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564話 今やるべきこと

 しばらくして――。


 アルマ、ルミエラ、カリーナの治癒魔法によって、倒れていた仲間たちがひとり、またひとりと治癒を終え目を覚まし始めた。


「……そうか。僕たちが気絶している間にそんなことが……」


 最初に立ち上がったアルベリオは、俺の説明を聞きながら眉を寄せ、冷静に状況を咀嚼してみせた。


「ルーナは今や、どこにいるかも分からない。追う手立てがない以上、仲間の治癒を優先したという判断は正しい。

 ……他に負傷者は?」


「幸い、操られていた獣族たちは死者なく気絶しています。

 ノワラの兵たちも……死傷者は多いですが、生きている者はまだ残っています」


 そう答えると、アルベリオは胸から長く息を吐いた。


「……すまない。

 僕たち勇者がこうも呆気なくやられてしまうなんて……」


 悔しそうに唇を噛む。


「加護が無ければ、僕はただの剣士に過ぎないってことだね。

 敵に触れられる前に落とされるなんて……情けないよ」


 その声音に、俺は返す言葉を持てなかった。


 彼らが弱いわけじゃない。

 力量だけを見れば、勇者たちは俺なんかよりずっと強い。


 ただ――。

 今回ばかりは敵が異常だっただけだ。


 こちらがどれだけ準備しても、ルーナの準備はそのさらに上を行っていた。

 長い年月を費やし、誰も邪魔できないところまで積み上げられた計画。


 勇者たちが動くことすら予測の範疇だったのだろう。


 そして俺がここまで戦えたのも、ほとんど仲間たちのおかげだ。

 一人なら――間違いなく既に死んでいた。


 敵は強く、戦いはまだ終わっていない。

 そして――ルーナを倒さなければ、ノアは目を覚まさない。


 何としても止めなければならない。

 そう胸の奥で固く決意し始めたとき――。


「カイル! ……っと、アルベリオさんも! ちょっと来て!」


 仲間の治癒を続けていたカリーナが、急ぎ足でこちらへ駆け寄ってきた。


「どうしたんだい?」


「何かあったんですか?」


 俺たち二人は立ち上がり、カリーナの背に続く。


 その先にはルミエラとアルマ、そして目を覚ましたロガンたち勇者も集まっていた。


「一体どうしたんですか?」


 俺が問うと、カリーナは難しい顔で答えた。


「それが……私にもよく分からないんだけど。

 ルーナの仲間だった亜族の一人が、ルーナの居場所を知ってるかもしれないって……」


「――!」


 思わず息を呑んだ。


 集まった仲間たちの視線の先にいたのは――。

 『四獣』の一角、白虎のバルガ。


 地面に胡坐をかき、大きな腕を組んで黙しているその姿は、以前の狂気的な威圧とは違い、どこか落ち着いた気配を纏っていた。


(……なぜだ? あれほどルーナに心酔していたはずなのに)


 催眠が解けたのか?

 それとも別の思惑か?


 思考していると、バルガがぽつりと呟いた。


「……先にも言ったが、わしはあの女の真意に気付けなんだ。

 人族を滅ぼし、アズ=ノスを救う……奴の“嘘”を、見抜けず従ってしまっていた」


 あの力からは想像もつかないほど、弱く沈んだ声音だった。


 俺は隣のカリーナへ小声で問う。


「……どういうことなんです?」


「どうやら、バルガたち亜族は本当にルーナに騙されていたみたいなの。

 “亜族だけの世界”を創るっていう嘘に、みんな嵌められてた」


 なるほど――。


 催眠によって支配され、その上で“都合のいい嘘”を与えられた。


 なら、ルーナの洗脳が解けた今、彼らが協力的になる可能性はある。


 だが――。

 元々彼らが人族を滅ぼすつもりだったのも事実。


 だから信用はできない。

 慎重に判断する必要があった。


 アルベリオが一歩前へ出る。


「バルガ……ひとつ聞かせてくれ。

 ルーナの居場所を知っているかもしれないというのは本当か?」


 バルガはゆっくりと頷いた。


「今さら嘘などつかぬ。

 ビスマー……いや、ルーナはおそらく計画の“最終段階”を始めるつもりじゃ」


「最終段階……?」


 アルベリオの問いに、バルガは天を仰ぐ。


 その視線の先――。

 空には、薄雲を割って“赤い月”が不気味に浮かんでいる。


「この計画の最後の要は……今まさにわしらの真上にある“赤月”。

 そして――“特異点”たるノア・グレンリーフの存在じゃ」


「っ……!」


 心臓が強く跳ねた。


 ノアの名を出された途端、胸の奥が焼けるように痛んだ。


「赤い月と……特異点が……どう関係する?」


 アルベリオが問うと、バルガは首を横に振る。


「それは、わしにも分からん。

 だが奴はずっと言っておった。

 ”最終段階は自分にしかできぬ”と」


「……」


「赤月と特異点が合わさったとき、何が起きるのか。

 奴が何を企んでいるのか。

 わしにも想像すらつかん」


 バルガの言葉に、戦場の空気が一気に冷えた。


 赤く歪む月が、大地を血のように照らす。

 ノアは眠り続け、ルーナはその特異性を利用しようとしている。


 そして――。

 計画の最後は“赤月”を中心に動く。


 あれが意味するものは一つしかない。


 ルーナの計画は、もう寸前の所まで来ている。


 アルベリオが、バルガへ鋭い視線を向けて問う。


「それで……肝心のルーナの居場所は?」


 バルガは短く息を吐き、ゆっくりと答えた。


「おそらく……いや、確実に“特異点”のところじゃろう。

 特異点の居場所は……そこの小僧が知っているはずじゃ」


 そう言いながら、バルガは太い指で俺を指した。


 一斉に集まる視線。

 でも、その視線すら今の俺には遠く感じられた。


 思考は渦の中に放り込まれたように回転し、その中心にひとつの答えだけが浮かびあがる。


 ――ノア。


 そして──。


「――まさか、ポッポードに!?」


 俺の叫びに、バルガは重々しく頷いた。


「戦の最中、ぬしは奴と特異点と共にどこかへ転移したのであろう?

 その転移先に特異点を置いてきたのなら……奴は必ずそこへ向かっておるはずじゃ」


 言葉が終わるより早く、俺の身体は地面を蹴っていた。


「ノアが危ない――!」


 血が沸騰する。

 胸の奥の魔力が暴れだす。

 気づけば走り出していた。


 しかし――。


「待ってカイル!」


 カリーナが咄嗟に俺の腕を掴んだ。


「ここからじゃポッポードは遠すぎる! どう考えたって間に合うわけない!」


「でも……! このままじゃノアが危険な目に!」


 俺の叫びが空気を震わせる。


 そのとき、バルガが低く唸るような声をあげた。


「安心せい。特異点は計画にはなくてはならぬ存在……。

 奴とて、そのノアとやらを無下には扱わんじゃろう。

 まあ──最も、このままでは計画を止めることは叶わんがのぅ」


 追い打ちのような言葉。


 胸に刺さる焦燥。

 身体が勝手に震えた。


「くそッ……!」


 カリーナの手を振り解き、再び駆けだそうとした瞬間――。


 乾いた音が頬に炸裂した。


「落ち着きなさい、カイル」


 アルマの手だった。


「どう考えても、それじゃ間に合わないでしょ。

 少し考えれば分かることよ」


 張り詰めた空気の中、アルマの落ち着いた声だけがやけに鮮明に響く。


「……す、すみません……」


 頬の痛みがようやく思考を冷やし、俺は足を止めた。


 バルガが鼻で笑う。


「フン……たとえ勇者でも、中身はまだ小童のようじゃのう」


 反論する余裕もない。

 今、この瞬間にもルーナはノアを探して空を飛び、ポッポード中を探し回っているに違いない。


 焦燥で胃が焼ける。

 何もできない自分への苛立ちで、血管が軋む。


 そのとき――。


「そういえば!」


 今まで静かに話を聞いていたライガが声をあげ、懐を探った。


 出てきたのは、淡く青い光を帯びた石。


「俺たちがここに転移してきたとき使った転移石がまだ残ってる!」


「……ライガ!」


 俺はライガの手から転移石を奪うように掴み取った。


 ――これだ。

 これしかない。


「これでポッポードに戻れるかもしれない……!」


 転移先はランダムだが、アルベリオの魔法があれば座標を特定して正確に飛べる。


 希望が灯った、その瞬間――。


「待って」


 アルマが冷たく言った。


 その声は、炎を水で消すように場を凍らせた。


「今すぐ行っても、ルーナに返り討ちに遭うのが目に見えているわ。

 戦える者も少ない今、それは自殺行為よ」


 重い沈黙が落ちる。


 誰も反論できなかった。

 俺自身もだ。


 分かっている。

 分かっているのに――。


「ノアを助けに行きたいです……」


 絞り出すように呟いたその声は、情けないほど震えていた。


「……だから、今すぐポッポードに行くのは危険だと言っているのよ」


 アルマが低く言い放った。

 彼女の声は静かだが、ひとつひとつの言葉に強い意志がこもっていた。


 俺は唇を噛みしめる。


「でも、ノアは……ルーナの計画の中心にいるんですよ? 

 放っておけば何をされるか……」


 声が荒くなるのを自覚しながらも、抑えられなかった。

 胸の奥の魔力がざわつく。

 走り出したい衝動がまた全身を締め上げる。


 アルマは一歩、俺に近づく。


 その瞳には怒りではなく――焦燥と、恐怖と、責任の色が混ざっていた。


「カイル。あなたの気持ちは分かるわ。けどね、今のあなたはさっきまで死にかけていたの。

 仲間のほとんどは重傷。魔力も体力も底をついてる。

 そんな状態で向かったら……確実に誰かが死ぬ」


「俺は……」


「あなたが死ねば、彼女ははどうなるの? 

 私はこれ以上、誰も失わないように考えているの」


 その言葉は、刃のように胸を刺した。


 言い返せなかった。

 悔しさで喉が詰まる。


 代わりに、アルベリオが口を開いた。


「アルマの言う通りだ。僕たちは一度首都カーヴァインへ戻って、体勢を立て直すべきだ。

 王都なら腕の良い治癒魔法の使い手も設備も揃っている。話も進めやすい」


 ルミエラも頷く。


「あたしも賛成だよ。それに、今のカイル君の魔力は不安定……なのに無理やり動かしてる。

 封印が解けて魔力総量が増えてる途中なんだから、なおさら危ない」


「……っ」


 カリーナも横からそっと言葉を添える。


「カイル。ノアちゃんは大事な友達でしょ? だったら絶対に、生き残らなきゃいけない。

 助けに行くためにも……一度、整えるべきよ」


 心臓が大きく脈打った。

 悔しい。

 今すぐ走って行きたい。

 でも――。


(俺が死んだら、ノアは助けられない)


 拳を握り締め、視線を落とす。


 バルガが、俺たちのやり取りを面倒くさそうに眺めながら言った。


「首都に戻るなら、わしも同行しなければならんのじゃろう?

 残る『三獣』──気絶しておる他の者は縄で縛り、牢にでも放り込むがよい。

 あやつらはドゥランを覗いて話の通じる相手ではない」


 アルベリオがうなずく。


「『四獣』の残り三人は、カーヴァインの牢に入れて監視する。それが妥当だろうね」


 アルベリオが言い終えると、俺たちの会話を聞いていたノワラの兵士長が近づいてきた。


「戦場に取り残された獣族たちの保護は我々が続けます。死者はいません。

 操られていた者たちばかりのようで……目覚め次第、拘束を解いて治癒を行います」


 アルマが俺に向き直り、優しい声を落とした。


「カイル。──良いわね?」


 その言葉に、腹の奥でぐつぐつと煮えていた焦りが、ゆっくりと静まっていく。


 助けに行きたい。


 でも、行って死ぬなら意味がない。


 ノアを救えるのは、俺たちしかいない。

 そして……俺は絶対に諦めない。


「……わかりました」


 ゆっくりと顔を上げ、全員を見る。


「一度、カーヴァインに戻ります。

 そこで傷を治して……必ず、ノアを取り戻しに行きます」


 その声は震えていたが、決意だけは揺らがなかった。


 アルマが微かに微笑み、カリーナは胸を撫でおろし、アルベリオは静かに頷いた。


 バルガは腕を組み、ふっと笑った。


「賢明じゃな。小僧」


 こうして、戦いの焦げ跡と血の匂いが残る戦場を背に、俺たちは動き出した。


 ノワラ兵が用意した馬車へと乗り込み、負傷者たちをそれぞれ運び込む。


 夕日の沈む赤い空の下──。

 俺たちと勇者たちは、首都カーヴァインへ向かうことになった。


 ノアの無事を願いながら。

 焦燥と恐怖を胸に抱えたまま。

 それでも前へ進むしかなかった。


 ――必ず迎えに行く。

 心の底で、俺は強く誓った。



 ―――。



 数日に及ぶ馬車での移動が終わり、俺たちはようやくノワラ王国の首都――カーヴァインへとたどり着いた。

 しかし、目に飛び込んできたその光景に、俺たちは思わず息を呑んだ。


 街の通りはひどく静まり返っていた。

 まるで、つい最近までここにあったはずの賑わいが、戦火の熱に押しつぶされて消え失せたかのようだった。


 広い通りを行き交うのは、身の安全を求め国境へ向かおうと荷馬車を急がせる旅商人たち。

 そして、避難を呼びかける数名の兵士だけ。


 獣族の姿は、やはり一人として見当たらない。


 そんな街の様子を見回しながら、アルベリオが小さく呟いた。


「……薄々感じていたけれど、やはりルーナが戦場に転移させてきた獣族たちは、ただの一般市民だったようだね。

 どういう魔法を使えば、あんなことが可能なのか……想像もつかないよ」


 冷たい風が吹き抜け、アルベリオの黒髪を揺らした。

 俺は胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じながら、返す言葉が見つからなかった。


 ――ノアも、この街のどこかにいたはずなのに。


 その思いが頭から離れないまま、俺たちは王城へと馬車を向かわせた。


 白い石造りの城壁が視界に入ると、緊張と疲労が同時に押し寄せてきた。

 城門前に着くと、見張りの兵士たちは俺たちの姿を認めて目を見開き、驚いた声を上げた。


「ゆ、勇者殿たち……!? なぜここへ……一体何が起きたのですか!?」


 すぐに門が開かれ、数名の兵が早足で駆け寄ってきた。

 馬車から降りた俺たちは、彼らに導かれるまま城内へと案内される。


 廊下を進むたびに、兵士たちのざわめきが背後で広がった。

 戦の最中だと言うのに、勇者とその仲間たちが戻った――その事実が、それほど大きな出来事なのだと肌で感じさせられる。


 謁見の間へ足を踏み入れた瞬間、ぴんと張り詰めた空気が俺たちの肌を刺した。


 玉座には、国王ディレオス王が鎮座していた。

 いつもは重々しい威厳を纏うはずのその姿は、どこか落ち着きがなく、深い疲労を隠すように背筋を伸ばしている。


 その隣には、エレーナ王女。

 彼女は俺たちに目を向けた瞬間、息を呑んだように立ち上がった。


「カイルさん……! 無事だったのですね!」


 どこか震える声だった。

 俺は王女と視線を合わせ、短く頷いた。返事はできなかった。

 今は言葉にしてしまえば、胸の奥に渦巻く焦燥があふれてしまいそうだったからだ。


 先頭に立っていたアルベリオが片膝をつき、俺たちもそれに続く。


「国王陛下に拝謁の栄誉にあずかり、誠に光栄に存じます。

 ロルロ王国の勇者、アルベリオ・セリオンと申します。

 此度は有事の最中、大勢で参った非礼をお許しください」


 ディレオス王は落ち着かぬ様子で手を組み、声を低く震わせた。


「……事情はおおよそ聞いておる。

 して、戦はどうなった? 

 そなたらが来たということは――戦は終わったのか?」


 アルベリオは深く頭を下げ、静かに答えた。


「はい。戦は一旦の終止を迎えました。

 しかし……首謀者ルーナの捕縛には至らず、逃走を許してしまいました。

 加えて仲間たちの負傷も深刻なため、我々はノワラ王国において休息と治療の場を賜りたく、ここに参りました」


 謁見の間に、重苦しい沈黙が落ちる。


 バルガ以外の『四獣』の三人は拘束され、別の馬車で運ばれてきている。

 気絶したままの獣族たちは、残されたノワラ兵が責任をもって保護している。 


 そのすべてが終わった今でも、俺の心にはひとつの焦りが居座り続けていた。


 ――ノアは本当に無事なのか。


 その答えを知る術は、まだどこにもなかった。


 ――謁見が終わると、俺たちは城内の治癒魔法師たちに案内され、それぞれが抱えていた深い傷を治療された。

 光の粒が肌に沈み込むたび、戦いを”終えてしまった”のだと、遅れて実感が押し寄せてくる。


 その後、用意してもらった湯あみで血と埃を落とし、身体の重さだけが逆に強調されていった。

 気を抜けばそのまま眠り込んでしまいそうなほど疲れ切っていたが――今は休むことより優先すべき話がある。


 再度、俺たちは王城の一室へと集められた。


 案内された部屋は、普段は軍議にも使われるという重厚な会議室だった。

 長い楕円形の机の中央には燭台が置かれ、窓の外から差し込む赤月の光と混ざりあって淡い灯りを満たしている。

 その光の揺らぎが、ここに集まった者たちの表情を一層硬くしていた。


 席に着いたのは、アルベリオ、アルマ、俺、ルミエラ、そして勇者数名。

 敵の動向についての情報を多く持つ者――という基準で選抜されたらしい。


 対してノワラ側は、ディレオス王と数名の側近に加えて、無言で控える護衛の騎士たち。

 その視線の鋭さは、王城内の空気がまだ非常時のままなのだと物語っていた。


 椅子の軋む音が静かに響き、ディレオス王が口を開いた。


「先ほどの謁見で少しは聞いたが……“特異点”ノア・グレンリーフと、空に浮かぶ赤き月が……ルーナとやらの計画の最終段階に使われることは確かなのか?」


 その問いには、ためらいなど一切なかった。

 国王として、そして一国の未来を預かる者として――核心だけを求めている声だった。


 まず答えたのはアルベリオだ。


「はい、陛下。確証と呼べるほどの情報はまだ掴めていませんが……戦場で彼女は断言していました。

 これは、敵側から寝返った情報提供者、白虎のバルガからの情報と一致します。

 さらに、ノア・グレンリーフを“特異点”だと言い……彼女の存在を確実に欲していたのは事実です」


 アルベリオは顔色を変えず、淡々と言葉を継いだ。


「そして、我々が見たあの異常な転移魔法――多数の獣族を遠距離から即座に戦場へと落としたあれは、明らかに通常の魔法体系を逸脱していました。

 ルーナは何らかの超常的魔法体系を利用している可能性が高いです」


 国王は低く唸り、眉間に深い皺を刻んだ。


「……あの”赤月”が関わっているのか。

 あれは単なる現象ではなく、魔法の一部ということか?」


 その疑問に答えたのはアルマだ。

 まだ腕の包帯が痛々しいが、その瞳はしっかりと王を見据えていた。


「陛下、あの赤い月はただの自然現象ではありません。

 ルーナの計画の源は、確かにあの月と強く結びついているはずです」


 アルマは一呼吸置き、続けた。


「そして……ノア・グレンリーフは、その計画の門を開く“特異点”として利用されようとしている可能性があります。

 彼女がルーナの手中にある以上、あの月はまだ目的を果たしておらず――ルーナの計画は続いていると考えるべきです」


「……特異点とは、何だ?」


 ディレオス王の問いは、必死に落ち着きを保とうとする声だった。


 ルミエラが指先で机を軽く叩き、悪戯っぽさを消した真剣な顔で口を開く。


「数百年に一度生まれる、獣族の“例外的存在”だよ、陛下。

 身体能力や魔力適性、精神構造、そのすべてが改造に適合していて、なおかつ”完全な制御”が可能となる――神に選ばれた『兵器の器』……らしいよ」


 赤黒い髪が揺れ、彼女は続ける。


「ノアちゃんは、その力を無自覚のまま抱えている。だからこそ、ルーナは狙った。

 月を使った儀式か、あるいは世界改変級の魔法か――何にしても、ノアちゃんは“起動装置”みたいに扱われるはず」


 部屋の空気が一段と冷え込んだ。


 俺は拳を握りしめ、とうとう堪えきれず声を出した。


「……ノアはただの女の子なんです。

 そんなものに巻き込まれていい理由なんて、どこにもない」


 静まり返った空気の中で、俺の言葉が机の上に落ちるように響いた。

 ディレオス王はその拳を見つめ、深く頷いた。


「……同感だ。だが、現実として脅威は目の前にある。

 今――我らが取るべき策は何だ?」


 国王の問いが、会議室の空気をさらに引き締めた。


 アルベリオとアルマが互いに視線を交わし、次に語られるのは――ノアの救出か、月の封じ方か、それともルーナの追跡か。


 重苦しい沈黙を破ったのは、ディレオス王の低い声だった。


「……赤き月そのものをどうにかする手立ては、本当にないのか?」


 問いというより、祈りに近い響きだった。

 しかし、アルベリオとアルマは揃って首を振る。


 アルベリオが静かに答える。


「陛下……あの月がただの天体であるなら手出しの仕様もあったでしょうが……あれは“魔力の異常発生体”です。地上からの干渉は不可能。

 結界魔法も届きませんし、破壊は――距離的にも、構造的にも不可能です」


 ディレオス王の喉がかすかに震えた。


「では……ではどうすればいい? 

 ただ見上げて怯えることしかできんのか……?」


 その言葉に、アルマが机の上へと静かに一つの石を置いた。


 淡く紫の輝きを帯びた転移石。


 王が目を細める。


「……その石は?」


 アルマは小さく息を整え、説明を始めた。


「これは、ルーナが戦場で使っていた転移魔具――“世界中どこへでも瞬時に飛べる”という、常識では考えられない代物です。

 本来なら解析も不能なはずですが……アルベリオの魔法なら、使用範囲を限定し、目的地を指定して使用することができます」


 アルベリオが頷く。


「はい。制限付きですが“ポッポード”に転移できるはずです。

 ノアさんと、彼女を守る少女レアがいる場所に……」


 机の上の燭火が揺れ、影が濃くなった。


 ルミエラが腕を組む。


「つまり、赤月をどうにかするんじゃなくて――ルーナがノアちゃんを手にする前に救い出す。

 それか、ルーナ本人を叩き潰すしかないってワケね」


 アルマが同意するように続けた。


「ノアの救出作戦が、一番成功確率が高いです。

 ただし――すでにノアが捕らわれている可能性もあります。

 その場合、敵地へ飛び込むのは非常に危険」


 全員の表情が固くなる。


 赤月の元凶は手が届かず、世界は不安定なまま。

 ルーナは特異点を探し続け、月は満ちていく。


 時間の猶予は、ほぼない。


 そこで俺は思わず声を上げた。


「……それでも、行くべきです」


 視線が一斉に俺へと向く。


 俺は唇を噛みしめたまま、続けた。


「危険なのは分かっています。

 でも……ノアは“特異点”だから、ルーナに危険に晒される可能性は低い。

 けど、レアは違う。もし……もしルーナが先に見つけたら……レアがどうなるか……」


 そこまで言って、声が震えた。

 胸の奥に沈んでいた後悔が、浮かび上がってきて喉を締めつける。


(俺は……あの場で、ノアと一緒にレアを残した……)


 本当は、あの瞬間にもっとできたことがあったんじゃないか――そんな思いが、ずっと胸の中で疼いていた。


 ディレオス王はしばらく俺を見つめていたが、やがて深く息をついた。


「……作戦そのものは、そなたたちに任せよう。

 だが――肝心のルーナを倒す術はあるのか?」


 率直な、不安を隠さぬ問い。


 アルマが身を乗り出して答えた。


「ルーナの加護は確かに万能に見えます。

 どんな魔法も回避し、攻撃も強制的に逸らし、身体能力も異常……。

 ですが――カイルとルミエラが戦いの中で、奴の“弱点”を発見しました」


 ルミエラが小さく笑う。


「まぁ、“完全無敵”なんて存在しないってことよね。どんな力にも綻びはある」


 アルマは王をまっすぐ見る。


「勇者たちが回復し、全員が揃えば……ルーナに勝つ見込みは十分にあります」


 ディレオス王はその言葉を聞き、長い沈黙の末にようやく頷いた。


「……分かった。

 ノアの救出、そして……ルーナ撃破の作戦――期待している。

 もはや我が国も……世界も、そなたらに頼るしかないのだ」


 机の上の転移石が、静かに輝きを増しているように見えた。

 それはまるで――次に進む道が、もう選ばれてしまったことを示すようだった。



 ―――。



 会議が終わると、全員は散り散りに割り当てられた部屋へ戻り、傷を癒し、眠りにつく者もいた。

 しかし――俺だけは、その静けさの中で胸騒ぎを抑えられなかった。


(……両親は、無事だろうか)


 脳裏に、戦場で見た“変貌”が蘇る。


 人族が――突然、苦悶の叫びを上げ、骨をきしませながら獣族へと変わっていくあの光景。

 あれは戦場だけの現象ではない。

 ルーナが世界中に散布した獣族化の薬。


 ルーナ自身が言っていた。

 ”獣族になれず死ぬ者もいる”と。


 その言葉が胸を刺す。


(もし……もしこの街でも起きていたら)


 いても立ってもいられず、俺は城門を飛び出した。


 夜闇に包まれたカーヴァインの街。

 灯りの少ない通りには、人影もほとんどない。

 戦を恐れて避難した者たちも多いのだろう。

 空気は静まり返り、その静寂が逆に不気味だった。


(頼む……無事でいてくれ)


 必死に走り、家の前にたどり着く。

 戸を開けた瞬間――。


「カイル!?」


 母が叫び、次の瞬間には強く抱きしめられていた。

 父も驚きと喜びを混ぜた顔でこちらへ駆け寄ってくる。


「戻ってきたのか……!」


 ふたりの体温と震えが、胸に沁みる。

 心の奥がようやく温かさを取り戻していくようだった。


 だが――俺は首を振った。


「すみません……まだ、終わってないんです」


 母の腕が止まり、父の表情が固くなる。


「終わって……ない?」


 俺は、両親の温もりからか、急に愚痴を零したくなった。


「はい。戦いは……まだ続いてるんです。

 大切な友達が、今も危険な目に遭ってる。

 すぐ助けに行きたいのに……準備ができない。

 俺は、何も……何もできなくて」


 絞り出すように言うと、胸が苦しくなった。

 あの場でノアとレアを残した後悔も、今なお俺を締めつけている。


 そんな俺に、父がそっと手を置いた。


「カイル。お前は“何もしていない”なんて思っているのか?」


 優しいけれど、芯のある声だった。


「お前はずっと誰かを守るために走ってきた。

 今ここに立っている時点で、お前は十分すぎるほど戦っているんだ。

 仲間を大切に思っているからこそ……焦るんだろう」


 母も目に涙を浮かべながら、俺の手を包む。


「助けたいと思える友達がいることは、誇るべきことよ、カイル。

 それに……今は休まなきゃ。

 体もボロボロなのに……突っ走ったら、本当に守りたい人を守れなくなるわ」


 二人の言葉が、心の奥にしみわたり――。

 張りつめていた糸がようやく緩んでいく。


 俺は深く息を吐いた。


「……ありがとうございます。父さん、母さん」


 決意がまた胸に戻ってくるのを感じる。


「行かなきゃ。

 明日にはノアを救いに行く作戦を立てます。

 ……絶対に助けるために」


 玄関へ向かいかけたとき、ふと胸に浮かんだ言葉をそのまま口にしていた。


「――ライナス兄さんも、同じこと俺に言ってたと思います」


 その名を聞いた瞬間、父と母の目が大きく見開かれた。


「カイル……今、なんて……?

 なぜお前がライナスの名を――」


 驚く二人を残し、俺は家を後にした。


 俺が知らないハズの兄の名を、存在を、両親に言ってしまった。

 自分でも気づかぬほど自然に、当たり前のように。


 夜の風が、背を押すように吹いた。


 ――明日からだ。

 明日からが正念場だ。


 俺は絶対に――ノアを助ける。

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