556話 光を乗せて――
ゼロはもう、こちらから“狙える隙”を一切作らないつもりだった。
たった今まで見せていた暴威――ただ圧倒的な力で蹂躙するだけの粗暴さ――それすら脱ぎ捨て、静かに、しかし鉄壁の構えを取っている。
その姿は、戦闘における“完成形”。
まるで一振り、一歩、まして一呼吸の揺らぎさえも許さないような、完璧な殺意の塊だった。
完全に、こちらの作戦を潰しにきている……!
(どうする……? このままじゃ――)
思考が途中で千切れた。
脳裏に浮かんだのは、勝敗ではない。
もっと現実的で、もっと冷たい結末。
(……生き延びることすら、できない……!)
その焦燥が一瞬、視界を揺らした。
「隙だけだぞ?」
低く呟いたゼロが、まるで俺の心の揺らぎを見透かしたかのように距離を詰める。
影が伸び、刹那、風が爆ぜた。
次の瞬間、勇者たちが悲鳴とともに宙へ舞った。
「ぐあっ!!」
「くっ……!」
「しまっ――!」
ゼロはためらいもなく、容赦を欠片も見せずに仲間へ殺到した。
ライナスの大剣は指先で弾かれ、逆に腕を裂かれた。
アルトリーナが剣を構えると、それを踏み台にされ、後頭部へ肘打ちが叩き込まれる。
レオンの俊敏な踏み込みすら読まれ、回避したところを背中へ蹴り落とされた。
誰かが叫び、誰かが崩れ、誰かが血を吐く。
ゼロは一切立ち止まらない。
まるで、俺たち六人を“順番に殺していく”だけの作業であるかのように。
喉が乾いた。
焦りが胸を掴み、体温を奪っていく。
(このままじゃ――本当に負ける!!)
勇者たちの連携は――もう形だけになっていた。
レオンの閃光のような踏み込みにロガンの重撃。アルトリーナとライナスの大剣による連続圧殺。
本来なら一瞬で敵の防御を崩せる布陣。
だがゼロは、そのすべてを知っているかのように潰してくる。
レオンが左へ跳べば、ゼロの拳が先回りして迎撃。
ロガンが拳を叩き込む前に、ゼロの肘がロガンの喉を狙う。
アルトリーナの斬撃軌道は読まれ、逆に押し返される。
ライナスの剣を受け流し、そのまま脇腹へ膝蹴りを叩き込む。
ルミエラの魔法もほとんどが意味を成さなかった。
五人が五人とも、まるでゼロの掌の上で転がされているようだった。
俺の喉が焼ける。
胸が締めつけられ、呼吸が浅くなる。
魔力が……もうほとんど、残っていない。
このままじゃ援護のひとつも打てない。
拳を握る手は震え、視界も端が暗い。
気を抜けば意識さえ落ちそうだ。
(殴るしか……ないのか? この状態で俺にできるのは……)
ゼロがまた一人、勇者を地面へ叩き伏せた。
土煙が上がり、誰かの呻き声が聞こえる。
膝が震えた。
絶望が、背後に立ち始めていた。
――そのとき、ふと脳裏に閃いた。
(……ある。方法が――ある!)
拳を握る。
その瞬間、自分の体内で小さな光が揺らめくのが分かった。
まだ……本当に僅かだが、魔力は残っている。
(光魔法は、“向上心”によって威力が跳ね上がる……)
魔力の量に対して、効果は比例しない。
未来へ進もうとする意志。もっと強くなろうと願う心。限界を越えようとする衝動。
――それらさえあれば、たとえわずかな魔力でも、爆発的な力を生み得る。
ゼロの心臓を貫ける可能性は……ゼロじゃない。
(賭ける価値は――ある!!)
俺は震える拳を胸元に引き寄せ、残るすべての魔力をそこへ集め始めた。
胸の奥で光が脈打つ。
血流に魔力が溶けるような、熱く、激しい感覚。
次の瞬間、拳の内側で光が弾けた。
(――ゼロを、倒す!!)
焼け付くような決意が全身を駆け巡り、俺はふらつく足で地面を蹴った。
今もロガンたちは戦っていた。
だが、その姿はもはや“戦闘”とは呼べない。
ロガンの巨体は揺れ、腕は鉛のように垂れ下がっていた。
アルトリーナの呼吸は荒く、攻撃どころか防御の姿勢すら満足に取れていない。
「こんなハズじゃ……!!」
アルトリーナの喉から漏れた弱音。
その横で、ロガンが血を吐きながらも振り返った。
「弱音を吐くな……! ここまで来たんだ……ルーナもあの状態だ。
奴一人……俺たちで倒す……!」
震える声でそう言ったその瞬間――。
ゼロの拳が正確無比にロガンの顔面を砕いた。
「っ……!!」
巨体がくずおれ、地面が鈍い音を立てる。
続けてアルトリーナが叫びながら剣を振り上げたが、その腕もゼロに掴まれ、簡単にへし折られたかのように地へ叩きつけられた。
「がはっ……!? あ、ぐ……!」
骨の軋む音。
アルトリーナはそのまま倒れ、二度と立ち上がれないように見えた。
「アルトリーナッ!」
レオンが背後からゼロへ飛び込む。
だが、その動きですら――もう俺の目で追えるほどに遅い。
レオンの剣が閃くより速く、ゼロの手が動いた。
金属を掴む音。
ゼロはレオンの腕ごと剣を掴み、振りぬく勢いを完全に殺す。
「な……!!?」
即座にレオンは腕を振りほどき、蹴りへ移行した。
しかし、その足首をゼロの足が絡め取る。
「っ……!?」
バランスを崩したレオンの腹へ――。
「これで少しは大人しくなるかァ!!」
咆哮とともに、ゼロの拳が深々と突き刺さった。
「ウッ……ぐッ……!!?」
肺の空気がすべて吐き出されるような音。
レオンは剣を落とし、膝を折り、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。
残る戦力は――。
ルミエラだけだった。
彼女は必死に杖を構え、魔力を集中させようとしていた。
だがゼロとの距離は近い。
隙を見せれば一瞬で潰されると悟っているのか、肩が微かに震えていた。
「ルミエラさん!」
俺は咄嗟に叫び、彼女の肩を掴んだ。
ルミエラは驚いて振り返る。
「カイル君!? あんたは来ちゃダメ!
もう動けないだろ!? 魔力も――」
彼女の言葉を遮り、俺は息を荒げながら叫んだ。
「方法が……あるんです!
奴を倒せる方法が……ひとつだけ、あるかもしれません!」
ルミエラの目が鋭く細まる。
そのままゼロから目を離さず、俺だけに寄り添って囁くように問う。
「……聞かせて」
俺はゼロに聞こえないように声を潜めた。
「俺の“向上心”を使えば……。
奴の心臓を貫けるかもしれない」
ルミエラの眉がわずかに動く。
「それって……」
「はい。俺に残ってる魔力を全部……拳に集めます。
光魔法は魔力量じゃなくて、向上心が威力を押し上げます。
少しでも……“もっと強く”って思えれば、爆発的に強くなるハズです!」
自分の胸を押さえながら続ける。
「ゼロは俺たちの作戦を全部読んで……完璧に潰してきた。
でも……光魔法の性質を、完全には理解してないはずです。
もし知ってたなら、真っ先に俺を殺してた」
ルミエラは息を呑んだ。
俺の狙いに気づいたのだ。
――ゼロが“知らない”攻撃だけが、通用する。
そしてそれは、“一瞬の隙”さえあれば――心臓へ届く。
「ルミエラさん……お願いがあります。
ゼロの注意を、ほんの少しでいい……俺から引き離してほしいんです。
隙ができた瞬間、俺は奴の懐に入って……光魔法を載せた拳を心臓に叩き込みます。
その後は……」
言い切る前に、ルミエラが俺の肩を掴んだ。
強い。震えているのに、決意だけは固い手だった。
「……分かった。やってやろうじゃない」
ギラリと光を宿した赤黒い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
「アンタの作戦に乗るよ。……でも」
彼女は顔を近づけ、低い声で言った。
「絶対に死なないで。
……あたしが好きになった男が、こんなとこで終わるなんて絶対に許さない」
その叫びは、怒りにも祈りにも似ていた。
ゼロが放つ殺気の渦の中で、ルミエラの手の温度だけがやけに鮮明だった。




