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【スポコン】君と歩んでいく愉しい日々【バスケ】

作者: あわき尊継
掲載日:2025/12/08

 スポーツに於いて中学までは才能だけで乗り切れる。

 だけど高校からは、才能ある者が適切な環境を獲得した上で努力を重ねていなければならない。


    ※   ※   ※


 コートを叩くバスケットボールの音が頭から離れない。

 軽やかにゴールを通り抜けていく音も。

 ブザーの直前に放たれたボールへ手を伸ばしたのに、跳び上がることが出来ずにただ仰ぎ見ていた自分も、何もかもが。


 胸を苛み、気を抜けば狂ったように雄叫びをあげそうになる自分を布団で覆い隠して、じっと暗闇を見詰めていた。


 中学校最後の公式試合、全国大会準決勝、敗北。


『素晴らしい試合だった』『感動した』『地元のヒーローだ』『家族総出で応援してたんだ、惜しかったな』『あとちょっとだった』『初出場で全国三位なんて凄いことだぞ』『お前達はまだまだ、これからだ』『俺達も、先輩達みたいに』


 掛けられた言葉の全てがブチリ、ブチリと壊れたスピーカーから聞こえてくるみたいに途切れ途切れで、まるで意識に入ってこなかった。

 そんなことはどうでもいい。

 負けた。

 俺達は負けたんだと、ずっと遥か頭上から重たい風が打ち付けてきているような気さえした。

 胸を張れない。

 肩が落ちる。

 背中が丸まる。

 そして気付けば、指先はボールを求めて勝手に伸びていく。


 けれど俺が今居るのはコートじゃなくて、実家の布団の中だ。

 デカい図体してそんな風に縮こまっているのも情けなくなるけど、身体を伸ばそうとすると手足が痺れたみたいになるんだからどうしようもないだろ。


 母さんの声が聞こえる。


「ミチナガー、いい加減起きなさい。予約の時間あるでしょー」


 抱えていた枕を放り投げた。

 そば殻の詰まった枕が襖に当たり、堅い音を立てた。


    ※   ※   ※


 鬱陶しいくらい小奇麗な建物を出て、コンビニでチキンとコーラを買った。

 残りは使って良いからと渡されたお金にはまだ余裕があったけど、いざ手にしてみると食欲も湧かなくて、仕方なくコーラを一口だけ飲んで、後はショルダーバッグに詰め込んだ。


 そのまま家へ帰るつもりだったのに、通学路に近かったせいか、自然と足がいつもの場所へ向いた。

 植林された南国の木の向こうから、小気味良くボールの撥ねる音がする。

 なにやってんだ。

 思ったけど、聞き慣れない声が聞こえて様子を窺った。


 声っていうか、言語だった。


 英語? たぶん、英語。聞き分けなんて出来ないけど。

 それに、女子の声だ。


 止めよう。


 最悪な気分な上に、女子がコートを使っているのなら、余計に入り込める訳がない。


 そう思いつつも視線は自然と流れて、見慣れたボロいバスケットゴールに目が留まり――――唐突に、そこへ叩きつけるような乱暴なシュートが来た。

 明らかに素人臭い。

 最悪だ。

 いつもは部の連中とか、OBとか、それなりにデキる人達の集まるコートだから、こんな不愉快なものを見ることはない。

 バスケットボールのゴールは上向きだ。

 そんな当たり前の事実を思えば、横からボールを叩きつける意味なんて。


「アッハハハハハ!! ゴーカイシューット!!」


 だけど勢い良く跳ね返っていくボールへ、ふわりと誰かが飛び付いた。

 金色の、長い髪。

 パーカー姿の、細身で、けれど長身の、女の子。


 彼女は翼が生えているみたいに宙を駆けて、その長くて綺麗な指先でボールに触れると、そっと……優しく背を押すようにボールを浮かせ、そのまま。


 トス、と。


 リングにボールを沈み込ませた。


 ただ勢いが乗っていたらしい彼女は空きスペースの乏しいゴール後ろを避けてこちらへ曲がり込んできて、


「うん? ハーイ、ニッポンダンジー!! バスケ、やるー?」


 金網越しに笑顔で声を掛けてきた。

 俺はつい返事も忘れて見入っていたけど、青い瞳の彼女は構わず金網を叩いて言葉を重ねる。


「ヘイヘーイ? コトバ、ワカリマスー? ダンジー? タマナシナノカー?」


「っ、しれっとエグいこと言ってんじゃねーよ!?」


 つい返答してから「しまった」なんて思う。

 だって金網の向こうで金髪女子がニヤリと笑っていたから。


「試合相手が足りないの。一緒アソボーよ、ヒマジン!!」


「お前結構日本語デキるだろ!? やらねーよ、女子となんか。つーか中に居るのもガキばっかじゃん」


 大会が終わった後だからか、普段は百八十越えの連中がわんさか集まってくる場所なのに、なんで今日に限って小学生みたいなのばっかりなんだよ……。


「俺はこれでも全国三位の選手なんだ。弱いものいじめなんてするつもりはねえよ」

「Oh!! ゼンコク三位!! ビビッテンノカー?」

「意味分かってんのかどっちだよ!? やる気ねーって言ってんだろ」

「ワカッター、オマエあっちのチームなー?」

「聞けよ!?」


 つい声を荒げてツッコミを入れると、金髪女子は殊更楽しそうに笑ってみせた。

 その、意味が通じているのかいないのかも分からないけど、あっけらかんとした姿につい見惚れて……その直後に後悔した。


 彼女は再びニヤリと笑って俺を見る。


「ホレタヨシミで相手シロー?」

「違げーよ!? つーかマジで相手なんねーから!! 俺のタッパ見えてねえのかよ!!」


 言って俺は自ら金網へ近寄っていって、こちらを笑ってみている金髪女子の正面に立った。


 …………うん?


 あれ?


 俺、これでも百八十五センチはあるんだけど。

 身長あんまり、変わんない? 流石に俺の方がちょっと上だけど。


「タッパ? オモチカエリカー? オモチカエリされちゃう? あっ、ナンパだー。タマナシのクセに」


「…………いいぜ、その調子くれて煽り散らかしてるツラぁいい加減後悔させてやるからなァ。覚悟しろ!!」


    ※   ※   ※


 小学生の放ったシュートが綺麗にゴールへ吸い込まれていった。

 アホ面下げてそれを見送った俺は、相手チームの金髪女子がハイタッチして回るのを見ながら、冷や汗を流す。


「イエーイ! 十点センシュ、こっちのカチダー?」


「ぁ……ぅ、っ俺が負けた訳じゃねえ!!」


 感じるものが無かったんじゃない。

 それでもと、記憶に焼き付いて離れない負けの景色が頭の中で溢れ返ってきて、吐き気すら覚えながら口走った。


「そっち!! 明らかに上手いの固まってんだろうが!! なんだよ今のスリーポイント!? 小学生が高校生用に届かせるとかありえねーだろ!?」


「イイワケカー。ダッサイゾー?」


「っ、一対一なら負けねえよ!! 大体お前、最初の一発目しかシュート決めてねえだろ!!」


 十点先取じゃ確かに負けたけど、こっちだって八点入れて、その内七点は俺だ。

 小学生相手で自慢にもならないけど、そこそこ身長伸びてるのも居るし、圧も結構……悪くなかった上での七点だ。

 決定力は明らかに俺が勝る。


 俺のみっともない抗議を受けて、金髪女子はチームメイトからボールを受け取りつつニヤリと笑う。


「チョウセンシタイカー?」


「ぁあ? 勘違いすんなよ、全国区の選手相手にボール回しで勝っただけで良い気になんな。挑戦者はお前……ん」


「Oh、ミレーユ=ジャミトフよ」


「…………朱田(あけた)ミチナガだ」


「OK! ミチェイ!!」


「誰だよみちぇい!? みーちーなーがー!!」


 豪快に人の名前を変えてくるミレーユに抗議すると、彼女はちょっとだけ不満そうに口先を尖らせながらも、何度か俺の名前を口にしてきた。


「ミチェ……ミ、ミーチェ……ミチェ!! Unn、ミチェ!!」


 全く合ってないないが、俺も英語の発音とか自信ないので諦めることにした。

 所詮、この場だけの関係だ。

 ミチェでもミーチェでも好きに呼んでろ。


「じゃあ……んっ、ミレーユ」

「NO!! I'm Mireille!!」

「差がわかんねーよ!? あーもうっ、お前だって言えてないんだから良いだろ別に。ミレーユ、ミレーユ、はいミレーユ!」


 なんて適当言うとミレーユは思いっきりふくれっ面で怒ってみせた。

 そんなことより、と俺が手のひらを向けると、すぐに楽しそうな表情へ変わったミレーユが持っていたバスケットボールを放ってくる。


 受け取って、返して。


 1on1。


 流れ任せな始まりだけど、お互いの意識が一瞬で切り替わったのが分かる。


 来る。


    ※   ※   ※


 そうだ。

 チーム勝負の時からも感じていた。


 ミレーユは初心者じゃない。

 というか、身体能力がずば抜けている。

 ドリブルは安定しているし、死角から狙われても笑いながら回避し、軽やかに内側へ切り込んでくる。

 相手の大半が小学生だったとはいえ……逆に言えば、低い位置から手が伸びてくる状態でのドリブルは結構キツい。

 試合みたいに身体で強引に押し退けるのならともかく彼女は極力接触自体を避けていたようにも思う。

 ボールを操る技術、ハンドリングも相当なものだ。

 加えてかなり視野が広い。


 負けた言い訳を口にした上で認めるのは業腹だけど、ワンマンプレーに走った俺とは違い、彼女はチームを活かして勝負に勝った。


 先に一緒に遊んでいたとはいえ、それぞれの得意分野とか、プレーの癖を把握しているんじゃないかって思えるくらい、的確なパス回しをして、こちらから十点をもぎ取ったんだ。


 ミレーユはバスケ経験者だ。


「ミチェ!! 勝ったホーが何でも言うこと聞くノ!!」

「はあ? いきなりなんだよ」


 つーかソレ、逆じゃないですかねぇ。

 なんで勝った方が言うこと聞かなきゃいけないんだよ。


「ワタシ、ニッポンのマンガ、アニメ、スキー!!」


 要するに影響を受けたって奴か。

 上等だ。

 どの道負けるつもりはねえ、勝ったらここまでの舐めた態度を改めさせてやる。

 ニッポンにはジョーゲカンケーってのがあるんだよ。

 このコートは昔から、ウチのチューガク出身者が使うってなってんのを教えてやるよ。


「好きにしろよ。つーか、センパイら来る前に終わらせてやるよ、見付かったら面倒だしな。三本先取だ」


「オーケイ! ミチュ、今度はイイワケキンシカー?」


「るせぇ……!!」


 踏み込んで仕掛けた。

 ボールを持ってるのはミレーユだ。

 彼女は股下で綺麗にドリブルをして、間合いを作っていたけど、動きが一定になり過ぎてる。


 が、伸ばした手が縮んだようにも感じる動きでミレーユは距離を取った。

 と思えばすぐさま右側面へ切り込んできて、反応するや身を回し、左へ。


 させるかっ!!


 俺は無理に奪おうとか、距離を詰めようとはしなかった。

 シュートには、ドリブルからそこへ以降するまでに間が必要になる。

 変に詰めれば勢いを逆利用されて抜かれるし、間合いを開けられたら外からシュートを打たれる。


 互いの身長、間合い、瞬発力に合わせたちょうどいい距離ってのがあるんだ。


 殆どは勘頼りだけど、ある程度以上にバスケを経験した人なら自分はこの距離ならシュートを防げるっていう感覚はあるもんだと思う。


 その上で、絶対じゃないのがバスケの常だ。


「WAO!!」


 ミレーユが楽しそうに声をあげる。

 チーム戦じゃちょっと雑に行き過ぎたからな、ちゃんと相手のプレーを見る上でも、この間合いの取り合いは重要だ。


 それに一対一だとブロックプレーもないし、純粋な技術の勝負が出来る。

 それは、俺の得意分野だ。


 瞬発力には自信があるんだ、余裕かましてると一気に間を詰めてボールを奪い取ってやるぜ。


 さっき見せたのが上限だと思ってたら大間違いだ。


「そーいえば、ここ、ミチュのシマカー?」

「あン……?」

「センパイ、ボス、リーダー? イルノカー?」

「あぁヤバいぜ。ウチは全国じゃ無名校だったけどな、地区大会じゃ上位常連で、アメリカ行ってチーム入ってる人も居る。バスケ好きが多いんだよ。特によくここで幅利かせてるドレッドの二百センチが来たら黙ってコート開けるのがルールだ」


「Dreadlocks?」


 ミレーユのドリブルが変化した。

 強くボールを打ち付け、手元で長く保持する、誘うような動き。


 けど手は出さない。


 この間合いだ。


 この間合いなら、俺は簡単には上を抜かせないし、左右だってキッチリ抑えてやれる。


 なんて思っていたら、瞬間的にミレーユの重心が大きく下がった。

 周囲が一瞬、暗くなって見えたような、その中で彼女の金髪だけが一際強く輝いたと感じるような、気配。


「Oh。さっき負けて帰っていったタマナシダー」


「……は?」


「イクよ」


 宣言通りに来た。

 瞬発力任せの最大加速。

 長い手足を活かしたスプリントだったが、呼び掛けのおかげで俺も反応出来た。

 そこに悔しさを覚えつつも手を伸ばし、この先には行かせないぞと示したが。


 不意に、ミレーユから突き飛ばされた――――そう感じるほど強烈に距離が開いた。


 追い抜かれたんじゃない。

 俺が置いていったんだ。


 スプリント・アンド・ストップ。


 バスケに於いて、瞬発力による加速よりも遥かに高い技術が必要とされる『減速』。


 あ、と思った時には遅かった。

 凄まじい加速を見せたミレーユは、まるでそこに支柱でもあったみたいな動きできっちり止まり、羽根が舞うみたいな軽やかさで跳んだ。

 最初に見た時の、ゴール前へ向けて空を飛んだミレーユ、その焼き増しだった。


 距離にしてみればほんの半歩分、減速の間に合わなかった俺を置き去りにして跳んだミレーユは、お手本のようなプルアップシュートを決めて、笑顔になる。


「いよっシャアアアア!! イエーイ!!」


 ………………って、なんで俺とハイタッチするんだよ!?


    ※   ※   ※


「Oh!! ジャパニーズコロッケダー!! 遠慮無くクエー?」


「いいや、俺の驕りだから、遠慮なくいただきますだ」

「OK! 食えーっ」

「だから違うって!?」


 俺は負けた。


 言い訳の余地なく、一対一の勝負でミレーユに負けた。

 なんとか一点をもぎ取ってストレートだけは避けたが、敗者の約束として彼女の要求したコンビニコロッケを買ってきて、今はコートでバスケする小学生らを眺めながら間食タイムだ。


 良かった、まだ小遣い代わりの残金が残ってて。

 横ですっかり冷えたコンビニチキンを齧り、嬉しそうにコロッケ食べて身もだえしているミレーユを見ながら、コーラのキャップを開ける。


「ジャパニーズコロッケおいしーネ!! ニッポン、おかしい!! おかしい!!」


「多分美味しいの間違いだと思うんだが、もう一々訂正すんのが疲れてきたよ」


「むむむ、コーラ寄越せーっ」


「うお!? 無理矢理取るなよ!? つーか口付けたばっかりだし、っ」


 関節、キ……とか言わねえぞ…………言わねえぞ……。


 遠慮容赦の無い勝者サマがぐびぐび俺の口付けたコーラを飲んで、コロッケを齧る。それでまた全身で美味しいをアピールしてくるんだから、怒る気も失せてくるってもんだよ。べ、別に照れ隠しで何も言えないとかじゃないからな。ホントだからな!!


 因みに一気にコーラぐびったミレーユは派手にゲップした。

 もうなんなんだよこの女。

 恥じらうどころか聞けよコレー、とばかりに喉を見せ付けてもう一度してくるし。


「HAHAHAHA!! ミチェー、コーラ美味しいダロー!!」


「うん? あーはいはい、そっちはアメリカサマの起源でしたね」


 そういやコロッケはジャパンこと日本起源でいいのか? わからんな。アレコレ魔改造して別物にする謎の民族だからさ、日本人。


「…………つーか、お前は一体何モンだよ」


「? ミレーユ=ジャミトフ」


「名前とかじゃなくて。なんで、あんなにバスケが上手いんだって。俺全国三位取ったって言っただろ」


 負けの記録だ。別に自慢するつもりなんてない。けど、それに伴う確かな実力があるって思ってる。チームメイトだって、俺自身だって、相応に努力を重ねてきたんだ。

 重ねてきたんだよ、な……。

 ただ、俺の早口の日本語が完璧に聞き取れている訳じゃないらしいミレーユは少し悩んだ後、こう答えてきた。



「ミチェ、バスケ下手くそダナー?」



「……………………」

 負けた記憶が胸を苛んでいた。

 勝負の瞬間には抜け落ちていたけど、こうして再びの敗北を経験したことで、どうしようもなく自分の中に黒いものが貯まっているのを感じていた。負けはどこまでいっても負けで、死ぬほど悔しいし、自分への怒りすら湧いてくるものだけど。


 下手くそ。


 そう、はっきり言われたことが、妙に身体の芯へ落ちてきた。

 腑に落ちる、ってヤツかもしれない。

 そうか。

 俺。

 まだまだ下手くそなんだ。

 だから負けたんだ。

 たった、それだけの事実を受け入れられなくて、負け試合からずっと、延々と悩み続けていた。

 下手なだけだったんだ。


「ウン? あー、そこそこ? そこそこ上手いゾー? イッテン取られるナンテ思わなかった」


「っは、あっはははははははははははははははは!! そっか!! ははははははっ、俺って下手くそだったかぁ……!! あははははははは!! そりゃあミレーユに勝てねえよ!! お前、ホントに上手かったもん!! いや、上手い下手じゃねえ……ッ、あぁ、基礎からして全然違った!! 走って止まる、それだけであんなにも違うんだからよォ、ったく……ははははは」


 基礎を作るのは日々の練習だ。

 人種を言い訳にはしたくない。

 そもそも男女の違いもある。

 けどそんなのどうでも良くて、ミレーユが見せたスプリント・アンド・ストップは、持ち前の才能だけでどうにかなるようなもんじゃなかった。


 俺の、ガキの頃からの身体能力任せにやってきた速さ勝負とは格が違う。


 強いよ。

 強い選手なんだ、ミレーユは。


 そうして笑う俺を見た彼女は、勝ち取ったコロッケと奪ったコーラを口に含んで、また一緒に笑ってくれた。


 多分、言った言葉の全部は理解出来てなかったんだろうけど。


「バスケ、タノシーナ?」

「おう!! バスケは最高のスポーツだぜ!!」


 掲げた手にミレーユの手が叩きつけられ、小気味良い音が鳴った。


    ※   ※   ※


 通院帰りにミレーユと勝負するのが日課になっていった。

 結果は前線全敗。

 たまに一矢報いることもあるけど、根本的な、基礎の部分で負けている以上アベレージは圧倒的にミレーユへ傾く。


 だから、リハビリがてら彼女の練習メニューも一緒にこなすようになって、自然と二人の時間が増えていった。


「ミレーユはなんで日本で練習なんてやってんだ? 環境はアメリカの方がずっといいだろ?」


 トレーニングウェアにパーカーを羽織ったミレーユの、ストレッチを手伝って背中を押す。

 今日も負けたからな。


 彼女は首を傾げて。


「ニッポン、好き」


「そりゃどうも」


 多分通じてないかな。

 なんて思っていたら、それを察したらしいミレーユは再び言葉を重ねてくる。


 身体を捻り、青い瞳でじっと俺を見て。


「ニッポンのグランドマザー、死んじゃうの」

「え…………」


 綺麗な光彩だった。

 青い瞳。

 大きくて迷いのない、真っ直ぐな視線を受けて、俺はたじろいだ。


「ぐらんどまざー、ってお婆ちゃん? ミレーユ、日本人の血ぃ引いてるんだ?」

「Yes」


 全くそうは見えなかったが、なるほど、お婆ちゃんの具合が悪いから、日本へ来てたのか。


「grandma……Unn、おばーちゃん? 元気、ないの。昔は何度も、アメリカ来て、応援してくれた」


「そっか」


「ワタシ、世界一のバスケットプレーヤーになる」


 急に話が飛んだ……訳じゃないよな。

 つまり。


「お婆ちゃんに約束したんだな」


 言えば、ミレーユはストレッチを止めて、改めて俺と向き合った。

 迷いない、綺麗な青い瞳が俺を見る。


「Yes。ミチェ、私、世界で一番になる」


 バカげたことだとは言えなかった。

 世界。

 日本の、全国三位なんぞで偉ぶってる俺じゃ考えもしなかったことだ。

 そして、それが出来るだけの実力がミレーユにはある。


 というか、聞いた話だともう向こうじゃ有名な選手だったんだってな。


 俺と同じ十五歳……向こうじゃもうハイスクールってことだけど、アメリカの女子プロバスケットボール『WNBA』は二十二歳からだし、海外のプロチームだって十八歳くらいからだけど、そういう所からも声を掛けられているんだって。

 十五歳でだぞ。

 十分、世界一へ手が伸びるような実力者だ。


 ……正直に言えば、気圧された。


 住む世界が違うんだって思った。

 毎日負け続けて、実力差はどうしたって感じちまう。

 同じ練習メニューをこなすのだって、俺は彼女の倍近く掛かるんだ。

 翌日には筋肉痛で身体が痛くなるし、医者は止めろと馬鹿言ってくるし。


 いや、リハビリって言っても、ホントに軽く筋を痛めてるだけだから、大げさなんだよアイツら。


 そうやって、ミレーユに追い付きたくて、追い付けると思って、今日まで頑張って来たけど。

 世界一の選手、か。


 同じ場所に立っているように見えて、どうしようもなく遠い。


 遠い、隔たりを感じちまった。


「そか…………応援、してるよ」


 くそ。

 俺のくそヘタレ。

 でもどう言えってんだよ。

 たかが中学三年で、全国三位。

 高校行けばただのちょっと上手い凡人だ。


 そいつは、延々と全国無名校で居続けた中学のOBから何度も聞かされてきた。


 中学までは才能だけで乗り切れる。

 だけど高校からは、才能ある者が適切な環境を獲得した上で努力を重ねていなければならない。


 俺の、才能任せの瞬発力はまるでミレーユに届かない。

 努力だってしているつもりだけど、勝てる手応えすらないんだよ……!!


 つい目を背けて、顔を俯かせた。


 くそう。

 どんなツラしてミレーユを見ればいいのか分からねえよ。


「ミチェ……、っ、ミ、み、ちっ、っっ!! みちなが!!!!」


 なんて、思っていたら。

 腕を掴んできたミレーユが、今まで一度としてマトモに言えなかった俺の名前を呼んで、顔を寄せてきた。


 練習、していたのかもしれない。

 毎日、コツコツと、基礎を学んだみたいに、ずっと。

 俺の名前を。


 そうして彼女の唇が、俺の唇に触れた。


 ゴチン、って音がした。

 唇の裏にある前歯と前歯がぶつかったんだ。

 驚きも、混乱も、照れも興奮もあったけど、何より痛い。


「っ、~~っ、いきなり、なにを」

「~~……、っミチ、っ!!」


 先に立ち上がったミレーユが青い瞳を真夏の海みたいにギラ付かせて言う。


「タマナシ!! ヘタレ!! ばか!!」


 言って、俺を置いたまま、走り出した。


    ※   ※   ※


 つーかよ。

 いきなりだろ。

 俺だって、何も感じてないじゃない。

 というか初めて見た時から、ゴールに向かって翼が生えているみたいに飛んだミレーユを見て、綺麗だって思ったんだ。


 心底へこんで、苦しかったのを、あっけらかんと笑い飛ばしてくれた。


 俺をあっさり受け入れて、練習相手になってくれたのも嬉しかった、楽しかった。


 一緒に汗だくになって、アイツ無防備にシャツで汗拭いたりするし、いい匂いするし、脇見えるし、つーかパンツの端も見えてたし!! 肩ひもとか見えた日には家帰ってから悶々としちまって大変だったんだぞ!! けどダチ相手にそんなことする訳にはいかないだろうって必死に我慢してだな!!


 それを。


 おまえ。


 いきなりキスしてくるとかナシだろ!!


「っ、っっっっこのドスケベ女がああああああああああああ!!!!」


 全力で追い掛けた。

 俺だってひたすら同じメニューこなしてんだ。

 生まれ持ちの運動能力だろうが、男女の違いだろうが、そんなこと知るかって加速して追い掛ける。


 瞬発力だけなら、そこだけなら、俺はミレーユに勝っている。

 たまにそこで一点を拾うことはあるけど、他がてんで敵わず負けてきた。

 けど、速さ勝負なら負けねえ!!


 なんてこっちが必死に追い付いてきたら、振り返ったミレーユが心底楽しそうに大笑いしてきやがった。


「アッハハハハハハハハ!! ミチェ、ヘンシツシャネー!! ヘンターイ!! アハハハハハ!!」

「どっちが変態だキス魔!! いきなり俺の純潔奪っておいて逃げ出すとかふざけんなよ!? こちとら故障中でいろいろとナイーブなんだよ!! アメリカンスタイルでHAHAHAとか笑ってんじゃねえ!!」

「イミワカンナイネー!! 日本語ムズカシー!!」


 このぉ……!!


 もうちょっとだと手を伸ばした所で急に方向を変えてきて、ミレーユは階段を駆け下りていった。

 行く先にあるのは、砂浜だ。


 ほら、ウチって有名なバスケ漫画の聖地に程近くてな。


 というかそんなことはどうでも良くて。


「待てって!! おいっ、ガチ逃げしてるんじゃねーぞ!?」

「Oh!! マンガのワンシーンだあ!!」


 いやそのシーンもっとにこやかで甘々な感じだったろ絶対!!

 今のお前みたいに、俺みたいに、ガチの全力疾走で砂浜ダッシュなんぞやってねえぞ!?


 そろそろ海水浴シーズンも終わりだってのに、ウエットスーツ着たサーファーがボード持って俺達のことを笑ってやがる。

 ミレーユは目立つもんなぁ……クソ!!


「HAHAHA!! ばかー!! アハハハハハ!!」


 パーカーにスニーカー姿の俺達は、砂浜の端から端まで一気に駆け抜けていった。

 それはもう全力で、馬鹿みたいに。

 見ている連中が笑い出すほどに。


 けど、その先は岩場だ。

 砂浜も終わる。


 だってのに。


 ミレーユは、躊躇わなかった。


 服もそのまま、靴もそのまま、髪は纏めてあるけど、そもそも後の始末なんて何一つ考えずに、駆けあがっていく。

 その背へ向けて俺は叫んだ。


「俺も世界で一番になってやる!!」


 ヤケクソだった。

 いや本気だった。

 馬鹿をした勢いもあったけど、このままミレーユを放っておいたら本当に行ってしまう気がして、止まれよと思って叫んだのに。


 こっちを振り向いた彼女が夏の日差しに頬を染めて、海のように深い青い瞳で俺を見て、言う。


「ワタシを捕まえて」


 そのまま岩場から跳んだ。


「っっっっのおおお、ったりめええだああああああああああああ!!!!」


 全力で岩場を駆け上がり、先がどうなっているかも分からないまま俺も飛んだ。

 そういうもんだ。

 そういうもんだよ、夢ってのは。

 けど踏み出した瞬間に心が奮えた。


 怖くて、不安で、チビっちまいそうだったけど。


 呆れるくらいに心が軽くなって、俺を見上げながら落下していくミレーユに向かって叫んだ。


「俺はお前が大好きだあああああああああああああ!!!!」


 そうだ。

 この身投げみたいな夢への宣言の先には、彼女が居る。

 一人じゃないんだ。


 なんて。

 飛び降りスポットの順番待ちをしている連中を横目に深い海へと飛び込んだ先で、俺は抱きしめたミレーユに、今度は自分から唇を重ねた。


    ※   ※   ※


 陽も落ちかけた夕焼け空の浜辺で、二人並んで座っていた。

 お髭のダンディなサーファーおじさんが「よお、青春かっぷる!!」なんて声を掛けて去っていく。

 うるせえよと心の中でだけ応じてから、俺は俺の腕を抱き締めて離さないミレーユの言葉を聞く。


「ずっと不安だったの」


 故郷から離れた地で、祖母の死を看取る為、あるいは回復を願って、一人鬱々と過ごしていた彼女はある日、病院帰りに懐かしい音を聞いた。

 アメリカでは都市部でも当たり前にあるそうだけど、最近の日本じゃあ少ないもんな、バスケットゴール。

 気分転換にドレッドヘアーの二百センチをぶっ飛ばし、通りがかった小学生らへ声を掛け、彼女なりに技術を教えてあげていた。

 そんなところへクソ思い上がった野郎が現れて、案の定ボコボコにして。


 だけど、ソイツは諦めずに食い下がってきた。


「ミチェ……みち、な、が……だけ、毎日会いに来てくれたから、たのしくて」


 まあ、そうだな。

 会いに来てた、ってことになるのか。

 俺としては最高の練習相手というか、自分を負かした悔しい相手の鼻を明かしてやろうとか思ってたところもあるけど、まあ、会いに来てたな。


「アメリカでも、同じメニューやろうとした人、皆、離れてったよ」

「キツいもんなぁアレ」

「みち、ついてきてくれたもん」

「ん……お、おう」


 ぎゅうっと腕を抱かれて、その、ミレーユの感触というか、ミレーユの特に柔らかな感触が堪らなく当たるんだが。

 俺はニッポンダンジとして毅然とした表情を貫いた。


「ぁ……勃ってる」

「そういうこと言う!? 欧米か! 欧米だったわ!?」

「…………差別?」

「違うよ!? すぐそういうこと言うの良くないと思うな!? ミレーユのえっち!!」


 だっておっぱいの感触とか感じ続けてたら男子中学生は全員そうなるわ!!

 マジ恥ずいけど!!


 なんていう俺の抗議を受けて尚も腕を抱いたままのミレーユは、夕焼けなのか、心なしか顔を赤くして呟く。


「海の中でも当ててきてた」

「…………マジすんません、そこは無自覚なので勘弁して下さいませんか。いや、どうしようもないというか、水濡れ状態でああしてるとヤバかったと言いますか。え? 結構感動シーンぽかったのに、お前そんなこと考えてたの?」


 内心でキスしながら「あ、当たってる」とか思ってたの!?

 そうなの!? 俺そうなってたのは何となく感じてたんだけど、そんなあっさりとバレちゃうかんじなの!? ほら、ケータイ当たってるなーとか、財布当たってるなーとか、そういう風に思ったりはしない…………しないんですね、そうですか。


 死にたくなった。

 せめてあの海へ飛び込んで全力で遠泳とか始めたかったけど、俺の腕はしっかりミレーユにホールドされている。


「ふふふ、えっちかっぷる」


「……なんか物凄く駄目な響きしかないな」


「ミチ。んー」


 そして何故唐突に目を閉じて唇を向けてくるんだいミレーユ。


 欧米か。

 欧米だったわ。


 なので、俺も自分の欲求に逆らわず唇を重ねた。


 最初の歯をぶつけた時も、海での時でも、それどころじゃなかったけど。

 今度はしっかり、柔らかなミレーユの唇を感じて、顔を話す。


 頬を染めて、少しだけ湿った声が間近からする。


「ワオ……ボーイフレンドができたよ」


「よろしくお願いします、ガールフレンドさん」


「OK。今度パパに紹介するよ」


 え、いきなりそこなの? 欧米の恋愛観が分からないネ、正直、結構ビビるネ。

 シュワルツ的なダディが現われたら、俺の方がアイルビーバックしちゃう自信あるヨ。b。


「大丈夫、パパ、ニッポンダンジー、好き言ってた。ハラキリ、さいこーって」


 それ最悪なんだけど、俺介錯されちゃうんだけど、大丈夫なの!?


「チューシングラ、シンセングミ、みんな好きよ」

「そいつら軒並み碌な結末迎えてないの知ってる……? バッドエンドだよ?」

「Oh,yes」


 よくない。全く以ってよくない。


 とはいえ、夢への一歩は身投げのようなものか。

 最近の漫画だと、最初の一歩はもっと身軽でも良いって言われてた気もするんだけど、俺のトコだけハード過ぎないか?


 なんてビビっていたらミレーユが拗ね顔をした。


「……ミチ、国際結婚イヤ?」

「ばっちこいです。子どもは五人で、バスケチームを作ろう」

「おーう! えっちえっち!! ミチはすけべだー!」


 なにはともあれ、俺の巨大すぎる夢が決まり、正式にミレーユとの交際を開始した。

 そして、数日後。


 ミレーユの祖母が亡くなり、彼女はアメリカへ帰ることになった。


    ※   ※   ※


 本当に、あっという間の日々で。

 夏の日差しにも負けないくらい、熱い時間だった。


「ミチ!!」


 空港で、ちっさな荷物一つを背負った俺の元へ、ミレーユが駆けてくる。


「《《ようこそアメリカへ》》!!」


 ハイタッチを交わし、人目も憚らずに抱き着いてくる。

 そうして高校三年間ですっかり成長したミレーユは、同じく成長した俺の胸元に顔を埋めて深呼吸をした。


「ん~、ミチのにおい。ムラムラするね」

「良し。まずはモーテルを探すか。他の事は後でいい」

「ノウ、パパが待ってる」

「おっと……ダディも一緒だったか……」


 見られてたかなと周囲を探り始めた俺の唇へ、ミレーユの指先が触れた。

 それから、決して力は掛けてこないが抵抗し難い力で自分へ向かせて。


「ん…………んふふ。んっ」

「ほら、そんなにがっつくなよ。二ヵ月前にも会ったばかりだろ」

「ノウっ、二ヶ月も会えなかった婚約者をもっと愛して!!」


 そりゃこっちだって堪らなくなってきてるけどさ、遠く離れた場所から珈琲片手にこっち見てるダディ見付けちゃったら、イチャイチャなんて男は出来ないからね?

 違うんです、娘さんのことは大切に想ってるんです、なのでちょっと、五分でいいからあっち向いててくれませんか。


「あーっ、またパパのこと見てるーっ。私と居る時は私を見るのっ。ミチ、気にし過ぎだよお」

「ニッポンダンジだからね、ハラキリが掛かってるんだよ。まずは落ち着いて、そういうのは後でたっぷりとね」

「我慢できないーっ」


 正直俺も我慢出来なくなってきてたので、ダディがミレーユママから声掛けられたのを見た瞬間にミレーユを抱き締めて熱いのをお見舞いした。

 すっかり頬を上気させた彼女はもう一度俺の首元へ鼻を埋めて息を吸う。

 いいけどさ、俺のにおいなんて幾らでも余ってるから好きなだけ嗅いでくれていいけどさ。


「ミチ、しばらくは一緒になんでしょ?」

「うん? あぁ、でも、早めに合流して欲しいとはボスに言われてるよ」

「そっか。強豪校の練習、私も見に行こうかな」

「プロ契約も決まってる女子バスの女王が現われたら、皆大喜びするんじゃないかな」


 俺はバスケットの王道、NBAでのドラフトを狙ってこっちのNACC強豪校へ入学することを決めた。

 高校在学中から積極的にアピールしにきて、実際に試合を見て貰って、色好い返事も貰ってる。

 とはいえまだまだ入口だ。そこでの成果次第でNBAからの声が掛かるかどうかが決まると言って良い。


 一方でミレーユは来年から欧州のプロチーム入りだ。

 最終的には女子バスケットのWNBAを狙っているけど、今は年齢制限があるし、実績作りとしても実力を磨く上でも大切だ。


 ようやく俺がアメリカへ来たと思ったら、ミレーユはフランスへ。


 すれ違い。

 もどかしさはあるけど、お互い同じ夢を持って頑張り続けているから。


「ミチ」

「おう、ミレーユ」


 ハイタッチを交わし。

 指を絡めて。


 この一時を糧に、また夢へ向けて歩き続けていく。


 今日も。

 明日も。


 ずっと。


 あぁ、愉しいなァ……!!






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