表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
573/617

558話 ひと時の勝利に浸り

 ルミエラが呼び下ろした流星群の魔法が収束し、辺りには濃密な土煙が渦を巻いて漂っていた。

 焦げた石の匂いと、砕けた瓦礫の雨。視界はほとんど奪われている。


 その中で――ゼロの荒い呼吸音だけが、異様に響いていた。


 赤黒い筋肉はところどころ裂け、胸は大きく上下している。

 だがその双眸は、ルミエラを真っ直ぐ睨みつけていた。


 ……俺がどこへ消えたのか、まだ気づいていない。


(あの広範囲の魔法……ルミエラや他の皆は大丈夫なのか?)


 胸がざわつき、土煙の向こう――ルミエラの立つ位置に目を凝らす。


 そして、俺は息を呑んだ。


 ――ルミエラは、無傷だった。


 周囲の地面は削り抜かれ、深い溝と瓦礫だらけなのに。

 そこだけ世界が切り取られたように、ルミエラの姿だけは塵ひとつついていない。


(……回避したのか? あの流星群をすべて……?)


 愕然としていると、ルミエラの背後の土煙がゆらりと割れた。


 青髪が揺れ、軽い足音が響く。


(あれは――アルマ!?)


 驚きが胸を突き上げた。


 ルーナとの戦いが始まって以来、彼女は姿を見せなかった。

 倒れたのでは、と不安が頭の片隅を離れなかったが――無事だった。


 その背後には淡い光膜が揺れている。

 巨大な半球状の結界。

 あれはアルマが張ったものだろう。


 魔力切れで動けなかっただけ――そう気づき、胸にわずかな安堵が落ちた。


 だが、休む暇はない。


「……この位置からじゃ、まだ遠い。光魔法を放つ前に奴に気づかれる」


 ゼロの耳は鋭い。

 立ち上がる音ひとつで位置が割れる可能性さえある。


 少しでも踏み出せば――殺される。


(もう少し……もう少しだけ、ルミエラたちに耐えてもらうしか……)


 そう考えた、まさにその瞬間。


 ――ゼロが、ふらついた。


(……!!)


 脳裏にゼロの言葉が過る。


 “鬼族へと変身を遂げた――”


 鬼族の肉体を模しているなら、常時莫大な負荷を内部にかけていることになる。

 身体構造を強制的に組み換え続けるなど、本来の種族にだって容易ではない。


(変身の維持が……限界に近いのか!?)


 ゼロの呼吸は荒く、筋肉の膨張は不規則に波打っている。


 今なら――。


 奴の感知より早く、懐へ飛び込めるかもしれない。


 拳が、無意識に握られていた。


(これは賭けだ……)


 ルミエラたちも消耗している。

 ゼロも今、確実に弱っている。


 この機を逃せば二度と訪れない。


 不安は喉までせり上がる。

 殺されるかもしれない。

 失敗して、皆を危険に巻き込むかもしれない。


 だが――。


(それでも……チャンスは、今しかない!)


 俺は濃い土煙の中で姿勢を低くし、拳へ、全ての魔力を流し込んだ。


 指先が震える。

 魔力は底をつきかけていて、制御もまともにできない。


 それでも、押し込む。


 最後の一滴まで光魔法へ変換する。

 この拳を――“光の拳”に変えるために。


(……魔力切れは免れない。この一撃が、最後だ)


 ゼロを倒しても終わりではない。

 ルーナが残っている。

 もっと強い災厄が、この先に待っている。


 でも――今の俺に出来ることは、この一撃だけだ。


(これをやり遂げて、“次”に繋げる……!)


 たとえここで力尽きても、必ず仲間が未来を掴んでくれる。

 ノアたちを救ってくれる。


 そう信じて――俺は地を蹴った。


 土煙を切り裂き、爆発にも似た音を背に――。

 光の拳を握りしめ、まっすぐゼロへ向かって走り出した。


 ――飛び込んだ瞬間だった。


 世界が、きしむ音を立てて軋んだ。


 足裏が土を蹴る衝撃が、耳鳴りのように遅れて伝わってくる。

 土煙の粒子一つ一つが、まるで水中の泡のようにゆっくりと舞っていた。


(……行ける)


 胸の奥で脈打つ魔力の鼓動だけが、異様に鮮明だ。

 光魔法へと変換された魔力が、拳の奥で白く、熱く、限界を越えて燃えている。


 ゼロまであと数歩。


 そのとき――。


 ゼロの耳がわずかに動いた。


 ほんの、数ミリ。

 そのわずかな動きですら、巨大な岩が軋むような重さで俺の視界に迫ってくる。


(気づいた――!?)


 ゼロの顔が、ゆっくりとこちらを向き始める。

 その動きは、まるで時間そのものが液化して流れていくように滑らかで、重い。


 ゼロの三白眼が縦に細まり、瞳孔が開いた。


 その変化が終わるまでに、俺は三歩分前へ進んでいた。

 自分がいつ踏み込んだのかすら感覚が曖昧だ。


 ゼロの喉から漏れた声が、まるで低音を強制的に引き伸ばしたかのようにぐにゃりと耳の奥で歪む。


「……ァ”……?」


 驚愕と、焦燥と、殺意が混ざった声。

 だが遅い――いや、遅れている。


(今だ……! この一瞬しかない!)


 俺の手が振り抜かれる。

 拳の周囲の空気が光の熱で震え、土煙を押しのけ、螺旋状に弾き飛ばした。


 ゼロの身体がまだこちらに向ききっていない。


 ゼロの爪が伸びる。

 だがその伸びきる軌跡が遅い。

 まるで空間ごと“引き延ばされたフィルム”の中を動いているかのように。


(届く……!!)


 拳とゼロの胸の中央が一直線に結ばれる。


 光魔法が、爆ぜる寸前に高音を鳴らした。


 ――ゼロと俺の距離が、ついに無くなった。


 ゼロの胸元へ拳を叩き込んだ、その瞬間だった。


「ッ……!」


 ゼロの腕が、まるで本能だけで動いたような速度で振り下ろされ、俺の左肩を斜めに裂いた。


「ンぐ……ッッ!!」


 肉が裂け、骨がきしみ、視界が白く弾ける。


「――カイル君!!」


 ルミエラの叫び。

 カリーナたちの悲鳴も聞こえた。

 だが――ひるむ暇など、ない。


 俺は前のめりに倒れこむ勢いのまま、ゼロの心臓へ向けて拳を振りかざした。


「……ッああああぁあ!!」


 脳裏から痛みを追い出す。

 肩が千切れようが、血が噴き出そうが――どうでもいい。


 今、意識を向けるべきはひとつ。


 “向上心”。


 もっと強くなりたい。

 もっと先へ進みたい。

 ”守れなかった日々”を、もう二度と繰り返したくない。


 ――届くはずだ。

 ――届かせる。

 ――ここで終わらせる。


 拳が光を帯び、光が爆ぜ、周囲を白く染めた。


 直後――。


 ゼロの身体がビクリと震えた。


「ガ、ァ……ッ!」


 心臓を中心に、ゼロの身体が崩れていく。

 光に焼かれたかのように、“中心”から――溶けるように。


(……行ける。あと少しで、倒せる――!)


 そう思った瞬間だった。


 背筋に、死の予感が走った。


「――!」


 横合いから、異様な気配が飛んでくる。


 遅れた。

 ほんの一瞬、ゼロが崩れる様を見てしまった。


 その刹那の油断が――致命的だった。


 逃げる。

 無理だ。下がればゼロが持ち直す。

 ゼロから離れれば、今までの犠牲も作戦も全部無駄になる。


 だがこのままでは――確実に死ぬ。


(くそ……っ!)


 光の中で視界を切り裂いた影が二つ。


 玄武のドゥラン。

 朱雀のセリナ。


 アズ=ノスの、『四獣』の一角。


 二人とも、ルーナの催眠に支配され、虚ろな瞳でこちらを狙っている。


「ここまで来て……ッ!!」


 叫ぶが、彼らは迷いなく魔法を放つ。


 避けられない。

 拳を離せばゼロは再生する。

 だが拳を離さなければ、俺は――。


 迫り来る死の光の塊が、視界を白く染めたその瞬間。


 透明な壁が俺の前に展開され、激烈な衝撃波を弾いた。


「なっ……!」


 俺を包むように広がる、強固な結界魔法――その術者は、俺の背後から息を荒げながら叫んだ。


「カイルを……邪魔させるわけないでしょ!!!」


 青い髪を揺らし、震えた声で――。


 アルマだった。


「私とルミエラで抑えておく!

 その間にカイルは――!!」


 振り返らずとも、アルマの必死な声は届いている。


 俺は――笑った。


 血が噴き出す肩を押さえもせず、ただ前を向いたまま。


(……俺には、こんなにも強い仲間たちがいる)


 守ってくれる。

 想ってくれる。

 どんな絶望の底でも、引き上げてくれる。


 それは“種族の壁”なんか、最初から超えていた。


「――だから」


 俺は握った拳に、残る全魔力と光を込めながら呟いた。


「そんな皆を壊そうとする、お前だけは……絶対に許せない」


 叫んだ瞬間――拳から噴き上がる光が、一段と輝きを増した。


 爆ぜるように広がる光は、ゼロの胸から背へと貫き、

 さらに全身を包み込んでいく。


「ガ、アアアァァァァァッ!!?」


 光の中心で、ゼロが痙攣するように身をよじらせた。

 その声はもはや知性も威厳も失い、醜悪な獣の叫びに変わっている。


「ナ……ナゼ……!?

 ナゼ私がこんなことにィイ……!!

 私は……私はただ、私の研究を世に知らしめ……歴史に名ヲッ……!!」


 ゼロの体表が光に飲まれるたび、皮膚が剥がれ、筋肉が崩れ、骨さえも砕けていく。


 その姿は、研究者としての矜持でも、知性でもなく――ただの“支配欲”と“独りよがり”の塊だった。


 だから俺は、静かに言った。


「……“独りよがり”なお前の研究になんて、誰も興味なんか示さない」


 ゼロの狂った叫びが、光にかき消されていく。



 ※※※



 ゼロの身体を包んでいた光は、飽和点を越えたかのように突然収束し、中心へと吸い込まれていくように一点へ圧縮された。


 ゼロは最後の叫びすら形にならないほど声を震わせ、肉体は光に焼かれた粘土のように崩れ落ちていった。


 皮膚が溶け、骨が砕け、その全てがぼろぼろと光の粒へと変換されて――。

 光は風に溶け、虚空へと散っていく。


 やがて、ゼロ・アークライトという存在は、この戦場から跡形もなく消えた。


 同じ瞬間、背後にいた『四獣』の二体――。

 ドゥランとセリナも、まるで糸が切れた操り人形のようにふらりと揺れ、次いで音もなく膝から崩れ落ちた。


 殺気と怒号が支配していた戦場に、信じられないほどの静寂が訪れる。


 砂煙だけがゆっくりと沈み、ただ一人、光の中心にいた少年――カイルだけが、動かずに立ち尽くしていた。


 拳を突き出した姿勢のまま、微動だにしない。


 まるで時間ごと凍りついたように、俯いた影だけが静かに揺れていた。


「カイル君!!」


「カイル!!」


 ルミエラとアルマが同時に駆け寄ってくる。


 ルミエラが勢いよくカイルの肩に腕を回し、笑みを浮かべて叫んだ。


「やったじゃない! 本当に……あのゼロを倒しちまうなんて!

 あんた、やっぱり只者じゃ――」


 しかし、カイルは反応しない。


 どころか――。

 その呼吸は不自然なほど浅く、微弱で。


 いや、よく見れば――。

 息をしていない。


 ほんの一瞬、ルミエラの背筋に冷たいものが走る。


「……あれ? カイルく――」


 そのときだった。


 隣でアルマが、顔色を失い、喉の奥で絞り出すように叫んだ。


「カ、カイル……カイル!!

 カイル……お願い、返事して!!」


「え」


 あまりの迫真の声に、ルミエラは思わず手を離し、カイルの正面へ回り込んだ。


 そして――凍りついた。


 喉が、音もなく震える。


 声が……出ない。


 カイルの胸には、大きな穴がぽっかりと開いていた。


 それは拳大。

 ゼロの鬼族の拳のサイズと寸分違わぬ形。


 血が――滝のように、途切れることなく流れ落ちていく。


 地面に赤が広がり、カイルの足元へ染み渡っていく。


「カ……イル……君……。なんで……?」


 ルミエラの手は震え、その赤に触れることもできず宙をさまよった。


 勝利の直後。

 歓喜の直後。


 膝を折る間すらない残酷な真実が、二人を押し潰すように襲いかかった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ