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獣のテュラノス  作者: sajiro
狭間/新野編
124/147

兄と弟

 病院で治療を受けた葵が礼を言って廊下に出ると、青い顔をした真守が立っていた。

「ぶはは、なにその顔」

「あ? お前なあ、あんな目にあってよく笑えるな」

「いやいや、犯人はつかまえたし。倒した時すごかった、ドラマみたいだったぞ」

「なにをのん気な」

 兄はどこか深刻そうな顔をしている。

 それを見て葵はやたらと明るい声を出した。

「でも兄さんが来なかったら危なかったのはマジだ。ラッキーだったな」

 葵の予想に反して真守はじろりと葵を睨みつけた。

 その目つきに葵は動きを止める。

「危機感がないのかお前は。……帰るぞ」

 すたすたと進んでいくずぶ濡れの兄の背を、弟は頭をかきながら見つめた。

 兄が睨んでいたのは包帯を巻かれた葵の腕だった。

 弟に怪我をさせた相手を睨んでいたのか、何故か彼が負い目を感じているのかは葵にはわからない。

「あんたが言う通りにやったのに、なんだよ」

 ただ真守が怒っているように思えて、葵は自分もまた不機嫌にその背中を睨んだ。


 病院の受付で待っていた警官が車で自宅まで送ってくれるようだった。

 事情は兄が話していたので、もう説明することもなかったが、警官によればそういう場面に出くわしたらとにかく逃げて欲しいとのことだった。

 称賛の声を期待していた葵には肩すかしだ。

 レインコートを着た人物や被害者の女性についてのことは一切話題にのぼらず、葵は質問したくて仕様がなかったが真守が雰囲気でそれを固く拒んでいるのがわかった。


 どうやら兄はもうこの事件のことを忘れたいようだ。

 しかし翌日学校に行くと葵は周囲から称賛と好奇心の声に囲まれた。

「おいおいニュースでやってた事件、お前なんだろマモル」

「え、なんで皆知ってんの」

「私のお母さん病院で働いてるし」

「俺の親戚が現場んとこ住んでて」

「世界は狭いな……」

 地方の番組で葵と真守の存在は「犯人をおさえつけ逮捕に貢献した勇敢なる一般人」として報道されたようだ。報道ではそれが二人であること、兄弟であることなどは全く触れていなかった。

 しかし話題はあっという間に広まり、葵は普段話したことのない生徒からも声をかけられたりして、少しだけ特別な一日を体験した。

 上機嫌になって帰宅すると、珍しく真守が先に帰宅していた。

「あれ? 仕事早いね」

「今日は午後休んだ。何故かみんな事件のこと知っててな、うるさいから仮病でサボりだ」

「不良だなあ」

「ほんとだよ。人生初のな」

 盛大な溜息をついて真守はリビングのソファに座り込んだ。

 彼がテーブルに投げ出したのは今朝の新聞だった。

「それ事件のこと書いてある? 俺も今日学校でみんなに言われた」

「いじめか?!」

 兄が血相を変えたので葵は面喰う。

「そんなわけないだろ」

 否定すると兄は疲れた顔に戻る。また息を吐いてふらりとリビングを出ていった。

 その態度に首をひねりながら葵は新聞を拾う。もしや自分たちのことが記事になっているかもしれないと地方の項目をのぞく。

 字を目で追うにつれて、葵の表情はどんどん変わっていった。

『知人ら衝撃。「仲の良い姉妹だと思っていた」 ○○県××市に起きた二十代女性の殺害事件。のどかな住宅地は当時雨が降っており、通報があり救急隊が現場に到着すると、女性は胸から血を流し心肺停止の状態だった。心臓マッサージを約30分間施したが回復しなかった』

「え……」

『また現場には居合わせた住民が拘束した不審人物がおり、裸足に黄色いレインコートを着て包丁を持っていた。女性は包丁による刺し傷などで、失血死とされている。驚くべきことにこの容疑者は被害者女性の妹であり、姉妹は現場近くに住んでいた。近所では仲の良い姉妹として認識されていたが、容疑者は「いつも正しいことばかり言う姉が疎ましかった」などと話している』

「うっわ」

 読み終えて葵は兄と同じように新聞を投げ捨てた。

 新聞を読む前と空気が一変して、胸が重く感じる。

 なるほど兄が溜息をつく理由がわかった。

「そっか、このこと知ってたんだ」

 ソファに力なく座りつつ葵は納得する。葵が腕の治療をしてもらっている最中兄はずっと警官と話していたのだ、この事件の内容をもうその時点で知っていたのかもしれない。

 だからこそ笑う葵を睨み、深刻な顔をしていたのだ。

「この姉妹、俺達みたいだもんなあ」

 近所に似たような姉妹がいたことにも驚きだが、なにより姉を殺した妹の動機に葵は戦慄した。

 正しい兄を持つ弟は、背中に感じた寒気を払うように身を震わせる。

「いやいや俺関係ないし!」

 わざと大きな声を出して、葵は勢い良く立ち上がった。

 その弟の挙動を廊下から見ていた兄には気が付かなかった。


 その夜葵は夢を見た。

 またこれか、と夢の中で思うくらいに何度も見たことがある。

 大きな手に自分の小さな手をひかれている。

 上背のあるその男を見上げる。

 男の目は優しそうで、穏やかである。

 男は静かに、と自分に言う。顔は見えないが笑顔であるような気がする。手には包丁が握られていた。

 目が覚めて、きっと事件が関係してこんな夢を見せるのだとぼんやり思った。

 それからも何年も普通の日常が過ぎる。

 事件は彼ら兄弟にほんの少しだけぎくしゃくした時間を与えたし、二人は事件のことを話すことも無かったが、時間とともに事件のことも忘れていった。

 ただひとつ葵からすると、何気ないことだが兄に変化が生じたと思われることがあった。

 兄がやたらとどじを踏むようになったのだ。

 ささいなことばかりだし、葵がまたかと笑える程度のものだが、ふと思い返すとどうも事件以降によくそういった行動がみられる気がしてしまう。

 もしくは葵が発見できるようになっただけで、兄は昔から失敗も多かったのかもしれない。

 事件が起きる前、事件の当日も真守は葵にとってほぼ完ぺきに見えていた。

 それが最近はそう思うことは少なくなっていた。

 中学校も卒業が間近になってきた頃、朝飯の準備はいつも葵がするようになった。真守は相変わらず仕事で忙しそうだったし、寝ぼけて料理を失敗されるのも嫌だったからだ。

 ある日朝起きると真守が先に起床していた。とても天気の良い日で朝飯の支度を簡単にしていると、庭から土に汚れた兄が上がってきた。

「窓から入るなよー、ほら砂も入ってるし!」

「掃除するから大丈夫だって」

 葵の言葉を苦笑いとともに流して、兄は洗面所に向かう。

「てか朝からなにしてんの?」

「猫が車に轢かれたっていうから、埋めてきた」

「げ。朝からやめろよそんな話」

「お前が聞いたんだろ。葵時間大丈夫か?」

「大丈夫じゃないよ! 片付けは兄貴がやってくれるよな?」

 抗議の声が上がったがそれを軽やかに無視して葵は家を出た。庭をちらっと見た時両手用のシャベルが放り出されていた。

 家にそんなシャベルがあったのかとも思ったが、それよりも片付けもせず置きっぱなしになっていることが気になりあとで兄を咎めようと思った。

 なによりも猫が可哀想だったが、それを気にして暗くなるのも嫌なので気にしないように努めることにしていた。

 学校ではクラスメイトと最近の事件などの話で盛り上がったりもする。葵は殺人事件などの血なまぐさい報道があまり好きではなかったが、友人はもっぱら巷で噂の連続殺人事件とその犯人について語っていた。

 学生間やネットではその犯人を処刑人というあだ名で呼び、噂することが盛り上がっていた。

 何故そんなあだ名がついたかというと被害者が悪い噂の絶えない人物であることが多いからだ。

 しかも殺人方法が鈍器での殴殺や包丁での刺殺が多いらしく、犯人も捕まっていない。単独犯なのか複数の人間によるものなのかもわかっていない。

 ただそんなマンガの中にいそうな悪鬼が現実にいることが興味のまとになっているのだ。

 事件翌日の葵のように、毎日その処刑人は学生たちの話題にのぼる。

 葵はそんな殺人鬼の話をいつも心の中で辟易として聞くにとどめるのだった。

「実際どうでもいいだろ! てか人殺しなんて怖いわ、早く捕まれよー」

 夕飯の食卓で、テレビのチャンネルをまわしながら葵はついそう悪態をついた。

 正面で飯を口に運ぶ途中だった真守はぽかんとする。

「え、いきなりなんだ?」

「知らないの? 処刑人とか言われてる殺人犯のこと。毎日学校で話に出てくんだけど、正直うんざりだよ。もっと明るいニュースで盛り上がりたい。どっかの動物園の赤ちゃんが生まれました! とかさ!」

 憤慨する弟に兄は困惑したまま笑った。

「それはお前の趣味に偏りすぎだろう」

「でもそのほうがいいだろ? 殺人なんて暗い話より。俺はヒトが死ぬのにわくわくしたりするような人間じゃないんだ」

「それは結構なことだ」

 満足げに兄は頷いて味噌汁をすすっていた。葵はそうじゃなくて、と口の中で呟く。

「なんで世の中殺人鬼のことをニュースではやしたてるのかな。逆に目立ってさ、犯人を喜ばせちゃうだけなんじゃないの?」

「そうなのか?」

「そうだよ。だってこんだけ騒がれてんのに捕まらないで、どんどん人を殺してる。絶対犯人はいい気になってるって」

「そんなことはないと思うけどなあ」

「なんで? 処刑人が義賊だから? 絶対そんなわけないだろ。今のご時世人殺しが許されるわけないんだから。殺された人が悪い人だろうとなんだろうと、殺すなんてダメに決まってる」

「ふうん」

 兄が箸をおいたので、まくしたてた弟は目線を上げた。

 真守は嬉しそうに笑っている。

「お前いい人間に育ったな」

「なにを……」

 ぽん、と兄に頭を優しく叩かれて葵は顔をしかめた。当の育てた張本人に言われては、褒められた気にもなれない。

 兄はにまにまとこっちを嬉しそうに見てくる。

「じゃあ俺もそろそろ自首するかな」

「なに言ってんの。とっておいたカップ麺勝手に食ったのはもうバレてっからな」

「マジでか」

「マジだ。買って来いよかわりの」

 ふざけてから笑い合う。

 その夜葵はまた同じ夢を見た。

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