3.2_ 巫女とME262
三月も半ばを過ぎ、秋葉原の街角に沈丁花の香りが漂い始めた頃。
オタクたちが掘り出し物の集積回路や基板を求めて賑わう『石川無線』の自動ドアが、カランと乾いた音を立てて開いた。
入り口に立っていたのは、190㎝近い長身を猫背に丸め、ボソボソの金髪を後頭部で無造作に束ねた大柄な外国人だった。ヨレヨレのネルシャツに、使い込まれたチノパン。その風貌は、どこか浮世離れした学者のようでもあり、放浪者のようでもある。
男は店内を見渡すと、レジに立つあずさを見つけ、低く通る声で問いかけた。
「Excuse me, is there a person named Makoto-Kamijo-san?」
「うおっつ、英語きたあ~~っつ!」
あずさは思わずのけ反った。代官山の居酒屋では酔っ払いの相手は慣れっこだったが、これほど巨大なネイティブ・スピーカーの襲来は想定外だ。彼女は必死に頭の中の英単語をかき集める。
「あ~ん~く、く、Could you、、 speak more 、、slowly please?」
「……ああ、失礼。私、ケリー・ジョンソン。宗さんの後輩でえす。宗さんからの紹介でお手伝いするため、来ました」
流暢とは言い難いが、聞き取りやすい日本語だった。あずさはホッと胸を撫で下ろす。
「ああ、お兄さんと石川おじさんが言っていたやつか! Please wait、、あ、お兄さん日本語大丈夫?」
「ああ、ハイ。私は日本語大丈夫です。ちなみに、ロッキード社の『スカンクワークス』の代表と同姓同名ですが、そこまで軍事機密の塊じゃありませ~ン。ただの電子工学の亡者です」
ケリーは人懐っこい笑みを浮かべた。その背後から、かなっちがひょいと顔を出す。
「……すかんくわーくす? なんか臭そうな名前だね」
「スカンクってあの、おならする動物でしょ? ウケるんだけどww」
二人のあっけらかんとした、しかしある意味で本質を突いたギャル的反応に、ケリーは腹を抱えて笑った。
「ハハハ! 臭いどころか、世界で最もクールな技術集団の名前でしたよ。でも、君たちのような素敵なレディがいるなら、私の研究室もそう名付けてもいいかもしれないね!」
事務所の笑い声に気づき、二階から石川と誠が降りてきた。
あらかじめ宗から事情を聞いていた二人は、ケリーと力強い握手を交わすと、すぐさま彼を「聖域」であるラボへと招き入れた。
ケリー・ジョンソン、35歳。
ドイツ系カナダ人。1930年代、ナチス・ドイツの狂気から逃れるために、産まれたばかりの両親を連れてカナダへ渡った祖父母を持つ。宗のアメリカ大学時代の後輩であり、シリコンバレーの電機メーカーで最先端の設計に携わっていたところを、宗の強引な誘いによって秋葉原へ呼び寄せられたのだ。
石川のラボに入ると、ケリーは儀式に臨むような厳粛な面持ちで、誠が差し出した『iPhone 15』を覗き込んだ。誠が再生したのは、二〇二六年一月の明治神宮。 高精細な4K映像の中、何万人という参拝客の雑踏を、ドローンが滑らかに空撮している。そして地上へ視点が切り替わると、凛とした白い小袖と緋袴に身を包んだ巫女たちが、忙しくも優雅に立ち働いていた。
「…………Jesus Crisis!(ジーザスクライシス!)」
突然、ケリーが咆哮した。あまりの迫力に、背後にいた石川やあずさたちも「どうした!?」と飛び上がる。ケリーは画面に顔を擦り付けんばかりに近づけ、荒い息を吐きながら映像を食い入るように見つめた。
「この解像度……信じられない! 巫女舞の指先の動き、衣装の布の質感、そして彼女たちの神聖な佇まい……すべてが完璧だ! オウ、ゴメンナサイ……取り乱しました」
「み、みこ?」
これまでiPhoneに触れた者たちは、皆その「技術」に驚愕してきた。だが、ケリーの眼差しはもっと別の、狂気にも似た「情熱」を孕んでいた。
「実は私、日本の巫女に目がないんです」
ケリーは額の汗を拭い、照れくさそうに笑った。
「多賀大社で初めて神楽を見た時、確信したんです。あれこそがジャパニーズ・ビューティーの極致だと。宗も酷い男ですよ。『日本に来て技術を手伝うなら、日本中の神社の巫女を見せてやる』なんて条件を出してくるんだから。だから、週末の土日はそこら中に行かせてもらいますよ!」
「こりゃまた、おもしれえ外人さんを連れてきやがったよ宗って男は」
石川がつぶやく。ぶっきらぼうな言い方ではあったが、その瞳はケリーという規格外の才能とのタッグに、少年のようにキラキラと輝いていた。
――――――
ケリーと石川が二階で解析を進めるようになって数日。三月のある夜。
解析の合間にケリーはふと手を止め、窓の外の、ネオンが蠢く秋葉原の闇を見つめながら語り始めた。
「マコト。私はあなたのケースを調べていて、ある戦時中のミステリーを思い出さずにはいられないんだ」
ケリーの表情から陽気さが消え、深い静寂を湛えた真剣なものに変わった。彼は技術者であると同時に、人文学的な好奇心に溢れる歴史マニアでもあった。
「戦時中?……戦争中の話は正直疎いなあ。俺の父親は満州に行っていたと聞くが、正直俺に戦時中の話はしてくれたことがない。」
石川が頭を書きながら話す。
「私も祖父が、海軍だったと聞きますが、正直私もあまり詳しくは…。ケリーさん。恥ずかしながら戦後に生まれた日本人は戦時中の事を伝え聞いていない人達が多いかもしれません…」
「おうおう。そうですか。まあ、国や社会それぞれあるかもですが、私がお話するのは、もっとマニアックなお話なのでご安心ください。たぶん知っている人は世界中見回してもごく少数かもです。 」
そう話しながら立ち上がった、ケリーはペンをとり、ホワイトボードに素早く一機の航空機のシルエットを描き込んだ。
「1945年、4月24日。ナチス・ドイツが崩壊する直前の話さ。ギュンター・ノイマン中尉という男がいた。撃墜数110機を誇るエースであり、その技量ゆえに第44戦闘団という精鋭部隊で『Me262』を駆っていた。『第44戦闘団(JV44)』。これは、ドイツ空軍が崩壊する直前、生き残ったトップエースたちだけで結成された、いわば『オールスター部隊』です。階級に関係なく、腕利きのパイロットだけが集められた。彼らの武器が、このMe262でした。」
ケリーのペンがボードを叩く。
「世界初の実用的なジェット戦闘機。他の飛行機がプロペラでやっと時速700キロを出していた時代に、こいつだけはエンジンの暴力的な推力で800キロを超えた。まさに『未来から来た戦闘機』だ」
ケリーはドイツ南部の地図を描き、一つの点に赤いバツ印をつけた。
「その日、ノイマン中尉はドナウヴェルト上空でアメリカ軍の爆撃機B-26を迎撃していた。……奇しくもそこは、私の祖父母の故郷のすぐ近くだ。彼は一機のB-26を仕留めたが、その直後、護衛のP-51に捉えられた」
「ジェット機の方が速いなら、逃げられたんじゃないのか?」
石川が尋ねると、ケリーは静かに首を振った。
「そこが空戦の妙です。ジェットは直線は速いが、小回りが利かない。旋回して離脱しようとした瞬間、速度が落ちた。そこを狙い撃たれたんだ。……ここまでは、よくある戦争中の物語。…だが、奇妙なのはその先なんだよ」
ケリーの瞳が、オシロスコープの青い光を反射して鋭く光る。
「P51が発射した機関銃の弾丸が何発かノイマン中尉の機体にあたり、被弾した機体は急激に高度を下げる。墜落は免れない。
でも、黒い煙の尾を引いて降下している最中に、周囲の目撃者達が沢山いる前で彼の機体は『霧の中に吸い込まれるように消えた』んだ。
霧の中にって言うのは、ノイマンの仲間で近くを飛んでいたドイツ軍のパイロットの証言なんだよ。でもね、興味深い事に、彼を撃墜したはずのP-51のパイロットまでもが、照準器の中にいたはずの機体が、瞬きをした瞬間に消失したと報告しているんだ。
さらにはさ、地上で上空の空戦を見ていた地元のドイツの人たちも、中尉の機体が消えたって言うんだよ。
そのあと、ドイツ軍がノイマン中尉を救援するためにやって来て、彼を探したんだけど見つからない。戦後、アメリカ軍も、彼の墜落したであろう場所を捜索したんだ。当時は未来の戦闘機だったME262の機体サンプルは沢山ほしいからね。
……でもその機体も、彼の遺体も、墜落の破片一つさえ、どれだけ捜索しても見つからなかったんだ。なので彼は戦死ではなく、今日の瞬間まで『戦闘中行方不明』のママなんだよ。」
室内がしんと静まり返った。
そして誠は自分の腕に鳥肌が立つのを感じた。
(2026年の渋谷……俺も、周囲の目にはそう見えたのだろうか)
「マコト。あなたが2026年からここへ現れた現象……。私は、特定の条件下で物理法則が『バイパス』される瞬間があるんじゃないかと睨んでいる。ノイマン中尉も、そしてあなたも、宇宙の処理能力を超えた『バグ』に触れたのかもしれない」
ケリーは愛おしそうにiPhone SEの筐体を撫でた。
「もし、ノイマン中尉が消えたロジックを解明できれば、それがあなたを元の時代に送り返すための、唯一の『滑走路』になる。我々は今、ただの機械を分解しているんじゃない。宇宙の深淵に隠された、帰還のためのゲートを探しているんだ」
そう言って窓の向こうを見つめたケリーだったが、次の瞬間、その大きな肩がわずかに震えた。
「……それでね。すごく残念でならないのは、ノイマン中尉が「戦闘中行方不明」のままと言う事なんだよね。」
ケリーの声が、湿り気を帯びる。
「彼にはね、婚約者がいた。そして愛する家族も。彼が行方不明になったのは4月24日。ドイツが降伏して戦争が終わったのは、そのわずか二週間後の5月7日だ。あと二週間……あと二週間生き延びていれば、彼は家族の元へ帰り、戦後の復興を生きられたかもしれないんだよ。彼が所属した第44戦闘団の面々は進軍してきたアメリカ軍に降伏して捕虜になったあと、家族のもとへ帰れた人達が沢山いるんだよ。」
ケリーの瞳には、同じドイツ人の血を引く者としての無念さと、一人の人間としての深い哀しみが宿っていた。
「誠、あなたにも愛する家族がいると聞いた。
……だからこのプロジェクト、絶対に成功させたいんだ。あんな悲劇を…」
ケリーが一瞬言葉に詰まる。
「あんな悲劇…そしてノイマン中尉の様な悲劇。これを二度と繰り返させたくない」
陽気なアメリカンジョークを飛ばすケリーの裏側に隠された、技術者としての、そして「異邦人の末裔」としての重い使命感。それが誠と石川の心に深く突き刺さった。
「……ああ、思いは一緒だな。ケリー。よろしく頼むぜ。」
石川がぶっきらぼうに、しかし信頼を込めてケリーの肩を叩く。
「ケリーさんありがとう。必ず帰ります!俺を待っている、家族のところへ」
誠の声が、静かな熱を伴ってラボに響いた。
窓の外、秋葉原の夜が深まっていく。三月の穏やかな風の中に、どこか遠い時代から届く残響が混ざっているような気がして、誠はポケットiPhoneを、壊れ物を扱うように強く握りしめた。




