桐原涼真の到着
ノックの音がしたのは、
夜が深くなってからだった。
強くもなく、
ためらいもない。
ただ、
ここに来ると決めていた人の音だった。
志音は、
すぐには立ち上がらなかった。
驚きはない。
理由は、
自分でも分からない。
ドアを開けると、
そこに桐原涼真がいた。
夜気の中に立つ姿は、
昼と変わらない。
乱れも、
焦りもない。
「来たんだ」
志音がそう言うと、
涼真は小さく頷いた。
「遅くなった」
それだけだった。
なぜ来たのか。
どうやってここを知ったのか。
聞くべきことは、
いくつもある。
けれど、
どれも口には出なかった。
部屋に入った涼真は、
さりげなく周囲を見回す。
窓。
テーブル。
非常灯。
確認するような視線。
「寒くないか」
「平気」
それで、
会話は成立する。
涼真は、
勝手に何かを決めない。
けれど、
必要なことは、
もう整っている。
「泊まるつもりだった?」
「うん」
「じゃあ、帰ろう」
志音は、
一瞬だけ迷う。
ここに、
もう少しいたい気もした。
でも、
帰る理由も、
ちゃんと用意されている。
「……分かった」
それを、
自分で選んだと思う。
そう思える形で。
涼真は、
何も急かさない。
待っている。
最初から、
そうなると知っているように。
エンジン音が、
夜の静けさを切り裂く。
コテージの灯りが、
少しずつ遠ざかっていく。
志音は、
助手席でシートベルトを締める。
車内は、
落ち着いた温度だった。
用意された空間。
窓の外を流れる闇を、
志音は見つめる。
あの場所に、
一人でいた時間。
短くて、
静かな夜。
それでも、
完全に一人だったとは、
言えない気がした。
涼真は、
前を見たままハンドルを握る。
迷いのない運転。
帰る場所は、
最初から決まっている。
志音は、
胸の奥に残る違和感を、
言葉にできずにいた。
まだ、
聞く準備ができていない。
車は、
街の灯りへ向かって走る。
日常が、
静かに戻ってくる。
コテージは、
もう見えなかった。




