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1996.0渋谷のマッキントッシュ  作者: 代々木ノブ
select from SystemBank where FaxNo and…
12/16

2.4_赤提灯の「聖飢魔II」と結婚指輪

 「よし、交渉成立だな。……じゃあ誠、美雪、今日はもう解散だ。……と言いたいところだが、腹が減ったな。あずさも、今日は一日付き合わせたし、秋葉の美味い赤提灯でも行くか」


 「やったー! おじさん、ご馳走してくれるの!? 超ラッキー!」

 あずさが無邪気に跳ねる。美雪もまた、少しだけ頬を緩めた。


——————


 1996年1月27日、土曜日の夜。

 秋葉原の空気は、昼間の電子部品の匂いから、煮込みと安酒の匂いへと一変していた。ガード下の居酒屋『赤提灯・大ちゃん』。ガタガタと震える引き戸を開けると、タバコの煙と酔客の怒鳴り声、そしてラジオから流れる中森明菜が混じり合う、まさに「平成初期の混沌カオス」が広がっていた。


「おい誠、遠慮すんな! ここのモツ煮はアキバ一だ。食わねえと損するぞ!」


 石川が、まだ不慣れそうにホッピーのジョッキを握る誠の背中を、バシバシと力任せに叩く。誠は苦笑しながら、その野太いもてなしを受け入れていた。


「いただきます、石川さん。……このホッピー、なんだかアルコールが尖っている気がしますね」


「何言ってやがる、酒なんてのは酔えりゃいいんだよ!」


 石川の向かいには、ミニスカの胡坐の上にマフラーを敷いて焼き鳥を頬張るあずさ。そして——先ほどまでの「戦闘モード」を解きつつも、どこか殺気を孕んだ美雪が座っていた。


 美雪の脳内では、現在、スレイヤーの『Angel of Death』が猛烈なBGMとして鳴り響いていた。


(……何よ、この状況。お父さんとコギャルと、未来から来たとかいう謎のイケメン。私の人生、今日一日で情報過多すぎてヘッドバンギングが止まらないわ)


 美雪はジョッキを煽り、喉を焼くビールの苦みとともに、目の前の男——上條誠を観察した。

 やはり、おかしい。

 この男の放つオーラは、今の秋葉原の「油っぽさ」や、商社の「権力臭」とは無縁の、極めて現代的な……いや、未来的な洗練を纏っている。シャツの袖を捲り上げたその腕は、父が言っていた通り、しっかりと鍛え抜かれていた。


(……理屈が通って、無駄に威張らなくて、おまけにあのExcelさばき。……メタルゴッド、もしこれが運命の出会いなら、私はこのヤマ、死ぬ気で獲りにいくわよ)


 美雪の頬が、アルコールのせいだけではなく、微かに熱を帯びていた。


「さて、美雪。……お前が言う『小松』って営業を通じて、どうやって宗正憲に繋ぐつもりだ?」


 石川が串を置き、エンジニアの目に切り替わる。

 美雪は思考を「恋するヘビメタ女子」から「商社の情報システム部員」へと強引にシフトさせた。脳内のプレイリストをメガデスの『Hangar 18』に切り替える。冷徹な分析が必要な時の曲だ。


「来週の水曜日、赤坂の料亭で接待があるわ。うちの山中課長がセットしたやつ。相手は確かシステムバンクの取締役と、その取り巻き。営業担当の小松も、当然末席に潜り込んでくるはず」


「幹部クラス…。宗さんは参加されないんですね。」


 誠の問いに、美雪は首を振った。


「いきなりトップは無理よ。でも、その役員は宗さんの懐刀って言われてる。……誠さん、あずさ。よく聞いて。今回の私の目標ターゲットは、彼らと『名刺交換』をすること。それだけ」


「えー、名刺だけ? それだけでいいの? もっとこう、色仕掛けとかで電話番号ゲットするとかじゃなくて?」

 あずさがケラケラと笑う。美雪はそれを氷のような視線で射抜いた。


「そんな安い手は使わないわ。それに、相手はプロよ。営業担当の電話番号なんて、フィルターがかかりすぎててゴミ箱行きがオチ。私が欲しいのは、営業じゃなくて『管理系』、それも『経営企画』や『システム戦略』に近い部署の、直通のファックス番号よ」


 誠が感心したように頷く。

「なるほど……。営業ルートだと『何かを売り込まれる』と警戒されますが、管理・戦略部門なら、未知の情報に対しての感度が違う」


「その通り。……誠さん、あなたがさっき言った『預言状』。これを、接待の翌朝一番に、私が手に入れた直通ファックスに送りつける。差出人不明の『12時間後の為替予測』としてね。……今の時代、ファックスは最強のビジネスツールよ。メールなんて、まだ一部のオタクか研究者しか見てないんだから」


 美雪の瞳に、獲物を狙うハヤブサのような光が宿る。


「接待の席で、私は『デキる情シス』を演じ切るわ。酒を注ぎ、話を聞き、彼らに『この娘は自分たちのビジネスを理解している』と誤認させる。そして、別れ際にさりげなく、ターゲットから名刺を奪い取る。……あずさ、これが大人の『ナンパ』よ」


「マジ、美雪さん超カッケー! ミニスカにブーツ履かせてギャルにしたいわ!」


「断るわ。私の魂は革ジャンとスタッズにあるの」


 誠は、その美雪のプロ意識に敬意を覚えた。同時に、2026年で自分が部下たちに叩き込んでいた「ターゲット・アプローチ」の論理を、1996年の若き女性が体現していることに、不思議な縁を感じていた。


「しかし誠、お前も大変だな」

 石川が、ふと真面目な顔をして誠を見た。

「1996年に放り出されて、頼れる奴もいねえ。飯は不味くねえか?うちのカミさんの弁当、口に合ってるか?」


「いえ、本当に感謝しています。紀子さんの作る卵焼き、2026年で……家族が作ってくれていた味に似ていて、なんだかホッとするんです」


 家族。

 その言葉に、美雪のグラスを持つ手がわずかに止まった。脳内のBGMが、一瞬だけアイアン・メイデンのバラード系へと揺らぐ。


「家族……。誠さん、向こうの……2026年の世界には、ご家族がいらっしゃるんですか?」


 美雪は努めて冷静に、あくまで世間話の延長として尋ねた。だが、その内面では、メタリカの『For Whom the Bell Tolls(誰がために鐘は鳴る)』が、不吉な予感とともに鳴り響き始めていた。


 誠は、遠くを見るような、しかし温かい眼差しで頷いた。


「はい。妻と、それから小学校に上がる直前の娘がいます」


 ドゴォォォォォォン!!


 美雪の脳内で、巨大なアンプが爆発したような音がした。

 スレイヤー? パンテラ? いや、そんな生易しいものじゃない。それは、全盛期の聖飢魔IIが閣下の咆哮とともに現世を滅ぼすレベルの衝撃だった。


「……え、ええっ!? お兄さん、結婚……してたの!? てか、娘さんまで!?」

 あずさが、美雪が叫びたかった言葉をそのまま代弁してくれた。


「あ、ああ。言ってなかったかな? 俺は今年で……あ、今のこっちの年齢で言えば16歳だけど、2026年は45歳だから、結婚15年目かな。ちょっとややこしいね」

誠がやや恥ずかしそうに話す。


「よん、よんじゅうご……」  


 美雪は、石化ストーン・コールドした。

 見た目は30代半ばの、シュッとしたイケメン。筋肉質で、清潔感があって、仕事ができて、自分を対等なプロとして見てくれる。そんな「理想のメタル・パートナー候補」が、まさかの——一回り以上年上で自分の父と変わらない年頃。さらに妻子持ち。


(……断罪。これぞまさに、マスター・オブ・パペッツ。私は運命という名の操り人形だったってわけね……)


 石川がニヤニヤしながら、固まっている娘を横目で見た。

「なんだ美雪、お前、誠が独身だと思ってたのか?バカ言え。こんな仕事ができる男を、女が放っておくわけねえだろ。なあ、誠?」


「いや、石川さん。そんなことは……」

 誠は少し困ったように笑い、ズボンのポケットに手を入れた。


「そういえば。石川さんの事務所で作業をしている時は、外していたんですが」


 誠が取り出したのは、小さな、しかし確かな輝きを放つプラチナのリングだった。


「これをつけたままでPCの筐体を開ける作業すると、色々な所を傷をつけちゃいそうだったので。作業中は外してました。……失くさないように気をつけないとですね、妻に怒られてしまいますから」


 誠は、愛おしそうにその指輪を見つめると、左手の薬指に滑り込ませた。

 1996年の、安っぽい赤提灯の電球の下で、その指輪は美雪にとって「絶望の光」として輝いた。


(……ああ。終わったわ。私の1996年の春が、立春を待たずに終わったわ……)


 美雪の脳内BGMは、もはやスレイヤーですらなくなった。

 ブラック・サバスの『Solitude』。深い孤独。漆黒の絶望。あるいは、メガデスの『Fade to Black』。すべてが黒く塗りつぶされていく。


「……ま、そうよね。こんなに仕事ができて、落ち着いてる人が、フリーなわけないわよね。はは……あはははは!」


 美雪は、ヤケクソのように残りのビールを流し込んだ。


「お姉さん、マジでウケるんだけど! 顔色が変わってるんですけど!」

 あずさが腹を抱えて笑っている。


「うるさいわね、あずさ! 私は……私はただ、このプロジェクトの成功率が、誠さんの家庭への執着心によってさらに強固になったことを、戦略的に喜んでいるだけよ!」


「お、おう。美雪、お前……なんか急に気合が入ったな」

 石川が呆れたように言う。


「当たり前でしょ! さっさと誠さんを2026年に帰さないと、奥さんと娘さんが可哀想じゃない! 不倫はメタルの教義に反するのよ! ……あ、不倫じゃないわね、まだ何も始まってないんだから。……とにかく! 来週の接待、死ぬ気で名刺を分捕ってくるわ!」


 美雪は、空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。


————


 赤提灯を出た四人の上に、1996年の乾いた冬の空が広がっていた。

 秋葉原の喧騒は少しだけ落ち着き、遠くで始発を待つ人々の足音が響いている。


「誠さん。一つだけ、約束して」

 美雪が、少し赤くなった顔で、誠を真っ直ぐに見据えた。


「何でしょうか、美雪さん」


「2026年に帰ったら、その奥さんと娘さんを、死ぬほど大切にするのよ。……私が、人生で一番『惜しい』と思った男を、未来に送り返すんだから。……いい?」


 誠は、美雪の瞳の奥にある、強がりと、それを上回るプロフェッショナルな誠実さを感じ取った。


「……約束します。必ず帰って、家族を幸せにします」


「……よし。合格」

 美雪は背を向け、あずさを引き連れて、駅の方へと歩き出した。


(……さあ、ここからは『ビジネス』の時間よ。脳内BGM、セット……。パテラ、の『Cowboys from Hell』! 地獄からのカウボーイたちが、システムバンクを地獄に突き落としてやるわ!)


 美雪の背中は、先ほどまでの「失恋した女」のそれではなく、完全に「商社の女スパイ」のそれに戻っていた。


 石川が、横で誠の肩を叩いた。

「……おい誠。うちの美雪、ありゃあいい女だろ?」


「はい。本当に、石川さんの最高傑作ぶきだと思います」


「……だろ? あいつが本気になった時の突破力は、俺譲りだ。……期待してろ。来週の水曜日、お前の『預言状』は、間違いなく日本の未来を変える男のデスクに届くぜ」


 1996年1月27日。

 秋葉原の夜は、一人の男の帰還への決意と、一人の女性の(少しだけ悲しい)覚醒を飲み込んで、深まっていった。

 ――作戦決行まで、あと4日。

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