573話 暴露と動揺
「アルマさんが……魔族?」
その言葉は、喉の奥で絡まり、掠れた音にしかならなかった。
耳に届いたはずなのに、頭が理解を拒んでいる。世界が一瞬、音を失ったようだった。
「嘘吐かないでよ!!」
叫んだのはカリーナだった。
怒りと焦りが混じった声で、前に踏み出す。
「アルマさんが魔族なら、角がないのはどう説明する訳!?
魔族には角があるんでしょ!」
その通りだ。
魔族の角は、単なる身体的特徴じゃない。魔力制御と大気中魔力の吸収を担う、種としての証明。
角を持たない魔族など、聞いたことがない。
それだけじゃない。
魔族は本来、幽獄城――飢餓の魔王エイリス・グロアの支配領域から外に出ることはできない。
現代の魔族はすべてエイリスの庇護下にあり、勝手な行動は不可能なはずだ。
なら、アルマが魔族?
ルーナがアルマと同種?
——それは辻褄が、合わなすぎる。
くだらない嘘だ。
そう思おうとした。
俺たちを混乱させるための、悪質な挑発だと。
だが、胸の奥に、冷たい疑念が芽を出す。
(……本当に、嘘か?)
ルーナは、そんな小細工を弄さなくても、俺たちを蹂躙できる。
集中を削ぐ必要など、最初からない。
それでもなお、こんな言葉を選んだ理由は――。
嘘じゃないから、じゃないのか。
その瞬間、記憶が鮮明によみがえった。
かつて。
まだルーナをビスマーだと思っていた頃。
ポッポード王国を旅していた時、偶然触れたアルマの記憶。
俺は、見た。
頭に、魔族特有の角を生やしたアルマの姿を。
今とは似ても似つかない、鋭く、冷たい表情。
それでも、間違いなくアルマ本人だった。
「……まさか」
心臓が嫌な音を立てる。
追い討ちをかけるように、ルーナが楽しげに口を開いた。
「グラリスの所は、もう飽きたのかい? あそこ、退屈だったろう?」
その一言で、確信が落ちた。
グラリスの下で魔族が生き延びている事実は、極秘中の極秘だ。
俺とルミエラ、そしてアルガド王国の一部の人間しか知らない。
それを、ルーナは知っている。
つまり――。
「……っ」
アルマが、唇を噛み締めた。
血が滲むほど、必死に。
俺は視線をずらし、ルミエラを見る。
あの記憶の中には、もう一人いた。
痩せ細り、怯え、泣いていた少女。
ルミエラに、よく似た少女が。
以前、ルミエラは言っていた。
アルマとは”長い付き合い”だと。
(……まさか)
視線が合う。
ルミエラは、全てを察したように、悲しそうに目を細めた。
否定もしない。それが、答えだった。
「キシシ……」
ルーナの、耳障りな笑い声が響く。
「やっぱり教えてなかったんだ?」
指差されたアルマは、震えていた。
だが、ルーナは止まらない。
「彼女には、醜い“魔族”の血が流れているんだよ」
空気が、凍りついた。
「……ッ!!」
ルミエラの理性が、音を立てて崩れた。
「どれだけ人を弄べば気が済む……ッ!!」
怒号と共に、彼女は駆け出す。
「人……?」
ルーナが首を傾げる。
「彼女は、人じゃないだろう?」
次の瞬間、指が弾かれた。
世界が、歪む。
「——ッ!!」
まずい。
時が止められた。
止まった世界の中、ルーナは悠然と歩き、ルミエラの前に立つ。
そして、まるで慈しむように、その髪に触れた。
「駄目だよ。そんなに簡単に怒りに呑まれちゃあ」
後ろを振り返り、アルマを見て微笑む。
「落ち込んでる場合じゃないでしょ?」
至近距離で放たれた魔法は、ルミエラの眼前で静止した。
あと数センチで、死。
「君が動けるのは、もうバレてるんだよ?
今さら誤魔化しても遅い」
そして、囁く。
「ほら。“君たち”の大事な、か弱い少女が死んじゃうよ?」
「ふざけないで!!」
アルマが叫んだ。
次の瞬間、彼女は駆けた。
俺とカリーナ、ライナスを追い越し、魔法の射程へ踏み込む。
結界が展開され、ルミエラを守る。
「へぇ……開き直るんだ。
“前の君”なら、そうはしなかったのに」
ルーナの嘲笑。
「そんなに大事? その子が」
答える代わりに、アルマは腕を振り抜いた。
パチン——。
乾いた音が、止まった世界に響いた。
ルーナの頬に、赤い痕。
わざと、受けたのだ。
挑発のために。
ルーナは、薄く笑った。
俺たちは、もう理解している。
この女は、そういう存在なのだと。
赤く腫れた頬をそのままに、ルーナはアルマを見下ろしていた。
その瞳は、もはや理性や感情という言葉が当てはまらない。
生と死の境目に立つ者だけが持つ、――死神の眼だった。
「……これは罰なんだよ。アルマ」
静かな声。
それだけで、空気が凍りつく。
ルーナは一歩踏み出し、乱暴にアルマの髪を掴んだ。
細い指が容赦なく頭皮を締め上げる。
「警告はした。私の邪魔をするな、と」
ぎり、と嫌な音がした気がした。
アルマの喉から、声にならない息が漏れる。
ルーナの周囲に、七色の光が浮かび上がる。
それぞれが不規則に脈打ち、まるで意思を持つかのように宙を漂っていた。
見ただけで分かる。――あれは、今までとは比べものにならない規模の魔力だ。
「私に……いいや、“世界”が目指すべき場所を邪魔した君への罰さ」
その言葉に、アルマの膝から力が抜けた。
掴まれたまま、がくりと身体が沈む。
絶望。
それは声や涙よりも先に、姿勢として現れる。
「……だが――」
ルーナは、そこで一度言葉を切った。
「これで終わりじゃあない」
そう言って、ゆっくりと視線を移す。
アルマから、俺へ。
そして――カリーナへ。
「君は……カイル・ブラックウッドに好意を抱いているね?」
「――っ!?」
唐突すぎる言葉に、俺の思考が一瞬止まった。
隣で、カリーナの肩が僅かに跳ねた気がした。
ルーナは、すべてを見透かしたように目を細める。
「言わずとも分かる、と言いたいところだけど……以前、君は私にそう言った。”彼が好き”だって」
不敵な笑み。
獲物の心臓を弄ぶ捕食者の笑顔だった。
「彼の“秘密”を、知りたくはないかい?」
――俺の秘密?
「……いや。君は、知るべきだ」
――何を言うつもりだ?。
声を上げようとしても、喉が動かない。
時間は、まだ完全には俺たちの側に戻っていない。
「理解しなければいけない。そして――」
ルーナは、声を張り上げた。
「彼に……”絶望”しなくてはいけない!」
指先が、まっすぐカリーナを指す。
「君は知らなくちゃいけない!
彼が何者で、どんな“偽り”を纏って生きているのかを!」
そして、唐突に表情を消した。
「彼の秘密……絶対に誰にも知られたくない、“偽りの自分”」
その瞬間、理解してしまった。
――ああ。
こいつは、”それ”を言うつもりだ。
俺が、転生者であること。
この世界の人間ではないという、俺の正体。
駄目だ。
それだけは、”今は”知られてはいけない。
「彼は――」
ルーナがそう言いかけた、その瞬間。
――時が、再び動き出した。
ルミエラの目の前に固定されていた魔法が、アルマの結界へと激突する。
轟音。
爆風。
雪と土が一気に舞い上がり、視界を覆い尽くした。
ルーナの言葉は、爆音に掻き消される。
俺は、反射的に駆け出していた。
もう二度と、こいつに時を止めさせるわけにはいかない。
もし今、俺の秘密が暴かれれば――。
カリーナは確実に動揺する。
ライナスも、戦いに集中できなくなるだろう。
それはつまり、連携の崩壊だ。
アルマとルミエラは、もう精神的に限界に近い。
今、戦線を支えられるのは、俺とカリーナとライナスだけ。
ここで崩れれば、終わる。
ルーナ自身も、さっきの魔法で視界を失っているはず。
叩くなら――今しかない。
俺は杖を握り締め、魔力を一気に引き上げた。
光魔法。
全力。
一撃で、勝負を決める覚悟で――。
「――っ!」
視界を切り裂いて、影が飛び込んできた。
ルーナじゃない。
アルマだ。
「アル――ッ!!」
咄嗟に、魔力を強制的に引っ込める。
心臓が凍りついた。
あと一瞬、判断が遅れていたら――。
俺は、自分の仲間を撃ち抜いていた。
雪煙の中で、アルマは立っていた。
震えながらも、必死に前に出て。
――戦いは、まだ終わっていない。




