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獣のテュラノス  作者: sajiro
土中の異世界/龍王のテュラノス編
11/147

この豚が

 誰かの話声に目が覚めた。判然としない視界にうつったのは知らない場所。どうやら屋内だ、と思った直後に冷水を浴びたがごとく目が覚めた。

 後ろ手に拘束されている。座っている椅子から立ち上がれない。

「え、なに、え!?」

 狼狽する視界の端に見慣れたものがあって、新野はようやく周囲の様子に目がいった。

「ハロー! 今夜もみんな生き残ってるか? サリーからの夕方天気予報をビッグにお伝えするぜ! 今日は、17時の夕闇が二回くらい繰り返される! 商店街が何時に閉まるかは店長の機嫌次第だ、注意しろよ! 生真面目な野郎は家の時計を中央時計台と合わせてくれ! それでは次の天気予報までママのおっぱいしゃぶって待ってろよ! バアイ!」

 騒々しい声を終えて、画面にうつるポニーテルの少女がウインクをした。それは新野の知るものよりクラシックな型に見えたが、確かにテレビだった。高めの天井では大きなファンが旋回していて、壁際には観葉植物と冷蔵庫、木の壁には悪趣味な絵画がかけられている。どうやらここはリビングらしい。

 テレビのむかいの、革張りのソファではまたも知らない人物が寝そべっていた。

 灰色の髪をした青年。気絶する前に見たあの青年によく似ているが、どうも別人に見える。顔立ちもそっくりで自信はないが、髪型が違い、コートの色も真逆に赤褐色だった。

 青年の寝息が聞こえる。椅子に縛られた自分を完全に放置して寝入っているようだ。仲間なら大激怒ものだが、被捕縛者にとっては大チャンス! 

(今のうちにこれをほどいて……!)

「気が付いたかおっさん」

「早えよ!」

 扉を開けて入ってきたのは、あの青年だった。コートを脱いだ彼は冷蔵庫から瓶を取り出して飲み始める。

「頭はどうだい?」

「頭? そういや痛いな……」

 青年は笑って、

「そりゃ気絶するくらい打ったんだからな。車上で暴れるからだぜ。だからまた暴れないようにちょっと縛らせてもらったからな」

「そりゃ、ご親切にどうも……」

 両手に力を込めるが、親指をくっつける糸が締まって痛いだけだった。なるほどこれでは、新野は暴れて逃げ出すことも不可能だろう。

 怒りや不安がどっしりと胸をむしばむ。数秒、青年を睨む。

 新野は長く深く、息を吐いた。

 気持ちを切り替えなければいけない。とりあえず会話が成立する相手なのは確かだ。

(こいつ、俺の足踏んでた時とっさに謝ったしな、悪い奴じゃないのかも。落ち着け)

「ま、おっさんを売りつけるまでの辛抱だよ」

「だから早えよフラグ叩き折るのが! 売るってなに?!」

 一瞬で言い聞かせたことを破り捨て、新野は椅子をがたがたと揺らす。青年は面白がって、両手をハンズアップした。

「おいおい暴れて怪我するのはおっさんだぜ?」

 新野の神経を逆なでする単語がまた出た。こめかみをひくつかせ、血管が切れそうになるのを必死に耐える。

「まずその、おっさん呼びをなんとかしろよ、坊や? 俺はまだニジュウゴサイだぞ?」

「そうか、そうだな。ぎりぎりだけど10離れてないんだ、おにいさんとお呼びしましょうか?」

「もういい! 新野だ、俺の名前は!」

「ニイノ? 地上のヒューマンにしてもまたおかしな名前だな」

 うるさいな、と毒づいてから、青年の言葉に新野ははっと彼を見返す。

「地上って言ったよな。やっぱりここは地下なのか」

 青年は瓶をあおる。

「そんなことより、もっと気にした方がいいこといっぱいあると思うんだがな……」

 ブーツで、毛足が短く赤い絨毯の上を歩き、青年はソファの肘掛の上に腰をおろした。

「時間までまだあるから、ニイノがこれからどうなるかくらいは教えとこう。そのほうが話もすんなりいくだろうからな」

 新野はごくりとつばを飲み込む。気がかりなのは、売るという言葉だ。瓶の底で、寝ている青年の頭を小突きながら彼は続ける。

「言っとくけど、原因はこいつだからな。俺に文句を言っても筋違いだぜ」

「誘拐しといてよく言うな」

 青年はむっとする。

「あのまま労働局行きもどうかと思うがな」

「労働局?」

 新野の知っているそれとはおそらく違うだろう。

「病院に行ったヒューマンは、労働局の所有物になって各自の適正に合った仕事を任されるって話だ。地上じゃみんな働いてるんだろ? だいたいそれと同じ内容をえんえんとやらされる。自由なんてあったもんじゃない。ただし生活は保障されるから、ヒトによっちゃ喜ぶらしいけどな。俺達は遠慮したいがね」

「仕事を……」

 つまり自分だったら、動物園飼育員を、ということか? しかし動物園なんて存在するのだろうか。街には動物が住民のようにあふれていたが。

「……それで、売るってなんだよ。労働局よりいい、みたいに言ってるけど」

「実際いいんじゃないか? 働かなくても、飯は食えるだろう」

 新野は首をかしげる。売る、という単語から連想されるのは人身売買、それこそ奴隷のようなものかと思ったが。

「ナハバルじゃけっこう有名なブローカーがいてな。そいつもそれだ、名前はポークマン。でかいお屋敷以外にガレージをいくつも持ってるんだが、今日こいつが馬鹿してそのうちの一つを半壊しやがった」

 青年は口端をあげ、また瓶で小突く。額を小突かれているほうは豪気にも寝入ったままだ。

「ガレージを半壊? どうやってだよ」

「車を投げて」

 車、投げる、リフレインする言葉から浮かんだ映像があった。マンホールから抜け出してこの街に到着したばかりの時、落ちてきた車が何軒かに不時着したことがあった。

(あれか……!)

 こんな巨漢でもなんでもない青年がどうやって車を投げたのかはわからないが、青年が新野を引っ張って三階から飛び降りた事例がある、深く考えても仕方ない事柄なのだろう。

「それでポークマンから弁償がきた、もちろん俺達庶民が払える額じゃない。あちらさんもそんなのは承知だから、仕事一件で話がまとまった。それがあんただ、ニイノ」

 空になった瓶で差されても、新野はしかめっ面を動かさない。

「全然意味わからん。俺はさっき! ここに初めて来たばっかりだ!」

「だろうな。俺達もそこは知らない。あんたがただのヒューマンじゃないんだろうってことだろ?」

「はい?」

 尚更意味不明で、新野は首をかしげた。

「ポークマンはブローカーであり、蒐集家なんだ。不思議で珍しい生き物の、な」

「不思議で、珍しい生き物? 俺が?!」

 新野が声を張り上げた時、足元をなにかが横ぎった。

 二人の視線の先で、ちょこんと立ち上がったのは、青いリボンを首に巻いた鼠で、

「お前!」

「にいの、こんなところにいたのか。よかった無事だった」

 小さな胸をなでおろす姿に新野もまたほっとする。ガラスが散々に割れた病室で別れた鼠に、怪我がなかったか心配だったのだが、どうやら無傷だったようだ。

「って無事じゃねーよ! 見ろこの格好を!」

「だいじょうだ、このヒトたちはわたしも知っているし。わるいヒトじゃないんだよ、たぶんね」

「多分かよ! そこ曖昧じゃダメだろう」

 鼠との会話を見つめていた青年が、瓶を床に置いたことで新野は気が付いた。彼の灰色の目が鋭いものに変わっていたことを。

 その雰囲気は殺気立っているといってもいいほどに、緊迫していた。

 ぴくりと反応したのは寝ていたはずの青年だった。上体を起こし、ストレートな髪をかき乱し欠伸する。

 青年二人はそっくりな容貌で、そしてそろって厳しい目つきで新野を見る。

「これ、あの野郎が言ってたやつだな」 

 今までの声色よりもぐっと低くなったそれに、寝起きの青年は頷いた。

 二人は異口同音に言い放つ。

「予定変更だ」



 両開きで、新野の四倍はあろうかという高さをした鋼鉄の扉がそびえ立っていた。

 椅子からは解放されたものの、いまだに後ろ手を拘束されたまま、新野は赤いコートの青年に続く。

 扉の真ん中にくっついた獅子型の呼び鈴を青年が押す。

 間もなく扉はスライドして来客を招き入れた。

 ポークマンの屋敷はお化け屋敷でよく見かける洋館そのものだった。入ったすぐそこ中央に大階段を据えている。その踊場から駆け下りてきた者の姿に新野は思わず後じさりした。

 豚と人間が混合したような生き物が、ぱつぱつのタキシードを着ている。うすピンクの肌は汗で光っていた。そしてその巨躯は家屋一階ぶんに相当する高さだった。

 横幅もさることながら、威圧感がものすごい。それが走ってきたのだから、不可視の圧力を肌で感じる。

「おお、おお、アンファ! 仕事が早いではないか!」

「当然だろ、ポークマ――セレリッチオーナー」

(言い直した! ポークマンて名前じゃねえのかよ!)

 心中で全力で突っ込む。

「こいつで間違いないか?」

「おお、間違いない。わしの欲したヒューマンはまさにこれだ」

 鼻息が最早熱風だ。ポークマン、もといセレリッチは異様に興奮している。

「これでちゃらだな」

「いいだろう。貴様のやったことは広い心で許してやる。全く噂通りの悪ガキが」

 青年の視線が一瞬恐ろしいものになったが、セレリッチは最早彼に興味がないのか新野につめ寄った。

 気色悪さに我慢をする。もう近すぎてうすピンクとタキシードの黒しか見えない。青年の声だけが聞こえる。

「ところでこのヒューマンのなにがあんたのお眼鏡にかなったんだ?」

「ふん、そんなもの貴様に話す価値もない。さっさと出ていけ、踏んだところを掃除していってな」

 青年の声は答えない。刺すような冷気とも殺気ともいえそうな雰囲気を新野はひしひしと感じるが、向けられているこの生き物は全然感じていないらしい。

「わかったよ、掃除は苦手なんだがな。最前を尽くす」

 その言葉を皮切りに、新野の目の前ではスプラッタな展開が始まった。

 まず豚の鼻が切り落とされた。

 すぱっ、と目の前に風が通過したら、足元に巨大な鼻が落ちた。新野の革靴は鮮血で汚れ、噴き出した血潮は容赦なく降りかかる。

 醜い悲鳴が大音響で流れ出し、巨体は荒れ狂う。

 新野は扉まで走り、倒れるようにしりもちをついた。

 おののき見開く目は、その一部始終を見ることとなった。

 青年は狂喜的な笑みを浮かべ、片手で長大な剣を振り回す。

 両刃のそれが踊り狂うたびに、巨体のどこかが激しく宙に飛び、屋敷を汚していく。

 新野の顔面横にもなにかがとんできた。びしゃり、と壁にたたきつけられたそれを見てしまう。そこで目が合ったのは、最早恐怖もなにもわからない、なにも映さない丸い玉。

 悲鳴はいつの間にか途絶えていた。

 あとに響くのは液体の跳ねる音に、臓物が雪崩落ちる残響。

 青年が大きく踏み込む。袈裟懸けに切り上げた先で、だるまとなった胴体が真っ二つに断たれ、ゆっくりと倒れた。

 両手剣が、もともと何色だったかわからない真紅の絨毯に突き立てられる。

 あんなに生き物を切断しておいて、なお露払いされた刃は鉛色に鮮やかに輝いていた。

 青年は大きく息を吐く。その口元はまだ笑っていた。

「掃除完了」

 顔からなにから、赤く染めた新野は、動けずにいた。



 しばらくして廊下の先から、もう一人の青年が現れた。

 彼は眼前に広がる惨状とその真ん中でストレッチをする同じ顔の青年を見比べたあとに、新野に気が付いた。

「おいニイノ、大丈夫か」

 ああ、と答えようと思ったが舌がうまくまわらない。ひどく喉が渇いていた。何回が挑んだ末にようやく声が出る。口の中も血が入っているかもしれない、つばを飲み込まないよう必死になれるくらいには、新野は冷静さを取り戻した。

「鼠を、連れてこなくてよかったよ。こんなんあいつが見たら、卒倒しそう」

 答える新野の視線もどこかうつろだったが、青年は頷く。

「あんたはよく耐えたな」

「仕事上動物の死体は慣れてる」

 動物、と口にした時吐き気がこみあげた。残虐に斬られた相手が、人間そのものの外見でなくて良かった、と思った自分にひどい嫌悪感があったから。

「お前はなにしてたんだ?」

「ああ、ガードマンをな」

「……」

 新野の陰惨な視線に青年は眉をつりあげる。

「俺をあの気狂いと一緒にするなよ。縛っただけだ、あとは警察が来てなんとかするさ」

「警察?」

 その単語にさっと血の気を失う。警察にお世話になるのは誰がどう見ても自分たちだろう。

「どうかな、ついでに奴のコレクションもだいたい放してきたが、同等の気狂いだな、あの豚は」

 侮蔑する彼に問うたが、詳しくは聞かせてくれなかった。ただもとから珍しいコレクションとはまた別に、無理矢理珍しいモノにされた生き物たちがいた、キメラ、という断片的な情報から推測できたものにまた吐き気がする。

「ニイノもどうなってたか、わかんねえな」

「おー、帰ろうぜ、豚の脂で臭せえんだ。フロだフロ! ニイノもな!」

 大剣を軽々と肩に背負い、青年は遊びのあとのように気の晴れた様子で血の海を渡ってくる。

「だ、そうだ」

 新野は固い表情で頷く。

「帰ったら、約束を守れよ」

「オーケー。詳しく説明してやるよ」



「予定変更だ」

 青年二人が声をそろえて、あくどい笑みを浮かべるのに、新野は総毛だった。

「ニイノ、あんたをポークマンに売るのはやめだ」

「やめ?」

 喜んでいいのだろうか、判断がつかない。

「気づいていないようだから教えてやる。鼠と話してるぜ、あんた」

 教えられても意味が分からない。

「あんたさあ、不思議に思わないの? 地上じゃ動物は口を聞くのかよ」

 起きた青年がにやにやとしながら新野に向き直る。

「そんなわけ、ないだろ」

「おいおいじゃあなんで、今鼠とおしゃべりしてたんだよ!」

「なに――」

 そこでわかった。わかって愕然とする。

 鼠を見る。きょとんとした黒いつぶらな瞳。

「俺だけなのか? 俺だけだったのか、鹿や、狼や鼠の声が聞こえたのは!」

「ヒューマンはヒューマンの言葉しかわからない。地上もこっちもおんなじだよ」

 諭す言葉に、反応を返せない。今まで動物と話していて、新野はほかに人間がいない状況だった。それでこの世界の動物は「喋ることができる」動物だと思い込んでいた。

(いや)

 思い返せば動物たちは新野を不思議がっていたではないか、なのになぜ。

(だってこの異常事態だ、それくらい異常だと思うだろう)

 しかし現実はそれを上回る異常だった。自分だけが、動物と喋っている。

「なんで……」

 まるで現実味のないことに呆然とする。

「で、だ。動物と話せるヒューマンなんてものはこっちの世界もいない。それが普通だ。いやしかし万が一いるとしたら、それは」

「それは?」

 すがる思いで反駁する。とにかく説明が欲しかった。自分を正常に戻すために。

「テュラノス」

 聞いたことのない単語だ。

「ニイノ、あんたはテュラノスになったんだ、もう人間じゃない」

「あんたもう死んでるよ」

「…………はい?」

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