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1996.0渋谷のマッキントッシュ  作者: 代々木ノブ
select from SystemBank where FaxNo and…
11/15

2.3_from 恵比寿 to 秋葉原

 1996年1月27日、土曜日。

 恵比寿ガーデンプレイスを望むカジュアルなカフェで、石川美雪は遅めのランチを楽しんでいた。

お気に入りのセレクトショップで春物のアンサンブルを新調した後、自分へのご褒美として注文したボロネーゼ。

 窓際の席には、冬の柔らかな日差しがテーブルを白く焼き、ボロネーゼの湯気が穏やかに立ち上る。

だが、石川美雪の耳を塞ぐヘッドフォンから流れているのは、そんな優雅な光景を真っ向から否定する爆音——メタリカの『Master of Puppets』だった。


――私は、装飾かざりじゃない。武器だ。


(……この地を這うような重厚なリフ。これこそが私の精神安定剤ね。)


 筋金入りのヘヴィメタル信者である美雪にとって、大手商社の情報システム部という、一分の隙も許されない論理と政治の戦場で戦い抜くには、この「魂の咆哮」が必要不可欠だった。


 パスタをフォークに巻き、口に運ぼうとしたその瞬間、バッグの中のPHSが激しく震えた。


「……誰よ、このサビのいいところで」


 舌打ちしながら取り出すと、液晶には『 Papa Maiden』(つまり父親)の文字。

「もしもし、お父さん? 今、食事中なんだけど……」

『美雪か! いいから今すぐ秋葉原に来い。とんでもねえモンを見せてやる』

「はあ? とんでもないものって何よ。また古いマッキントッシュの珍しいパーツでも掘り当てたの?」

『……説明してる暇はねえ。お前の人生がひっくり返るぞ。いいから、四の五の言わずに来い。いいな!』


 一方的に切れた通話。

 美雪は食べかけのパスタを見つめ、深くため息をついた。

 父は数年前、誰もが羨む大手電機メーカーの椅子を捨て、秋葉原でPCのパーツショップを始めた。

 母の紀子からは「お父さんもやりたいことが見つかったみたい」と聞いているし、正月、小金井の実家で顔を合わせた際も、事業はそれなりに回っているようだった。  だが、メーカー時代の研ぎ澄まされた雰囲気は消え、最近の父はどこかだらしなくなったようにも見えていた。


(……嫌な予感がする。)


 父は根っからのエンジニア。だが、その情の厚さと、技術への過剰なまでの信頼が仇になることがある。

 最近、母から聞いた話が脳裏をよぎる。

――「店で、事業に失敗したとかいう若い男の面倒を見てるのよ」


 もしや、その男に口車に乗せられて、妙な投資話や怪しい事業計画に加担させられているのではないか?技術はあっても、百戦錬磨の詐欺師に狙われれば、あの父などひとたまりもないだろう。


(……もし父が騙されているのなら、私が救援してやらなきゃ。石川家の「武器」として、その役割を果たす時が来た。で、詐欺師をメタルゴッドの審判にかけてやる必要がある!)


 美雪は残りのパスタを猛スピードで胃に流し込み、伝票をひっつかんで席を立った。


――


 秋葉原駅を降りた瞬間、美雪の脳内BGMはレッド・ツェッペリンの『移民の歌』へと切り替わった。


 ――アァ、アアァァア!!


 ロバート・プラントの咆哮に合わせ、美雪の歩幅が広がる。

 コートの裾を翻し、戦場へ向かうヴァイキング女戦士の足取りだ。


 父の店「電脳救急箱・石川無線」のシャッターを半分潜り、事務所のドアを勢いよく開けた。


「お父さん、入るわよ!」


 事務所のドアを開けた瞬間、美雪の視線は鋭く部屋を走査した。


 第一印象は――「最悪」。


 まず目に飛び込んできたのは、部屋の隅でガムを噛んでいるコギャルだ。ミニスカに厚底ブーツ、茶髪、派手なベレー帽。ここは秋葉原のショップであって、渋谷のセンター街ではない。

 そして、その隣に座る男。

 清潔感はあるが、どこかこの時代から浮いたような服装をしている。特に、足元の白いスニーカー。汚れ一つないその質感は、秋葉原には似つかわしくない。

 美雪の脳内の「警戒アラート」が最大音量で鳴り響く。


(……ビンゴね。この男が詐欺師。で、隣の子は、お父さんみたいな年配のエンジニアを骨抜きにするための『色気担当』ってわけね。)


 父の懐に入り込み、技術への情熱を利用して金を巻き上げる。美雪の脳内では、すでに完ぺきな犯罪プロットが出来上がっていた。


「美雪、来たか」

 父がやけに落ち着いた声で言う。

 それが余計に恐ろしかった。マインドコントロールでもされているのではないか。


「お父さん。変な電話で呼び出さないでって言ったでしょ。で、この人たちは誰? 母さんから聞いたわよ。店に居候させてる人がいるって」


 男が立ち上がり、丁寧に一礼した。

「初めまして、石川美雪さん。上條誠と・・・・」


「挨拶はいいわ!単刀直入に聞くけど、お父さんにどんな事業を吹き込んだの? 先に言っておくけど、私は商社でITの最前線を見てる。素人を騙せても、私は騙せないわよ!」


 美雪は一歩前に踏み出し、冷徹な視線で男を射抜いた。

 あまりに直球な宣戦布告に、誠は唖然として固まった。「商談前の挨拶」すら拒否された状態だ。


 そこに、横からあずさがケラケラと笑いながら口を挟んだ。

「あはは! やっぱそういう反応になるよねえ~。私だってお父さんがこんな状況だったら、マジで怪しむわあ。超ウケる、お姉さん最強」


「……どういうことだ?」

 美雪は一瞬、混乱した。詐欺師の仲間にしては、随分と客観的で緊張感のない発言だ。


「……石川さんから伺っていた通り、優秀で、警戒心の強い方のようだ」

 誠がようやく正気を取り戻し、石川を見た。

「……始めましょうか」


 その声は、驚くほど誠実で、落ち着いていた。


(……何よ、この丁寧な挨拶。誠実すぎて逆に怪しいわ。こういう奴ほど、内側には黒い野心を隠してるのよ)


 美雪の観察眼が、男の細部を捉える。

 上條誠。

 年の頃30前半~中盤だろうか。(美雪にはそう見えた)

 白のスニーカーに清潔感のある格好をしているが、何よりその体格が異質だ。

 シャツ越しでもわかる、がっしりとした肩幅と、引き締まった胸板。

 この時代の同年代のサラリーマンにありがちな「だらしない腹」は一ミリも出ていない。


(……ちょっと。この人、カッコいいっていうか……。いや、惑わされるな美雪! メタルを思い出せ!)


 石川が、

「美雪、まずはこれを見ろ。話はそれからだ」


 誠がiPhone 15 Proを取り出し、

 画面に触れた瞬間、バックライトなどというレベルではない、自発光の鮮やかな色彩が美雪の視界を焼いた。


「なっ……!?」

 美雪の目が釘付けになった。それは、どのメーカーのカタログにも載っていない、異質な存在感を放っていた。


「……何、これ。鏡?小さいテレビ?にしては液晶が大きすぎるし、ボタンが一つもないじゃない」


「iPhone 15 Pro、と言います」

 誠が指先で画面をなぞる。

 暗闇だった板に鮮やかな色彩が灯った。アイコンが並び、美雪がかつて見たこともないほど高精細な画像が滑らかに動く。


「っ!?」

 美雪は思わず身を乗り出した。

「何この解像度……液晶よね?これ、発光ダイオード? それとも……それに、このスクロールの速さ。どんなCPUを積めば、こんなVRAMの処理ができるのよ」


 商社の情シスとして、最新マシンのスペックは頭に入っている。だが、目の前の物体は、そのどれとも比較にならない次元にいた。しかし、驚愕の次に来たのは、さらなる深い疑惑だった。


「……わかったわ。これ、高度な『特撮用』のモックアップか何かね?中にレーザーディスクのプレイヤーか何かを仕込んで、録画した映像を流してるだけでしょ。アメリカ辺りのベンチャーが投資詐欺用に作ったサンプルか何かを、どこからか手に入れてきたのね」


 美雪の追求に、誠は否定も肯定もせず、ただ次の「道具」を手に取った。

 カウンターに置いてあったマグネシウム合金のような質感の、シルバーの板。

 それを本を開く様に展開すると、見たこともないほど薄く、洗練されたノートパソコンの姿になった。


 美雪の目が、その筐体を鋭く分析する。


(……何このパソコン。キーボードにテンキーがない? それに、薄い??あの電源スイッチも何もないスマートすぎるデザイン……。IBMのThinkPadとも、AppleのPowerBookとも全く違う、金属メタルの塊みたいな質感……)


 誠が電源マークを押したその瞬間だった。

 起動音もなく、液晶画面が鮮やかに点灯した。1996年のPC環境では、電源を入れてからWindowsのロゴが出るまで、数分は待たされるのが当たり前だ。それが一秒もかからずに「使える状態」になった。

そして…


「……はあ!? 今、何をしたの?」

「顔認証、と言います」


 誠が画面を覗き込むと、画面上の鍵マークが勝手に外れ、デスクトップが表示された。

「赤外線カメラで私を特定し、ログインしました。パスワード入力は不要です」


「顔認証……?」

 美雪は息を呑んだ。まるでSF映画の世界だ。

 誠は続けて、デスクの上に小さな黒い物体を置いた。底面が青白く光る、コードのないマウス。


(……待って、あのマウス。コードがないだけじゃない……ボールがない!?)


 美雪は、先日上司の山中課長のために掃除してやった、あの埃まみれのボールマウスを思い出した。あの不快な引っ掛かりも、ゴロゴロという音もない。


「Bluetooth接続の光学式マウスです。センサーで動きを読み取るので、掃除の必要もありません」

 誠の指先が、滑らかに画面を操っていく。

「Surface Laptop、と言います。お疑いなら、私の『仕事の進め方』を見て判断してください」


 誠が立ち上げたソフトは、PowerPointに似ていたが、描画速度と美しさが異次元だった。 『AS-IS(現状)』『TO-BE(理想)』『ボトルネック(問題)』『論点』。ビジネスのフレームワークを完璧に使いこなし、誠は淡々と、しかし情熱を込めてプロジェクトの概要を描き出していく。


(・・・!!未来に帰る? 2026年?? iPhoneの解析??こいつは何を書いている??)


 美雪は盗み見るように観察した。荒唐無稽なことを打ち込んではいるがその横顔は真剣だ。

 誠実すぎる丁寧な言葉遣い。理路整然とした説明。そして、自分を「武器」として扱おうとする対等な姿勢。


(……できれば、話が通じる男がいい。理屈が分かって、無駄に威張らなくて。……できれば、少しは格好良いと、なおいい)


 美雪が常日頃から、商社の接待ゴルフや飲み会で出会う「威張り散らすだけの昭和のオヤジたち」に抱いていた理想のアンチテーゼ。それが今、目の前に座っている。 誠実すぎる丁寧な言葉遣い。理路整然とした説明。


(……ちょっと待って。私、何を感心してるのよ。メタル脳で考えなさい、メタル脳で!)

 美雪は首を振り、再び冷徹な「情シス部員」に戻った。


「スペック、見せなさい。書き換えができる表示じゃなくて、システムの深部を!」  美雪の要求に、誠は黙って詳細画面を開いた。

『実装 RAM:32.0 GB』 『プロセッサ:Intel Core Ultra 7 155H 2.25 GHz』


「…………」


 美雪は絶句した。

「32……『ギガ』? メガの間違いじゃなくて?」

「いえ、ギガです」

「嘘よ。今どきワークステーションの最高峰だって32メガよ。1000倍の容量なんて、物理的にこのサイズに収まるわけがないわ。こうやって高度な詐欺ツールを作って、アメリカあたりの悪いベンチャーがお父さんを騙そうとしてるんじゃないの?」


 美雪の疑心は、もはや「技術的常識」に裏打ちされていた。32GBという数字は、1996年の人間にとって、宇宙の果てを語られるようなものだ。


「美雪さん。このスペックが本当かどうか、『結果』で証明させてください」


 誠はSurfaceのタスクバーにある、見慣れた緑色のアイコンをクリックした。


「……Excelエクセル?」

 美雪が身を乗り出す。1996年現在の最新版である「Excel 7.0」とは、アイコンの形状も、立ち上がった画面の洗練度も全く違う。リボンインターフェースと呼ばれる機能群や、目に優しいダークモードの配色は、彼女の知る「表計算ソフト」の概念を軽々と飛び越えていた。だが、その鮮やかな緑の基調と、整然と並ぶグリッド線だけは、それが間違いなくExcelの正当な進化系であることを雄弁に物語っていた。


「ここに、私がローカル保存していた過去三十年間の為替、株価、経済指標の生データがあります」

誠が『ドル円_ヒストリカル』というファイルを開く。

「総行数は約三十万行。ファイル容量は約6MBです」


「……三十万行? 6MBを、その薄さで開くっていうの?」

 美雪の論理脳が、即座に拒絶反応を示した。

 1996年の標準的なPCで6MBのExcelファイルを開こうものなら、ハードディスクが「ガリガリ」と断末魔のような音を立て、数分間は砂時計カーソルを見つめる羽目になる。最悪の場合、メモリ不足でシステムごと沈む(クラッシュする)のがオチだ。


 だが、誠はマウスを一回クリックしただけで、瞬時に巨大な表を展開してみせた。

「信じられないなら、一番下まで見てください」

 誠が左手の指先で、流れるようにショートカットキー——[Ctrl]+[↓]を叩いた。  シュン、という微かな駆動音さえなく、画面が一瞬で最下層へとジャンプする。


「なっ……!?」

 美雪の目が、左端の行番号に釘付けになった。

『304,120』行。

 表は「日付と時刻」「通貨ペア」「為替レート」の三列で構成されていた。

 美雪は反射的に、バッグのポケットから愛用のカシオの関数電卓を取り出した。


「……一、十、百、千……。一行あたり、日付とレートで約20バイト。

 それにヘッダー情報を加えて……三十万行……」

 計算機を叩く美雪の指が、かすかに震える。

「……計算上は、確かに6MB前後になるわ。でも……嘘でしょ。この情報量を、メモリ上で完全に制御してるっていうの? 検索もソートも、一瞬で?」


「ええ。私のいた世界では、この程度のデータ量は『端数』に過ぎません」

 誠のその言葉は、決して自慢ではなかった。

 ただの事実として、誠実に、そして静かに告げられた。


 そして誠は範囲を指定しピボットテーブルを動かす。

 生成した表を基にグラフを描画した。ここまでものの数秒。

 画面には、1996年から2025年までの円ドル為替の推移が、美しい線グラフとなって瞬時に描き出された。


「……っ!!」

 美雪は椅子から転げ落ちそうになる。

 ありえない。三十万行の集計とグラフ化を、一瞬で行う処理能力。


 計算機を握りしめたまま、美雪は茫然とシルバーの板を見つめる。

 三十万行のデータ。それは1996年の人間にとっては、巨大なメインフレームで扱うような「ビッグデータ」だ。それを、この清潔感のある、少し格好の良い男は、まるで手帳をめくるような軽やかさで扱っている。


(理屈が通っていて、無駄に威張らない。……そして、この圧倒的な『未来』を、私に共有してくれている……)


 美雪の脳内で、アイアン・メイデンの『Caught Somewhere in Time』が、今度は壮大なオーケストラを伴って鳴り響いた。

 警戒心という防壁は、今や完全に崩れ去っていた。代わりに、この「上條誠」という謎めいた、しかし頼りがいのある男性に対する、名付けようのない高揚感が、美雪の胸の奥で小さく火を灯した。


 暫しの沈黙を置いて、

「……信じる……しかないわね‥‥。」

 美雪は、ようやく肩の力を抜いた。  

「……「とんでもないもの」の意味と上條さんがどんな人かも。さっきパワポに描いたプロジェクトが全てね。」

(お父さんは、騙されてたんじゃない。……このプロジェクトの戦士だったのね)

「協力する。私は私の『武器』を全部使って上條さんを助ける。」


 娘を見守っていた石川が満足げにタバコを灰皿に押し付けた

「話が早くて助かるぜ、美雪」

「でだ。美雪、お前の商社のツテを使って、システムバンクの宗正憲に繋げねえか。誠を未来に帰すには、あいつの金と決断力が要る」


「宗正憲……」

 美雪は考え込んだ。誠を見つめる視線に、先ほどまでの警戒心ではなく、少しだけ熱を帯びた「期待」が混じり始める。


「……策ならあるわ。同じフロアの営業部にシステムバンク系の営業がいる。名前は小松新次郎。彼なら、、」

 さらに、美雪はつづける

「その上司の課長が言ってたわ。来週、接待があるって。相手はシステムバンクの幹部クラスみたい。私が『武器』として潜り込んで、名刺交換くらいはできるかも。……でも、繋がったとしても正攻法で『未来の機械を見せたいので社長に会わせろ』なんて言った瞬間、頭の狂った営業だって思われて、うちの会社まで出入り禁止よ。もっと、向こうの心臓を直接握るような『何か』がないと……」


 一同、うーん、と話が止まる。


 あずさが冗談めかして言った。

「じゃあさ、営業FAXで怪文書でも送る? 『あなたの未来、教えます』的な」


 その瞬間、誠の目が鋭く光った。美雪は、その知的な眼差しに、不覚にも少しドキッとした。


「……怪文書ではなく、『預言状』にしましょう」


 4回表

 さて、試合の主導権が握れるかどうか。

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