64話 別れは告げない
俺は正面玄関から入るのは避け、家の裏手に回った。少し高いリビングの窓に背伸びをしながら覗き込む。しかし、そこには誰の姿もなかった。
(…?誰も居ない?)
両親がいるはずの家が静まり返っているのは不自然だった。俺は警戒しながら、さらに家の周囲を確認した後、勝手口へ向かう。そして慎重に扉を開けて家の中へと足を踏み入れた。
中は予想以上に静かだった。リビング、ダイニング、キッチン……どこにも人の気配がない。
(両親どころか、親衛隊もいない?)
だが、外には確かに馬車が停まっていた。親衛隊が残したものに違いない。
(どういうことだ?)
状況を整理しきれないまま、俺は二階へ向かおうと階段に足をかけた。その瞬間だった。
ギシギシと床を踏む音が聞こえてきた。
(……!)
音は玄関方向から近づいてくる。そして、低く押し殺された声が二人分聞こえた。
「…まさか両親がちょうど出かけているとはな。これじゃあ息子を匿っている線は薄いか?」
「そうだな。それにここらは情報が伝わるのも遅い。カイル・ブラックウッドが指名手配されていることも、まだ知らないだろう。」
親衛隊だ。俺は慌てて階段を降り、音を立てないように父の部屋へと身を隠す。部屋の扉をそっと閉めると、壁に背を預けて耳を澄ました。親衛隊はどうやら家を捜索し始めたようだったが、会話から推測するに、両親は外出中のようだ。
(とりあえずよかった……でも気は抜けない。)
親衛隊の動きを注意深く追うと、彼らはやがて玄関に戻ったようだった。
「この街には護衛がいるだろう。カイル・ブラックウッドが幼い頃に良く通っていたという話だ。そこに行くぞ。」
「分かった。」
それだけ言い残し、親衛隊は家を後にした。家の外に残っていた馬車が出発する音が聞こえる。俺はしばらくその場で息を殺し、彼らが本当に去ったことを確認するために耳を澄ませた。完全に静寂が戻ったのを感じたとき、ようやく安堵のため息が漏れた。
「ふぅ……。」
危険が去ったと分かっても、油断はできない。
この家に長居することはできないと判断した俺は、二階の自室に向かった。自室の奥に隠していたエルドリックから贈られた杖を取り出す。細かな彫刻が施され、長年放置しても魔力の通りが良いこの杖は、俺にとってかけがえのないものだ。
「これさえあれば……。」
杖を手にした俺は、次に机の上に紙とペンを取り出す。そして両親に宛てた手紙を書き始めた。
―――。
俺は両親宛ての手紙を書き終えると、それをテーブルの上にそっと置いた。内容は簡潔なものだ。
「首都で指名手配されてしまった。だも俺は悪くない。東のとある国に行く。無事に帰るから心配しないでほしい。」
それ以上は書かなかった。
必要以上に詳しく書けば、両親に余計な心配をさせるだけでなく、もしこの手紙が親衛隊の手に渡れば、俺の行き先を突き止められる可能性が高まる。
(これが最善だ……。)
少し躊躇したが、俺は心を決めて家を出た。空はすっかり暗くなり、街灯の明かりがぼんやりと通りを照らしている。街の空気はひんやりとしていて、どこか寂しさを感じさせた。
俺はまず、街の雑貨店を訪れた。
すぐに目立つわけにはいかないので、普段よりも警戒しながら慎重に行動する。誰かに見られていないか、影から視線を感じないかを確認しながら、店で最低限必要なものを買い揃えた。
食料、保存の利く水筒、簡易の寝具、そして頑丈な袋だ。
次に向かったのは仕立て屋だった。俺の服は目立つ血の汚れや傷があり、このままでは目を引いてしまう可能性が高い。目立たない色合いの旅服を選び、店主に急ぎで仕立ててもらうよう頼んだ。
「若いのに、遠くまで旅でもするのかい?」
店主の何気ない問いかけに、一瞬、胸がざわついた。だが俺は笑顔を作り、軽く頷いた。
「ええ、ちょっとした用事があって。」
店主は特に疑う様子もなく、手早く服を仕立ててくれた。受け取った服に感謝を告げると、俺は再び通りへと出た。
夜が更け、街の人々が家路につき始める頃、俺は人目を避けるようにして東への道を歩き出した。背後から誰かに追われる気配はないが、常に警戒心は張り詰めたままだ。
街を出る頃には、太陽は完全に地平線の向こうに沈み、闇が世界を覆っていた。足元に伸びる影は、月明かりにかすかに照らされるだけだ。
(東か……。)
俺の行く先に何が待ち受けているのか分からない。それでも進むしかない。杖を握りしめ、初めての旅の第一歩を踏み出した俺の心は、不安と決意が入り混じっていた。
第2章 学園編 -終-




