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66話 加護持ちの魔獣

 ギルドを後にした俺は、思わず周囲を見渡して立ち尽くした。


「……静かすぎる。」


 この街は、まるで人の気配が薄い。通りを歩いている間にすれ違った人の数は片手で数えられるほどだ。朝だから人が少ないのかとも思ったが、それにしてもこの静けさは異常だ。


 そういえば、さっきの女性がギルドだとか言っていた建物にも誰も来なかった。

 それが気にかかりながらも、俺は旅に必要な食料や水を探すことを優先することにした。


 しばらく歩いて偶然見つけた雑貨屋に足を踏み入れる。扉を開けると、鈴の音がチャリンと響き渡り、中にいた初老の店主が顔を上げた。


「……らっしゃい。」


 呟くように放たれた言葉は覇気がなく、まるで面倒くさそうに見える。

 俺は店内を軽く見て回ったが、陳列されている商品は埃を被ったものばかりで、あまり役に立ちそうなものは見当たらない。


 とはいえ、これからの旅のために食料だけは確保しなければならない。俺は仕方なく店主に声をかけた。


「あの、食料が置いてある場所って分かりますか?」


 しかし、店主は俺をじろりと見上げ、不機嫌そうに口を開いた。


「何も買わず、質問だけして帰るのかい?」


 冷たい一言に、俺は言葉を失う。とはいえ、この店から出るわけにもいかないので、近くにあった埃を被った下級の解毒ポーションを手に取り、銀貨五枚を差し出す。


(……高いな。でも仕方ないか。)


 ポーションを渡してきた店主は、ようやく情報を口にした。


「ここを出て右に行けば大通りに出る。まぁ果実くらいは売ってるだろうな。」


 それだけ?という薄い情報だが、この街の冷たい雰囲気に文句を言う気力もなく、俺はその言葉を信じて歩き出すことにした。


 店を出て右に進むと、確かに大通りらしき広い道が現れた。


 だが、人影はまばらで、店の数も少ない。果物屋を見つけて近づいてみると、店主は俺を見るなり、何も言わずに商品を指さした。そこには少し傷んだ果実がいくつか並んでいる。


「これでいいや……。」


 俺は袋の中の銀貨を数え、少しでも満腹感が得られそうな果物を選んで、複数購入した。


 果物を手にした俺は、大通りの端にある木陰で腰を下ろし、傷んだ部分をナイフで削りながらかじりつく。味はそこそこだったが、まぁいいか。


(それにしても、この街……何かがおかしい。)


 静まり返った街並み、無愛想な店主たち、そしてどことなく漂う寂しさ。これがダール国との国境にある街『ボーダ』の日常だとしたら、俺の知っている世界とは随分違う。


 食べ終わった俺は、気を引き締めて立ち上がった。この街の異様さが気になりつつも、目的地を目指す旅はまだ始まったばかりだ。



 俺は情報を集めようと街を歩き回った。


 首都への道を知りたいが、持っている地図には名前が載っているだけで具体的な位置が分からない。

 加えて、ノワラ国から完全に逃げ切れたとは到底思えない。

 あの国王のことだ、追手を差し向けるどころか、暗殺者を雇うくらいは容易にやりそうだ。


 だが、この街で情報を得るのは困難を極めた。


 すれ違う人はどれも無気力で、話しかけてもろくに返事をしない。店主たちも必要最低限の受け答えしかしてくれず、情報を教えてくれそうな気配がまるでない。


 しばらく試したものの、収穫はゼロだった。仕方なく俺はもう一度、あの女性がいるギルドに戻ることにした。



 ギルドの扉を開けると、女性がカウンターの向こうから顔を上げる。


「いらっしゃ……おや、さっきの!どうしたんだい?」


 俺は状況を説明し、この街の異様さやこの国の首都がどこにあるのかを尋ねた。すると彼女は、少し神妙な表情で教えてくれた。


「それはね……近くの洞窟に“加護”を持つ魔獣が住み着いちまったせいさ。」


「加護?」


「ああ、正確にはどんな効果があるのか分かってないが、人の気力を奪う類の加護だろうって言われてる。」


 加護持ちの魔獣。初めて聞く言葉だが、魔獣に特殊な力が宿ることは珍しくないらしい。彼女の説明を聞きながら、俺はこの街の異様な静けさと無気力さに納得した。


「でも、なんであなたはその魔獣の加護の影響を受けてないんですか?」


 俺が疑問を口にすると、彼女は肩をすくめて笑った。


「簡単さ。その加護は人族にしか効かないからだよ。」


「え!? あなたは人族じゃないんですか?」


「そりゃそうだろう。なんだ、気づかなかったのかい?あたしゃ耳長族だよ。」


「耳長族!?」


 驚いて彼女の顔を改めて見ると、確かに耳が尖っていて長い。

 今まで気づかなかった自分に呆れるが、それ以上に驚いたのは、彼女とあの巨人族の大男が夫婦らしいということだ。巨人族と耳長族の夫婦なんて、まさに他種族婚だ。


 しかし、問題はそこではない。加護が人族にしか効かないということは、俺にも影響があるということだ。無気力になってしまう前に、この街を出るべきだろう。


「この街から一番近い街はどこですか?」


 そう尋ねると、彼女は親切に地図を広げて教えてくれた。俺は礼を言い、すぐに街を出ることにした。


 街を出て歩き始めた俺は、足を止めて空を見上げた。

 旅を急ぐべきだという焦りはあるが、どこかで引っかかるものがある。それは――自分が何を目指しているのか、何のために生きているのか、はっきりと分からなくなっていることだった。


 俺はノワラに戻りたいのか? ノアたちや両親に会いたいのか? いや、それは無理だ。国王は俺の関係者をすべて把握している。もしノアたちに会いに行けば、彼女たちに迷惑がかかる。俺はもう、ノワラでの過去を捨てるしかない。


「……目的がない。」


 口に出した瞬間、その言葉の重さがのしかかってきた。首都にいるシンバという男に手紙を届ける。それが今の目標だが、それが終わったら? 俺は何をする? どこへ行く? 何がしたい?


 考えるのも面倒だ。そんな思考が頭を支配し始めた。



 俺は、すでに魔獣の加護の影響を受け始めていることに気づかなかった。


 歩みを止め、曖昧な空をぼんやりと見つめる。どこへ向かっているのか分からない、もやがかかったような気分に、ただただ飲み込まれていく。

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