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01

 白い息が空に千切れた。後ろに流れていくそれを目で追うひまもなく、新たな犠牲者をはきだしては千切り、吐き出しては千切っていた。文句一つも言わない、ほんの一瞬前には俺に包まれていた、空気。ゆるやかな坂にさしかかり、目の前に見える短い横断歩道を右折した。とたん、大通りの喧騒(といっても田舎だから、車の通る音が主だ)から逃れ、山を切り開いて作った谷のような道にでる。両側は、お墓。うちの家の墓もこの山の中にある。かなり古くからこの山は死者が埋葬されてきたらしく、古そうな墓石に目を凝らしてみてみると、明治何年没、なんてのもあった。死んだ年と照らし合わせてみると、江戸時代生まれの人もいた。この町は俺の曽祖父母が若い頃、かなり栄えた所だったらしい。今となってはそんな名残は何処にも残っていない老人ばかりの町であるが。

 ふいに大通りに戻るのは面倒になり俺はそのまま両側を墓に囲まれた急な階段を上り始めた。そうだ、折角此処まできたのだから、ご先祖様に挨拶でもしていこう。自分の家の墓の位置を、正確に記憶しているわけではなかったが、なんとなく行く筋ものびた道を進んでいくと、我が家の墓にたどり着くのだ。小さい頃から何度も来ているから、身に染み付いてしまったのかもしれない。ガタガタになった石の階段を危うい足取りで駆け抜け、いくつかの墓の前を、走って通り過ぎる。こんなとき、ちらりと古い墓が目に入ってしまい、何故か俺はそれにすこし頭をさげてしまう。回りの墓とは違う、手入れされていない背の高い雑草と、木に囲まれたくすんだ石。跡継ぎの子供がいなくなってしまったのだろうか、それとも引っ越してしまって、忘れられてしまったのだろうか。「ほら、見てみろ。こんな墓にだけ、絶対に木が生えているだろう?何でだと思う?」「なんで?」「死んだ人の、栄養を吸って木がよく成長するんだよ」そういって、父親から脅かされてたっけ。

 (はちす)家累代之墓。墓石にその文字をみとめて、四角い囲いの中に入る。軽く頭をさげてから、横においてある箒を取り、墓の中に落ちた松葉をはき始めた。誰に頼まれたでもない、なんとなく墓に来たらいつもやってしまう行為。「まったく、冬冶は良い子に育ったねぇ」そんな死者のつぶやきが墓の中から聞こえてこないかと、想像しながら、何で曽祖父はわざわざ松の木が覆いかぶさったように生えているこの地に墓を立てたのだろうかと思う。まだ、他にも土地はあっただろうに、これでは松の葉を受け止めているような按配で、掃除が大変だとは思わなかったのだろうか。いや、もしかしたら掃除のことなど考えなかったのかもしれない。なんたって、曽祖父の時代の我が家には、お手伝いさんがいたらしいから。もちろん、今の我が家は至って普通の家族構成だ。両親に兄が二人、そして、俺。お手伝いさんがいるなんて、考えただけで嫌だ。他人が自分の生活空間に入ってくるなんて、居心地が悪い。

 ざっとはわき終わり、箒を置いて墓石の前に手を合わせようとした。この中に霊魂が宿っているなど、これっぽっちも信じていないが、「こんにちは」と呼びかけて、最近の出来事を胸の中でポツポツと唱えるのが常だった。ただ手を合わせるだけでは、味気ない感じがするし、もし本当にこの中に祖父や祖母がいたのなら、孫の話はきっと喜んで聞いてくれるだろうと思ったから。手を合わせ目を閉じると、冷たい風がびゅうと横合いから吹いてくる。寒い。此処の所、雨が降って急に気温が下がった。虚勢をはって、半そで半ズボンで通してきたが、そろそろランニングウエアも変えたほうがいいのかな、そう思いながら「こんにちは」と胸のうちでつぶやいた瞬間。

「こんにちは」

 ふいに、後ろから返事がした。聞き間違いか、反射的に振り返ると、そこには男がいて、俺のほうをじっと見つめていた。

「・・・こんにちは」

 誰だろう。田舎だから知らない人に挨拶ぐらいされることは多々ある。しかし、これはそのいきずりの挨拶とは違う物を感じた。振り返ったままの姿勢で、俺は少し首を傾け、もしかしたら不審者かな、つかみかかってきたらどうやって逃げようかなどと思いながら、口元だけで愛想笑いを浮かべた。もしかしたら、近所の人かもしれない。近所の人で俺を知っている人に、友達以外こんなに若い人はいないはずだけど。

「蓮家の子かい」

 男も口元に微笑を浮かべ、首を傾けた。よく見れば、どこか古臭い印象がする。おそらく年は三十代の前半であろうに、何故だろうか。

「はい。」

 親戚の一人だろうか。振り返ったままでは失礼かと思い完全に振り返ると、彼は失礼、と言って墓の囲いの中に入ってきた。面食らってみていると、彼は墓石を見上げ、一礼すると「約束を果たしにきました」と言う。あやしい、これは逃げたほうが賢明ではないかと思いながらも俺は男から目を離さず、しかしいつでも走り出せる構えでいた。男は懐かしげな様子で数秒の間墓石を見つめると、緩やかな動きで向き直り、俺の目を覗き込むようにじっと見つめた。

「君は蓮正毅の曾孫さんにあたるのかい?」

「そうです、けど」

 そうだ、何故古臭い印象がするのか、分かった。彼の服装だ。黒いズボンに真っ白なシャツ、サスペンダ-に手には黒い蝙蝠傘を持っている。そして、よく見ると顔は日本人の顔ではなかった。いや、はじめこそ注意してみなかったのだが、どちらかと言うと、西洋人のそれである。

「名前は、なんていうんだい?」

 あやしい、確実にあやしい。全く知らない人だ、きっと縁者でも知り合いでもなんでもない。俺はじりじりと後ずさり、男をにらみつけた。

「すみません、どなたですか?」

 こんなことを聞くよりも、はやく逃げてしまったほうがいいのかもしれない。しかし、もし知り合いだった時に、かなり失礼なことになってしまう。いや、それよりも、不審者が目の前にいる、というシュチュエ-ションに少しだけだが好奇心がうずいていた。俺が警戒心をむき出しにすると、男は目を見開き(緑と茶色が混ざったような瞳の色をしていた)何かに気づいたように口をキュっと引き締め、「ああ」と短く声をもらす。

「曾おじいさんから、何も聞かされていないかい」

「曾おじいさんって・・・・貴方、知り合いなんですか?」

 曽祖父は俺が生まれる前にもうなくなっていた。写真で姿を見たことはあるが、実際にあったことはない。目の前にいる三十代前半、多く見積もっても三十代後半の男が知り合いである可能性は極めて低かった。すると、男は瞬きをして、さも当然そうに、

「そうだ」

 といってのけた。その後、ふっと微笑を消し、一瞬真顔になったかと思うとふむ、片手であごをさする。しかし、視線はずっと俺から離さない。

「船員さんですか」

 曽祖父は船会社を経営していた。もしかしたら、そのときに船に乗っていた従業員かもしれない、自分でも違うだろうとは思いながらも、それしか筋の通る答えはない。いくらなんでもこの顔で血縁者はないだろう。

「いいや」

「じゃあ、どういう知り合いなんですか」

「しいて言うならば、取引相手かな」

「取引相手?」

「ああ。そして友でも好敵手でもあった」

 ますます意味が分からない。これは、逃げ出したほうがよさそうだ。そう思った瞬間、俺は墓の囲いを乗り越え、一目散に階段を駆け下りた。全力で道路に向かって走り、そのまま左折して大通りにでる。ここならまだ助けが呼べる、しかしまだ恐ろしくて大通りを少し走った後、やっと後ろを振り向く余裕ができた。激しく息を切らしながらもちらりと後ろを振り返ると、そこには誰も追いかけてくる気配はない。一応用心して、息が整うまで墓場に入る曲がり角をじっと凝視していた。それでも先ほどの男は現れなかったので、今度こそほっとして家路についた。ただ、やはり全力で一番の近道を走って帰った。



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