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1996.0渋谷のマッキントッシュ  作者: 代々木ノブ
第一章 from 2026 to 1996
3/16

1.3_ハンダの迷宮と『電脳救急箱』

秋葉原駅の電気街口を出た瞬間、誠は物理的な衝撃に近い熱気に気圧された。

1996年の秋葉原は、誠の記憶にある整然とした観光地ではない。

もっと狂暴で、油ぎった「鉄と情報の廃材置き場」だった。

「ラ●ックス」「サ●ームセン」――

巨大な原色の看板が乱立し、路地裏からはジャンク品を漁る男たちの、怒号に近い値切りの声が響いてくる。


誠は数軒のPCショップを回ったが、結果は惨敗だった。


「……兄ちゃん、悪い冗談はやめてくれ」


最初に入った店で、店主はiPhone 15を一瞥もしなかった。

「この継ぎ目のない筐体、ネジ一本見えねえ。S●NYの試作機か何か知らねえが、中も開けられなきゃ修理もできねえ。ただのプラスチックの塊――モックアップ(模型)だろ、これ」


誠は食い下がった。

バッグから最新の窒化ガリウム採用の小型急速充電器とUSB-Cケーブルを取り出す。


「これを見てください。このサイズで高出力なんです。充電さえさせてもらえれば……」


だが、店員は見たこともない小さな台形の端子と、超小型のアダプタを不審そうに眺めるだけだった。


「なんだそのおもちゃは。コンセントを舐めるなよ。火でも吹いたらどうする。そもそも、電圧もアンペアも表記と合ってねえだろ。持ち込みの得体の知れないもんを挿させるわけにいかねえよ!」


1996年の技術者にとって、未来の「洗練」は物理法則を無視した「偽物」にしか見えなかった。ネジの頭が見えず、回路がブラックボックス化された精密機械など、彼らにとっては存在してはならないものだったのだ。


さらに誠を絶望させたのは、デバイスの「無力化」だった。


焦ってiPhoneの画面をタップするが、

頼みのGoogle Mapsは「接続されていません」と冷たく表示され、

SlackもYouTubeも、ロード中のアイコンが空しく回転し続けるだけ。

4Gも5Gも、Wi-Fiすらも存在しないこの世界で、世界最高級のスマートフォンは「ただの光る板」に成り下がっていた。


(クラウドに繋がらなきゃ、俺の知識もこのツールも……ただのガラクタか?)


足が棒になり、マッキントッシュの裾が路地の埃で汚れ始めた頃。

誠は、裏通りの雑居ビルの片隅に、剥げかけた看板を見つけた。

『電脳救急箱・石川無線』 後の巨大PCショップの前身となる、まだ名もなきジャンク修理店だった。


誠は最後の望みをかけて、引き戸を開けた。

店内はハンダ付けの青白い煙が立ち込め、壁一面には「抵抗」「コンデンサ」と殴り書きされたパーツボックスが並んでいる。

奥の作業台で、一人の男が古いマザーボードに顔を埋めていた。

石川。

後に日本の自作PC界を席巻する男だが、今はまだ、煤けた作業着を着た偏屈な職人に過ぎない。


誠は無言で、業務用iPhone SEをカウンターの上に置いた。

石川は顔も上げず、「ジャンクの持ち込みは三時までだ」と吐き捨てた。


誠は思考を研ぎ澄ませた。

ネットは死んでいる。だが、このハードウェアそのものが持つ「暴力的なまでのスペック」は、ネットがなくても証明できるはずだ。


誠はおもむろにiPhone15を構え、作業台で基板を弄る石川の手元にレンズを向けた。

「……何してやがる」

石川が顔を上げた瞬間、誠はシャッターを切った。

そして、4Kの動画撮影を開始する。


「なんだ今の音は!?、お前さんなにしてる?」


「これを見てください」


誠は撮影したばかりの映像を再生し、石川の目の前に突きつけた。

石川の瞳が、大きく見開かれた。


「……なんだ、この解像度は」


そこには、今さっき石川が触れていた基板の傷一つ一つが、肉眼で見るよりも鮮明に映し出されていた。

拡大してもドットの粗が見えない。

1996年のデジタルカメラがようやく35万画素で「高画質」と謳っていた時代に、800万画素を超える静止画と、秒間60フレームの滑らかな動画。それは映像革命を通り越し、魔法の鏡そのものだった。


「さらに、これも」


誠はポケットからAftershokzの骨伝導イヤホンを取り出し、石川の側頭部にそっと当てた。iPhoneで再生した動画の音声を、Bluetoothで飛ばす。


石川の体が、びくんと震えた。


「なっ……なんだ!? 耳を塞いでねえのに、頭の中で音が……」


「骨伝導です。鼓膜じゃなく、骨を震わせて直接脳に音を届けています。ワイヤレスで、遅延もほぼありません」


石川は、自分の手元を映した鮮明な「未来の映像」を見ながら、耳を自由にしたまま「頭の中に響く音」を体験した。

その情報の密度、そして既存の技術体系をあざ笑うかのような実装。


「……おい」


石川の声が、重く沈んだ。

彼はルーペを手に取り、iPhoneの筐体を、それからイヤホンの質感を、食い入るように凝視した。


「この画面の密度、肉眼で見えねえ……。それにこの筐体の切削精度……0.01ミリ単位の誤差もねえ。……兄ちゃん、これ、どこの宇宙船から盗んできた?」


「宇宙じゃありません。……三十年後の日本です」


石川は、おもむろに作業台の下から当時最高級のテスターを取り出した。


「三十年だと? 冗談を抜かせ。……だが、この『作り』だけは嘘をつけねえな。職人の指先を舐めるんじゃねえぞ。……これを作った奴は、俺たちの知らねえ『極致』に辿り着いてやがる」


石川の目は、恐怖と、それを上回る圧倒的な知的好奇心に燃え上がっていた。


------それから10分ほどだろうか、二人の間に沈黙が続いた。

誠も察したのだ、

今、この目の前の男は何に全神経を傾けているのかを。

その男の集中力を邪魔してはいけないと。


そして・・・

石川はテスターを置き、深く椅子の背にもたれかかった。


剥き出しの電球に照らされた彼の瞳には、まだiPhoneの液晶が放った鮮烈な残像が焼き付いている。彼は再びルーペを手に取り、今度はデバイスではなく、目の前に立つ「誠」という男を頭の先から足の先まで品定めするように眺めた。


「……なあ、兄ちゃん。さっきから見てりゃ、えらくいい身なりをしてるな、名前は?」


「あ、、上條、 上條誠です」


石川の視線が、埃を被ったマッキントッシュのコートと、足元のスタンスミス、そして傍らに置かれた洗練されたデザインのビジネスキャリーに止まる。


「そのコート、ずいぶん変わった生地だな。そんなもん着て、その得体の知れないカバンを転がして……一見すりゃあ小綺麗な旅行者だ。だが、その顔はさっきから死線をくぐり抜けてきた敗残兵みたいだぜ。……お前、一体何があった?」


誠は答えに窮した。

「訳あり……なのは、間違いありません」


「だろうな。その『オーパーツ』を持ってる時点で、ただの営業マンじゃねえことは分かる。……で、お前。そんな大層なもんを抱えて、今夜の寝床はどうするつもりだ?行く当てあるのか?」



誠は力なく首を振った。


「……ありません。実は、現金も持っていないので、宿のあてがありません。」


「だろうよ」


石川は鼻で笑い、灰皿に溜まった吸い殻を一つ、無造作に押し潰した。


「そんな不気味な宝物を持ったまま路地裏で寝てみろ。明日の朝には喉笛を掻っ切られて、その『未来』とやらもろともゴミ捨て場行きだ」


石川はよっこらしょと重い腰を上げ、店内の奥、うず高く積まれたブラウン管モニターと基板の影にある重い鉄扉を指差した。


「うちには、徹夜作業用の仮眠室がある。広さは畳二畳分、空調も満足に効かねえが、鍵だけはかかる。……段ボールの上で寝かせるほど、俺も鬼じゃねえよ」


誠の瞳に、わずかな希望の色が差した。


「……いいんですか?」


「勘違いするな。その『魔法の板』の中身を隅々まで見せてもらう。そのための『手数料』だ。それに、お前みたいな訳の分からねえ奴を野に放っておくのは、技術屋の端くれとして寝覚めが悪い。」


石川は鉄扉を開け、中の電気を点けた。 そこには、古いハンダ吸取器の匂いと機械油の香りが染み付いた、狭いが清潔な空間があった。パイプベッドが一つと、壁には所狭しと回路図が貼られている。


「シャワーはねえが、裏に水道はある。……おい、兄ちゃん」


石川が誠を呼び止める。


「明日から、うちの修理を手伝え。お前の持ってるその『ぶつ』……なんらか俺の仕事にもつかえるかもしれねえ。それで飯代くらいは稼がせてやる。」


「俺は石川という。よろしくな。」


誠は、石川の差し出した無骨で、油に汚れた手を見つめた。 それは、スマートフォンの画面をなぞるだけの2026年の手とは違う、世界を直接作り、直してきた男の手だった。


「……よろしくお願いします、石川さん」


誠はその手をしっかりと握り返した。

2026年では、取引先と交わす儀礼的な握手しかなかった。だが、この1996年の秋葉原で交わした握手には、肉の熱さと、生きるための切実な重みがあった。


秋葉原の夜が更けていく。

ハンダの匂いと、微かに聞こえる街の喧騒。

誠は仮眠室のベッドに倒れ込み、ようやくこの狂暴な時代の中に、自分だけの「陣地」を確保したことを実感した。


1回表。

2アウト取られたが、何とか1塁にランナーが出塁した。

試合はまだまだ始まったばかりだ。


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