69話 初依頼
俺たちはギルドから借りた馬車を走らせ、加護持ちの魔獣が潜む洞窟を目指していた。
馬車の振動に揺られながら、俺はこれまでの経緯をノアとフェンリに説明していた。
「……ってことで、俺は今、指名手配されてて、ノワラには戻れないんです。それに、手紙を届けるためにダール国に行かなくちゃいけません。」
俺の話を聞き終えた二人は顔を歪ませ、それぞれに怒りを見せた。特にノアは感情が抑えきれないようで、大きな声を上げた。
「国王許せない! 勝手にカイルに期待して、それが勘違いだったら『国から出てけ』なんて……!何それ、無責任すぎる!」
その声には怒りと失望が混ざっていて、俺が想像していた以上に彼女は憤慨していた。
フェンリは拳をわなわなと震わせながら黙り込んでいる。表情こそ冷静だが、内に秘めた怒りが彼を硬直させているのが分かった。
俺はこの重い空気を少しでも和らげようと、意図的に話題を変えることにした。
「……そういえば、ノアの適正魔法ってなんだったんですか?」
軽い調子で尋ねた俺に、二人は少し驚いた表情を見せた。だが、俺の意図をすぐに汲み取ってくれたフェンリがふっと息を吐き、拳を緩めた。
「君は相変わらずですね……こういう時でも自分のことを気にしてないフリをする。」
ノアも徐々に落ち着きを取り戻し、笑顔を作りながら「あぁ!」と声を上げた。
「私の適正魔法はね、火元素と土元素と……あと赤色の測定石で検査したときに、特殊元素で空気元素ってのがあったよ!」
「空気?」
俺は聞き慣れない言葉に眉を上げた。
「でもね、空気って何ができるのかまだ分からなくて……全然教科書にも載ってないの!」
そこで、フェンリが知識を披露するように口を開いた。
「空気元素なら、結界魔法が使えるはずです。」
ノアが昔を思い出し、少し苦い顔をする。
「うぇー、結界魔法?」
「結界魔法は簡単に言うと、空気中の魔力を固定して結界を張る魔法なんです。攻撃を防いだり、特定のエリアを封じ込めたりできる、便利な魔法ですよ。ただ……その分、扱いは難しいと聞きます。」
しかし、フェンリの説明にノアは目を輝かせてうなずいた。
「うわぁ!すごい便利そう!やっぱり私、頑張って練習しなきゃ!」
「でも、空気元素を扱えるのは珍しいですよ。」
フェンリが付け加える。
「僕でも習得ができないくらい難しい元素なので、それを使いこなせる人は貴重です。」
ノアは照れくさそうに頭をかいた。
「そ、そうなの?でも今は全然使えないから、これから勉強しなきゃね!」
俺はそんな二人の会話を聞きながら、少しほっとした。重たい話題から離れ、いつもの調子に戻ってくれたことが何よりだった。
その時、馬車が大きく揺れた。運転席に座っていた俺は手綱を握り直しながら前方を見据えた。
「あ、洞窟が近いみたいです。」
遠くの森の奥に、黒々とした入口が見えてきた。洞窟の前には、何本もの折れた木や地面に散らばる骨のようなものが見える。
ノアが不安そうに呟いた。
「ここが加護持ちの魔獣がいる場所……?すごく不気味だね。」
フェンリは剣を握り直し、真剣な表情で答えた。
「気を引き締めましょう。これまでの魔獣とは格が違う相手だと考えた方がいいです。」
俺たちは馬車を降り、装備を確認しながら洞窟の入口へと足を運んだ。
洞窟の中は予想以上に整然としていた。壁や床には苔ひとつ生えておらず、岩肌は滑らかで光を反射している。しかし、そんな静けさが逆に異様な雰囲気を醸し出していた。
動物が生活していた形跡は一切なく、洞窟全体が魔力に満ちているようだ。
「……ここ、普通の動物が住む場所じゃないですね。」
俺は囁くように呟いたが、それだけでさえ洞窟内の空気を震わせるような感覚があった。
息をするたびに濃密な魔力が肺に入り込み、むせ返りそうになる。
さらに身体の重さが増し、倦怠感が押し寄せてきた。これは魔獣が持つ加護の影響かもしれない。俺たちの気力をじわじわと削っている。
(これが……加護持ち魔獣の領域、ってやつか。)
幸い、ギルドで手に入れた『活力ポーション』というものが役立った。ポーションを飲むと、身体にエネルギーが戻るような感覚があり、倦怠感が軽減される。しかし、効果が永続しないうえ、飲みすぎると効き目が薄れるという欠点がある。
「急ぎましょう。時間が経つほど不利です。」
フェンリの冷静な判断に俺たちはうなずき、慎重ながらも足早に洞窟の奥へ進んだ。
やがて、周囲の魔力がさらに濃くなり、吐き気すら覚える広場に出た。広場の中央には動物の死骸が散らばっており、その異様な光景がここに『何か』が棲んでいることを物語っていた。
「ここ、本当にヤバそうだね……。」
ノアが不安そうな表情を浮かべながら呟いた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、洞窟の奥から低い唸り声が聞こえてきた。
「気をつけろ……!」
俺が警告を発した瞬間、ノアが小さな悲鳴を上げた。
「え?あ、あ!」
振り向くと、ノアの足元にはネバネバとした粘液が絡みついていた。
「これは……!」
フェンリが表情を強張らせて叫ぶ。
「それは魔獣の体液です!奴らは自分の体液に触れたものを感知できるんです!つまり――」
フェンリの言葉を遮るように、洞窟全体が揺れるような咆哮が轟いた。
「来るぞ!」
俺は咄嗟に杖を握りしめ、暗闇が広がる横穴に意識を集中させた。
(いつでも来い……出てきた瞬間、特大の魔法をお見舞いしてやる!)
次の瞬間、横穴の暗闇から巨大な影が現れた。
洞窟内は緊張感で満ちていた。
咆哮とともに暗闇から現れた魔獣は、異形そのものだった。
狼のような頭部に蛇の尾、背にはコウモリのような翼が広がり、全身から黒紫の瘴気が漏れ出している。その姿を目にした瞬間、全員の喉が自然と音を立てた。
「なんて姿だ……!」
俺は杖を強く握りしめた。魔獣が目をぎらつかせ、ゆっくりとこちらに向けて歩み寄ってくる。その歩幅ひとつひとつが地面を震わせ、圧倒的な存在感を放っていた。
「ノア、後衛に下ってください!フェンリ、俺と挟み撃ちにしましょう!」
「分かりました!」
フェンリは素早くポジションを取ると、杖を掲げて詠唱を始める。
「氷刃!」
フェンリの杖先から冷気が放たれ、鋭い氷の刃が次々と生み出された。刃は空中で舞いながら魔獣に向かって飛んでいく。しかし――
「硬い…!」
氷の刃が魔獣の体表に当たったものの、肉を傷つけるどころか表面で砕け散ってしまった。魔獣は鋭い牙を見せて咆哮し、フェンリに向かって突進する。
「くっ……風壁!」
フェンリが即座に風元素の魔法で防御壁を作り出す。魔獣の突進が壁にぶつかり、洞窟内に激しい風圧が広がる。だが、魔獣は一瞬ひるんだだけで、再びこちらに向き直った。
「ノア、足元です!」
「分かった!」
ノアが震える声で答えながら、杖を構えた。
「土槍!」
ノアの魔法が発動し、地面から鋭い土の槍が生え、魔獣の足元を狙う。槍が一本、二本と連続して突き出し、ついにそのうちの一本が魔獣の前足を突き刺した。
「よし、効いてる!」
魔獣が怒りに満ちた唸り声を上げると、瘴気がさらに濃くなり、洞窟全体に広がり始めた。視界が徐々に霞んでいく。
「くそ……視界が!」
俺は額から汗をぬぐい、次の魔法の準備を急いだ。
「フェンリ、このままじゃまずい。動きを止めます!」
「了解です!合わせます!」
俺は詠唱を始めた。
「水操作!」
杖から放たれた大量の水が魔獣の周囲を走り、地面に水流の輪を作り出す。その輪が魔獣の四肢を拘束し、一瞬だが動きを止めた。
「今だ、フェンリ!」
「土槍!」
フェンリの魔法が魔獣の胸を狙い撃つ。鋭い土の槍が魔獣の皮膚を貫き、瘴気とともに黒い血が吹き出した。魔獣が苦悶の咆哮を上げる。
「ノア、もう一撃です!」
ノアは必死に魔力を集中させ、再び魔法を発動する。「大地振動!」
地面が揺れ、洞窟の天井から崩れ落ちた岩が魔獣を直撃し、その巨体を押しつぶしたかのように見えた。
しかし、岩の隙間から魔獣が再び姿を現した。その眼には凶暴な光が宿り、さらに攻撃的な態度を見せている。
「タフすぎる……!」
俺は息を整え、もう一撃を準備した。
「フェンリ、援護してください!ノアは後方で警戒を!」
「分かりました!」
フェンリが再び杖を振り上げ、風元素の魔法を連続で放つ。
「風刃!」
鋭い刃が風に乗り、魔獣を切り裂こうとするが、魔獣は翼を広げて吹き飛ばしてしまう。
俺はその隙に魔力を最大限に込めた。
「これで……!」
「炎爆!」
中級魔法が轟音とともに魔獣を包み込む。熱気が洞窟内を焼き尽くし、爆炎が魔獣の体を包む。
(流石にやったか……?)
俺たちは立ち尽くし、燃え盛る炎の中で魔獣の動きが止まるのを見守った。だが――
突然、炎が黒い霧のような何かに覆われ、一瞬でかき消された。
「な、何だ……!」
かき消された炎の拍子に、逆流する熱気が俺たちを包む。熱風が吹き荒れ、全員が思わず顔を覆った。
「くそっ、まだ生きてるのか!」
黒い霧の中から、再び魔獣の咆哮が響き渡る。
その音圧だけで足元が揺れるほどだ。霧が徐々に晴れていく中、魔獣の姿がはっきりと見えた。傷ついたはずの体が異様に再生している。それだけでなく、体中に黒紫の模様が浮かび上がり、それが有する魔力は先ほどよりもさらに増していた。
「再生してるのか?いや、まさか……!」
フェンリが険しい顔で叫ぶ。
「これは……まさか!身体強化の魔法が施されている!?」
「そ、それって…!?」
ノアが震え声で呟く。
身体強化の魔法それは魔獣使いビスマーの得意とする魔法だ。
(まさかこの魔獣にもビスマーが関わっているのか!?)
魔獣は再びこちらを見据え、鋭い爪を振り上げる。その一撃は洞窟の岩壁をもろくも粉砕し、飛び散る破片が俺たちに襲いかかる。
「危ない、伏せろ!」
俺が叫び、全員が即座に地面に身を伏せる。岩の破片が頭上を通り過ぎ、洞窟の奥にぶつかり、さらに大きな音を立てて崩れる。
(まずい、このままだとやられる……!)
俺は状況を冷静に分析しようとするが、魔獣の圧倒的な力の前に言葉が詰まる。
「フェンリ、ノア!次の攻撃で心臓を狙います!それまで持ちこたえてください!」
フェンリはすぐに杖を構え、冷静に詠唱を始める。
「氷壁!」
冷気が洞窟の地面から立ち上がり、分厚い氷の壁を作り出す。魔獣はその壁に突進してきたが、硬い氷に阻まれ、一瞬足を止めた。
「今のうちです、ノア!」
「分かった!土槍!」
ノアが全力で放った土の槍が魔獣の足元を狙う。しかし、魔獣は鋭い尾を振り回し、槍を弾き飛ばしてしまった。
「駄目!私の魔法じゃ当たらない……!」
その隙を突くように、魔獣が大きく翼を広げた。瘴気がさらに広がり、洞窟全体が一層暗くなっていく。
「……あれは、やばい!」
フェンリが青ざめた顔で叫ぶ。
「自らの瘴気を凝縮して……攻撃を放とうとしています!」
俺は全身に冷や汗を感じながら、急いで指示を出した。
「ノア、土壁を作ってください!俺がその隙に奴を止めます!」
「でも、こんな状況じゃ魔力が……!」
「大丈夫、信じてください!」
ノアは必死に魔力を振り絞り、震える手で杖を掲げた。
「土壁!」
洞窟の地面が隆起し、分厚い土の壁が俺たちの前に立ちはだかった。その瞬間、魔獣が瘴気を弾丸のように圧縮し、放ってきた。
「くっ、持ちこたえてください!」
圧縮された瘴気が土壁に直撃し、轟音が洞窟内に響き渡る。壁が崩れる寸前、俺は最後の手段に出た。
「電流鎖!」
「その魔法は!」
フェンリが驚きの声を上げる。
俺は、逃亡生活という過酷な日々を過ごす中で、今まで鍛錬を続け、習得を目指していた雷元素魔法が突然扱えるようになった。
電流が走る鎖を放ち、魔獣の体を拘束する。
しかし、魔獣の力は想像以上で、鎖が音を立てて軋み始めた。
「フェンリ、援護を!」
「分かりました!」フェンリが再び魔法を放つ。
「氷槍!」
鋭い氷の槍が次々と放たれ、魔獣の翼を狙う。そのうちの一本が翼を貫き、魔獣の動きを鈍らせたが、完全には止められない。
「くそっ……!」
魔獣がついに雷の鎖を引きちぎり、こちらに向かって猛然と突進してきた。
「やばい、避け――!」
突進の衝撃で全員が吹き飛ばされ、俺は背中から岩壁に叩きつけられた。
「カイル!」
ノアが叫ぶが、その声は遠くに感じられた。視界がぼやける中、魔獣の影が徐々に近づいてくるのが見えた。
(ここで終わるのか……?)
次の瞬間、魔獣の爪が俺たちを襲おうとしたその刹那――。
ズンッ!
突然、重低音が響き渡り、俺たちの目の前で魔獣の爪が弾かれた。衝撃で洞窟の地面が揺れ、俺は目を見開く。そこに立ちはだかったのは、巨大な盾を構える大きな影だった。
「あ、あなたは……!」
その人物は、以前ボーダのギルドで見た女性の夫――巨人族の末裔だった。




