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獣のテュラノス  作者: sajiro
孤独のバルフ/虎王編
114/147

白銀龍の因子

 虎王はぶつぶつと独り言をつぶやいている白銀龍のテュラノスに歩み寄った。

『全く、この機会を得るのにどれだけ俺が苦労したと思う。それを他人のために使うことになるとは』

 女の襟首に噛みついてずるずると運ぶ。

 距離をとれ、と命令された三条たちは離れて見ていた。

 十数歩分離れたところで女を離す。

「わたしは、もういらないのですか王よ……」

 女は陰鬱で憔悴しきっている。

 虎はその前に座った。

『ああそうだろう、もはやお前は用済みだ。あいつははじめからお前を駒としか見ていない』

 虎王の言葉に女のつぶやきが止まった。

『それでもお前はいいと思っていたのだろう。だからあいつに従っていたはずだ。だが経年の変化でお前は間違った、あの男にもお前たちにいつか優しくなると勘違いしたのだ。邪龍王は龍王しか見えていない。いくら待ったところで、いくら仕えたところでお前たちにその目が向くことなど無い』

「知ったような……口を……」

『二年程度は知っている。たしかに邪龍王は龍王と違い、強い力を持ち、何事があっても変わらない意志を持っている。それがヒトを惹きつける場合もある。だが何故そこまで心酔するのか甚だ理解に苦しむ』

 嘲る虎王に、女はようやく顔を上げ美貌を歪めて睨みつけた。

「あのお方を愚弄するな……」

『勘違いするな、お前を哀れんでやっているのだ。今から白銀龍をはがす。そうしたら貴様はただの小娘、邪龍王と一切かかわりのない人間になるのだからな』

「え……?」

 目を見開く女の前で虎王はすっと立ち上がる。

 女の目と虎の眼が絡み合う瞬間だった。

『悪く思うな』

「なにを! ああああああ!」

 女の緑眼は煌びやかに輝き、彼女の頭の上に、王を傀儡にする際にも現れていた光輪が発生する。

 突如その輪は荒れ狂うように輝き出した。女はなにかの衝撃に耐えるように頭を抱える。

「や、やめて、とらないで! わたしの大切なものなの!」

『もとは他人のもの。それにすがるな。因子を吐き出せ、貴様にはもう必要がない』

「い、嫌だ!」

『今俺の言葉は邪龍王と同等である。テュラノスは所詮王には抗えない。見ろ、俺の目を。お前が人間なのならば』

「わ、わたしは……」

 ひきつった顔で女は吸い込まれるように虎王の眼をのぞく。抗いたい心情が屈服させられるように、王の見えない権威に屈服するように。

 その時虎王の双眸は、まるで龍のそれのように橙色に輝いていた。

「その眼、わたしの王……」

『そうだ。言うことを聞け』

「ううう」

 女は葛藤に苦しむ。

 その虎と女を見守る新野は、虎王がまとう異様な雰囲気に何故か懐かしさを覚えていた。

 シビノも同じく感じているものだった。

「あれ、あの眼、いったいなんなんだよ」

「おそらくは催眠をほどこす眼だな。邪龍王とやらの眼だと、相手に思わせる術を施した眼だ。しかしわしらがここまでぞくぞくするくらいなのだから、強力な催眠だろうさ。あれを手に入れるのはよほどの苦労があったろうな」

「虎王様……」

 三条は険しい顔で虎王を見つめる。

 彼らの前で、さらに女の光輪の明滅が激しくなっていく。

『その輪に因子が凝縮されているようだな。よこせ』

「だ、だって、これがなかったらわたしは……」

 彼女の緑の眼が、ゆっくりと色が変わっていく。茶色い瞳になり、美しい金髪も毛先から赤茶の色へと塗り替えられていく。

『因子が抜けている証拠だ、本来の、人間だった頃のお前に戻れ』

「わたしの、王……もうわたしにはなにもできることはないのですか……」

『ない、だろうな。あの男ははなから――いや、お前はお前の為に生きればいい、お前の力でもって』

「そんな……」

 女の体からふっと力が抜ける。頭上の光輪が弾け、光の粉が宙に散った。

『龍王のテュラノス、来い!』

「お、おう!」

 呼び出され踏み出した新野の額にテュラノスのしるしが浮かび上がる。

 新野は虎の王の龍の瞳を見た。

『今大気でさまよっている因子をお前に導く。龍の波長に乗ってお前に届くだろう。それを従わせるかどうかはお前の意思の強さで決まる』

「わ、わかった。多分」

『考えることだ。なぜ戦うのか、誰の為に、なにを守りたいのか』

「それなら……」

 新野の脳裏にこれまで出会った面々が思い浮かぶ。すると根拠はないが、なぜだか不安が薄らいだ。

「大丈夫だ」

 虎王の瞳と、新野の橙色の瞳が重なる。


 唐突にそこに龍が現れた。

「な……!」

 あまりの前触れのない出現に、ただただ目を見開き見上げる新野。

 燦然と輝く白銀の鱗に覆われた龍。

 長い尾を揺らし、鳥類に似た形状の翼を打つこともなく宙に浮いている。冴龍である龍王の姿は見慣れていたが、それよりも優美で細い印象のある美しい龍だった。

 白銀の鱗は陽光をはね返すと金に輝く。鮮やかな緑の双眸は穏やかに新野を見下ろしている。嘴のように先に細まる口が動くと、怜悧な声が耳に届く。

 鈴のように軽やかでしかしはっきりと強い意志がある、青年の声だった。

――初めまして。私は、風王。白銀龍族長をつとめる者。いえここではおそらく、つとめていた、が正解でしょうか。

 美しいが、巨大で相手を圧倒する獣であることに変わりはない。それが全くこんな親身のある声をかけてきたので、新野は反応に遅れた。

「あ、えっと……」

――まずは貴方のお名前をお聞きしたい。

「新野です」

――新野さん、私は最早記憶でしかないのでしょうが、礼を言わせて頂きたい。

「礼……?」

――この少女から私を抜いて頂いて、ありがとうございます。彼女にとって私は、けして有益とは言えなかった。

 白銀龍が見下ろした先に新野も目をやる。そこでようやく自分とこの龍以外が動いていないことに気がついた。

 それはまるで時が止まっているような光景だ。

「おお、きっとこれは久しぶりなんじゃろうなあ。実感はないが」

 なのですぐ隣りでシビノの声が聞こえて新野は仰天した。

「あんたは動けるのか」

「ちと強引に入った。ま、わしもこれと同じ存在であることには変わらないからな」

――あなたは、シビノさん!

 白銀龍は驚きの声を上げる。

 そして急速にその体が泡のように歪み、地面に下りて姿を変えた。シビノと同じく、白銀龍もヒトの姿を持っているのだ。

 それは金髪に緑眼の青年で、全身白い衣装を身にまとっている。新野より若く、しかし落ち着いた雰囲気と柔らかい顔立ちが大人びた印象を持たせる者だった。

――まさかこんなところでお会いするとは。不思議なこともあるものですね。

 青年はそう言って笑う。声はシビノや新野と違って、頭の中に反響するような、どこか空想めいたもののままだった。

 それはきっと彼が現実にはいない存在だからなのだろう。

――お話したらきっと楽しいのでしょうが、それは今するべきことではないんでしょうね。

 言って風王は新野の目をまっすぐ見る。

――私は本来こんなふうに自我を持ち形を得るものではない。それは何故かわかっています。わたしはこのまま大気に溶けるか、新野さん、あなたの中にまざるかするべきなのでしょう。

「……はい。俺に力を貸していただけるならば。いや、貸して欲しいんだ、お願いします」

 新野は頭を下げた。

 風王を前にすると言葉を飾ろうという気にもならなかった。彼の目がまっすぐで、声があまりにも澄んでいたからだ。

「なーんか全然わしの前と態度が違うの。解せぬ」

「いやそれはあんたが悪いよ。龍のくせに全然威厳ってもんがないもの」

「この坊主が……」

 シビノにはさらりと悪気なく辛辣な言葉が出る。なにしろこの龍は真面目に対応する気も失せるような奴だからだ。

 くすくすと風王は笑っていた。

 それに新野は少し恥ずかしくなる。

 しかしふと、風王の眼に陰りがうつりこむ。

――私は、この少女の中であなたと戦いましたね。

「それは、鼠の王と戦った時だ。絶対に忘れることができない」

 新野は拳を力強く握った。声は乾いて、喉の奥がひりひり痛むようだった。

――あなたはなんのために力を得るのですか。

 風王はまっすぐ、新野を試すような眼で見てくる。答えによっては協力する気はないと暗に言っている。

 それもそうだ、と新野は自嘲した。

 新野は今でも鼠の王のことを思い出すと息がつまり体が重くなる錯覚を覚える。

 それほどまでに精神的過負荷がかかる記憶だった。

 力を行使して本来守りたい対象を殺すことしかできなかった自分が、許せなくて仕方がない。

「俺は、みんながのんびりしてる世界が好きです」

 なにも考えずするりと出た言葉に嗤いが漏れそうになった。

「どの口が言うんだって感じだよな。龍王のテュラノスってのは戦いのど真ん中にいるようなもんで、正直俺達さえいなければ、笑える奴らもいたと思う。力を使うのは楽しい時もある。自分より強い奴を倒せた時、自分が強くなったって自覚できた時なんて、きっと地上にいた頃の俺じゃ味わえないことだった」

「おいおいそれじゃあお前さん――」

 シビノの言葉を風王が手で制した。

「でもそういう魅力よりもっと、苦しいほうがずっと多い。殺すのはもうほんと、勘弁してほしい」

 地面を見つめながら新野は自嘲して笑っていたが、すっと上げた目からは笑いは消えていた。ごまかす気持ちが消えていた。

「そこまでは俺の気持ちだ。すげえ一人よがりな、な。でも力ってのはそういうことに使うもんじゃない。俺はその、のんびりした世界のために使います。みんなが優しくなれる世界だ」

――優しくなれる世界、ですか。

「きっとそれは、みんなが幸せを知ることができる世界だと思う。地上で俺は戦争とかを体験してなかったんだけど、それが平和ボケだって言う奴らもいた。でもここに来て本当に、それでよかったって思う。平和ボケの世界を壊させたくはない」

「なんとも……」

 シビノは心底呆れた、と言わんばかりに息を吐いた。

 それに新野は胸をはる。今の新野にとっては本心だったからだ、どんなに拙い言い方でも、戦いを望まないと一点張りの気持ちでいられる。

――私も、優しい世界は好きですよ。でも残念ながら、それを得るために戦いが必要になる。

「……」

 言い返すことができない。大きな矛盾だ、平和のために戦う、そのための力を欲するなど。

 その新野の心の靄に、風王は笑顔を見せた。

――とても、わかります。かつて私たち白銀龍とシビノさんたち黒葵龍も、意見の対立で争った過去がありますから。その時もきっとこんな苦しい気持ちだったでしょう。

「え、それってまさか人間をどうするかっていう?」

「ん? なんで知っているんじゃ」

「この世界におとぎ話としてあるんだよ。白い龍と黒い龍が出るんだ、それってあんたたちのことなのかな」

 新野はかいつまんでおとぎ話の内容を告げた。

「うむ。それは我らの祖先の話で間違いないな」

「いやいや待てよ。その後龍は絶滅したって言ってるじゃないか」

「そうだな。戦いを避けた一派、わしらの直系の祖先はとどまったが、戦いで解決を望んだ一派はその後滅んだからな。わしら黒葵龍と白銀龍もその戦いの後まだまだ繁栄していただろうが、今はきっともう、いないのだろうな」

 シビノは嫌そうに顔を歪めた。

 まだまだ納得できない新野だったが、目の前で風王の気配が薄くなっていることに気が付く。

――どうやらもう時間が無いようですね。

「お前も、わしのように肉体を得ればこの世界にもとどまることができるだろうに」

――私はそこまで執着はありません。それに、この戦いへの理由がない。新野さん。

「は、はい」

――あなたの戦う理由はわかりました。曖昧で、幼いですが、それがまた昔の私を見ているようです。

 新野は自分よりも若い青年にそう言われて、どんな顔をしていいものかわからない。その困惑が顔に出ていたのか、風王は失礼、と謝罪する。

――でも守りたいという一途な気持ちは、伝わってきましたよ。

「そ、それなら。すいません、どうか力を貸してください。俺は、弱くて、あんたたち龍の力を借りて頑張るしかないんだ!」

 強い意志をもった新野の瞳が、自然と橙色に輝いていた。

 風王はシビノを一瞥する。が、シビノはそこから目をそらした。

 突如青年は龍の姿へと戻る。薫風が新野たちを包み込む。

――白銀龍は守護を得意とする龍族。大地に吹きすさぶ風の将の加護とともに、新野さん、あなたの御力となりましょう。

 新野は数秒呆ける。ようやく言葉の意味がわかって晴れやかに顔を染めた時には、白銀龍の姿はかき消えていた。


『因子はたしかにお前に送ったはずだ、なにか変化はあったか』

 虎王の言葉に新野ははっと我に返った。

「え……」

 きょとんとして横のシビノを見る。

 シビノは嘆息して手を振った。

 今の数分の出来事は、他の面々にとっては無かった事象のようだ。

「あ、多分。大丈夫だ」

 新野は自身の体を見回すが、そこに変化は何もない。

 だが確かに白銀龍族長、風王と交わした会話は覚えている。夢などではない。

 虎王の後ろで元テュラノスであった女が身を起こした。

 彼女は自分の髪の色に息を飲む。

「ああ、なんて、ことだ……」

 うなだれる彼女は悲壮に目をつむった。

――できることなら、彼女も守ってやりたかった。

 ふと新野の心に浮かぶ悔恨の声。たしかに自分で思ったことだが、これはきっとまざりあった風王の言葉が起因している。

「そうか。白銀龍は、あんたをどうにかしてやりたかったんだな」

「なんですか……?」

 新野は彼女に手を伸ばす。女は差し出された手を怪訝と凝視する。

「あんた、カテリナ、だっけ」

「なぜ私の名を」

「あんたの事情は知らないけど、邪龍王に傾倒してても未来はなかった。これからはあんただけの未来を考えてほしい。白銀龍がそう思ってた」

「そんな、こと……」

 反論をしようとしたカテリナはしかし、言葉をつまらせた。その茶色い目に涙がうっすらとにじむ。

 そっちのほうが綺麗だなあ、と新野はぼんやり思いながら、ゆっくり出された彼女の手をとり立ち上がらせた。

「葵、なんともないのか」

「ああ、ていうかまだなんにも実感できねえ。でもたしかに白銀龍は、俺に力を貸してくれる」

 確信している新野。それが嬉しそうで、三条もつられて微笑んだ。

「では次は火龍だな」

 本名はいつも通り冷徹なままだ。

「え、でもあれはトロントだろ?」

「もちろんここに運び込んだ」

「抜け目ないね……」

「なにを言っている、急いだほうがいい。あの狼に、邪龍王モナドへのとどめを刺す役が奪われてしまうからな」

「あはは……」

 眼鏡をかけ直す本名に新野は乾いた笑いを送る。

 しかしシビノが瞬間、本名の台詞に瞠目する。

「ま、待て。今なんと言った? モナドだと?」

「え? ああそうだ。邪龍王のこと、龍王はモナドって呼んでた」

「まさか……。そうか、さっきのおとぎ話とは……」

「知っているのか? 邪龍王のこと」

 シビノは頭に片手を添え、考えに何秒か没頭しているようだった。そして不穏に低く返答する。

「なんとまあ、驚いた。わしはてっきりお前たちのほうが正義の味方かと思っていたが、そんなことはないらしい」

「どういう意味だ」

 問いただす本名の声が剣呑なものになる。

 シビノは口の端を吊り上げて、おかしくて笑っていた。

「わしらの祖先、黒葵龍初代主総長モナド。あれは地球を救う龍だからだ」

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