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父へ

作者: 白馬 黎

 遠くに見えてきた鳴門大橋に私は息をついた。私が今車を走らせているこの道と、三歳まで暮らした生まれ故郷徳島が、その巨大な橋でつながれている。

 バッグの封筒を指でそっとなぞった。宛名は田河康弘様。私が大学進学で引っ越す際、戸籍抄本を取り寄せるまで知らなかった父の名前。実父の名前を今まで知らなかったなんて、と当時十九歳の私は本当に動揺した。

 白い橋の続く先に目を向ける。切手の貼られていないこの手紙を届けるため、私はこの橋を渡るのだ。


 父母は私が三歳のときに離婚し、私は一度は父に引き取られた。父母どちらと一緒にいたいか尋ねられ、父と答えた。幼心に父といたほうが楽に生活できると考えたわけだ。住み慣れた大きな家に友達。母に引き取られればまったく知らない場所へ行かなければならなくなる。それが怖かった。

 けれど私は幼すぎた。幼すぎる女の子には、やっぱり母の愛情が必要だったのだ。別離から数週間後、私は泣いて母を求め、父の元を離れて大阪の実家へ戻っていた母の元へ向かった。そして女手ひとつでこの歳、二十六まで育ててもらった。

 だから父についての記憶はごくごくわずか。今、道ですれ違ったところでお互いわからないだろう。実父とはいえこれほど離れてしまえば赤の他人と大差ない。

 大差ないと、そう思う。


 白い橋に車を乗せる。故郷に向かっているという実感はなかった。母は離婚してから一度も徳島へ帰らなかったから、大橋を車で渡るのはほとんど初めてだ。

 鳴門大橋を抜けたら、と私は何度も確認した地図を頭の中で開いた。そこからさして距離はない。迷わなければ三十分ほどで着いてしまうはずだ。バッグを、その中にあるケータイを横目で見た。

 父に連絡はしていない。電話番号は控えてあるが、その番号を押そうとしてやめるのを一週間前から二十回近く繰り返していた。それでもここまで来てしまうのだからどうかしている。

 もし今かけるとして、なんと言えばいいだろう。私、あなたの娘の里奈が今そちらに向かっています。あと三十分ほどで着きますが、よければお茶でもしませんか。苦笑するしかなかった。最後に父に会ったのが六歳のとき。それから二十年ぶりの再会がそれでは。

 一応、三連休をとってある。三十分ほどの部分を明日に変えてもいいのだが、いずれにしても電話を持つところまで手がいかない。赤の他人の中年オヤジの家に突然電話をかけて、そんなことを言うのと違いのない怖さがあった。

 せめてメールアドレスを知っていたら。とてもじゃないが、直接声を聞く勇気はない。


 そう、父に最後に会ったのは私が六歳の時だ。

 今日はお父さんが来るよと母に言われ、こころもちおしゃれな服を着てピアノ教室へ行った。終わりごろになると友達を迎えに来たお母さんたちの中に背の高い男の人がひとり、ぽつねんと混じっている。じっと黙って見つめている私の方へまっすぐに向かってきて、里奈だね、とぼそっと確認した。こくんとうなずくと、私の手を引いて食事に誘った。

 天王寺のおしゃれな喫茶店でお昼を食べながら私はずっと緊張して黙りこくっていた。父も緊張していたようで、口数は本当に少なかった。六歳の少女と中年オヤジの互いにがちがちに固まった二人組みは、はたからは誘拐事件の真っ最中に見えたことだろう。

 覚えているのは本当にこれだけで、父の顔も声も霧の中、影法師程度にしか思い出せない。戸籍謄本のときに大騒ぎをしている私に母が苦笑いしながら家に一枚だけある父の写真を持ってきたが、その顔にはさっぱり覚えがなかった。もうちょっと男らしい人を想像してた、こんなメガネのインテリなんて、とがっかりする私に、そりゃ職業は学者だものと母は笑った。そこで父の職業を今まで知らなかったことに気づき、もう一度驚いた。

 農薬研究者の父と管理栄養士の母。間の私が製薬会社の営業マン。遺伝子は正直だ、と母は一人で笑っていた。


 鳴門大橋を降り、私は西へ海岸伝いに愛車を走らせた。

 来てしまった、どうしよう、という気持ちの渦の中、適当なコンビニで車を止める。なまじ道の駅で車を止めなくてよかった。全国どこでも同じ姿のコンビニチェーンは思いのほか落ち着く居場所だ。

 けれど雑誌を開くにしても何にしても、コンビニに居座れる時間は限られている。それに、このまま決心がつかないなら暗くなる前に適当な宿をとらなければ。車に戻って阿波踊りの写真が表紙の旅行雑誌を開いた。

 適当なホテルに目星をつけてケータイを手に取り、何をやっているんだ私は、と頭を抱える。ホテルよりも先にかける先があるはずなのに。

 結局、持ってきた手紙は消印つきで父の家のポストに入るのかもしれなかった。そう、鳴門郵便局の消印つきで。


 今まで、それほど父を思ったことはなかった。両親そろった家庭がうらやましいと思ったこともない。お父さんに会いたいと思うことはないの? と好奇心をむき出しにした友達連中に聞かれたこともあるが、べつに、と短く答えるほかがなかった。

 父親がいないのは私にとって当たり前の風景だったし、困ることもさしてなかった。ただ、男友達の家へ行ったときに洗濯物のトランクスを見てぎょっとしたくらいだ。

 父を今ほどちゃんと思ったことは、過去に一度だけ。十八歳のときだったか、引ったくりでバッグを盗まれたことがある。その中には財布、さらにその中には郵便貯金のカードが入っていた。父が私の養育費を毎月振り込んでくれる口座のカードだ。

 悪用をおそれた母はすぐさま口座を差し止め、それをまったく知らない父が養育費を送ろうと郵便局の機械にカードを差しこんだ。そのままカードは機械に吸いこまれて返ってこなくなり、やがて郵便局の手を通じて私と母に渡された。

 郵便局の防犯システムを目の当たりにして感心はしたが、当然ひったくり犯ではない父はわけがわからず困り果てているはずだ。カードを送り返し、事情を説明する必要があった。

 母は別れた父に手紙を書くのを断固拒否した。大喧嘩して縁を切り、それから十五年にもなる相手に手紙なんぞ書きたくはない、里奈は父親と血がつながっているわけだし、そもそも里奈の責任なのだから自分で手紙を書けという。むろん私は困り果てた。そう、赤の他人の中年オヤジの家に手紙を送りつける気分だ。

 それでも母の主張に理はあるし、私は一ヶ月間母に文句を言い散らしなんとか責任をなすりつけて手紙を書いてもらおうとしつつも、結局は自分で手紙を書いた。事務的な固い文体で事情を説明し、最後に薬学部を目指して浪人していること、父の養育費がとても助かっていること、そしてよければ来てくださいとホームページとメールのアドレスを書き添えた。

 最初は赤の他人の中年オヤジが相手の文面でも、最後はちゃんと父宛の文面になっているそのギャップに自分で苦笑しつつ、ポストに入れたその手の感触を不思議なくらい覚えている。宛名だけは母が書いた。

 メールも、返事の手紙も来なかった。けれどその翌月から養育費の振込みが月あたり五万円も増えた。その上、私が二十歳になったら終わるはずだった養育費の送付が、私が無事に大学を卒業したとブログに書くその月までずっと律儀に続いていたのだ。

 私の臆病さは父譲りかもしれない。メールを娘に送れず、ただこそこそと欠かさずホームページのチェックをし、一言の断りもなく多めのお金を送る、そんな父の。


 意を決してコンビニを出た。このまま手紙をポストに入れて帰ってしまうのでは、母に呆れられさんざん馬鹿にされるのは目に見えている。

 道路わきの地名をチェックしながら走っていると母に教えてもらった住所の地名が出てきた。このあたりだ、と胸が高鳴る。

 車を止めて車内からあたりを見回した。当然、町の姿に覚えはない。田舎らしいひなびた風情の、木造住宅と鉄筋コンクリート住宅のいりまじる住宅街。

 地図を広げる。二丁目を探さなければいけないのだが、地図が大縮尺すぎた。ここから先では役立ちそうにない。

 歩くことにして車を降りる。が、歩いてどうするのだろうか。土地の記憶はないに等しい。田河さんのお宅をご存じないですか、と通行人に訪ねてまわるか。首尾よく家を見つけたところでどうしよう。アポもなしにチャイムを押し、出てくる父に娘ですと告げるのだろうか。その光景を思い描き、私はため息をついた。

 バッグの中の手紙を指でなぞる。この手紙だけでも郵便受けに入れよう。生家を見て手紙を届ける。それだけでいい。それだけで。


 町の記憶も家の記憶もほとんどないが、覚えていることはいくつかある。

 家は百坪の大きなものだった。後にこの家の名義を巡って父母は大喧嘩をし、離婚に至ったのだが、それはむろん後で聞いたこと。私の記憶の中にある家はガーデニングの好きな母がチューリップやベリーをそこかしこに植えていた、きれいで暖かな場所だった。

 その家で暮らした三歳までのわずかな記憶はほとんど庭に集中している。一階のリビングの窓から幼い私が転落し、今から思えばさして落差はなかったのだが、痛くて痛くて大泣きしたこと。それから二度と私がそんな風に落ちないようにと、そこにウッドデッキが作られたこと。私のために作ってくれたのだと幼心に嬉しくて、そこで毎日飛び回って遊んでいたこと。

 それに、父は虫が好きだった。虫取りも素晴らしく上手で、虫取り網を一振りするだけで三匹のチョウを捕らえ、私に渡してくれた。けれど私はそれが上手く虫かごにいれられず、父が何匹チョウを捕らえても、何匹トンボを捕らえても、虫かごに入れるところで全部逃がしてしまうのだった。


「あの、田河さんのお宅をご存じないですか」

 結局通行人に聞いて回る羽目になってしまった。犬の散歩中だった小母さんは少しばかり考え込み、田河、田河、どこかで聞いた名前だけど思い出せないねぇ、ごめんねぇと人懐っこく謝った。それにぺこぺこ礼を返しながら私は内心ため息をつく。

 これで二人目だった。田舎町でのよそ者が本当に目立つことくらいわかっている。この小母さんが後に父を思い出して、田河のおっちゃんのところに大学生くらいの若い女が尋ねてきたと噂にするところがありありと想像できた。

「あ、そうだ。あの」

 思い出しごとをして呼び止めると、犬を連れた小母さんが振り返った。

「このあたりに図書館、ありましたっけ」

「ああ、図書館なら。まずそこをまっすぐいって、赤い屋根の家のところを左に曲がって、」

 丁寧に教えてくれる小母さんに頭を下げて犬の頭を軽くなで、私は図書館へ向かった。

 そうだ、思い出した。父がチョウを捕らえていた庭の裏手には大きな畑があった。その先に白い建物がぽつねんとあったはずだ。それが図書館で、大きくなったらそこへ連れて行ってもらえるのだと幼心にわくわくしていた覚えがある。

 市営の図書館は拍子抜けするほど小さく、潮風に打たれ続けた外壁はぼろぼろになっていた。建物の中に入らず裏手へ回ると記憶通りに畑がある。迷わず畑の先の住宅街でウッドデッキのある家を探した。

 あった。あの家だ。

 記憶にあるものとは違う、随分古びて周りのひなびた住宅街に溶けこんだそれ。ウッドデッキのペンキは明るい茶色だったはずなのに、今は雨に打たれ潮に吹かれて随分黒ずんでいる。当たり前だ、築三年と築二十六年では違って当然だった。

 私は奥歯を噛み締めた。そしてきびすを返すと、図書館の入り口へ歩いていった。


 思い出はわずかこれだけ。ふとしたときに思い出すかもしれない、けれどぱっと思い出せる父の面影はこれだけだ。

 思い出の中で父は百パーセント父だった。けれど今の「田河さん」は。ここから二百メートルもない家にいるその人は。


 図書館の机に座り、手紙を取り出した。唇を引き結び、持ってきた予備の封筒の宛名に「お父さん」と大書する。それを「田河康弘様」宛の封筒と並べて置いた。

 封筒から出した手紙の文面を読み直す。十八歳で手紙を送った後から今までのことを、ブログを読んでいればわかるだろうと思いつつも綴った手紙。父のお金で無事に大学に入れたこと、大学卒業後は製薬会社に勤め、希望の新薬開発部署からははずされてしまったものの営業マンとして楽しく働いていること。大学時代の友人と婚約し、来月式を挙げること……。そう、いくらこれだけ離れていても娘は娘、結婚するなら連絡をと、ここまではるばる来たわけだ。

 ボールペンを出し、手紙の端に追記をしたためる。よければメールアドレスを教えてくださいと。自分のアドレスも書き添え、意を決して「お父さん」宛の封筒につっこみ封をした。バッグに投げこみ、図書館の入り口前にあるポストをちらりと横目で見ながら二丁目を目指して歩いていく。方向感覚は昔からの自慢だ。

 白いプレートに楷書で書かれた「田河」の二文字。封筒を出し、じっと「お父さん」の文字を見つめてから郵便受けに投げこむ。すこん、と手紙がステンレスの底に落ちる音がした。

 終わった。黙祷でもするかのように目を閉じる。長いこともじもじしていては近所に怪しまれると思いながらも動けなかった。

 ゆっくりと白い表札を指でなぞる。二十六年分の埃を払うように。

 やがて、唇の端がひとりでに持ち上がるのを感じた。指が表札の上を離れて。

 ぴーん、ぽーん。

 チャイムを鳴らすと同時に走り出す。二十年ぶりのイタズラ。ピンポンダッシュ。ミュールの踵を鳴らして故郷の町を駆け抜ける。チャイムを押した、あの指の感触はきっと忘れない。

 くすくす笑いながら走るその道の先、コンビニの袋をさげて立ち止まっている初老の男が目に入った。白髪染めを使っているのだろう、けれど不精なのか頭の上の方は白く先の方は茶色い奇妙な髪型になった男がこちらを見つめている。銀縁メガネの奥からのぞく気難しげな二つの瞳。

 ひと目で父だとわかった――本当に、ひと目だった。



.....Fin

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