78話 迅風の爪
階段を降り切ると、そこは街の下水道に繋がっていた。薄暗い通路はじめじめとしており、小さな動物が壁際を走り回る音が反響している。鼻をつく嫌な臭いが漂い、俺は自然と眉をひそめた。
「ここまで逃げ込んだか…」
呟きながら魔法で小さな火を灯し、周囲を照らす。揺れる炎の光が苔むした壁に陰影を落とす中、俺は慎重に足を進めた。
やがて、通路の先に広場らしき空間が見えてきた。そこは他の通路が何本も集まる交差点のような場所で、中央に位置する水たまりがかすかな光を反射していた。人の気配を感じ取り、俺は物陰に身を潜める。
暗がりの中、低い話し声が聞こえてきた。よく目を凝らしてみると、そこには三人の男が立っていた。そのうちの一人は、大聖堂を爆破したフードの男だとすぐにわかった。
「…よくやった。この混乱で俺たちは動きやすくなる。」
リーダーらしき男が低い声で言う。フードの男は肩をすくめながら、小さく笑った。
「へへへっ…ど、どうも。それで約束の金は…」
フードの男が言い終わるかどうかの間もなく、リーダーは冷酷な声で告げた。
「そうだったな…。じゃあ、死ね。」
次の瞬間、広場の一角が明るく輝いた。リーダーが放った火の魔法がフードの男に直撃し、その体を炎が包む。
「ぐぅああ!熱い、助けてくれ!」
フードの男は悲鳴を上げながらのたうち回り、最後の力を振り絞って下水に飛び込んだ。水面に派手な音が立ったが、数秒後、浮かび上がってきたのは無惨な死体だった。水に濡れたフードがずり落ち、男の焼けただれた顔が現れる。
「無駄口が多いやつだ。」
リーダーは冷淡に吐き捨てる。近くに立っていた部下が恐る恐る口を開いた。
「いいんですか?殺してしまって…。」
「ああ、構わねえ。『迅風の爪団』のことを知った奴を生かしておけるわけがねえだろ。覚えておけ。」
「は、はい…。それで、このまま騒ぎに乗じて王宮に忍び込むんですよね?」
「その通りだ。この混乱で警備は手薄になってる。今が絶好のチャンスだ。」
短い会話の中にも、リーダーの言葉には冷酷な確信があった。彼らは迷いなくこの計画を実行するつもりだ。
(迅風の爪団…?盗賊団の名前か。そして王宮…?まさか、建国祭の騒ぎを利用して王宮で何か大それたことを企んでいるのか…。)
俺は息を潜めながら考えを巡らせる。ここで地上に戻り、警備隊や王宮にこの情報を伝えるべきか。それとも、このままあの二人を追跡し、盗賊団のアジトを突き止めるべきか。
(いや、相手の実力が分からない以上、一人で突っ込むのは危険だ。しかし、王宮で何を狙っているのかが分からなければ、対策も立てられない…。)
少し考えた末、俺は二人を追うことに決めた。王宮での目的を突き止めたら、すぐに戻ればいい。
俺は足音を立てないよう細心の注意を払いながら、二人の後を追った。二人は下水道のさらに奥へ進んでいく。時折立ち止まり、辺りを確認するそぶりを見せるが、俺の姿には気づいていないようだ。
やがて、通路は再び広がり、壁には簡素な木製の扉が現れた。リーダーが扉を押し開けると、その先にはさらに地下へと続く階段があった。微かな灯りが漏れており、人のざわめきが聞こえてくる。
(ここが奴らのアジトか…。)
俺は扉の影に身を隠し、慎重に様子を伺った。もしこのまま進めば、引き返せなくなるかもしれない。しかし、この機会を逃せば奴らの計画は実行されてしまうだろう。
(決めるのは今だ…。)
深呼吸をし、俺は静かに扉の先へ足を踏み出した。
扉の先には、広い何もない空間が広がっていた。
壁や天井は木製の柱で支えられており、全体的に不安定そうな印象を受ける。
湿気が漂う中、木材の腐臭が微かに鼻を刺す。左右にはそれぞれ二つの扉が設置されており、左奥の扉からは薄暗い光が漏れ、複数の声が聞こえてきた。
俺は慎重に周囲を確認しつつ、まず右側の扉を一つずつ調べて回ることにした。
右手前の部屋にはモップやバケツが転がっており、奥の部屋も同様に掃除道具が散乱しているだけだった。
ここはおそらく、昔下水道の清掃員が休憩所として使っていた場所なのだろう。何の収穫も得られず、少し警戒を緩めつつも、今度は左前の扉をゆっくりと開けた。
開けた先には、一人の女がいた。
壁に背中を預け、一本の煙草をふかしながら静かに立っている。革のジャケットに汚れたズボンといういかにも盗賊然とした格好だ。
目が合った瞬間、時間が止まったかのように数秒間互いに硬直した。
女が僅かに口元を歪め、手を懐に入れる。
それに気づいた瞬間、俺は咄嗟に杖を構えた。だが次の瞬間には数本のナイフが俺に向けて投げ放たれていた。反射的に魔法を発動し、水の盾を生成して攻撃を防ぐ。そのまま盾の形状を変え、大きな水の弾として女に向けて放った。
「くっ!」
避け切れず、水弾は女の腹部を直撃。女は激しい音を立てて床に崩れ落ちた。かすかに呻き声を上げるが、動ける様子はない。
俺は束の間の安心を覚えたものの、すぐに廊下から複数の足音がこちらに向かってくるのを聞いた。
「なんだ今の音は!?」
扉が勢いよく開け放たれ、三人の男たちが入ってきた。俺は咄嗟に部屋の隅にあった物置に身を潜める。息を殺しながら彼らの様子を伺う。
「おい、何があったんだ?」
一人の男が倒れた女に近寄る。他の二人も周囲を警戒しつつ、女の様子を見下ろしている。
「なんだこれ、ずぶ濡れじゃねえか。まさか寝てたのか?」
「寝てたって何だよ。さっきの音は何だったんだ?」
一人が不満げに呟き、もう一人が薄ら笑いを浮かべながら言う。
「おいおい、よく考えろよ。こいつ、一人で寝てたわけじゃねえだろう。さっきの音、何かを打ち付けてた音なんじゃねえか?」
「打ち付けてた音?」
その言葉を聞いた男たちは互いに顔を見合わせ、ニヤニヤと笑い始めた。
「こりゃ、いいもん見つけちまったなぁ。なぁ、お前ら、つまみ食いしてもいいよな?」
「中古品には興味ねえが、こういう場所でやる奴らが悪ぃんだよ!」
男たちは一人また一人と服を脱ぎ始めたが、その中の一人がふと気づいた。
「おい、待てよ。相手がどこにいる?」
「相手?」
「そうだ、この女とヤッてたやつだよ。どこだ?」
その言葉に周囲を見渡し始める男たち。やがて一人が物置を指差した。
「おい、あそこが怪しいな。」
ゆっくりと物置に近づいてくる足音が聞こえる。俺は冷や汗をかきながら、杖を構える準備を進めるが、床に手をついたとき、何か固い突起物に触れた。
(なんだこれ?)
手探りでそれを確認すると、何かが紐で固定されているようだった。物置の扉がゆっくりと開かれ始めた瞬間、俺は思い切ってその紐を引きちぎった。
「うぉ!?」
突然、床がパカッと開き、俺はそのまま下へ滑り落ちた。急な展開に驚きながらも、勢いを利用して風の魔法で滑走を制御し、なんとか速度を落とすことに成功する。
「おい、誰かいたのか?」
「そんなことより、女がいねえぞ!」
上から男たちの怒声が聞こえてくる。その直後、女の声が響き渡った。
「お前ら、一体アタシに何しようとしてたんだい?」
「なっ!?てめぇ!」
「死ね、クズ野郎ども!」
激しい怒声と共に男たちの悲鳴が続く。その音を背に、俺は下へと滑り続けた。滑り終えた場所に到着すると、まだ先には闇が広がっている。生暖かい風が下から吹き上がり、不気味な気配を漂わせていた。
「ふぅ…危なかった。」
どうやら戻ることは不可能だ。この先に何があるのかはわからないが、わざわざ隠し通路を作る以上、重要な情報があるのは間違いない。俺は杖をしっかり握り直し、一歩ずつ慎重に闇の中へと進み出した。




