再会
両足が地に着いたと同時に三条の視界が解放される。
彼は全身赤黒い血に汚れ、傷だらけだが、燃える様な闘志を秘めた双眸はぎらぎらと輝いていた。
その視線は一心に目前の青年にそそがれている。
見知らぬ建物の中だった。薄暗くひとつだけある窓以外に部屋の中はよく見渡せない。
紅い絨毯が敷き詰められていたが、生まれて初めて絨毯に触れる三条にはそれがなんなのかよくわからない。
というよりも今はその感触さえ頭の隅に追いやられている。
禍々しいまでの気配を全身から発している青年が立っているのだ。
三条は本能的に彼を絶対の敵と理解し、膝をついた体勢だがとても厳しい表情で彼を見上げていた。
両腕は後ろ手に、全身にまとわりついていた血のようなものに縛られており、それは床に続いている。
飛びかかろうとした動きは既に抑えつけられている。渾身の剛力もなんなくと無力化された。
それでも手負いの獣のごとく燃える目は青年をまっすぐ見つめている。
「おいおいなんて怖い顔だ。村ではにこにこしてたってのに、本当の顔はこっちなんだろうな。なあ?」
穏やかな顔つきでありながら、青年の声は多分に皮肉気で刺々しい。
三条にしてみれば簡単に折れそうな青年の腕が、握っていた鎖を引く。
すると薄暗がりから青い虎がよろめき現れた。
懐かしい王の気配がどんどん近づいてきていることはわかっていた。
しかしずっと焦がれていた出会いだというのに、三条は痛ましさに一瞬目を細めた。
美しい毛並みは見る影もない。凛とした気迫もない。
「虎王様……」
『――』
虎が口を開きかけた時、青年は荒く鎖を引く。どっと虎は顔から床にくずおれた。
三条は駆け寄ろうにも動きを制限されている。
「おいなにしてる、さっさとスワレ、だ」
弱りきった動きの虎は遅々としていて、青年はそれを微笑みながら見守る。
と、下からたちのぼる極大の殺気に青年の笑みはすっと消えた。
見下ろした先で三条の、闇が渦を巻いた瞳とかち合う。
「なぜ、そのようなことをなさる」
内なる殺意を抑えて、暴れ出しそうな気持ちを溜めて、三条は問う。
青年は鼻で笑った。
「交換条件だ。お前を助けるかわりに、こいつを好きにしていい。だからだよ、俺はなにもおかしなことはしていない」
「……私を助けるとは?」
「これからこの島を落とす。俺と龍王が出会えばそこは混沌に堕ちる運命なんだからなあ」
「そうですか……」
おとなしく答えて、うつむく三条を青年は訝しんだ。
「それだけか? あんたの村や友人なんかも死ぬと言ったつもりだが」
三条は依然黙っている。
「もっとうろたえるか怒るかしてほしかったんだけど。まあいい、これで約束は果たしたも同然だな。じゃあお前には最後に――おっと、それよりもこっちが先だ。ちょっと待ってろ」
青年は急に虚空を見つめると、嬉しそうに表情を明るくした。
鎖を放り投げ、鼻歌を口ずさんで薄暗がりへ向かう。扉が開いた音がして、閉まる音が続く。
途端しん、と空間は静けさに満ちた。青年はこの部屋を出ていったようだ。
拘束されたままの三条はようやく顔を上げる。その目は変わらず殺意に濁っていた。
こんな顔を見せたら最後、青年の反感を買ってしまうだろう。そう考え、うつむき拘束が解ける機会を待っていたが、意外にもその機会はさっそく訪れた。
しかし前に座る虎は微動だにしない。
まるで主の命令「スワレ」を忠実に守っているかのようだ。
「虎王様……」
戸惑いを若干含み、名を読んでみるが反応は無い。
怒りに駆られていた三条の心にすきま風が通っていく。
「何故、なのですか」
『…………』
「ずっと聞きたかったのです。そしてようやく会えたと思えば――」
さまざまな感情が三条の中で嵐となる。
「那由多様のことは知っておられるのでしょう?」
『…………』
「どうしてなにも言ってくださらないのですか? もしや舌でも切られておいでか?」
虎は首を振ることも頷くこともない。
待ってもいっこうに動かない。沈黙がただ落ちる。
三条の肩が震える。
冷静になろうと息を吸って吐いてみるが、心の嵐は止まない。
抑えることができそうにない、胸のつまりを消し去りたい衝動で、三条は自らの王を睨み上げた。
「何故、二年前私を眠らせたのですか、何故目の前から消えてしまったのですか。目覚めて一番に貴方がいないことに気づいた私の気持ちを考えたことはおありか? 食うのも嫌なほど私が疎ましかったのならば、何故あのような夢を見させた。捨てたというなら、あんな楽しい頃の夢ばかりを、貴方との思い出につまった夢を見させるな! ――いったい私に貴方は、どうして欲しいというんだ!」
激昂した叫びを終えて、三条は肩で息をする。
虎は動かない。
息を整えながら、三条は暗澹とした気持ちで再びうつむいた。
そこに――、
『生きろ』
とぽつりと落ちる声。
ばっと顔を上げるが虎に変化はない。
だがこの獣の声を聞き間違えることなど、三条にあるはずはなかった。
三条は一瞬で変わる己の心中に驚いた。
「声を、お聞きしただけで……こんなにも嬉しいのです。私はやはり、貴方を信じてしまう」
虎はまばたきをした。
それはまるで了承のようで、三条はさっきとは打って変わって喜色満面に雰囲気を和らげる。
しかし次には鋭い気に戻る。
扉を派手に開けて青年が駆け戻ってきた。
「よおしよしよし! 面々がそろったようだ。さっそく行くぞ、待っていた時間が始まるぞ」
嬉しさに声を弾ませて青年は鎖を拾う。
鎖は突如粉みじんになり風に吹かれて消えた。残るのは黒い首輪だけ。
「俺は約束を守った、今度はそちらの番だ」
破顔して、虎に向かい吐かれる言葉に三条は不穏な意志を嗅ぎ取った。
「お前は龍王以外を殺してこい。さもないとさっきの眷属と同じ末路をたどるだろう、こいつがな」
冷ややかに虎を見下ろす青年の伸ばされた指は、三条の額を差していた。
虎の双眸は気鬱に昏く陰っていった。