぐ行きましょう、日本がまだ無事ってのが不思議なくらいなんだから」
「いいのか神子、せっかくの家だろ」
ブラウが問うと神子は思い切り顔をしかめた。
「なに言ってんのよ、なにしに来たと思ってるの」
「うわお、可愛くねーの」
「うるっさいわよ鼠くん」
口元をひきつらせてロットを睨む少女は、無理をしているようでもない。
今は悠々と帰郷や家族との再会に浸っている場合ではないのだ。
少女がそう覚悟しているのだから、と葵は自分の心にも言いつけた。
邪龍王が日本にいると聞いた時一瞬動揺はしたものの、すぐに心は落ち着いた。
世界中、それがどこであろうと、ましてや異界であっても邪龍王を止めるともう決めているのだから。
「しかし、まさか葵の生まれた国だとは」
葵の隣で正座をしている三条が首を垂れた。葵よりも心配気にしていて、虎王はそんな彼にそっけなくしかしぴったりとくっついている。
「いや別に関係ねえよ。どこでだって同じことなんだから。土地勘とかが必要になる場面があるとしたら、むしろ好都合だしな。本名さんはちなみに大丈夫なのか」
同じく日本人である彼を見ると予想通り涼しい声で反駁される。
「無論だ。あの国に対する感情は特に無い」
「そうですか」
ふうと息をついて葵は目線を落とした。
「邪龍王が地上に出て二日、大きな動きは無く日本で何故かおとなしくしているようだ。ともかく我々は今の内に奴を見つけ出すことが必須だが」
本名も同じく目線を落とし黙る。
他の面々、とくにテュラノス組が不思議そうに言葉の続きを待った。
「えーとまずどうやって行く? 飛行機乗るのか」
「馬鹿を言え、ここにいる誰がパスポートを持っているように見える?」
葵の冗談めいた提案をやはり本名は一蹴した。
「パスポートってなんだよそれ?」
「ひこうきとはなんですか」
「ていうか虎、ライオン……どうするのよこれ。人がいるところを歩いたら即行で捕まるじゃないの」
にわかにざわつく場をずっと俯瞰していた狼王があくびまじりに付け足した。
「お前らほんとに馬鹿なんだなあ」
月明かりに感謝して、龍王は足元に注意しながらむくむくと巨大な冴龍の姿に膨らんでいった。
邪魔にならないよう幕から離れた斜面の上だ。幕下の方から見学していた村人たちから歓喜のどよめきが上がった。
漆黒に濡れ光る鱗の輝きは溜息がでるほどに美しかった。
橙に輝く鋭い双眸、大きく恐ろしい鉤づめ。優美な流線型の体には青白く明滅する背鰭がある。ゆっくりと船が帆をはるように両翼が広げられる。
地上では見ることのできないおとぎ話の存在が現実、しかも目の前に降り立った奇跡には村人たちも感激必至だ。
それに並ぶのはこれまた見たことのない真っ青な色の虎。そして巨大な六枚羽の鴉。
(どうぞ虎王、纈)
龍王に促されて虎王は龍の背に、三条は鴉の背に上がった。
そして虎とその因子を持つ者は集中する。
限りなく自らの気配を薄くする、周囲の空気に隠れ溶け込み己という異質を外界と遮断してしまう。
すうっと虎王と三条の姿が消えていく。
不可視の迷彩。
虎が縞模様でもって自らの存在をぼやかすように、その特性でもって彼らは姿を消すことができる。
そして今、接触している龍王と鴉王の姿さえも同様に消してしまった。
「すごい、消えたぞ!」
葵の感心の直後、ぱっと元通りに龍王たちの姿が現れる。特性を解除したのだろう。
「練習していた甲斐がありました」
晴れやかに笑う三条はしかし、鴉王の背から降りた時に少しふらついた。
『だが他者を己の一部と認識するので消耗はする、まだ長くはもたん』
虎はその体で三条を支えながら言う。
それに対してはブラウの頭の上の鳩が凛と答えた。
『視界に見える範囲で瞬間移動を繰り返す。それと貴殿らの飛翔があれば大陸などすぐに移動できよう』
「おう、任せろ」
「よーっしゃじゃあ行こうぜ! 海の上だろ? 早く行こうぜ!」
『オレサマ海はじめて! 楽しみガオーン!』
ロットと獅子王が喜び勇んで鴉王の羽毛に突っ込むと、案の定乱暴に宙に投げ出された。
龍王の背に乗り込みながら葵は呟く。
「そうだよな、普通の方法で行こうとした俺が馬鹿だった」
(ふふ、狼王にもっともな案を出されて悔しいとみた)
「うるせー」
かくして一行は海をまたぐ大移動に移行した。
◆◆◆
冷たい印象がするコンクリートの床とうす汚れた白い壁。その部屋は広かったが調度品は古ぼけた木製の長椅子が並んで配置されているだけの寂しいつくりだ。
椅子といっても背もたれもなにもない、床に固定され動かすこともできない。窓もいくつかあったがどれも小さく天井に近いところにある。そしてきまって鉄格子がはめられていた。
新野真守はその静かな空間に座っていた。
講堂として使われることもあれば真守と同じようにこの施設に住む人間らの憩いの場として使われることもある部屋だ。
今は誰もいない、しんと静まり返っている。廊下は人通りも多いし監視の目は絶えないが、真守には全くどうでもいいことだった。
窓の外を眺めているその横顔は非常に穏やかで、様相も弟と生活していた頃とあまり変化はない。彼がもつどこか爽やかで穏やかな空気は相変わらず身にまとわれていた。
不意に窓に小鳥が一羽降り立った。
硝子越しだが真守は鳥を見て微笑ましくなる、弟は動物が好きだったからだ。
しかしすぐに気が付いた。その鳥の眼球がぐるぐると回っていることに。
瞳孔がではない、眼球がだ。
おかしな鳥を見ても尚全く彼の表情に変化はなかったが、その回る眼を見ていると頭に文字が浮かんだ。
にいのまもる?
真守はそれに、その通りだと心の内で肯定した。
直後背中に気配を感じる。急に背後に誰かが立ったのだ。しかし同じくしてそれが体積のあるような存在でないのもわかる。
真守は目だけで振り向くと、そこには橙色の髪と瞳のおよそ現実味のない青年が立っていた。
とても朗らかで人の好さそうな笑みを浮かべた彼を見て、真守もにやあっと口元を綻ばせた。