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561話 戦いはまだ続く

「カイルはまだ生きているわ……!」


 その言葉は、戦場の焦げた空気を裂いた。

 アルマの声を聞いた瞬間、ルミエラの肩が大きく震え、赤黒い髪が揺れる。


「ほ、本当なんだろうね……!? アルマ!」


 恐怖と希望が入り混じった叫び。

 ルミエラは縋るようにアルマを見つめた。

 彼女の瞳は潤んで揺れ、焦点さえ定まらない。


 アルマは、躊躇いを押し殺すように眉根を寄せ、ゆっくりと頷いた。


「……生きているのは、確かよ。

 胸を貫かれた衝撃で心臓は止まりかけているだけ。

 完全に止まったわけじゃない……まだ、まだ希望はある」


 その言葉に、ルミエラの胸の奥で何かが弾けた。

 カリーナも息を呑み、絞り出すように言う。


「カイル……本当に……?」


 しかしアルマは、そこで言葉を区切り、不安を滲ませた瞳でカイルの胸元を見下ろした。


「でも……このままじゃ彼はいずれ死ぬわ」


 重苦しい沈黙が落ちる。

 ルミエラとカリーナは同時にカイルを見る。

 その胸には大きな穴。肉が裂け、骨が歪み、紫に変色した血がまだ滲んでいた。


 アルマは淡々と続けたが、その声は震えていた。


「砕けた肋骨や胸骨、筋肉の断裂なら、私の治癒魔法で再生できる……。

 でも――胸を貫いた衝撃で負荷が掛かった椎骨や神経は、私の領域じゃ届かない。

 これは……彼の“生命力そのもの”が持ち堪えてくれなきゃどうにもならないわ」


 言いながら、アルマの手は迷いなくカイルの胸に触れた。

 荒れた皮膚の温度――いや、温度と呼べるほどの熱は残っていない。

 冷たい。


「時間がない……心臓はかろうじて動いているけど、呼吸は止まったまま。失血も多い。

 ――今すぐ治癒を始めるわ」


 アルマが治癒魔法を放ち始めた瞬間だった。

 遠くで戦いを見守っていたライガたちが、血に濡れ、泥を纏いながらも駆け寄ってきた。


 その表情は、戦いで傷ついた者のものではない。

 “友の死を恐れる顔”だった。


 フェンリはカリーナの治癒を受けて眠っている。

 今は眠ったままの方がいい――誰もがそう思った。


 ライガたちがカイルの姿を目にした瞬間、呼吸が止まった。


「……おい、嘘だろ」


 震える声。

 ――いつも大きな声で笑い、仲間を引っ張る少年の声とは思えなかった。


「なぁ……カイル……?」


 ジャンガも、フィーニャも、顔色を失っていた。

 その中で、ライガだけが感情を抑えきれなかった。


 怒りが、悲しみが、混濁して爆発した。


 ライガはルミエラの胸倉を掴み、一気に引き寄せた。


「なんでカイルがこんなことになってんだよ!!

 あんた、強いんじゃなかったのかよ!!」


「おい兄ちゃん、やめ――」


 ジャンガの声は届かない。

 ライガは自分でも止められないほどの激情に呑まれていた。


「俺は見てたぞ!!

 最後の時、あんたは――“全部”カイルにやらせた!!

 なんで助けなかった!!

 なんで一緒に戦わなかった!!

 なんで――!!」


 その瞬間、鋭い破裂音が響いた。


「いい加減にしなさいッ!!」


 カリーナの平手打ちが、ライガの頬を叩き飛ばした。

 ライガは尻もちをつき、呆然と彼女を見上げる。


 涙で濡れたカリーナの目が、怒りと悲しみで燃えていた。


「黙って……!

 アルマさんが集中できないでしょう!!」


 ライガは唇を噛む。

 その声は、涙の震えが混じっていた。

 怒鳴られた悔しさではない。

 自分が何も守れなかった無力さ。


 その時、背を向けていたルミエラが静かに口を開いた。


「……ライガくんの言う通りだよ」


 その声は低く、重く、震えていた。

 誰にも向けていない。

 自分自身を罰するための告白のように。


「私は……最後の最後で、カイル君に全部を任せた。

 でも……あれは見捨てたんじゃない。戦いを放棄したんじゃない」


 ルミエラは一度カイルに目を向け、その小さな身体を見つめた。

 痛々しく、壊れそうで、それでも必死に生きようとする少年。


 そして、涙を悟られまいと背を向ける。


「私はあの子を尊敬していた。

 あの子の努力を誇りに思っていた。

 あの子の強さを信じていた。

 だから――“託してしまった”んだ」


 震えた肩が、彼女の痛みを物語っていた。



 ―――。



 ――重苦しい空気の中、アルマがそっと治癒の光を手から離した。

 白い光がぽつりと消えると、周囲の闇が音もなく押し寄せ、空気はさらに冷え込む。


 その動作ひとつで、仲間たちの視線が一斉にアルマへと突き刺さった。


「アルマ……どうだった? 成功か?」


 ルミエラの声は、祈りにも似た震えを帯びていた。


 しかし――。


 アルマは、静かに首を横に振った。


 その瞬間、全員の思考が真っ白に染まった。


「……駄目だわ」


 アルマの声は、ひどくかすれていた。


「傷の治癒自体には成功した。でも……意識が戻らない。

 胸を貫いたあの威力よ……。肉体は治っても、その他の“生命活動の根本”が損傷している可能性が高い。

 そして、その領域は……私じゃ治癒できない……」


 言葉の最後は震え、押し殺した嗚咽が混じっていた。


 ルミエラとカリーナは、同時に膝から崩れ落ちた。

 砂の地面に手をついた指が震え、力が入らない。


 ――カイルはもう目を覚ますことはない。

 ――ただ緩やかに、静かに死へ向かっていくのを見守るしかない。


 冷たい現実が、全員の心臓を締め付けた。


 誰もが絶望を飲み込もうとした、その時だった。


 砂利を踏む、小さな足音。


 静寂を裂いたその音に、全員が顔を上げる。


 アルマが警戒して振り返ると――そこには、戦いの首謀者、ルーナが立っていた。


「お前は……ッ!!」


 カリーナが弾かれたように立ち上がり、杖を構える。

 その目は怒りに燃え、涙で滲んでいた。


 しかしルーナは、まるでこちらの感情など見えていないかのように、虚ろな目で歩みを進めてくる。

 生気の抜けた瞳。光のない表情。


 アルマとカリーナは即座に前へ出て、警戒を強めた。


 ――忘れてはいけない。

 戦いはまだ終わっていない。


 ゼロは倒した。

 だが、その根源――ルーナが残っている。


 勇者たちは戦闘不能。

 仲間も死の淵にいる。

 戦える者はほとんどいない。


 勝ち目など、どこにもない。


 そう誰もが悟ったとき、ルーナはぽつりと呟いた。


「……私なら。

 私の加護なら、彼を救える」


 あまりにも唐突な告白に、空気が凍りついた。


「は……?」


 ルミエラはのろのろと立ち上がり、ルーナを睨みつけた。


 その目は怒りと憎悪で燃えていた。


「あんた……今なんつった?

 誰のせいでカイル君がこんなことになってると思って――」


 ルミエラが怒鳴りかけた瞬間、ルーナがかぶせるように言葉を吐いた。


「あれは私のせいじゃない。

 ゼロ――いや、私の父がやったこと」


 “父”という言葉に、空気がひりつく。


 ルミエラは奥歯を強く噛み、怒りで血の味を感じるほどだった。


 ルーナはなおも淡々と続けた。


「それに……カイル・ブラックウッドは、“あの瞬間”、わざと父に胸を差し出したように見えた」


「――は?」


 その言葉は、ルミエラの心を一瞬で爆ぜさせた。


「そんな訳ないだろ!?

 なんでカイル君が自分から死にに行くようなことするんだよ!!」


 叫びは怒りではなく、痛みだった。


 しかしルーナは首を横に振る。


「知らないよ。

 父を逃がさないために自分の命を犠牲にしたのかもしれない。

 あるいは……別の考えがあったのかもしれない。

 真意は彼自身にしか分からない」


 淡々と告げるその声は、無神経なほど冷たかった。


 ルミエラの怒りが爆発し、杖を握る手が震えた――。


 その直前で、アルマが一歩前へ出て問いを投げた。


「……さっき言ったわね?

 あなたなら、カイルを助けられるって」


「アルマ……? あんた、何言って――」


 ルミエラは止めようとしたが、アルマの瞳は鋼のように固く、揺らぎがなかった。


 ルーナはすぐに答えた。


「ええ。私の内に宿る数々の加護……。

 それらを使えば、瀕死の重体でも、命の炎が消えかけていても、回復させられる……はず」


 “はず”。

 その不確かな言葉すら、この場では希望に聞こえた。


 アルマはもう一つ、最も重要な問いを投げる。


「なぜカイルを助けようと提案するの?

 あなたにとって、人族は……この世界に要らない存在だったはずでしょう?」


 ルーナは、皮肉とも幼さともつかない微笑を浮かべた。


「私にも……この感情の正体は分からない。

 ただ……カイルと、彼の友人が、絶対に蘇るはずのない“私の記憶”を思い出させてくれた。

 その礼をしたいんじゃないか……と、私は捉えている」


 アルマは杖をわずかに降ろした。


「……その言葉は本心?

 それとも、争いを続けるための策略?」


 ルーナはわずかに肩をすくめ、答えた。


「……その両方。

 私が彼を助ける代わりに、あなたたちは――これ以上、私の邪魔をしないで欲しい」


 ルーナの言葉が地面に落ちた瞬間、張りつめた空気はさらに重く沈んだ。


 ルミエラは歯を噛みしめた。

 息が震えて、唇がひきつる。


「ルーナ……あんた……今さら……!」


 怒りが込み上げる。

 憎しみが、胸の内側で爆ぜる。


 この女は敵側の存在だ。

 ゼロを呼び寄せ、この戦いを起こし、カイルを死の淵へ追いやった張本人とも言える。


 助けてもらうなんて――。


「ありえない……ありえないだろ……!」


 ルミエラは涙をこぼしながら叫んだ。


 拳を強く握る。

 爪が手のひらに食い込み、血が滲むほどに。


 しかし――。


 彼女の視線は、砂の上に倒れたカイルへと吸い寄せられていく。


 呼吸していない。

 名を呼んでも、指一本動かさない。

 治癒の光が届いても、反応がない。


 いつも笑っていた少年が――。

 いつも励ましてくれた少年が――。


 死んでほしくない。


 胸の奥で、理屈を吹き飛ばす叫びがあった。


 その瞬間、ルミエラの心にある一つの考えが落ちてくる――。


 もう、選択肢は一つしかない。


「……ルミエラ?」


 隣でカリーナが不安そうに名を呼ぶ。


 ルミエラはかすかに震える息を吐いた。


「……アルマ、ごめん」


「え?」


「もし、もしも……ルーナの加護で……カイル君が助かるんだとしたら……」


 声は、涙でぐしゃぐしゃだった。


 ルーナを見る。

 憎しみと絶望の交じった視線で。


「……あたしは……なんでもする。

 あんたに頭だって下げる……!

 だから……っ」


 膝が崩れ、砂の地面に手をついた。


「カイル君を……助けてよ……!」


 その姿は、もう誇りもプライドも完全に消えていた。


 ただ、ただ一人の少年を救うためだけに、敵に縋るしかない少女の姿だった。


 アルマもカリーナも、息を呑んだまま言葉が出ない。


 場を支配するのは、ルミエラの嗚咽と、風が焼けた木を揺らす音だけ。


 そんな中で――ルーナは静かに歩み寄り、倒れたカイルの前に膝をついた。


「……いいよ」


 淡々とした声なのに、どこか沈痛な色があった。


「あなたたちの”協力”を得られるなら、私も……彼を助ける理由ができる」


 そう言って、ルーナは両手をカイルの胸の上にかざした。


 周囲の空気が震える。

 風が止まり、世界が沈黙する。


「私が施す加護は二つ。

 どちらも……私以外、扱えない特殊なもの」


 ルーナの目が淡い光を帯びた。


 カイルの胸に手が触れる。


「――聖癒の加護」


 紫と白が混じる神聖な光がカイルの胸に広がった。


「この加護は本来……“癒し”と“快楽”を与えるだけのもの。

 傷を治癒する役割はない……」


 ルーナの言葉に、ルミエラは息を呑む。


「だけど、魔力の性質を私が変換すれば……。

 治癒魔法をはるかに超える、再生の力を発揮する可能性がある」


 光は次第に強まり、カイルの胸の奥――。

 紫色の結晶の破片と共鳴するように輝いた。


 ルーナは集中し、手を強く押し当てる。


「……温かい……!」


 カリーナが呟いた。


 カイルの胸が微かに上下する。

 止まっていた呼吸が……ほんの僅か、戻り始めたのだ。


 ルミエラが涙の中で叫ぶ。


「効いてる……!! 本当に効いてるんだ……!!」


 しかしルーナは首を振った。


「まだだよ。

 今目を覚まされると……身体が耐えられない」


 そして――。


 ルーナの瞳が深い闇色に染まる。


「――昏冥の加護」


 黒紫の光がカイルの額へそっと触れる。


「この加護は、術中にある者の意識を“精神世界”へと落とす。

 肉体が回復を終えるまで……そして、私の邪魔をさせないために、彼を眠らせ続けるためのもの」


 カイルの指がわずかに震えた。

 まるで、深い夢へ落ちていくように。


 やがて身体は完全に力を失い、穏やかに地へ沈んだ。


 ルーナはそっと手を離し、息を大きく吐いた。


「……これで終わり。

 あとは彼自身の生命力が……どう抗うかにかかっている」


 ルミエラは息を詰めたまま、カイルを見つめている。


「カイル君……」


 カリーナも両手を握りしめ、震える声で呟いた。


「どうか……戻ってきて……」


 ルーナは二人の魔女を見て、静かに言う。


「ここから先は……彼の戦い」


 そう告げる声には、初めて――人に近い温度があった。


 紫紺の光がふっと消え去った瞬間、ルーナはゆっくりと立ち上がった。

 治癒の余波で吹き荒れていた暖かな魔力は静まり、代わりに、場の空気からは緊張だけが濃く残った。


 カイルの胸は塞がれ、肌色を取り戻した。

 けれど——意識の方は、深い底へ落ちたまま戻らない。


 ルミエラは震える手でカイルの頬に触れた。


「……カイル君。カイル君、聞こえる? 治ったんだよ……」


 反応はない。


 ルミエラの肩が小さく揺れ、歯を強く噛んだ。

 隣でカリーナも、目元を赤くしながらただカイルの手を握る。


 その背後で、ルーナはひとつ、深く息をついた。

 戦いで乱れた深紅の髪をかき上げながら、まるで何もなかったかのような、静かな声音で言う。


「……ふぅ。これで、私の役目は終わりだよ」


 その無感情な響きに、ルミエラが顔を上げた。


「……待って。あんた、まだ……!」


「勘違いしないで?」


 ルーナは笑う。

 微笑とも冷笑ともつかぬ、妖艶でいて底の読めない笑み。


「私は“約束を守った”だけ。彼を癒し、命を繋いだ。それだけだよ」


 ルミエラは拳を握りしめた。

 怒りか、悔しさか、それとも自分の選択への戸惑いか。

 その全部がないまぜになった声が漏れる。


「……あんた、本当に……これで終わりだと思ってるの?」


「終わり?」


 ルーナは肩をすくめた。


「何を言ってるの。まだ“始まってもいない”よ」


 その言葉に場の空気がひりつく。


 カリーナが険しい顔で立ち上がる。


「ルーナ……あなたは、これから何をするつもりなの?」


「さぁね?」


 ルーナは気まぐれな少女のように指先で転移石を弄んだ。


「でも——一つだけ言えることがある」


 漆黒の瞳が、魔女ふたりを射抜く。


「次に私の邪魔をしたら……容赦はしない」


 二人の心臓が一瞬だけ止まったように強く跳ねる。


 そしてルーナは、眠るカイルへ視線を落とし――一秒ほど、何かを惜しむように、あるいは諦めるように、その顔を眺めた。


「……本当は、こんな形で彼に触れたくなかったんだけど……」


 その呟きは、誰にも聞こえなかったかのように空気へ溶けた。


「それじゃ、じゃあね」


 転移石がぱきり、と音を立てて輝く。


 青白い光柱がルーナを包み込み、その輪郭は薄れていく。

 消える直前、微笑を一つだけ残した。


「——戦いは、まだ続くよ」


 光が弾け、ルーナの姿は跡形もなく消え去った。


 残されたのは、荒れ果てた戦場の静寂と、眠り続ける少年。

 そして、彼の傍に膝をつき、言葉を失った二人の魔女だけだった。

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