553話 燃え上がる光
砕け散った地面の中心で、ゼロはゆっくりと立ち上がった。
蒸気のように赤い魔力が皮膚から噴き出し、角の根元が脈動している。
「教えてやろう。
鬼族の能力というやつを」
その言葉と同時に、ゼロの全身に黒い紋様が浮かび上がる。
血管のように脈打ちながら、皮膚の下を走り、身体の隅々へ拡がっていく。
次の瞬間、空気が震えた。
「手始めに……。
――鬼族の第一の能力、『鬼紋』」
ルミエラの顔から笑みが消えた。
肌で分かる。ゼロの発する”圧”が、桁違いに跳ね上がった。
「鬼紋とは、血液に魔力を直接流し込むことで血流を爆発的に促進し、一時的に身体能力を何倍にも引き上げる能力だ。
人間どもには絶対に真似できん。身体構造が違うからな」
言葉の語尾が落ちきるよりも早く――ゼロの姿が消えた。
「……速っ……!?」
ルミエラが反射的に魔力を構成する。
金属が擦れるような衝撃。
ゼロの拳がルミエラの防御魔法へ食い込んでいた。
「さっきまでの私とは違うぞ、魔女ォ!」
ゼロは一歩引き、身体をひねる。
ルミエラの動きを完全に読んだ軌道でカウンターの蹴りを放つ。
ルミエラの身体が風圧で後ろへ押される。
ギリギリのところで命中は避けていたが、ゼロのスピードが完全に“追いついていた”。
「くっ……! さっきとは別人じゃん、こいつ……!」
だが、ルミエラは一瞬で状況を分析する冷静さを失わない。
――鬼紋は“一時的”な強化。
ならば、切れた瞬間に叩けばいい。
その結論に至ったルミエラは、ふっと小さく笑った。
(確かに……強さは何倍にも跳ね上がってるみたいだね。
でも、あんたさっき言ったわけだ。“一時的に”って……)
ゼロの鬼紋が切れるまで耐える――それがルミエラの考え。
しかし、次の瞬間。
「……耐えれば勝てる――そう思っているな?」
ルミエラの胸中を、ゼロがまるで読み取ったように言った。
息が止まる。
その眼には、底知れない愉悦が浮かんでいる。
「浅はかだ。実に浅はかだ、魔女よ」
ゼロの声は歓喜に震えていた。
ゼロは自分の頭部に生えた黒い螺旋状の角に手を触れた。
「鬼紋を使うと欠点が二つある。
一つ、魔力消費が激しいこと。
二つ、血流促進による身体への負荷があまりにも大きいこと」
ルミエラも俺も、その欠点を聞いて胸をなでおろしかけた。
だが――ゼロは嗤った。
「だが!! それらを解決する能力がある!!
これがある限り、欠点など存在しないッ!」
角が黒い雷のような魔力を放つ。
地面が震え、周囲の空気が一気に重くなる。
「この角こそが――魔力吸収、増幅装置だ!!
鬼族だけに与えられた唯一無二の能力だ!」
ゼロの全身に渦巻く魔力は、先ほどの倍以上へ跳ね上がった。
「魔力消費……身体への負荷ッ!!
――全て、この角が帳消しにしてくれるッ!!」
ゼロの鬼紋がさらに濃く輝き、赤黒い紋様が身体中に脈打つ。
「つまりどういうことか分かるか?」
ゼロが静かに、しかし絶対的な自信を乗せて言い放つ。
「鬼紋は……途切れない。
私が貴様らを殺すその時まで……永遠にな」
空気が爆ぜた。
ゼロが姿を消し――次の瞬間、俺たちの頭上に、鬼の怪物が立っていた。
黒い角が閃いた瞬間、世界が裏返ったように感じた。
ゼロの魔力が“重力のように”空気を押しつぶし、肺の奥が圧迫される。
「さあ……続きをしようじゃないか、勇者ァ!!」
声が聞こえた瞬間――ゼロの拳がもう目の前にあった。
「がっ……!」
腹に喰らった衝撃で、俺の身体は地面を何度も転がり、石壁へ叩きつけられた。
背中が焼けるように痛い。
息が吸えない。
「カイル君!!」
ルミエラがツッ、と杖を振る。
炎の膜が俺の前に展開され、ゼロの追撃をわずかに逸らす。
だが――。
「遅い!!」
ゼロの姿が揺らぎ、次の瞬間にはルミエラの背後に立っていた。
「えっ――」
ゼロの掌底がルミエラの横顔を捕え、彼女の身体が横に吹っ飛ぶ。
砂埃が大きく舞い、地面が真横に抉れた。
「っく……この……!!」
ルミエラはすぐに体勢を立て直し、魔力を練る。
だがゼロは一歩、また一歩と歩くだけで空気が震え、魔力がかき乱される。
「なっ……魔力が安定しない……!?」
「当然だ。“角”が魔力を吸い、同時に周囲へ干渉する。
敵の魔法を阻害するなど造作もない」
ゼロが片手を横に払う。
その動作は雑で、攻撃というより“振るっただけ”。
だが――。
地面がえぐれ、瓦礫が爆風のように弾けた。
至近距離のルミエラは、それを避けきれない。
「くっ――!」
瓦礫の破片がルミエラの肩と腿に刺さり、鮮血が飛ぶ。
「ルミエラさん!!」
俺は光魔法で地面を踏み、無理やり身体を跳ね上げた。
全身が悲鳴を上げるが――そんなこと言っていられなかった。
光弾を手に生成し、ゼロへ向けて放つ。
だがゼロは振り向きもせず、背中を少し丸めた。
「無駄だァ!!」
光弾がゼロの背に触れた瞬間、まるで“飲み込まれた”ように消えた。
「な……!?」
「魔力の属性ごと吸収した。
そして――」
ゼロの身体が淡く光り始める。
俺の魔力が、そのままゼロに上乗せされていく感覚。
「これでさらに加速する」
次の瞬間、ゼロが消えた。
いや、違う――。
速すぎて“視界から消えたように見えた”だけだ。
ルミエラの腹へ正拳突き。
「が……ッ!!?」
反対側から俺の頬へ裏拳。
「ぐ……ッ!!」
二人同時に蹴り上げられ、空へ跳ね飛ばされる。
空中で姿勢を整える暇などない。
ゼロがすでに上空に回り込み、俺たちの背中を蹴り落とした。
地面に叩きつけられると、視界が跳ねた。
耳鳴りがして、上下の感覚が曖昧になる。
(……強すぎる……!
これがゼロの力か……。本当に、こんな奴相手に……!)
横でルミエラも膝をつき、片方の腕を押さえていた。
骨が変な方向に曲がっている。
「ルミエラさん……!! 腕が……!」
「へへ……折れちゃったかもね……。
でも……まだ倒れてらんないよ……!」
無理に笑おうとするが、その顔は痛みで歪んでいる。
ゼロはそんな俺たちを見て、心底楽しそうに笑った。
「どうした?
さっきまでの“希望”はどこへ消えた?」
足を踏み出すたびに地面が割れる。
「鬼紋は切れない。
角がある限り、俺は無限だ。
貴様らでは一生届かん」
ゼロが腕を広げた。
「さあ――絶望の続きを味わわせてやる!!」
その瞬間、俺たちは完全に防御も回避も間に合わなかった。
ゼロの第二波の猛攻が、殺到してくる――。
ゼロの膝が俺の胸へ振り下ろされる。
避けられない。
ルミエラももう動けない。
視界の端で、迫る死が巨大な影のようにのしかかる。
終わった――そう思った瞬間だった。
世界を真っ白に貫く閃光。
同時に、耳をつんざく雷鳴。
ゼロの拳が、雷の奔流によって弾き飛ばされた。
「……ッ!?」
ゼロが驚愕に目を見開く。
俺とルミエラの前に、いつの間にか“影”が立っていた。
背中越しに見るその姿は――白いマント。
そして、光を反射するように輝く金の髪。
振り返らずとも分かる。
「レ……レオンさん……!」
雷光の中心から、勇者レオンが現れた。
マントが風で大きくはためき、土煙を切り裂く姿は、まるで戦場に舞い降りた雷神のようだった。
「へっ、見てたぜ? お前らの戦い!」
レオンは片手で剣を肩に担ぎ、もう片方の手で耳をほじる仕草をした。
「スピード勝負ならよ――なんで“最速”の俺を呼ばねえ?」
軽口とは裏腹に、その目は鋭くゼロを射抜いていた。
ゼロが咆哮し、レオンへ拳を叩きつける。
だが――。
レオンの剣が稲妻を弾く音とともに、ゼロの拳は完全に軌道を逸らされた。
その勢いのまま、ゼロが大きく後退する。
そして、そのゼロの横顔へ――突如、巨大な影が迫った。
「……ッ!?」
顔面に炸裂した“岩壁のような拳”。
ゼロの身体は地面に叩きつけられ、土を削りながら数十メートル吹っ飛ぶ。
視界の奥で立っていたのは、巨人族の大勇者。
「ロガンさん……!」
ロガンは拳を握ったまま、目を細めて言う。
「間に合ってよかった……。
あれが、ゼロ・アークライトか」
その落ち着きは、戦場の中心にいるとは思えないほど冷静だった。
地面を削りながら止まったゼロが、這うように片腕を伸ばす。
「ぐ……!」
だが、その腕を――。
空から舞い降りた影が、勢いよく蹴り上げた。
踵がゼロの肘を砕く音。
「っ……!!」
ゼロが苦痛に呻くと同時に、蹴り上げた人物が着地する。
軽やかに、華やかに、しかし獣のような鋭さで。
「アルトリーナさん!」
勇者のひとり、アルトリーナがゼロの腕を見下ろす。
「……起きろ」
言うや否や、手にした細身の剣が閃いた。
シュパッ——っと軽い音が聞こえた。
次の瞬間、宙に舞うのは“赤く太い腕”。
ゼロの右腕だった。
「ぐぅああああああッッ!!」
絶叫が戦場に響く。
アルトリーナは耳を押さえながら、眉をひそめた。
「うるさいんだよボケ。ほら立て、ゼロ。
私が死ぬほど殴ってやるよ」
いつも通りの口調で言い放つ彼女。
だが足元の地面は割れ、剣からは魔力の風が吹き荒れていた。
レオン、ロガン、アルトリーナ。
――三人の勇者が、一度に舞い降りた。
まるで空気そのものが変わった。
圧迫感、恐怖、絶望。
すべてが吹き飛ぶような“力”と“存在感”。
胸の奥で失いかけていた光が――ふたたび燃え上がる。
(……勝てる……!
この戦い、まだ終わっちゃいない!)
俺は血に濡れた拳を握りしめ、立ち上がった。
――戦況は完全に、こちらへ傾いた。




