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異世界戦記 ~ここで俺は最強に至る~  作者: かげ2500
第10章 天命の檻編

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574話 底知れぬ闇に

 雪煙が、ゆっくりと地に落ちていく。


 白と灰が混じり合う視界の中で、最初に輪郭を取り戻したのは――必死に立ち上がろうとするアルマの背中だった。


「……アルマさん!」


 思わず名を呼ぶ。だが、彼女は振り返らない。

 肩が小刻みに震え、膝が笑い、今にも崩れ落ちそうなのに、それでも前を向こうとしている。


 その横顔は――あまりにも、絶望に塗り潰されていた。


(……ああ)


 胸が、締め付けられる。


 アルマは、知られたくなかったのだ。

 自分が魔族であることを。

 俺たちに――仲間に。


 彼女は虚ろな瞳のまま、ふらりと上空を見上げる。

 つられて俺も視線を上げた。


 そこにいたのは、悠然と宙に浮かぶルーナだった。


 白いワンピースが風に揺れ、長い金髪が赤い空を裂くように靡く。

 まるでこの惨状すら舞台装置の一部だと言わんばかりの、余裕の佇まい。


「ルーナぁぁぁ!!」


 背後から、ルミエラの叫びが響いた。

 怒りと悲しみを混ぜたその声と同時に、無数の魔法が空を切り裂く。


 火、水、土、風。

 だが――。


「クソッ!!」


 ルミエラの悔しげな声が、すぐに重なった。


 どれも当たらない。

 当たっても、傷一つ付かない。


「キシシ……」


 ルーナが、口元を手で隠して笑う。


「もうこれじゃあ、連携もなにもないねえ?」


 その仕草一つ一つが、神経を逆撫でする。


「ルーナ!!」


 怒りを込めて叫んだ――その瞬間。


「ぎゃっ!!」


 背後から、鋭い悲鳴が上がった。


 反射的に振り返る。


 そこには――腹部から血を流し、今まさに崩れ落ちようとするルミエラの姿があった。


「は?」


 理解が、追いつかない。


 ――何が起きた?


 思考が追いつく前に、さらに声が上がる。


「あ……ッ!!」


 ルミエラの後方で、カリーナが腕を押さえてよろめいていた。

 赤い血が滴り落ち、杖が音を立てて雪の上に転がる。


 そして――。


「ぐ……ッ!?」


 太ももに、灼けるような痛みが走った。


 視線を落とすと、そこには――。

 まるで“抉り取られた”かのような、瞳ほどの穴が空いていた。


「な……これ、は……」


 膝から力が抜け、雪の上に崩れ落ちる。


「キシシ……」


 上から、あの笑い声。


 そうか。

 これは、ルーナの“時止め”でも、“広範囲魔法”でもない、別の加護――。


「君たちにはね……本当は、もっと絶望の中で死んでもらおうと思ってたんだけど」


 ルーナは、少し残念そうに肩を竦める。


「どうやら……時間がないみたいだ」


 その言葉に、俺は歯を食いしばりながら顔を上げた。


 空に浮かぶ赤月が――輝いていた。

 いや、“輝いている”のではない。


 渦巻いている。


 赤月を中心に、何かが蠢き、絡みつき、脈打っている。


「……あれは……」


 呟くと、ルーナが恍惚とした声で答えた。


「始まったんだよ」


 そして、声を弾ませる。


「赤月と、特異点の――“共鳴”がっ!!」


 次の瞬間、ルーナは俺たちに背を向け、祠の中へと飛び去った。


「何が……起きて……」


 歯を食いしばり、立ち上がろうとした、その時。


 アルマが、俺の横を駆け抜けていった。


「ルミエラ!!」


 雪を蹴散らし、倒れたルミエラの元へと滑り込む。

 震える手で腹部に触れ、叫ぶ。


「ごめんなさい……! 私のせいで……!

 い、今治癒するから!!」


 必死に治癒魔法を紡ぐアルマ。

 何度も、何度も、同じ言葉を繰り返す。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 その姿を、俺は直視できなかった。



 ―――。



 アルマがルミエラを治療している間、俺は残った力を振り絞った。


 カリーナの腕。

 ライナスの浅い裂傷。

 そして、自分の脚。


 幸い、致命傷ではないし、俺でも治せる程度の傷だった。

 だが――もし、あの不可視の攻撃が心臓や頭を貫いていたら。


 背筋が、冷たくなる。


 ルーナはすでに祠の中へ消えていた。

 おそらく――ノアの元へ。


 空を見上げると、赤月はさらに黒く染まり、

 周囲の世界も、ゆっくりと闇に沈んでいく。


 まるで、夜そのものが降りてくるように。


「カイル」


 ライナスが、低い声で俺の名を呼んだ。


 振り返ると、彼は血と雪に塗れながらも、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「行くんだろ? 祠の中に」


 無言で、頷く。


 だが、その前に――アルマとルミエラを見る。


 怒りに呑まれ、理性を失いかけているルミエラ。

 正体を暴かれ、心が砕けかけているアルマ。


 ……この二人は、もう戦えない。


 少なくとも、今は。


(連れてはいけない)


 それが、残酷でも――正しい判断だ。


 俺は拳を握りしめ、祠の闇を見据えた。


 赤月は、もう後戻りを許さないところまで来ている。


 なら――行くしかない。


 この先に待つものが何であれ、俺たちが止めなければ、世界は壊れる。


 そう、確信しながら。


 祠へと続く黒い入口を前に、俺は一度、深く息を吸った。

 背後では、荒れ狂っていた吹雪が嘘のように弱まり、代わりに不気味な静けさが広がっている。

 赤月はもはや赤と呼べる色ではなく、黒に近い濁った光を放ちながら、ゆっくりと脈打っている。


 ――時間が、ない。


 俺は振り返り、膝をついたままのアルマと、その傍らで息を荒くしているルミエラを見た。


「……ここから先は、俺たちで行きます」


 自分でも驚くほど、声は冷静だった。


 その言葉に、最初に反応したのはルミエラだった。

 腹部を押さえながら、歯を食いしばり、無理やり立ち上がろうとする。


「……ふざけんなっ! まだ、あたしは……」


「ルミエラさん」


 俺は一歩踏み出し、はっきりと言葉を重ねた。


「二人に……これ以上、無理をさせられません」


「でも――!」


 反論しかけたルミエラは、ふと途中で言葉を失った。

 その視線の先にいたのは、俯いたまま、肩を小さく震わせるアルマの姿だった。


 アルマは何も言わない。

 ただ、必死に感情を押し殺すように、拳を握り締めている。

 自分が魔族であることを暴かれ、結果、仲間を危険に晒した――そう思い込んでしまった心が、彼女を縛り付けていた。


「……っ」


 ルミエラの表情が、はっとしたように曇る。

 そして、ゆっくりと力が抜けていく。


「……分かった、よ」


 かすれた声だった。


「今のあたしじゃ、足手まといってことだね……」


 悔しさを押し殺すように、ルミエラは小さく息を吐き、視線を上げて俺を見る。


「……後は、頼むよ。カイル君」


 その一言が、胸の奥に重く沈んだ。


 アルマは顔を上げなかった。

 けれど、ルミエラの手をそっと握り返すその指が、震えているのが見えた。


 ――連れていけない。

 今の二人を、これ以上戦場に立たせるわけにはいかない。


 俺はゆっくりと立ち上がり、隣にいる二人を見た。


「行きましょう」


 ライナスが、血の滲んだ口元を拭いながら、短く笑う。


「最初から、そのつもりだ」


 カリーナは落ちていた杖を拾い直し、ぎゅっと胸に抱きしめた。


「……アルベリオを待ってる時間は、ないわね」


「ええ」


 俺は祠の奥を見据えた。


 ルーナは言っていた。

 時間がないと。


 それは、俺たちへの挑発だけじゃない。

 赤月――この異常な天象が、終わりに近づいている証だ。


 赤月は、周期も理屈も分からない、変質的な自然現象だ。

 影響は明らかに不自然で、人為的な介入を疑いたくなるほどだが、それでも”発生”と”消滅”そのものは、世界の流れに従っている。


 もし赤月が消えれば――。

 ルーナの計画は、確実に止まる。


 次に赤月が訪れるのは、いつになるか分からない。

 十年か、数十年か、あるいはもっと先か。


 だからこそ、ルーナは焦っている。

 赤月が消える前に、すべてを終わらせるつもりなのだ。


 ――なら、俺たちも同じだ。


「三人で、止めるしかない」


 俺の言葉に、ライナスが大剣を肩に担ぎ直し、カリーナが小さく頷く。


 アルベリオの帰還を待つ暇はない。

 今、この瞬間に動ける者が、動くしかない。


 祠の奥から、冷たい魔力のうねりが漏れ出してくる。

 ノアがいる。

 ビスマーがいる。

 そして――ルーナがいる。


 俺は一度だけ、後ろを振り返った。


 雪の中で寄り添う二人の姿を、決して忘れないために。


「……必ず、戻ります」


 誰に言うでもなく呟き、俺たちは祠の闇の中へと踏み込んだ。

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