2 私の母の物語
時代も場面も変わります
とある東の国の小さな病院で私は生まれた。
母は欧米人、お父さんは知らない。
昔お母さんはヨーロッパのどこかに住んでいたようだけど、その時のことはあまり話したがらない。
母は自分のことに精一杯だったようで、
幼い私はまともな支援も受けられなかった。
母は働いていなかったので生活は厳しいものだった。
家には置いてもらえたが、食事も出されず、
機嫌が悪ければ暴力を振るわれることもあった。
でも、自分の力で何とかして私はその家で、生きていた。
貧しさからか、 その親ですら食事がままならなく、
衰弱していった。周りに支援を求めればいいのに、
母国語以外話せないプライドの高い母はそれを拒んだ。
親の愛情を十分に享受できなかった私。
でも、幼い子供にとって親は世界の全てで。
それは私も例外ではなく、同じ家に住んでいた頃はいつも親の横たわるベッドの隣の椅子にいた。
窓から見える、少し遠くの教会のステンドグラスが
おひさまの光をキラキラと、こちらに反射して、
二人のだけの部屋をまぶしいものにした。
母も窓の外を眺めるのが好きだったようで、
窓の外の小さな1点に恋焦がれるように見入っていた。
きらきらと光を受け輝く、あの教会に。
この世界に二人しかいないような、箱庭の世界だった。
私はついに7歳になった。現地の小学校に入学した私は、その国の言葉を学び、周りの助けもありすぐさま上達して、かなり流暢に話せるようになった。しかし、
母は言葉すら失い寝たきりになり、
私は母の母国語を忘れ、話せなくなった。
会話すら、しなかった。
ただ私は母を生かすためだけにお世話をした。
3年後の私の10歳の誕生日を迎える前に、母は死んだ。
寒さも残る3月の朝、部屋に行くと、
ベッドの上で安らかに事切れていた。
原因は、衰弱死。まだ36であった母が、
なぜそんなに早く死んだのかも分からない。
母の過去の無理が祟ったのかもしれないし、元々
体が弱かったのかもしれない。
その原因を推測できぬ程、私は母について無知だった。
その後身寄りもなかったので、家から離れた施設に
預けられた私は、
かつて自分の全てであった母を忘れて
普通の女の子としての暮らしを、送った。




