浅仲晴の判断
妹から話を聞いたのは、
夕方だった。
大学から帰ってきた志音が、
靴を脱ぎながら言った。
「この前、コテージに泊まったの」
それだけ。
事件でも、
相談でもない。
晴は、
手を止めなかった。
ああ、
そこまで行ったか。
心の中で、
そう思う。
「涼真と?」
問いは、
確認に近かった。
志音は、
少し間を置いてから頷く。
「途中で、来た」
やっぱりな。
晴は、
それ以上、
何も聞かなかった。
志音の様子は、
落ち着いている。
怯えていない。
怒ってもいない。
ただ、
考え込んでいる。
それが、
一番厄介だと
晴は知っている。
出版社で働くようになって、
晴は学んだ。
人は、
強制されて壊れるより、
納得して留まるほうが、
深く縛られる。
桐原涼真は、
そのやり方を
無意識に知っている。
いや、
意識してやっている。
晴は、
それを止められる立場にいる。
兄として。
大人として。
業界を知る人間として。
でも、
止めなかった。
なぜか。
志音は、
涼真を怖がっていない。
むしろ、
安心している。
それは、
事実だ。
そして、
志音は初めて
「問い」を口にした。
これからの関係は、
選べるのか。
問いを持った時点で、
まだ終わっていない。
そう、
晴は思う。
もし、
何も疑わず、
何も感じなければ。
その方が、
よほど危険だった。
晴は、
妹を見る。
静かで、
考え込む横顔。
昔と、
何も変わらない。
けれど、
確実に一つだけ
変わったことがある。
志音は、
「選べるかどうか」を
自分で考え始めている。
それを、
今ここで奪うのは、
違う。
晴は、
結論を出す。
――まだ、
見ていていい。
止めるのは、
「選べない」と
言ったときだ。
誰かに
決めてほしいと
口にしたときだ。
それまでは、
何もしない。
兄として、
あえて。
夕飯の支度が進む。
志音は、
キッチンで静かに手を動かしている。
包丁の音は、
規則正しい。
晴は、
その背中を見て、
最後にこう思う。
守るとは、
手を出すことじゃない。
問いを、
持たせ続けることだ。
それが、
浅仲晴の
選んだ判断だった。




