566話 本当の戦い
転移石が淡い光を放ち始めたその瞬間、アルマが俺の名を呼んだ。
「転移する前に……カイル。”例の物”を渡しておくわ」
ぴたりと動きが止まった。
アルマの手には、普段使いの杖とは別に、白布を丁寧に巻きつけられた長い棒状のものが抱えられている。
それを見て――思い出す。
「あ……俺の杖!」
思わず声が漏れた。
アルマは静かに頷き、布に包まれたそれを俺の前へ差し出す。
「ここ二日間で急いで作ったせいで、所々の調整はまだ済んでないみたいだけど……」
アルマの言葉を聞きながら、俺は布の端を掴み、ゆっくりと剥いでいった。
――現れたのは、闇そのものを閉じ込めたかのような漆黒の杖。
柄は吸い込まれそうなほど深い黒。
対して杖先にはめ込まれた鉱石は、光を受けるたびに白、金、薄青と表情を変える――まるで星空の破片のような輝き。
「カイルの要望通り、特殊元素……特に黒魔法の出力を増加させる素材を使った、一級品の杖よ」
アルマの説明は淡々としているが、その瞳には自負と責任の光があった。
「先端の鉱石は“天輝石”と言って、本来は光魔法の出力を増幅させるために使われる希少鉱石なんだけど……」
アルマは軽く杖先を指先で叩き――。
「今回はディレオス王の許しを得て、黒魔法の増強にも使えるよう改良しておいたから」
――と、あまりにも簡単に言った。
「えっ……そんな珍しい物を……?
っていうか、鉱石を改良!? そんなことできるんですか?」
驚きで声が裏返る。
天輝石の希少性は、魔法学園の教本でも散々書かれていた。
それを、黒魔法用に改良――?
俺の杖に使うためだめに?
アルマは小さく息を吐き、肩をすくめて言う。
「魔法系統の鉱石類は、ほとんどが魔法による性質変化・改良が可能なのよ。
黒魔法は光魔法の“対”の属性だから、変換も比較的簡単だったわ」
気軽に言うが、絶対に簡単ではない。
専門家じゃなきゃ絶対に不可能だ。
「……まさか、アルマさんも作業を?」
「えぇ。国王に頼まれたの。
鉱石の改良は、この国じゃ私しか専門家がいなかったらしいから」
平然と語るアルマを見て、胸が熱くなった。
こんな短期間で、国王の依頼を受けながら――俺のために。
俺は杖を両手で抱え、深く頭を下げた。
「ありがとうございます! 本当に……アルマさん!」
その言葉に、アルマはほんの少しだけ目元を和らげ、こくりと頷いた。
「もう一度言っておくけど――柄も鉱石も今日に間に合わせるために作ったものよ。
強度も出力調整も不十分。
実戦で使うなら、調整は全部自分でやっておくこと」
厳しい口調。けれど、その奥にあるのは確かな信頼。
――自分の力で仕上げろ。
そう言われている気がして、胸の奥に静かな闘志が灯った。
俺は杖を強く握りしめた。
(絶対に……この力で、ノアたちを助ける……!)
転移石が光を強くする。
仲間たちの視線が交差し、覚悟が一つになる。
そして、光が俺たちを包み込んだ――。
転移石の光が弾け、足元の感覚がふっと消えた。
次の瞬間、冷たい風が頬を叩きつける。
――雪の匂いだ。
薄曇りの空。湿った土の匂い。遠くで鳥の鳴く気配。
俺たちは、鬱蒼とした針葉樹林の中に佇む、古びた木造の小屋の前に立っていた。
小屋は今にも崩れそうで、風に軋むたびに嫌な音を立てる。
「ここが……”記憶”で見えた、小屋か」
アルベリオが息を呑む。
俺は返事もせず、胸の奥がざわつくまま扉へと駆け寄った。
――嫌な予感しかしない。
扉には鍵が掛かっていなかった。
深呼吸し、そっと押し開ける。
中は暗く、湿った空気が漂っていた。
だが、まず目に飛び込んできたのは――。
乱れた布団だけだった。
そこに、ノアが眠っているはずだった場所。
布団はぐしゃぐしゃで、何かに引きずられたような跡が残っている。
胸の奥が冷たくなる。
「ノア……っ」
呟きはかすれた。
続いて視界に映ったのは、小さく丸まって倒れている影。
「レア!?」
カリーナが駆け寄り、肩を揺する。
レアはうっすらと声を漏らしながら目を開けた。
「……あ……れ? カリーナ……さん?」
だが、その瞳は焦点が合っていない。
俺が問いかける。
「レア! ノアは? ここにノアはいませんでしたか!?」
「ノア……? ノア……ちゃん……? えっと……」
レアは額を押さえ、苦痛に顔を歪めた。
「ご、ごめんなさい……思い出せません……。
私、ここで……何を……して……?」
俺は言葉を失った。
レアの記憶は、前後が丸ごと抜き取られている。
ルミエラが低く言う。
「……ルーナの仕業だね。
あの女、記憶の操作ぐらい平気でやってのけるよ」
アルベリオが周囲を見渡しながら言葉を重ねる。
「ノアさんも……ここにはいない。連れ去られた後だね。
だけど、布団が暖かい……さっきまで、確実にここにいた」
俺は布団に触れた。
確かに温もりが残っていた。息が詰まる。
――まだ間に合うかもしれない。
「問題は、どこへ連れて行かれたか……だ」
アルベリオが呟くと、ルミエラが続けた。
「もしルーナが転移石を使ってたら、追跡はほぼ不可能だよ」
しかし、アルマが即座に否定した。
「ルーナが転移石を使った可能性は低いわ」
全員がアルマを見る。
「なぜ?」
アルベリオが問うと、アルマは静かに答えた。
「バルガが言っていたの。
”計画の最終段階はポッポードで行われる”と。
そしてルーナは、”祠でそれを完遂させる”と言っていたらしいわ」
「祠……?」
全員が眉を寄せるも、その場所が分からない。
空気が重く沈む。
だが――俺は知っていた。
胸の奥に、確信のような冷たいものが灯る。
「……心当たりがあります。ルーナが向かった場所に」
全員の視線が俺に集まる。
「ビスマーの脳が保管されている祠です。
前の戦いのとき、ルーナと共に転移した先に、古い祠がありました。
おそらくあそこで……ルーナはノアと赤月を使って”何か”をやろうとしているはずです」
「ビスマーの……脳……」
カリーナが息を呑む。
「祠の場所は分かるの?」
「はい。ここからそう遠くないはずです」
俺は言い切った。
もう迷っている時間はない。
「レアちゃんは……どうする?」
とルミエラが問う。
俺は決断した。
「レアには、ノワラに戻ってもらいます。
……それが一番安全で確実です」
レアはまだ混乱した様子だったが、震える声で言った。
「わ、私……私でも……役に立てるなら……!
ノワラに戻って戦力を連れてきます!」
アルベリオが転移石の座標を書き換え、レアに渡す。
「ノワラまで繋げておいたよ。
向こうに着いたら、すぐ伝えるんだ」
転移の光がレアを包む。
レアは涙を滲ませながら叫んだ。
「必ず……! 必ず戦力を連れて戻りますからっ!!」
光が弾け、レアは消えた。
残された静寂の中で、アルマがぽつりと呟く。
「……間に合うといいけど」
「その前に終わらせます」
俺は強く言い切った。
ノアを取り戻すために。
ルーナの暴走を止めるために。
そして俺たちは――。
祠へと続く、雪の道へ踏み込んだ。
―――。
祠へ向かう道のりは、すでに“道”と呼べる代物ではなかった。
空を覆う雪雲は、赤月の影響なのか微量の魔力を帯びており、そこから降り注ぐ雪は肌に触れるたびにチリ、と小さく焼けるような刺激を残す。
ただ冷たいだけの雪ではない。
生きているように、こちらの体力を削り取ってくる悪性の雪だった。
「視界が……」
吹き荒れる突風が雪を巻き上げ、前さえ見えない。
白の世界は、まるで歩く者を飲み込もうとする巨大な獣のようだ。
「魔力を含んだ雪雲は、異常な降雪と突風を引き起こすのよ」
アルマが肩をすくめながら言う。
「自然現象って呼ぶには無理があるわね」
「赤月は魔獣だけじゃなく……自然そのものにも影響を与えるということか」
アルベリオが呻くと、ルミエラが険しい表情で頷いた。
「魔力がここまで暴れてるのは初めて見たよ。
もう“天候”なんて範囲じゃないね。世界の法則が歪み始めてるような感じ……」
そんな中、裸同然の上半身に雪を受けながら平然と歩く男が一人。
カリーナが眉をひそめた。
「ライナス……あなた、本当に寒くないの?
見てるだけで私まで凍えそうなんだけど!」
ライナスは肩を竦め、豪快に笑う。
「俺の感覚はもうほとんど死んでっからなァ。
この程度じゃ、寒さなんざ感じねぇ」
だが、その豪快さを一刀両断する声がすぐ後ろから飛んだ。
「……感覚がなくても、身体は確実にダメージを蓄積していくのよ」
アルマだった。
呆れたような、しかし本気で心配する声音。
「知らぬ間に凍傷で動けなくなるなんて、本当にやめてほしいのだけれど。はい、これ」
アルマは背負っていた荷から濃紺の分厚いコートを引っ張り出し、ライナスの胸に叩きつける。
「お、おう……。
動きにくいんだよな、こういうの……」
「文句言わない。着て」
「……へいへい」
ぶつぶつ言いながらも、ライナスはコートに腕を通した。
道中では、雪に紛れて襲い来る魔物たちとの遭遇もあった。
視界の悪さを利用して飛び掛かってくる兎型魔獣、雪と同化した小型の魔物――どれも赤月の影響で凶暴性を増している。
だが、そのたびに俺たちは迷いなく応戦し、道を切り開いた。
そしてついに――。
雪のカーテンの向こう、巨大な黒い岩が姿を現す。
それは、ただの岩ではなかった。
空気そのものが異質にねじれ、時間だけが停止したような圧を放っている。
祠だ。
「……間違ありません。あれが、俺が前に来た祠です」
俺は喉を鳴らしながら呟いた。
「ルーナの野郎はどこにいるんだァ……?」
ライナスが周囲を見渡した、その瞬間だった。
――風が止んだ。
さっきまで暴れていた雪が、まるで見えない何かに払われたように、一瞬で霧散して消え失せる。
「っ……来るよ!」
ルミエラとカリーナが杖を構え、アルマが即座に魔力を練る。
雪が晴れたのではない。
“誰かが晴らした”のだ。
静寂を裂く声が、空から降ってきた。
「なぁんだ。結局……来たんだ」
ゾクリと背中が凍る。
俺たちは同時に空を仰いだ。
「――!!」
そこにいた。
白いワンピースが風に揺れ、長い金髪が雪の粒を弾き返す。
汚れひとつないその姿は――皮肉なほど天使のようで。
だが、その背後に浮かぶものがすべてを台無しにしていた。
血のように赤く染まった、禍々しい満月。
赤月が、まるで“彼女だけを照らす光”であるかのように輝きを増している。
ルーナが、そこにいた。
ゆっくりと、慈しむような微笑みを浮かべながら。
だがその目は、底冷えするほどに残酷だった。
俺は胸の奥に渦巻く焦燥を押し殺せず、ルーナを睨みつけて叫んだ。
「ノアを……どこへやった!!」
ルーナはふわりと金髪を揺らし、ゆっくりと俺へ視線を落とした。
その黒い瞳は、まるで獲物を巻きつける直前の蛇のように細められ、ぞっとするほど冷たかった。
「――あの祠の最奥だよ」
淡々とした声だった。
だが、その淡々さが逆に恐怖を掻き立てた。
俺は祠を睨みつけ、歯を食いしばる。
「……ビスマーがいるところか!」
そう叫んだ瞬間、ルーナの目がわずかに見開かれた。
驚愕――その感情が一瞬だけ彼女の表情に混じる。
「……そうか。なるほどね」
顎に白い指を添え、うっとりするように呟く。
「なぜ君たちがここまでたどり着けたのか、ようやく納得したよ。
まさか……彼の存在を――居場所を知っていたとはね」
次の瞬間だった。
空気が爆ぜた。
ルーナの体から、波動のような魔力が四方へ弾け飛ぶ。
魔力感知がまともにできない俺でさえ、皮膚が破れそうなほどの魔力圧を感じ取れる。
まるで巨大な獣に見下ろされたかのような圧迫感。
ノワラでの戦いから、たった数日しか経っていないというのに…….。
(……全快してる……!)
「気を引き締めよう……!
ここからは、油断が死に直結するよ!!」
アルベリオの声に、全員が一斉に構えを取る。
「奴の弱点はカイルとルミエラが言った通り、意識外からの致命打だけ!
長くなる戦いよ……全員、踏ん張りなさい!!」
アルマの叫びが引き金となり――俺たちは一気に前へと駆け出した。
アルベリオとライナスが先陣を切り、雪煙を弾きながら斬撃を繰り出す。
その直後を、俺、ルミエラ、カリーナの中衛が埋め、遠距離から魔法を重ね撃ちした。
背後ではアルマが魔力を編み込み、補助魔法を絶え間なく送り続ける。
しかし――。
「甘いよ」
ルーナの声が風のように響いた。
次の瞬間、アルベリオの一撃は空を裂き、ライナスの大剣も虚空を切り裂く。
ルーナは舞うように身体を反らし、軽やかに跳び、まるで重力を無視した軌道で回避していった。
俺たちの中距離魔法の連射もすべて見切られ、紙一重で避けられる。
(一撃も……届かない……!)
だが――そこで終わりではない。
「……かかったわね」
アルマの静かな声が聞こえた。
俺たちの攻撃の影に紛れるようにして放たれていた、超高速の氷元素魔法。
それは蛇のように軌道をねじ曲げ、ルーナの死角から迫る。
避ける隙など――ない。
氷の奔流がルーナを飲み込み、赤い空へ白煙を巻き上げる。
雪煙が激しく舞い上がり、視界を奪った。
「当たった!?」
俺が思わず叫ぶが、背後のアルマは苦っぽい顔で首を振った。
「……いいえ。この手応えは――」
言い終える前に。
煙を真上から突き破るように、七色の光が垂直に走った。
巻き上がった雪煙が一瞬にして霧散し、そこに現れたのは――。
傷一つない、完璧な姿のルーナだった。
「今の攻撃で無傷かよ……!
嫌ンなるぜ……!!」
ライナスが舌打ちし、大剣を肩に担ぎ直す。
「ふふ……今のは少し危なかったかな?」
ルーナは頬に指を添え、楽しそうに笑った。
まるで舞踏会にでも来ているかのような余裕。
その表情が腹立たしいほど美しい。
「そう言ってられるのも……今のうちよ!」
カリーナが叫び、杖に魔力を集める。
それに呼応するように、俺も、ルミエラも魔力を溜め始めた。
「戦いはこっからだ!!」
ライナスが吠え、再びアルベリオとともに突撃する。
一撃目が通じないのはこちらも想定済み。
ここからが、本当の戦い――。
祠の前、赤月の光に染まる雪原で、運命を決する激闘が幕を開けた。




