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異世界戦記 ~ここで俺は最強に至る~  作者: かげ2500
第10章 天命の檻編

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閑話 キャロル・オブ・ザ・ヘル

 そこは――雪が、永遠に降り続ける白い世界。


 空は低く、雲は裂けることなく、陽光は決して地に届かない。

 降り積もる雪は大地を覆い、街を埋め、人の足跡も、血の跡も、やがてはすべてを消し去る。


 その地の名を、人々は『クリアステル』と呼んだ。


 太古――。

 この地には、かつて緑があり、命があり、争いがあったという。

 そしてそれらすべてに愛想を尽かした存在がいた。


『死の女神』。


 彼女は語らなかった。

 裁きも、赦しも、宣告すらも与えなかった。

 ただ一つ、罰として――雪を降らせた。


 終わることのない雪。

 命を奪い、腐敗を遅らせ、罪も穢れも覆い隠す白。


 人々は、その意味を理解できなかった。

 理解できぬものに、人は名を与える。


 ある者は言った。

 ――これは救済だ。死を等しく与える、慈悲なのだと。


 ある者は言った。

 ――これは神の慈愛だ。苦しみを白で包む、優しさなのだと。


 またある者は言った。

 ――これは天罰だ。罪深き者への、終わらぬ刑なのだと。


 解釈は交わらず、否定し合い、絡まり合い――やがて、一つの歪んだ結論へと収束していった。


 ならば、誰かが”穢れ”を引き受けねばならない。


 神を信じるために。

 雪を祝福と呼ぶために。

 この世界が正しいと、言い張るために。


 そうして生まれたのが、『聖隷』と呼ばれる者たちだった。


 神に仕える者。

 人々の代わりに苦しみを背負う者。

 穢れを引き受け、罪を抱え、壊れていくための存在。


 それは信仰であり、制度であり、

 そして――正当化された犠牲だった。


 ある日。

 雪の止まぬ朝。


 一人の少女が、聖隷となった。


 少女の名は、シャロル・ベル。


 まだ幼く、細い身体をしていた。

 白い息を吐くたびに肩が震え、指先は常に赤く腫れていた。

 だが、その瞳だけは、不思議なほど澄んでいた。


 それが“選ばれた”理由だったのか。

 あるいは、“選んでも壊れて構わない”と思われたからか。


 誰も答えを持たない。

 ただ、結果だけが雪の上に残った。


 教会の鐘が鳴る。

 鈍く、重く、祝福を装った音。


 人々は祈りを捧げ、歌を口ずさみ、微笑んだ。

 その中心で、シャロルは跪いていた。


 彼女はまだ知らなかった。

 この世界が求めているのは、救済ではなく――壊れきった信仰を、血で補強することだということを。


 そして彼女自身が、やがて讃美歌そのものになるということを。


 ――地獄で、歌われる讃美歌に。


 シャロル・ベルが聖隷に選ばれた理由は、単純だった。


 ――”力”を持っていたからだ。

 それも、生まれながらに。


 この雪の世界、クリアステルにおいて、人ならざる力は畏怖され、同時に”祝福”と呼ばれる。


 祝福とは、女神が未だ世界を見捨てきれていない証。

 そう信じることで、人々は雪の罰を耐え忍んできた。


 聖隷となる者の多くは、祝福を授かっている。

 傷を塞ぐ者。

 呪いを沈める者。

 穢れを洗い流す者。


 だが、それらの祝福は、誰かのために消費されるための力だった。


 シャロルの祝福もまた、その一つだった。


 その名は――『讃美の鈴』。


 彼女が祈り、触れ、息を重ねるとき、どこからともなく、鈴の音が響く。


 澄んだ音色。

 雪の夜によく似た、静かで、優しい音。


 その音とともに、他者の傷は塞がれ、病は身体を離れ、苦痛は消え、罪は薄れ――。

 穢れはすべて、シャロルのもとへと集まる。


 “引き受ける”。


 それが、『讃美の鈴』の本質だった。


 浄化ではない。

 消滅でもない。

 移し替えだ。


 誰かの不幸を、誰かの罪を、誰かの痛みを――。

 すべて、彼女一人に押し付ける力。


 その力を、教会は見逃さなかった。


 シャロルは、ある国の聖隷として迎え入れられた。

 それは栄誉として語られ、祝福として宣言された。


 民の傷を癒すため。

 民の穢れを祓うため。

 女神への信仰を、正しく保つために。


 彼女は、主要都市に一つだけ建てられた、白亜の教会へと置かれた。


 そこは、最も女神に近い場所。


 天井は高く、壁は白く、絶えず讃美歌が流れ、香が焚かれ、雪の冷気すら清められているかのようだった。


 その場所では、祝福の力は増幅される。

 同時に――祝福を持つ者を、逃がさぬための力もまた、満ちていた。


 見えない鎖。

 祈りという名の拘束。

 神意という名の命令。


 シャロルは、そこから出ることを許されなかった。


 毎日、祈りの時間が訪れる。

 列をなす人々が、彼女の前に跪く。


 腰の曲がった老人。

 罪を犯した者。

 熱に浮かされた子供。

 仮面を外さぬ貴族。


 皆、同じ言葉を口にする。


「救ってくれ」


「祓ってくれ」


「祝福を」


 誰一人として、彼女が何を失うかを問う者はいなかった。


 シャロルは、祈る。

 鈴は鳴る。

 穢れは、彼女の中へと流れ込む。


 胸が重くなる。

 視界が濁る。

 皮膚の内側を、黒い何かが這う感覚。


 それでも、人々は安堵の息をつき、微笑み、感謝する。


 ――それが、聖隷の役目だった。


 だが、シャロルの祝福には、明確な代償があった。


 引き受けた穢れは、消えない。

 時間が経てば、薄れることもない。


 それは体内に沈殿し、混ざり合い、濁り、膨れ上がり――。

 やがて、確実に身体を蝕む。


 内臓を壊し、骨を腐らせ、思考を歪め、魂を侵す。


 そして最後には、聖隷を死に至らしめる。


 それは偶然ではない。

 事故でもない。

 定められた末路だった。


 教会は知っている。

 国も知っている。

 人々も、薄々は気づいている。


 だが誰も口にしない。


 必要だからだ。

 誰かが、引き受けねばならないからだ。


 シャロルは、絶望していた。


 聖隷に選ばれたからではない。

 親に売られたからでもない。

 いずれ穢れに呑まれ、死ぬと知ったからでもない。


 ――この世界の人々が、あまりにも静かに、それを受け入れていることに。


 鈴の音が鳴るたび、救われる者が増える。


 同時に、誰も、彼女を見なくなっていく。


 シャロルは、雪の降る教会で、初めて理解した。


 この世界は、救済を求めているのではない。

 ただ、罪を押し付ける相手を欲しているだけなのだと。


 そんなある日、シャロル・ベルの身体は――止まった。


 それは突然の出来事ではなかった。

 熱も、痛みも、前兆すらもなく、ただある朝、彼女は気づいた。


 呼吸が、要らない。

 心臓の鼓動が、遠い。


 空気を吸わなくても苦しくならず、食事を抜いても空腹を感じず、夜になっても眠気は訪れなかった。


 爪は伸びない。

 髪も伸びない。

 血も、汗も、涙も、以前のようには流れない。


 身体の成長が、完全に停止していた。


 暦の上で、シャロルは十八になっていた。

 だが彼女の身体は、それを境に“年を取る”ことをやめた。


 ――驚きはなかった。


 なぜなら、聖隷であるなら、それはよくあることだったからだ。


 十八。

 それは、聖隷にとっての“終わりの年”。


 身体機能が停止し、数日のうちに、穢れに圧迫され、内臓が潰れ、静かに死ぬ。


 教会はそれを、”女神への帰還”と呼んだ。


 シャロルは、その運命を理解していた。

 理解したうえで、祈り続けてきた。


 だが――彼女は、死ななかった。


 一日が過ぎ――。

 一週間が過ぎ――。


 一ヶ月が過ぎる。


 一年が経っても――。

 二年が経っても――。


 何年経っても、シャロルはそこに在り続けた。


 身体は止まったまま。

 穢れは、確かに体内にある。

 それなのに、壊れない。


 個体差はある。

 聖隷にも、寿命の差はある。


 だが、ここまで生きながらえた例はなかった。


 聖隷制度が確立して以来、前例は一つも存在しなかった。


 教会は、沈黙した。

 そしてすぐに、動いた。


 これは奇跡か。

 それとも、想定外の異常か。


 ――結論は、後者だった。


 国へ報せが送られ、密やかな審議が重ねられ、やがて、一つの呼び名が与えられた。


 ――『超克者』。


 祝福者の中でも、極めて稀。

 穢れを“超えて在る”存在。


 シャロル・ベルは、国家にとっての可能性となった。


 穢れを物ともしない身体。

 死なない聖隷。

 壊れない器。


 それは、クリアステルが初めて手にした、“前に進むための一歩”だった。


 その日を境に、シャロルは教会の外へ出ることを許された。


 実に、数年ぶりの外界。


 雪は、相変わらず降っていた。

 だが、空は広く、街は光に満ち、人々の声が、確かに生きていた。


 シャロルは、柄にもなく、立ち止まった。


 ――あぁ。

 この世界は、こんなにも、美しかったのか。


 彼女は、聖隷となってから、人の内側しか見てこなかった。


 吐き気を催す悪意。

 爪を立てるような憎悪。

 叫び声すら上げられない苦痛。


 それらすべてが、彼女の中に流れ込み、沈み、濁り、積もっていった。


 ――地獄だった。


 だが、あの日々は、もう終わる。

 そう、彼女は信じた。


 しかし、次に彼女を待っていたのは、想像を絶する地獄だった。


 シャロルが超克者と呼ばれるようになってから、数日後。


 教会は、国を挙げての儀式を執り行うことを決定した。


 儀式の名は、『クリスマス』。


 表向きには、民のための祭り。

 救済の日。

 讃美歌が響き、贈り物が配られる、祝福の時。


 だが――教会の意図は、別にあった。


 国の民を、一箇所に集める。

 祈らせる。

 歌わせる。


 そして、シャロルの祝福によって――一斉に、穢れを引き剥がす。


 彼女は、穢れを物ともしない。

 ならば、国民全員分を引き受けさせればいい。


 そうすれば国は、より清く、より正しく、より女神に近づく。


 教会は、それを善意と呼んだ。

 シャロルは、クリスマス開式の中心に立たされた。


 白い衣。

 鈴の音。

 無数の祈り。


 彼女は、知らなかった。


 自分がすでに、国中の穢れを、引き受け始めていることを。


 成長と変質により、シャロルは触れずとも、祈るだけで他者の穢れを引き寄せる存在になっていた。


 それは、彼女自身すら知らぬ事実だった。


 知っているのは、教会のごく一部の者と、国王だけ。


 シャロル・ベルは救済の象徴として立ち、その実――欲望と信仰の、器として使い潰されていた。


 讃美歌が、響く。

 鈴が、鳴る。


 その音色は、もはや救済ではなかった。


 ――それは、地獄を呼び寄せる合図だった。


 最初に異変が起きたのは、誰もがそれを奇跡の最高潮だと信じていた瞬間だった。


 クリスマスの儀は、滞りなく進んでいた。

 鐘が鳴り、讃美歌が重なり、民は祈り、頭を垂れ、救済を待った。


 その中心に、シャロル・ベルは立っていた。


 彼女は祈っていた。

 ただ、それだけだった。


 ――けれど、その祈りは、もはや“個”に向けられたものではなかった。


 国中から、無数の穢れが流れ込んでくる。


 妬み。

 恐怖。

 後悔。

 殺意。

 諦め。

 自己憐憫。


 そして、他者を踏み台にしてでも生き延びたいという、底の見えぬ欲望。


 触れずとも、言葉を交わさずとも、祈りという形をとった瞬間、それらはすべてシャロルへと集まった。


 胸の奥で、何かが軋んだ。


 鈴の音が、狂ったように鳴り始める。


 それはもはや、澄んだ讃美ではなかった。

 割れ、歪み、重なり合う、悲鳴に近い音だった。


 シャロルの視界が、黒く滲む。


 ――多すぎる。


 その感覚だけが、遅れて、確かに届いた。


 次の瞬間。

 穢れが、溢れた。


 皮膚の隙間から、口から、眼窩から、黒い靄のようなものが噴き出す。


 それは液体でも、煙でもない。

 感情そのものだった。


 触れたものを腐らせ、見たものの心を侵す、人が人である限り捨てきれなかった、すべての“内側”。


 悲鳴が上がる。


「女神の怒りだ……!」


 誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが逃げ惑う。


 だが、遅い。


 穢れは教会を満たし、街へと溢れ、雪を黒く染めながら、広がっていく。


 国境など、意味を成さなかった。


 隣国へ。

 さらにその先へ。


 空は黒く染まり、雲は裂け、雪は灰のように降り注ぐ。


 クリアステルは、白の星ではなくなった。

 それは、黒の星だった。


 暗黒の中心で、シャロルは、膝をついた。


 もう、立てなかった。

 もう、祈れなかった。


 鈴の音が、止まる。


 その静寂の中で、彼女は――悟った。


 あぁ。

 これは、罰だ。


 女神が下したものではない。


 人々が――。

 教会が――。

 国家が――。

 そして、自分自身が――。


 ずっと目を背けてきた罰だ。


 シャロルは、知っていた。


 女神など、信じていない。

 最初から。


 人も。

 世界も。


 彼女にとって、それらすべては、”穢れ”だった。


 救済を口にしながら、犠牲を当然とし、苦しみを“役目”と呼ぶ存在。


 ――罰に、値するものだった。


 シャロルは、ゆっくりと、瞳を閉じる。


 このまま――死ねるのだろうか。


 分からない。


 身体は、もうとっくに止まっている。

 生も、死も、境界が曖昧だ。


 ただ一つ、確かなことがある。


 ――もう、考えたくなかった。


 祈りも、救済も、罰も、赦しも。


 すべて、終わらせたかった。


 黒い世界の中心で、讃美歌は、もう鳴らない。


 だがそれでも、地獄は――静かに、歌い続けていた。


 目を閉じたシャロルの瞼に、淡い光が重なった。


 それは、焼けるような眩しさではなかった。

 白でも、黒でもない。

 ただ、静かに存在を主張する、やわらかな光。


 暗黒に沈みきっていた意識が、ゆっくりと浮上する。


 ――眩しい。


 そう感じた瞬間、シャロルは、自分が“感じる”ことに驚いた。


 まだ、生きているのか。

 それとも、これは死の後なのか。


 分からないまま、彼女は、そっと目を開けた。


 そして――目を見開いた。


 そこには、彼女の知る世界が、何一つ存在していなかった。


 雪はない。

 白も、黒も、ない。


 広がるのは、どこまでも続く緑の大地。


 風に揺れる木々。

 葉擦れの音。

 土の匂い。


 空は高く、雲は自由に流れ、その中央には――世界を凛と照らす、太陽があった。


 強く、しかし優しい光。

 すべてを見下ろし、それでも焼き尽くすことのない、確かな存在。


 シャロルは、立ち尽くした。


 見たことがない。

 感じたこともない。


 温度。

 色。

 生命。


 そのすべてが、彼女の感覚を、痛いほど刺激した。


「――ここは、どこ」


 思わず、声が漏れた。

 掠れた、震える声。


 すると、その呟きに応えるように、背後から声がした。


「ここは、貴女のいた世界とは別の世界です」


 シャロルは、振り向く。


 そこに立っていたのは――見たこともない美しい女性だった。


 長い髪は夜のように深く、それでいて、光を拒まない。

 その姿は、厳かで、静かで、圧倒的だった。


 恐怖は、なかった。

 本能が告げていた。


 ――この存在は、嘘をつかない。


「ここは、『アルフェアス』と呼ばれる世界」


 女性は、穏やかに告げる。


「剣と魔法、そして加護を主軸とする世界です」


 ――アルフェアス。


 聞いたこともない名。

 雪もなく、穢れもなく、讃美歌も、鈴もない。


 シャロルは、困惑したまま、問いを重ねた。


「……あなたは、誰?

 あなたが、私を……ここに連れてきたの?」


 女性は、一瞬だけ目を伏せ、それから、確かに答えた。


「私の名は――……。

 貴女方の呼び名では、『死の女神』と呼ばれています」


 シャロルは、息を呑んだ。


 クリアステルを、永遠の雪で覆った存在。

 救済とも、天罰とも呼ばれた、あの女神。


 その張本人が、今、目の前にいる女性だと言うのか?


 だが、不思議と――嘘だとは思わなかった。


 女神の名を騙る者など、存在しない。存在できない。


 ならば、この女性こそが、本物なのだろう。


 シャロルが思考を巡らせるよりも先に、死の女神は、続けた。


「私が貴女を此処へ連れてきた理由――。

 それは、貴女が前世界、クリアステルで“正解”を導き出したからです」


 正解。


 その言葉に、シャロルの眉が、わずかに動いた。


 救えなかった。

 世界は、黒に沈んだ。

 人々は、絶望した。


 それでも――正解だというのか。


 死の女神は、シャロルを真っ直ぐに見つめる。


「貴女は、気づいたのです。

 救済とは、装飾された暴力であり、信仰とは犠牲を正当化するための言葉だと。

 そして――世界そのものが、穢れを生み続ける構造であることに」


 シャロルは、何も言えなかった。


 それは、彼女が、最後に辿り着いた答えだったからだ。


「だから私は、貴女を“終わらせなかった”」


 女神の声は、静かだった。


「貴女は、壊れたのではありません。

 超えたのです」


 シャロル・ベルは、初めて、理解した。


 死ねなかった理由を。

 穢れに呑まれなかった理由を。


 ――これは、罰ではない。

 ――選別だったのだ。


 緑の世界で、太陽の光を浴びながら、シャロルは、ただ立っていた。


 この先に、何が待つのか。

 救済か、さらなる地獄か。


 分からない。


 けれど――少なくとも、もう。


 誰かのために、讃美歌を歌わされることは、ない。


 死の女神は、緑の世界の中央で、静かに告げた。


「――シャロル・ベル。

 貴女は今から、『聖隷の女神』と名乗りなさい」


 その言葉は、命令ではなかった。

 裁定でも、宣告でもない。

 ただ、当然の事実を語るような声音だった。


「そしてこの地――アルフェアスを”管理”するのです」


 シャロルは、言葉を失った。


 女神。

 管理。


 そのどちらも、彼女が最も忌み、最も遠ざけてきたものだった。


「……私が?」


 かすれた声で、問い返す。


「私が、女神に……?」


 死の女神は、微笑んだ。


 それは、雪の世界では決して見られなかった、柔らかく、穏やかな笑みだった。


「ええ。貴女が」


 女神の言葉に迷いはなかった。


「これは罰ではありません。

 褒美です」


 褒美。


 その言葉に、シャロルの胸の奥が、僅かに軋んだ。


「正解を導き出した貴女への――。

 ささやかな――”クリスマスプレゼント”」


 女神は、ゆっくりと周囲を示す。


「この世界には、穢れはありません。

 貴女を縛る教会も、祈りという名の鎖も、犠牲を当然とする信仰もない」


 女神はシャロルを見て微笑む。


「ここにある選択は、ただ一つ」


 死の女神は、はっきりと言った。


「生きるか、死ぬか。

 ――それだけです」


 逃げ道も、役割という名の強制もない。


「貴女は、未来永劫――。

 かつて貴女の世界が滅んだように、アルフェアスが滅ぶその時まで見届け、管理するのです」


 沈黙が落ちる。


 風が、草を揺らす。

 太陽が、変わらず世界を照らす。


 シャロルは、目を伏せた。


 聖隷として生きた日々。

 救済の名の下に、削られ、壊され、使い潰された記憶。


 人を信じなかった。

 世界を信じなかった。

 女神など、最初から信じていなかった。


 それでも――。


「……逃げても、いいの?」


 思わず、そう口にした。


 死の女神は、頷いた。


「ええ――これは”拒める選択”です。

 今、ここで終わることもできます」


 その言葉は、甘く、残酷だった。


 だが、シャロルは知っていた。


 終わっても、何も残らないことを。


 世界は、誰かが見ていなければ、同じ過ちを、何度でも繰り返す。


 穢れはなくとも、人がいる限り、歪みは生まれる。


 ――ならば。


「……分かった」


 シャロルは、顔を上げた。


「管理する。

 ……救わないし、導かない。

 ただ、見ている……それでいいのなら」


 死の女神は、満足そうに微笑んだ。


「ええ……。

 それでこそ、『聖隷の女神』です」


 その瞬間、シャロルの中で、何かが静かに定まった。


 彼女はもう、誰かのために壊れる存在ではない。


 世界を、距離をもって見つめる存在となったのだ。



 ―――。



 それから間もなく――。


 『聖隷の女神』となったシャロルが行った、”最初の仕事”。


 それは――”二つの魂の転生”だった。


 アルフェアスの均衡を保つ”善と悪”――。

 それらを生み出す作業だった。


 一つ目の魂は、国同士が争いを続け、すでに滅びかけている世界――『地球』にいた。

 爆音の中で、血に塗れ、今にも死にそうな、若い男の魂。


 二つ目の魂は、アルフェアスとよく似た、魔法が存在する世界から来た。

 英雄でも、賢者でもなく、ただ戦場で、あまりにも凄惨な死を遂げた、老いた男。


 シャロルは、二つの魂を手に取り、新たな命を用意した。


 ――だが。


 慣れない仕事だったのだろう。

 あるいは……どこかで気が緩んだのかもしれない。


 彼女は誤って、”すでに魂が宿る”同じ身体に、その二つの魂を、同時に宿してしまった。


 一つの肉体に――。

 三つの記憶。

 三つの人生。

 三つの終焉。


 それが、何を引き起こすのか。


 シャロルは、少しだけ考え――やめた。


「……まぁ、いいか」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。


 この世界に、”絶対の正解”など、存在しない。


 それを、彼女はよく知っている。


 こうして――『聖隷の女神』は、誕生した。


 救わず、裁かず、ただ、見届ける女神。


 そして今日もまた、どこかの世界で――”讃美歌”が、静かに歪んでいる。

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