異体同心へ
「その手を、離せ……!」
言葉とともに口から血をこぼしながら、三条は力まかせに自らを貫く大杭を抜こうとする。
ゆっくりと抜けていこうとした杭はしかし、突如見えない力によって進行を止められた。
その見えない力は逆にまた三条へと杭を押し込んでいく。
「ぐ、ああ!」
「やめろ、あんただろ狼王!」
苦鳴を上げる三条を見かねて、立ち上がった新野が狼王へとたてつく。
爛々と楽しそうに光っていた双眸を狼王はすっとひとつ閉じた。すると杭の動きは止まる。
同時に狼王の手から逃れた虎王は三条の方へ跳び、低い体勢で一同に唸り声を上げる。
狼王の後ろで本名が眼鏡を外し、神子も身構えた。
が、その三人の前に新野が立ちはだかる。虎王と三条を背中でかばうように。
「だからやめろって! 俺達は味方なんだ」
「おいおい、今まさに殺されかけてたお前が言う台詞かそれは」
狼王の嘲笑に新野は睨みで返す。
緊迫する空気の中鴉王が神子の頭の上に降り立った。
『ようやく来たのかよ、遅えんだよアホう』
「なによ! あんたは居場所を教えてくれただけで、ここまで来れたのはこの龍のおかげなんですけど! よくもそんな威張れるわね、ってイタタタタ!」
鉤づめで髪を引っ張られて神子が騒ぎ立てる。その後ろにはたしかに黒い龍がじっと座っていた。
見たことのない龍だが、黒い鱗や青白く明滅する背鰭など、龍王――冴龍の姿にどことなく似ている。
『その龍も気になるが、それよりもなんでてめえはヒトの姿でいられんだ? アア?』
「なんのことだ?」
鴉王の問いに狼王は首をかしげる。
「そんなことよりも、今はそちらを優先すべきではないのか」
「おお、そうだったな」
本名の冷徹な声に狼王は愉快そうに手を打った。
「久しぶりだな虎王。再会してすぐになんだが、邪龍王がいることはわかってる、お前も手を貸せ」
『ふざけるな……』
狼王は腕を組み尊大に声をかけるが、虎王はその提案を吐き捨てた。
『貴様らいったいなんなのだ。俺がこの二年間我慢していたものを、全て無駄にする気なのか……!』
「ほう? どうやら俺たちと敵対したいようだな。お前のテュラノスは、そこの新米テュラノスにぼろぼろにされたようだが?」
目を細め、嘲る狼王。虎王は憎憎し気に唸り歯をむく。
「おい新野、こいつが因子をはがせるかどうかは確認したのか」
「いや、まだだけど……。おい、まさか」
新野は狼王の意図を察してわずかに目を見張る。
「こいつに出会ったのはその為だったろう? もしそれができないようならこいつはいらない。むしろ立派な敵になるわけだ」
「だったら倒してもいいってのか? 同じ獣王だろうが!」
「おいおい、お前が言うのか? 猪の王や鼠の王を殺した龍王のテュラノス様が」
後半の言葉はぐっと低い声で、いつものように口元を歪めている。
背中にぞっと怖気を感じて新野は一瞬口ごもるが、そこはこらえる。
「……そうだよ。まだ、敵だって決めるのは早い。少なくともそこの三条はずっと俺の味方だった!」
「ふうん、味方ねえ。てんで訳がわからんな。まあとりあえず、おい虎王、お前は因子をはがす方法を知っているのか」
『……』
無言を返す虎王と狼王の視線が交錯する。
狼王は組んでいた腕を解き、右手をちょい、と横に振った。
刹那、またも杭がひとりでに動き出して三条が苦しい呻きを上げた。
『貴様!』
虎王が怒気に体毛を膨らませた背後で、どすんと巨大な杭が地に転がった。
胴体の穴から夥しい血を噴き出しながら、三条が地面に落ちる。
『纈!』
はじめて虎王の感情が揺れる声を聞きながら、新野はすぐさま虹の翼を露わにする。片翼が三条へと伸び、柔らかな癒しの光を降り注がせる。
狼王は微笑みながら虎王に声をかける。
「それで? 答えてくれるんだろうな。安心しろ、新野と味方だっていうお前のテュラノスに免じて、もしできないと言ってもすぐには殺さない」
「超恫喝じゃない」
神子がうんざりしたように呟いていたが、狼王の微笑みは揺るがない。
虎王は三条の治癒を見つめながら、悔しそうに犬歯をむきだしにして応えた。
『……知っている』
「ほんとか?! それがあれば、邪龍王のテュラノスたちから因子をもらって、俺も強くなれるんだ。そうしたらきっと邪龍王にだって勝て――」
『無理に決まっている!』
叫びに遮られ、新野は続けることはできなくなった。虎王は淀んだ瞳で面々を見据える。
『そんなものを得ても、勝てるとは思えん! なにより今こうしている間にも奴は!』
瞬間新野にはなにが起こったかわからなかった。
物凄い速度のなにかが、狼王と本名を襲った。衝突した衝撃音と光が視界を一瞬奪った。
『そら、どうだ』
虎王の絶望的な声だけが耳に残る。
これが、三条が言っていた邪龍王の「どこにいようと対象を殺せる術」だとしたら。新野の脳裏には首を失くした那由多が映る。
「狼王! 本名さん!」
焦燥に声を上げ、白煙を上げる本名と狼王へ翼を向けようとした。が、
「くそ! ちょっと痛かったぞ!」
「な、なに?! 今のなに?!」
神子は本名の背に守られており、本名は白い巨大な鹿角を展開していた。厚い象牙に似た鹿角には黒い穴が穿たれている。その穴の中から白煙が上がっていた。
狼王はよろめきかけた頭を振り戻す。こめかみに少し血がついていたがそれは黒かった。彼の肌には傷はない。
「長距離狙撃か。弾丸は、血? しかし方向は――」
「あっちだな」
どん! と地面が粉砕する。そこにいた狼王の姿はかき消えていた。
「血気盛ん馬鹿が……」
狼王の飛び出しを唯一目で追えていた本名が遠くを見据えて呟く。
『なんだと……』
本名も狼王も無事だったことに愕然とする虎王。
眼鏡をかけ直した本名がやれやれと余裕で息をつく。
「それで? いったい貴様はなにを心配している?」
『……』
「見くびるな虎王。貴様がいようがいまいが、邪龍王は私が抹殺する。貴様は好きにするがいい」
そう告げて本名は虎王から目を離す。最早彼には虎王への興味は無いとばかりに。
本名の視線は苦々しい顔の新野へとそそがれた。
「龍王のテュラノス、お前は地上に帰る気になったか」
「まだ言ってんの、それ。なるわけないでしょ」
「残念だ」
諦念の息をつく本名に困り新野は頭をかいた。
それから虎王に振り向く。
「まあだからさ、今は俺たちだけじゃないんだ。虎王、一緒に邪龍王と戦おう。いや、戦いたくないならいい、けど因子を取り出す方法は教えてほしい」
『世迷言を……。また二年前を繰り返すだけではないか』
「そんなことは、ありません」
苦しそうな声とともに、虹の光の下で三条が上体を起こした。
『纈、喋るな』
未だ動きの鈍い三条に虎王は厳しく声をかけるが、三条はゆっくりと首を振った。
「いいえ、それには従えません。私がいつも貴方様の気持ちを確認せず、一人で考えていたのがいけなかった。正直まだ、虎王様が何故私にお怒りになったのかわからない。しかしこうして再びともにいられるのです、どうかその機会を、私から奪わないでいただきたい」
三条はまっすぐ虎王の眼を見据えた。その瞳の揺るぎの無さに、虎王は後じさりする。
「虎王様、貴方様のためならば私は食われても構いません」
『だから、それが!』
「しかしそれは、今ではないとわかりました」
断言に、虎王は反論を止める。
「今は二年前とは違います。葵たちがいます、皆がいます。一緒に戦います。本当は私だって、まだまだ虎王様の横にいたいのですから!」
三条の双眸の奥に輝く光りが見えたような気がする。それは虎王にとってはとても眩しかった。
始終を見ていた新野が小さく言った。
「虎王が纈に見せていた夢、俺も少しのぞいたんだ。あんたたち仲良さそうだったよ。あんな夢を見させるってことは、虎王も纈と同じ気持ちなんだろ」
『しかし……』
「あんたらさ、なにからなにまで同じなんだよな。ほんとは一緒にいたいのに、相手の幸せを想うあまり、自分をおろそかにする。それで結局相手も傷つける。そんなの間違ってる」
『間違っている、だと?』
ぐるぐると唸りながら虎王は新野を睨み上げた。しかしその眼力に全く怯むことなく、新野は相対する。
「一緒にいたいなら、それでいいじゃん。わかれよ」
『なんだそれは……』
肩すかしをくらったように、虎王は嘆息気味にそう言った。
新野は気まずいのかまた頭をかくが、三条はにっこりと笑む。戦闘続きだったからか、久々に彼が笑ったような気がした。
虎王は瞑目する。
そして再び開けた時、意を決して言葉にした。
『俺は纈とともに生きたい。それと同時にできうるならば村の者らも守りたいのだ』
「虎王様……!」
主の本意に感激して、三条は虎王に詰め寄った。
身体を緊張させた虎王には、待ち構えていた攻撃が起こらなかった。
裏切りを言葉にしても、邪龍王からの死の宣告は訪れなかったのだ。
虎王から安堵の息がもれる。
「守りましょう、我々の手で」
よろめきながらも立ち上がった三条は、虎王へとその手を差し伸べた。
逡巡した後、おずおずと青い虎は長い尾をその手に触れさせた。