表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1996.0渋谷のマッキントッシュ  作者: 代々木ノブ
select from SystemBank where FaxNo and…
13/15

2.5_赤坂の戦場と「預言者」の弾丸

 1996年1月29日、月曜日。

 大手商社の情報システム部が入るオフィスの喧騒の中、石川美雪はデスクで「武器」のメンテナンスに余念がなかった。正確には、キーボードを高速で叩きながら、脳内でメガデスの『Symphony of Destruction(破壊のシンフォニー)』のベースラインを猛烈な勢いで反芻していた。


(……政治、権力、操られる人形。まさにこの会社そのものね。お偉いさんたちがローテーションで回す役職、現場を知らない管理職、そして「若くて綺麗な女」を飾りとしか思っていない営業部隊。反吐が出るわ)


 美雪はふっと表情を消し、立ち上がった。ターゲットは、数歩先で部下の小松を捕まえて、売上予測についてガミガミと説教している山中課長だ。

 美雪は自分の「女」というスペックを、必要最小限の出力で、かつ最大効率で起動させた。


「山中課長、今ちょっとよろしいですか……?」


 山中が振り返る。美雪は、鏡の前で三秒練習した「少し心細げな、だが知的好奇心に溢れた後輩」の顔を作った。首をわずかに傾け、上目遣い。角度は、1990年代のトレンディドラマのヒロインが使う黄金角だ。


「先日お話しいただいた、システムバンクさんとの接待の件なんですけど……。やっぱり私、同席させていただいてもよろしいでしょうか? 一度お断りしておきながら、勝手なのは承知の上なんですけど……」

「えっ? 石川くん、あんなに嫌がってたじゃないか」


 山中の鼻の下が、わずか三ミリ伸びた。美雪はそれを見逃さない。


「はい。でも、やっぱり営業の皆さんが最前線で戦っている現場を、バックオフィスの人間として垣間見る機会ってなかなか無いので。……勉強させていただきたいんです。今からでも、滑り込めますか……?」


「お、おお! もちろんだとも。勉強熱心だねえ、石川くんは! 君のような華がある子がいてくれた方が、向こうの連中も喜ぶしな」

 山中は鼻息荒く、すぐ隣にいた小松を呼び止めた。

「おい小松! システムバンクの接待、一人追加だ。今すぐ店に連絡して、席を確保しろ。石川くんも『チーム』の一員として参加することになったぞ!」


「了解っす! いやあ石川さん、流石っすね。バックオフィスの皆さんも一緒のチームですから! 一丸となって勝利を掴み取りましょう!」

 小松が爽やかな、しかし中身が一切ない笑顔で親指を立てる。


(……チョロすぎ。この低脳どもが。相手はあの宗正憲の懐刀、宮川専務よ? こんなお花畑の営業部隊で、向こうのキリング・マシーン共を相手にできると思ってるわけ? ……いいわよ。私が『鋼鉄のアイアン・シールド』になってやるわ)


 美雪の脳内では、スレイヤーのデスメタルが爆音で鳴り響いていた。


——


 1月31日、水曜日。

 赤坂の高級料亭『千代田』の離れ。歴史を感じさせる重厚な梁の下、1996年の日本において最も鋭利な「知性」と「欲望」が、懐石料理を囲んで対峙していた。


 システムバンク側、四名。

 専務取締役・宮川健一。温厚な笑みを浮かべているが、その目は深海のサメのように冷たく、一切笑っていない。彼が一口箸を運ぶたびに、部屋の温度が一度下がるような錯覚を覚える。

 IT営業本部長・柿山忠司。ピンと伸びた背筋と鋭い眼光。スーツを着ていても隠せないその武人気質は、旧日本軍の若き将校を彷彿とさせた。だが、酒を注ぐ美雪に対しても「わざわざ恐縮です」と頭を下げる、隙のない紳士だ。

 事業推進部部長・綾川武志。甲高い声で早口に喋り、眼鏡の奥の瞳は常に何かの数字を計算しているようだ。彼が口を開くと、周囲の空気がデータ通信のパケットのように断片化される。

 そして、秘書の細川春音。美雪が思わず視線を外したくなるほど端正な容姿だが、その所作は静謐そのもの。ただ、美雪に対してだけ、猛獣が同種のメスに向けるような、微かな警戒と選別のオーラを纏っていた。


 対する商社側——。

 取締役の笠原は、数年前まで鋼鉄部や食料部を渡り歩いてきた「持ち回り」の取締役。部長の桑野は、一応関連会社の電機メーカーに出向していた経験を持つが、一昔前の「ハードウェア至上主義」で時が止まっている。山中と小松にいたっては、もはや「酒を運ぶだけのピエロ」だ。


「……それでね、桑野さん。これからのインターネットは単なる通信手段じゃない。TCP/IPの上で、すべての経済活動が再構築される『OS』になるんですよ」

 綾川が、まるでマシンガンの掃射のようにまくし立てる。

「ブラウザのNetscapeがその鍵を握る。Windows 95の普及によって、一般家庭にまでHTTPプロトコルが浸透する。このパラダイムシフトにおいて、御社のような伝統的な商社はどう付加価値を出すおつもりですか?」


「ネット……スケープ。ああ、あの網のマークのソフトね。いやあ、うちも最近、一部の部署で導入しましてね……」

 桑野が、冷や汗を拭きながら曖昧に笑う。

「でもまあ、結局は電話とファックスですよ。顔を合わせて握手する、それが商売の基本でして……」


「……」

 宮川専務の目が、ふっと冷たさを増した。彼は無言で酒を煽る。その沈黙は「貴様らとは話す価値がない」という宣告に等しかった。


 柿山本部長が追い打ちをかける。

「御社の現在の基幹システム、IBMのメインフレームですよね? ダウンサイジングやクライアントサーバーモデルへの移行については、どうお考えですか? これからは分散型のアーキテクチャでなければ、変化のスピードについていけない」


「ダウン……サイズ。いや、やはり安定性が一番ですから。大きな機械の方が安心感がありますし……」

 笠原取締役が、明後日の方向を向いて答える。


(……ああ、もう見てられないわ)

 美雪の脳内で、パンテラの『Cowboys from Hell』の重量級リフが炸裂した。

(このおじさんたち、パワーコードすら弾けないどころか、楽器の持ち方すら分かっていない素人ポーズね。システムバンクの連中は、すでにスラッシュメタルのスピードで世界を構築しようとしているのに!)


 美雪は、冷え切った空気の中に、そっと「ディストーション」を効かせた言葉を投げ込んだ。


「失礼いたします。柿山本部長のおっしゃる通り、弊社でも分散型への移行は喫緊の課題と認識しております。ただ、現状のISDN 64kbpsという帯域制限の中では、大規模なRDBMSの同期におけるレイテンシがボトルネックになります。システムバンクさんでは、この帯域不足をどのようなインフラ戦略で解消されるおつもりでしょうか?やはり、ATM(非同期転送モード)への先行投資ですか?」


 一瞬、座が静まり返った。

 綾川部長の箸が止まる。柿山が、初めて美雪を「女」としてではなく「一人のプレーヤー」として直視した。そして宮川のサメのような目が、わずかに細まり、好奇心の色が宿る。


「……ほう。石川さん、情シスでしたね。ATMの導入コストと、専用線敷設の政治的リスクまで見越しての発言ですか?」


「はい。TCP/IPは確かに美しいプロトコルですが、今の日本の電信電話環境では、まだ『荒野』を馬車で走るようなものです。……私たちが欲しいのは、その荒野に鋼鉄のレールを敷く、破壊的な情熱なんです」


 美雪の瞳に、メタラー特有の「狂気と論理」が混じり合った強い光が宿る。

 そこからの美雪は、まさに超高速のソロギターの乱舞だった。

 イントラネット、Javaのアプレット、セキュリティにおけるSSL暗号化の強度、さらにはSun ●icrosystemsの将来性まで。IT用語という名の高速リフを繰り出し、商社側の無知をプロの技術でフォローしつつ、システムバンク側の高度な要求に一歩も引かずに食らいついていく。


 その光景に、山中と小松は完全に置いてけぼりだった。

「……おい小松、石川くん、あんなに喋れるのか?」

「……わかんねっす。なんか、呪文唱えてるみたいっすね……」


 さらに、美雪は隣に座る秘書の細川春音に視線を向けた。彼女の持ち物に、微かな違和感を見つけていたのだ。細川の指先に、弦を抑える人間特有の「タコ」がある。

 そんな細川は、美雪の「独壇場」を、少し意外そうな、しかしどこか親近感の混じった目で見つめ返した。

 

「細川さん。……もしかして、楽器を嗜まれますか?」

 不意を突かれた細川が、初めて完璧な「秘書の仮面」を緩めた。

「……ええ。趣味程度ですが。ギターを少々。……なぜ、お分かりに?」


「指先のタコです。……Fコードの壁を乗り越えた、戦士の指ですから」

 美雪は、自分の指先を見せた。

「私もなんです。……夜な夜な、歪んだ音の中で魂を削っています」


「……!」

 細川春音の表情が、劇的に和らいだ。

「まさか。……あなたのような方が。私は学生時代、ブラック・サバスやディップ・パープルを。今は少し、リッチー・ブラックモアを研究しています」


「……ジューダス・プリーストは?」


「……『Painkiller』は、私のバイブルです」


 勝負あり、だった。

 脳内でジューダス・プリーストの『Electric Eye』が鳴り響く。

 細川との「音楽トーク」という名の共鳴レゾナンスを糸口に、美雪はシステムバンク側の警戒心を、美しいアルペジオで完全に解きほぐしていった。

 宮川は、楽しそうに美雪と細川の会話を聞き、ついには自分から「インターネットという名の新しい大陸の支配権」について、熱く語り始めたのだ。


 ライブが終わり、店の前。

 美雪の手元には、目標としていた四名の名刺が握られていた。それも、営業用の代表番号ではない。彼らが直通で使う「管理系・経営企画・システム戦略」直通のFAX番号が記された、特別な名刺だ。


「石川さん。……いや、美雪さん」

 宮川が足を止め、初めて、ほんの少しだけ「本物の、人間味のある笑み」を見せた。

「商社という巨大な組織の中に、あなたのような鋭利な『武器』が隠れているとは。今日は実に有意義だった。……正直に言えば、今すぐこの場で我が社に引き抜きたいくらいだ」


 思わぬ言葉に、背後で山中と小松が「えっ」と声を漏らす。宮川はそれを一瞥もせず、真っ直ぐに美雪の瞳を見つめて続けた。

「だが、誘うのはやめておこう。これからの日本のインターネットを発展させるためには、あなたが今の持ち場で、その力量を存分に発揮していただくことの方が、業界全体にとって重要な意味を持つ。……あなたが先陣を切って戦う背中を見せれば、必ず後人たちが育つ。それが巡り巡って、この国のIT力を底上げすることに繋がるのだから」


 それは、一介の社員に対する言葉というより、共に未来を創る「同志」へのエールだった。美雪は不意を突かれ、言葉を失う。

 宮川はそこでようやく、傍らで狼狽えている山中と笠原、桑野に視線を移した。その目は、先ほどまでの温かさを失い、冷徹な「経営者」のそれに変わっている。


「山中さん、笠原さん、桑野さん。……石川さんのような人は、宝だ。くれぐれも、大切にされることですよ。……これほど優秀な『武器』を、単なる組織の歯車や、接待の飾りとして下に見て扱うようなことがあれば……。そう遠くないうちに、あなた方は彼女に足元をすくわれることになる。いや、もうすでに、すくわれているのかもしれませんな」


 慇懃無礼なまでの皮肉に、山中たちの顔が引きつる。宮川は彼らの反応を楽しむかのように鼻で小さく笑うと、細川がドアを開けて待つ黒塗りの車に乗り込んだ。

 柿山、綾川、細川も、美雪に対してだけはっきりとした敬意を込めた一礼を残し、静かに夜の赤坂へと去っていった。


 残されたのは、冷たい冬の夜気と、宮川の言葉のトゲに突き刺されたまま硬直している商社マンたち。そして、手に残った四枚の名刺の重みを感じながら、勝利の凱歌を脳内で鳴らし始める美雪だけだった。


 暫く、商社マンたちの間に沈黙が続く。商社マンたちも緊張していたのだ。それが紗最後に宮川からの発言でさらに固まっていた。が、その緊張感が解けると、


「いやあ、石川くん! 君は我が社の宝だよ! 大殊勲だ! よし、このまま銀座に繰り出そう! 今日の功労者に、最高級のシャンパンを奢らせてくれ!」

 興奮して顔を真っ赤にした山中が、美雪の肩を抱こうと手を伸ばす。


 その瞬間、美雪のバッグの中でPHSが鳴った。

 秒単位で計算された、石川との「脱出用緊急アラート」だ。


「……あ、申し訳ありません。父からです。……はい、お父さん!? えっ、お店でトラブル!? メインサーバーが火を噴いた!? ……お客様のデータが消失の危機!?」


 美雪は、受話器越しに聞こえる父・石川の「おい、いいか、適当に怒鳴るぞ。あー、コラ! 燃えてるぞ!」という棒読みの熱演を聞きながら、悲痛な表情を作った。


「すみません、山中課長! 実家の店がパニック状態で、私が行かないと収まりがつかないんです! ……せっかくのお誘いですが、今日はこれで失礼します!」


「えっ、ええっ!? 石川くん、ちょっと待……」


 美雪は、呆然とする上司たちを赤坂の路上に置き去りにし、通りかかったタクシーに飛び乗った。


「運転手さん、秋葉原へ! スピード違反にならないギリギリの速度で飛ばして!」


 タクシーのシートに背中を預けた瞬間、美雪は重い溜息とともに、きつく締めていたブラウスの第一ボタンを外した。


(……名刺獲得、成功。……あのおじさんたち、今頃銀座で『石川くんは最高だ』なんて言いながら、結局何も理解していない酒を飲んでるんでしょうね)


 美雪は、手の中の四枚の名刺を眺めた。

 宮川、柿山、綾川、細川。システムバンクという精強な龍の、心臓に繋がる血管のリストだ。


——


 深夜の静寂に包まれた『石川無線』。シャッターを潜ると、そこには誠、石川、そしてあずさが、緊張した面持ちで待っていた。

 中央のデスクには、誠が数時間をかけて書き上げた「怪文書」——いや、この時代の運命を決定づける「預言状」が置かれている。


「……美雪さん。どうでした?」

 誠の問いに、美雪は黙って四枚の名刺をデスクに叩きつけた。


「宮川専務、細川秘書。……全員の『直通』を獲ったわ。……誠さん、あなたの言う通りだった。向こうは、飢えた狼のような目をしてた。未来を、喉から手が出るほど欲しがっている目よ」


 誠は頷き、美雪が持ち帰った名刺の番号を、ブラザー製の古いFAX機に入力した。

 原稿をセットする。 そこには、1996年の人間が見れば狂人の誇大妄想にしか見えない、しかし未来を知る者だけが書ける「絶対的なファクト」が記されていた。


【至急・親展:システムバンク宗正憲社長殿】


私は2026年から来た、あなたの部下の一人である。 あなたが今、アメリカのWahooに賭けている情熱は正しい。だが、それはこれから始まる「インターネットという地殻変動」の、ほんの数ミリの予兆に過ぎない。


私が狂人か、あるいは真実の預言者か。それを判断する材料を差し上げる。明日、2月1日のドル円相場を、午前九時の始値から午後三時の終値まで、一分単位で注視されたい。


九時始値:106.12円 十一時十五分:105.45円(急激な円買い介入が入る) 十五時終値:107.20円


一分一秒の狂いもなく、明日の市場は私の言葉通りに動く。 これが的中したなら、2月2日午前十時、箱崎ロイヤルパークホテルのロビーで私を待て。 人類が数十年かけて到達する「答え」そのものを、あなたに手渡そう。


連絡先は:03-XXXX-XXXX(石川無線直通)


追伸:警察に通報しても構わない。だが、その一通の通報で、あなたは世界を支配する唯一の鍵を失うことになる。


 誠が送信ボタンを押した。

 ウィーン、というFAX特有の電子音が、静まり返った事務所に響く。

 それは、歴史という名の巨大な壁に、未来から放たれた最初の「歪み」を刻み込む音だった。


「……送ったわね、お兄さん、いよいよか」

 あずさが、息を呑んで見つめる。


「ああ。……あとは、明日。……世界が、この言葉通りに動くのを待つだけだ」


 誠の横顔は、2026年のエリート部長のそれではなく、たった一人で世界を相手に回す、鋼鉄の意志を持った「預言者」の顔になっていた。

 美雪は、その横顔をじっと見つめ、脳内でジューダス・プリーストの『The Sentinel(監視者)』を鳴らした。


(……見届けさせてもらうわよ、誠さん。あなたが、『あなたの未来』にどうやってたどり着くかを。)


 1月31日、深夜。

 秋葉原から放たれた「預言」という名の弾丸は、電話回線を伝わり、システムバンク本社へと着弾した。

 運命の日、2月1日まで。残り、九時間。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ