88話 相対する絶望
俺は、崩れた石壁をつたって暗い通路を走っていた。足元に転がる瓦礫や小動物の気配を感じながらも、視線を前に向け、立ち止まらない。心臓が早鐘のように鳴り、耳には自分の荒い呼吸がこびりついている。
「ここを抜ければ…!」
思わず声が漏れる。前方にはスキンヘッドの男を追ったときに使用した小さな横穴が見えていた。俺はその狭い空間に身体を押し込もうとした瞬間、激しい轟音が地下全体を揺るがした。
「またか…!!」
頭上から岩盤が崩れる音が聞こえる。暗闇の奥で何かが砕け落ちる不吉な音に、背筋が冷たくなった。生き埋めになる恐怖が頭をかすめるが、俺は歯を食いしばり、ひたすら前へと進む。
見覚えのある質素な空間にたどり着いたとき、息をつく間もなく目に飛び込んできたのは、青白い死斑が浮かぶ無数の死体だった。その冷たく硬直した表情が、俺の心を揺さぶる。
「……」
俺は一瞬足を止めかけたが、すぐに視線を逸らし、目の前にある階段へと向かった。そこを抜ければ地上へと出られるはずだ。
階段を登る途中、道が瓦礫で塞がれていた。俺は躊躇せずに杖を振り上げ、魔法を唱える。魔力の衝撃が瓦礫を粉々に砕き、細かい石片が周囲に飛び散った。
「よし…!」
崩れた道を越え、再び階段を駆け上がる。薄暗い地下とは違い、階段の上から差し込む光がやけに強い。違和感が胸をよぎった。この階段は、確か王宮の謁見の間へと通じているはずだ。しかし、こんなにも明るい光が差し込むのはおかしい。
「……まさか。」
胸の奥に嫌な予感が膨れ上がる。俺はその不安を振り払うように、急いで階段を登り切った。
「――っ!?」
目の前に広がる景色を見た瞬間、言葉を失った。そこには王宮の美しい建物はどこにもなく、瓦礫の山と砂煙、そして散らばる遺体があるだけだった。青空が無情にも広がり、その下に広がるのは破壊された世界だ。
かつて王宮があった場所から吹き抜ける風が俺の頬を切るように冷たい。その風に乗って、血と焦げた臭いが漂ってきた。
「……どうして、こんなことに…?」
足元が震える。信じられない現実に、膝が崩れそうになるのを必死に堪えた。
瓦礫の間を歩き、周囲を探していると、息のある兵士を一人見つけた。瓦礫に下半身を潰され、呼吸は浅い。俺は駆け寄り、肩を揺さぶった。
「大丈夫ですか!?しっかりしてください!」
兵士の目は虚ろで、焦点が定まっていない。それでもかすかに唇を動かし、声を絞り出した。
「……あ、悪魔……」
その一言を残し、兵士の身体は力を失った。
「……悪魔。」
その言葉が耳に残る。脳裏には、先ほどの圧倒的な存在の姿が浮かんだ。身体が無意識に震えだす。それでも、俺は拳を握りしめた。
「……逃げるわけにはいかない。」
瓦礫の上に立ち、視線を遥か遠くへと向けた。砂煙の先には、黒い霧が渦巻いている。あの中心にいるのは間違いなくアイツだ。
あのとき亡霊に聞かれた言葉が脳裏をよぎる。
俺は、恐怖に支配され立ち尽くしていた数分前の自分を思い返した。あのときの俺は何もできなかった。ただ圧倒され、逃げることすら考えられなかった。だが、今は違う。
見渡す限りの瓦礫と遺体。それが目の前の現実だ。このまま放っておけば、さらに多くの命が奪われるだろう。それを思うと、恐怖よりも別の感情が胸の奥で燃え上がるのを感じた。
「もう逃げない。絶対に…!」
俺は杖を握りしめ、その冷たい感触を確かめた。その先に待つ運命がどれほど恐ろしいものであろうと、前に進むしかない。
「俺が……必ず!」
空を切る風を受けながら、俺は一歩を踏み出した。
突然、遠くの空が裂けるように輝き、耳をつんざくような轟音が響いた。
「まだ暴れているのか…!」
黒煙の中心からは、稲妻のような魔力の奔流が幾筋も放たれ、周囲の大地を砕いている。爆発音とともに街の残骸がさらに崩壊していく。
「くそっ…早くしないと、間に合わない!」
俺は瓦礫の山を滑るように降り、暴風の中心へと向かって走り出した。その先に待つのが何であろうと、もう立ち止まることはできない。
ついに、黒煙の渦巻く中心へと足を踏み入れた。周囲は瓦礫と魔力の残滓で荒れ果てている。視界の先に、白銀の骸骨を輝かせる異形が静かに佇んでいた。その狂気と殺気は距離を隔ててもなお俺を威圧し、足元が震える。
だが、俺は目を逸らさない。
「これ以上、お前に好きにはさせない!」
声が震えないように言葉を吐き出し、杖を掲げる。その瞬間、白銀の骸骨がゆっくりとこちらを振り返り、歪んだ笑みを浮かべたように見えた。
「来いよ…今度は逃げないぞ。」
俺は白銀に輝く骸骨と視線を交錯し、緊張がピークに達する。次の瞬間、風が止まり、世界が静寂に包まれた――次の一手を待つように。




