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87話 無慈悲な審判

 俺は地下の薄暗い道を歩き続けていた。疲労で足が重く、息も荒い。まるで暗闇が心まで浸食してくるような感覚だった。


「俺は…なんでこんなところにいるんだ…?」


 震える手を見つめた。思い返せば、あの圧倒的な存在の前で俺は何もできなかった。ただ立ち尽くすだけで、戦うことさえ思いつかなかった。それどころか、自分の命を守ることすら放棄していた気がする。


「こんなんで…何が最強だよ…」


 思わず立ち止まり、膝をついた。暗闇の中、孤独感と無力感が心を埋め尽くしていく。


 そのときだった。

 目の前の壁にぼんやりとした光が浮かび上がる。人の形をしたそれは、静かに俺を見下ろしていた。


「…誰だ?」


 光の中から現れたのは、淡い青白い輝きを放つ亡霊だった。透明な姿の中に、どこか慈しみのようなものが感じられる。


「どうやら、私が浄化される原因を作ったのはお前のようだな。」


 亡霊の声は低く、どこか哀愁が漂っていた。俺は目を見開いた。確かに、この地下で出会った敵を浄化際、何かの気配を感じた。それが、目の前にいるこの亡霊だったのか。


「浄化…?まさかさっきの亡霊…?」


「そうだ。そして、お前自身が今の自分を見失っているようだな。」


 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。亡霊は静かに続ける。


「私は、生前とある目的を果たすためにここにいた。だが、途中で恐怖に飲まれ、立ち止まった。そして、それが私の命を終わらせたのだ。…お前も、その道をたどるつもりか?」


 亡霊の言葉が胸に刺さる。恐怖に飲まれた自分と、目の前の亡霊が重なるようだった。


「俺は…俺は何をすればいい?」


「恐れるなと言っているのではない。ただ、恐れた先に『何をするか』を決めろ。私のように立ち止まり続けるな。」


 亡霊の瞳が鋭く光り、俺の心を射抜くようだった。それでも、どこか優しさが滲んでいるようにも思えた。


「…あんたは、一体誰なんだ?」


 俺は思わず問いかけた。この亡霊の存在感は尋常ではなかった。生前に、相当な何かを成し遂げた人物に違いない。


 亡霊は一瞬だけ沈黙したあと、静かに口を開いた。


「……私の名は、アルヴェリウス。今となっては、何の意味もない名前だがな。」


「アルヴェリウス…?」


 その名前には、どこか聞き覚えがあるような気がした。だが、思い出せない。歴史の授業で聞いたような、そんな遠い記憶がかすかに呼び起こされる。


「覚えておく必要はない。ただ、お前が歩むべき道を見失わなければ、それでいい。」


 亡霊の声には深い重みがあった。その言葉一つ一つが胸に響く。


 亡霊は手を差し出すようにして、淡い光の粒を俺の手元に集めた。それは小さな石のような形をしていて、不思議な温かさを放っていた。


「これは…?」


「お前の中にある可能性だ。それを手に、前に進むかどうかはお前次第だ。」


 亡霊は徐々に光とともに薄れていく。そして消える直前、こう告げた。


「生きているお前には、まだ多くの選択肢が残されている。その重みを知れ。そして歩め。」


 俺は静かに立ち上がった。手の中の石がじんわりと温もりを伝えてくる。さっきまでの重さは、少しだけ軽くなっているようだった。


「アルヴェリウス…あなたの言葉、忘れない。」


 俺は胸の奥から湧き上がる決意を感じた。この手の中にある希望を絶対に無駄にしない。そのために、俺は進む。


「行くぞ…!」



 ※※※


 数分前――地上。


 街の一角に突如現れた宙に浮く異形の存在。冒険者たちの喧騒に包まれていたはずの首都ヴァルシオンは、その瞬間、静寂に包まれた。誰もがその異様な姿に目を奪われ、言葉を失った。


「なんだあれは…?」

「空に…浮いている…?」

「地下から…あいつが出てきたのか…?」


 誰かがそう呟くたびに、周囲に広がる不安と恐怖が形を成し始める。冒険者や兵士たちが次々と集まり、騒ぎは増していくが、その存在を目の当たりにした瞬間、彼らの心は沈黙した。


 その存在は周囲の喧噪を意に介さず、静かに自らの視線を地上へと向ける。風が舞い、そのローブが捲れると、隠されていた顔が露わになる。


「……!!!」


 その顔を見た瞬間、そこにいた者たちは皆、凍りついた。銀白色に輝く骸骨――それはただの骸骨ではない。何千、何万もの命を喰らい続けてきたような、底知れぬ狂気と殺気がその姿から溢れ出していた。


「逆らうな…」


「目を合わせるな…」


 誰ともなく、震える声でそう言い始める。その言葉に誰も反論する者はいなかった。それどころか、一斉に膝を折り、頭を地面にこすりつける者が続出する。


「お許しを…!我々は何もしておりません…!」


「どうか、どうか命だけは…!」


 この国に生きる者たち――冒険者、兵士、市民たちは皆、弱肉強食の掟を叩き込まれてきた。だからこそ分かる。『アレ』には逆らえない。何をしようと無意味だ。目の前の存在が生ける災厄そのものであることを、本能で理解していた。


 しばらくの間、異形の存在は動きを止めたままだった。まるで、彼らを品定めするかのように。その静寂は短いながらも永遠のように感じられた。


 だが、不意にその存在は片手を天に掲げた。次の瞬間、天を裂くような激しい轟音とともに、空中に禍々しい光の塊が現れる。それは純粋な魔力で形成されており、周囲の空気を震わせながら黒と紫の輝きを放っていた。


「……なんだ…あれ…?」

「に、逃げろ…!」


 誰かが叫んだが、逃げ出す者は一人もいなかった。その場にいる全員が、その圧倒的な威圧感に押しつぶされ、動けなくなっていたのだ。


「神よ…どうかお救いを…」


 一人がそう呟いた瞬間――。


 その魔力の塊はゆっくりと地上へと向けられた。まるで絶対的な審判の執行者のように。


 光が放たれる刹那、周囲が一瞬だけ白に染まる。そして、耳をつんざく爆音とともに大地が揺れ、街の一帯が呑み込まれた。建物は粉々に砕け、爆風が街の中心部から周囲へと押し寄せる。

 吹き飛ばされた瓦礫が雪崩のように押し寄せ、多くの命をその下へと埋め込んでいった。


 叫び声が響き渡る。


「うわあああああっ!」


「助けてくれ!」


「いやだ…死にたくない!」


 人々の絶叫が混じり合い、終末の風景が広がる。だが、その声も長くは続かなかった。街の三分の一を呑み込んだ破壊の波は、あまりにも急速で、圧倒的だった。


 煙が立ち込める街並み。静寂が戻るとともに、異形の存在は再び宙を漂い始めた。周囲を見渡すと、命の兆しが残る者たちに視線を向けた。


「次は…どこだ…」


 その声は低く、まるで誰にも聞こえないかのようだった。それでも、その言葉を聞いた者がいれば、それは確実に心に焼き付いたことだろう――。




【その日の記録】

 この日、首都ヴァルシオンは街の三分の一を失い、歴史的な大災厄として後世に語り継がれることになる。人々が『滅びの神』と呼んだその存在は、いまだ謎に包まれている。しかし、目撃者たちが語る『恐怖』と『狂気』の記憶は、数百年後にも色褪せることはなかったという。

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