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1996.0渋谷のマッキントッシュ  作者: 代々木ノブ
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10/15

2.2_オーパーツの脈動と福岡の男

1996年1月24日、水曜日。

秋葉原の空気は、2026年のそれよりも重く、えた油とハンダの匂いが混じり合っていた。

上條誠は、石川が営む「電脳救急箱・石川無線」の事務所の仮眠室で三度目の朝を迎えた。窓の外では、まだ薄暗い街を始発の総武線が走り抜けていく。


「……まだ、ここにいるんだな」


誠はコートのポケットからiPhone 15 Proを取り出した。

電波は「圏外」。だが、画面上部の時計は正確に午前6時30分を指している。


この三日間、誠は石川の店番を手伝いながら、文字通り「1996年の住人」としての仮面を被って過ごした。石川の勧めで、日中は修理に持ち込まれるパソコンの筐体を開けたり、山積みになったジャンクパーツの整理に追われた。

2026年では「部長」として数字と論理を操っていた指先が、今はすすとグリスで黒ずんでいる。


風呂は歩いて数分の場所にある古い銭湯。洗濯はコインランドリー。石川から「当座の生活費だ」と渡された数枚の福沢諭吉(1万円札)を使い、誠は昭和の残り香が漂う東京の路地裏に身を潜めた。


唯一、誠の心を揺さぶったのは、石川が毎日持たせてくれる弁当だった。

「嫁さんにゃ、わけあって若い男を雇うことになったって言ってある。事業に失敗して路頭に迷ってたところを拾った、とな。食事くらいは面倒見てやりたいって言ったら、張り切りやがって」

石川は照れ隠しのように笑っていたが、妻・紀子が作る弁当は、驚くほど温かかった。卵焼きの甘さ、揚げ物の衣のサクッとした食感。それは、2026年に置いてきた妻と娘が作る料理の記憶と重なり、誠の胸の奥をキリキリと締め付けた。


石川の自宅は小金井市の閑静な住宅街にあるという。

1980年代前半、彼が大手電機メーカーのエンジニアとして脂が乗っていた時期に購入した「夢のマイホーム」だ。

石川は「うちに泊まってもいいんだぞ」と言ってくれたが、誠は辞退した。

自分は、この世界の特異点だ。これ以上、石川の平穏な家庭に深く入り込むべきではない。それに、自分のような「正体不明の男」を預かる石川のリスクを考えれば、事務所の片隅が最も適切な「居場所」だった。


一方、降旗あずさは、渋谷・表参道にある青山学院大学のキャンパスに通いながら、誠から託された「ミッション」に奔走していた。

(……超マジ受けるんだけど、六法全書とか、こんなに読み込んでいるギャルって日本中探しても私だけじゃない?)

厚底のブーツで図書館の床を鳴らしながら、六法全書や最新の法務雑誌をひっくり返して、ソフトウエアの著作権や所有権、1996年時点でのライセンス契約の盲点を探る。誠が持っている「魔法の板」の権利をどう守るか。

(お兄さんの言ってること、マジで意味不だけど、あの板の中身はガチだし。もし誰かにパクられたり、法律で縛られたりしたら終わりだ‥‥)

あずさの持ち前の合理精神が、まだ見ぬ未来の防波堤を築こうとしていた。


そして迎えた1月27日、土曜日。

秋葉原の雑踏は、休日を楽しむ人々で膨れ上がっていた。

午後1時30分、「電脳救急箱」のシャッターが半分下ろされ、奥の事務所に三人が揃った。

石油ストーブの上でヤカンがシュンシュンと音を立てている。


「よし、全員揃ったな」


石川がパイプ椅子に深く腰掛け、誠とあずさを見渡した。


「誠、改めてハッキリさせとくぞ。この『プロジェクト』のケツの持って行き方だ」


誠は居住まいを正し、二人を真っ直ぐに見つめた。

「主たる目的は、私を2026年に帰還させること。

そして副次的と言いますが、もう一つは……その過程で、この1996年の皆さんの未来を守ること。私がここに来たことで、歴史が変わってしまうかもしれない。でも、それを『改悪』にするのではなく、皆さんが幸せになる形に導きたいんです」


石川が頷き、あずさも小さく息を吐いた。


「当たり前じゃん! お兄さんが帰れないとかマジでありえないし。未来が変わって私が不幸になるとか、超勘弁だしね」


あずさがガムを噛みながら軽く応じる。石川も鼻で笑いながら頷いた。

「一度引き受けたんだ。地獄の果てまで付き合ってやるよ。……でだ。問題はどうやって帰るかだ。誠、お前の持ってるその『アイフォーン』とかいう代物、ちょっと見せろ」


「……石川さん、何か気づいたことが?」


 石川は机の上に置かれた誠のデバイス群――iPhone 15 Pro、iPhone SE、そしてApple Watch――を、まるで爆弾を扱うような手つきで指差した。


「これを見てて、ふと思ったんだ。……おい誠、こいつの『日付』、なんでちゃんと1996年になってんだ?」


誠はハッとした。

「あ……! 確かに。」


「おかしいだろ。お前のいた2026年じゃ、『わいふぁい』『ふぁいぶじー』だとかっていう電波が空中に飛び交ってて、勝手に時間が合うんだろうが、今は1996年だ。インターネットだって繋がってねえところも沢山ある。GPSもクソもねえ。なのに、なんでこいつは狂いもせずに今日の日付を刻んでやがる?」


「超ヤバい……言われてみればそうだよね。未来の時計なら、2026年のまま止まっててもおかしくないじゃん」


あずさが身を乗り出す。


誠は心臓が跳ねるのを感じた。

2026年では当たり前すぎて意識もしなかった。iPhoneの時計は、常に正確であるものだ。だが、今は4Gも5Gも、Wi-Fiすらない。GPSの補正だって、この屋内では届かないはずだ。


「……確かに。内部時計(RTC)が生きていたとしても、タイムスリップした瞬間に狂いが生じてもおかしくない。あるいは2026年の日付のまま止まっていても不思議じゃない。インターネットの発展形がこの電話なんです。それが時計だけネットワークと繋がっている‥‥!?」


「そうだろう」


「本当に合ってるの? 秒単位まで」

あずさが更に身を乗り出す。


「誠よお、そこの電話を貸せ。117だ」


石川が事務所の電話の受話器を取り、時報を流す。


『……ポーン、ポーン、ポーン、午後、二時、十五分、十秒をお知らせします』


誠がiPhoneの時計アプリを見つめる。画面上のデジタル数字が、時報の音と完全に同期して動いていた。


「……一致しています。完璧だ!」


石川の目がエンジニアのそれに変わった。

「時間が正確に刻まれているということは、このデバイスたちが『今のこの時間軸』をリアルタイムで認識している、あるいは、未来の時間とこの場所が、何らかの目に見えないチャンネルでリンクし続けている可能性があるってことだ」


事務所に沈黙が流れた。

この小さなデバイスの中に、2026年へ繋がる「糸」がまだ繋がっている。そんな確信が三人の間を駆け巡った。


「だがよ、解析の必要があるな」

石川が重々しく口を開く。


「中身を弄るリバースエンジニアリングだ。でもよお……こんな化け物みたいな集積回路、今の俺の店にある道具で弄ってみろ。一瞬でショートしてパーだ。プロ仕様のラボと、最高級の顕微鏡、それに特殊な測定器が山ほど要る」


「それ、お金が相当必要だね」

あずさが現実的な指摘をした。

「おじさんの店じゃ……無理だよね?」


石川は苦笑して首を振った。

「一応事業は軌道にのっているが、数千万、数億単位の投資は無理だな。BS(貸借対照表)は健全だけどよ、そんな多額のキャッシュはねえ。」


「私の実家も……」

あずさが俯く。

「松本の呉服屋だけど、最近は経営が厳しそうだしなあ…。

それに、親に『MS-DOSって何?』から説明して、未来のツールの解析資金を出してなんて言っても、間違いなく病院に連行されるわあ~」


石川は腕を組み、うなり声を上げた。

「俺の古巣を頼る手もあるが、あいつらはハンコをスタンプラリーみたいに集めなきゃ動かねえ。しかも『未来から来ました』なんて言った瞬間、警備員呼ばれておしまいだ。……今、この瞬間にオーパーツの価値を見抜いて、即座に億単位の金をぶち込むような、頭のネジが飛んだ物好きはいねえのか?」


一気に空気が重くなる。資金、設備、秘匿性。

今、この1996年に、常識外れの事態を理解し、巨額の資金を投じ、かつ「面白い」と笑って飛びついてくる、そんな都合の良いパトロンなどいるはずが――。


「……あ。ねえ、お兄さん」

あずさが何かに気づいたように顔を上げた。

「さっきの話。インターネットの発展形がそのiPhoneだって言ったよね? だったらさインターネットで未来を作ろうとしている『変な人』なら、話が通じるんじゃない?」


「変な人?」


「ほら、最近ニュースになってた。福岡から出てきた、やたら威勢のいいおじさん。ええと……『Wahooワフー』っていうインターネットの会社を買収した……」


誠の全身に電流が走った。 「……そう正憲まさのり……!」


「それ!その名前! システムバンクの宗っていうおじさん!ワイドショーで見たけど、マジでイケイケっていうか、話し方が超熱くない?」


誠の目が見開かれる。

2026年において、誠が勤める株式会社スタンドは、宗正憲率いる巨大帝国「システムバンクグループ」の末端に連なる一企業だった。

誠にとって宗は、毎年六月のグループ幹部総会で、壇上から熱弁を振るう「雲の上の存在」だ。その先見性、狂気とも言える投資判断、そして「情報革命で人々を幸せにする」という揺るぎない信念。


「……彼なら、理解できる。いや、彼以外にいない」

誠の声が震えた。

1996年1月。宗正憲が米国Wahooへの巨額出資を決め、世界を驚かせた直後だ。彼こそが、この「オーパーツ」を最も正しく、最も熱狂的に評価する男に違いない。


「でも、どうやって繋がるんだ?」


石川が腕を組む。

「相手は今をときめくカリスマ経営者だ。秋葉原のショップ店員と、身元不明の男と、女子大生が訪ねていったところで、門前払いだぞ」


再び沈黙が事務所を支配する。ストーブのヤカンが、激しく蒸気を吹き出した。  その時、石川が「……ああ」と声を漏らした。


「石川さん?」


石川は三本目のセブンスターに火をつけ、深く肺に吸い込んだ。煙の向こうで、デスクに置かれたiPhone 15 Proが、鈍いチタンの光を放っている。この小さな板切れが持つ「未来」の重みは、すでに一個人が背負える範疇を超えていた。


(……やるしかねえか)


石川の脳裏に、一人の女性の顔が浮かぶ。娘の美雪だ。

小さい頃から、他の女の子が人形で遊ぶ傍らで、自分の工具箱をいじり回していた。高専まで行かせ、一人前の技術者としての基礎を叩き込んだのは自分だ。今は大手商社の情報システム部で、男社会の荒波に揉まれながら、鼻っ柱を強くして働いている。


親心としては、こんな正体不明の「オーパーツ」を巡る泥沼に、娘を引っ張り込みたくはなかった。まっとうに働き、まっとうに幸せになってほしい。それが親としての本音だ。だが、この状況を打開できるリソースを持ち、かつ、この「魔法の板」を見てその価値を論理的に理解できる人間が、他に誰がいる。


石川は、自分の育てた「技術者としての娘」を信じることに決めた。彼女は単なる商社OLじゃない。自分と同じ、真実を見極める目を持った「武器」だ。

脳裏には、以前、美雪も「私は装飾じゃない。武器だ」と強い眼差しで言い放った姿が浮かんでいた。


石川は、短くなったタバコを灰皿の縁に強く押し付けた。火種が潰れ、最後の一筋の煙が消える。


「……策はある」


石川の声は、先ほどまでより一段低く、決意に満ちていた。


「俺の娘、美雪だ。あいつは今、某大手商社の情報システム部にいやがる。商社の情シスってのは、社内のあらゆる部署と繋がってんだ。あいつの会社なら、システムバンクを相手に数億単位の商売をしてる営業担当が必ずいる。……美雪なら、そのツテを辿って、宗正憲に繋がる『裏の入り口』を見つけ出せるかもしれねえ」


「娘さんを、巻き込んでも大丈夫なんですか……?」

誠の問いに、石川は鼻で笑って見せたが、その目は笑っていなかった。


「正直に言えば、親としては巻き込みたくねえ。だがな、誠。お前を帰すって決めた以上、手段は選ばねえ。それに……あいつは俺と嫁の最高傑作ぶきだ。こんな面白いヤマを放っておいたら、後で『なんで教えてくれなかった』って俺の死に目に文句を言われそうだからな」


誠は深く頭を下げた。

石川の『あまり巻き込みたくなかった。。』という発言に心中を察しているが、石川の娘への信頼の厚さも垣間見る。ここは望みをつなぐしかない。


「お願いします。石川さん、お願いします」


「おう」

 石川は腰のベルトからPHSを引き抜いた。アンテナを伸ばす指先に、父親としての迷いを封じ込め、ビジネスの、あるいは戦いの合図を打ち込む。


「……あ、美雪か? 俺だ。……ああ、生きてるよ。……いいか、今すぐ秋葉原に来い。大事な仕事の話だ。実はな、お前に見せたい『とんでもない代物』があるんだ。……ああ、いいから来てくれ。お前の人生、ひっくり返るぞ。……ああ、わかった。待ってる」


1996年1月27日、土曜日。

冷たい風が吹く秋葉原の空の下、未来への歯車が、音を立てて噛み合い始めた。


4回表

この試合の趨勢、さてどうなる?

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