551話 赤き鬼の出現
ルーナの過去に、戦いを終わらせる鍵がある――直感がそう告げていた。
フェンリは一歩、また一歩、苦しむルーナに近づき、声を振り絞る。
「教えてください……! あなたは何を背負ってきたんですか……!」
ルーナは頭を抱え、爪が食い込むほどの強さで髪を掴み、震えながら身を丸めた。
「やめて……おかあさん……もう、やめ……っ」
その声は、怯えと絶望が混じり合い、聞いているだけで胸が締めつけられるほど弱々しい。
――いったい、彼女の過去に何があったのか。
戦いの行方などどうでもよくなるほどに、俺はただその答えを知りたかった。
だが――。
ルーナの言葉を遮るように、地面が突如、爆ぜるように揺れた。
地震――いや、違う。
それは“何かが”地を踏みしめた衝撃だった。
ゆっくりと、立ち上る土埃の中から“そいつ”が姿を現した。
赤黒く染まった全身。焼けた鉄のように肌の表面から湯気が立ち上り、空気を焦がす。
そして頭上には、螺旋を描くように伸び上がる一本の漆黒の角――。
「あの角……魔族か……!?」
ルミエラが、これまで見せたことのないほどの焦りを滲ませた声で叫ぶ。
魔族――そう思った瞬間、そいつはゆっくりと顔を上げ、嗤った。
「違う……私は魔族などという”下位種”ではない」
その声には、ぞわりと鳥肌が立つほどの興奮と狂気が宿っていた。
「私は現世に存在するあらゆる種族の頂点に立つ者……」
角を持つその異形が、胸を反らし、宣言する。
「私の名はゼロ・アークライト。
“鬼族”へと変身を遂げた超生物だ!!」
一瞬で、背筋が凍りついた。
ゼロ・アークライト――。
あの研究者の名を知っていた俺たちの脳裏を、信じられないという衝撃が駆け抜ける。
(あれが……ゼロ・アークライト?)
「……あんたが、あのゼロだって? 随分とまぁ……研究者とは思えない見た目だね……」
ルミエラが引きつった笑みを浮かべたまま、冷や汗を垂らしている。
ルミエラがここまで警戒する相手――ただの敵ではないことは確かだった。
ゼロの背後では、まだルーナが地に伏し、声にならない声を漏らしていた。
「う……あ……っ!」
過去の記憶に押し潰されるように、身体をよじらせ、痛みに耐えている。
その姿を、ゼロはひどく愉快げに眺めていた。
そして、ゆらりとルーナへ歩み寄り――。
まるで慈愛を示すかのように手を差し伸べた。
だが、その指先が触れた瞬間。
ゼロはルーナの髪を乱暴に鷲掴みにした。
「ッ……!」
ルーナの痛みに満ちた息が漏れる。
ゼロはそのまま、彼女の頭を引き上げ、顔を覗き込みながら低く囁いた。
「あなたは余計な事を思い出さなくていいんですよ……」
その声音は甘く、優しく、だが底知れぬ支配欲を孕んでいた。
「あなたはただ――“目的”を成すために動いていればいい」
ルーナの瞳が虚ろに揺れ、恐怖がその奥底で鈍く光った。
俺たちは全員、息を呑んだ。
ルーナの過去と、この異形ゼロ。
二つの存在が交わった瞬間――戦いの次元が、完全に変わったのを悟った。
ゼロの乱暴な仕打ちに、フェンリの怒号が響いた。
「やめろッ!! 彼女から離れろ!!」
その声に、俺の胸が大きく跳ねた。
フェンリは震えながらも、必死に叫んでいた。
ルミエラが続いて叫ぶ。
「ちょっと、あんた……! そんなことしていいわけ? 仲間だったんじゃないの!?」
“仲間”。
その言葉を耳にした瞬間、ゼロは動きを止め、ぎぎ、と不自然に首をこちらへ向けた。
眼鏡の奥――血走った赤い目。
明らかに人のそれではなかった。
「仲間……?」
ゼロの口元が、ひくひくと歪む。
「はぁ……。
私たちの関係を、そんな軽い言葉で言わないでもらいたい」
吐き捨てるような声音だった。
ゼロはルーナの髪を乱暴に放し、立ち上がると――信じられない言葉を口にした。
「彼女は……私の娘だ」
その瞬間、空気が止まった。
「……え?」
「娘……だと……?」
誰が息を呑んだのか分からない。
俺たちは全員、言葉を失っていた。
ゼロのルーナを見る目は……あまりにも、あまりにも“親子”のそれではなかった。
慈愛は一片もない。
あるのは支配と執着、そして研究対象を管理する冷たい光だけ。
ルミエラが震える声で言った。
「娘? 何言ってんのよ、あんた……親が子どもに、そんな仕打ちしていいと思ってんの?」
ばちん、と杖の先に炎が灯った。
怒りに震え、炎がごうと音を立てて膨れあがる。
「ふざけんなッ!!」
ルミエラは怒りのままに、巨大な火球をゼロへと放った。
だが――ゼロは片手をゆっくり差し出し、迫りくる炎を“つかんだ”。
「な……ッ!?」
炎がゼロの掌に吸い込まれるように収まり、ゼロが身体をひるがえす。
「お返ししますよ」
火球は軌道を変えて、ものすごい速度でこちらへ投げ返された。
「うそでしょ!? 魔法を……投げ返してきた――!?」
ルミエラは即座に土壁を作り上げ、爆音と共にそれを受け止めた。
崩れる土壁の陰で、ライガが叫ぶ。
「こんなのおかしいだろ!! 魔法を投げ返すなんて……!」
ルミエラは額に汗を流しながら歯を噛みしめる。
「普通は……できるわけない! でも、あいつ……。
さっき言ってた“鬼族”の能力……ありえなくても、説明がつくのはそれくらいよ!!」
炎が霧散した瞬間。
土壁が粉砕され、ゼロが音もなく目の前に出現した。
その腕が迷いなく伸びる。
「フェンリ!! 避け――」
つかまれた。
ゼロはフェンリの身体を片手で持ち上げ、そのまま握り潰すように力を込める。
「ぐ……ッ!!」
「フェンリ!!」
俺の叫びが虚しく響く。
ゼロは怒りで顔を赤く染め、獣のような鋭い牙を剥き出しにした。
「貴様のせいで……! 折角……私が抑え込んだ“記憶”が掘り起こされてしまったじゃないか!!」
「記……憶……?」
フェンリが苦しげに呟く。
だがゼロは答えず、そのまま言葉をつづける。
「彼女は……もう少しで……完璧な研究体になれたというのに!」
ぞわり、と背筋を冷たい何かが走った。
研究体。
「娘を……研究材料に……?」
ゼロの声はさらに狂気を帯びていった。
「貴様らのせいだ! 貴様らが余計なことをするから、
私までこんな血生臭い戦場へ……降りて来ざるを得なくなった!!」
握力がさらに強くなる。
フェンリの口の端から血が滴り落ちる。
(――動け。――早く動け!!)
俺は身体を動かそうと力を入れる。
だが、身体は痺れ、魔力は底が見えていた。
「フェンリを離せッ!!」
俺は残っている魔力を手のひらに集中させ、光魔法を放った。
ゼロの腕に小さな穴が穿たれ、血が飛び散る。
「ちッ……!!」
フェンリが落下するより早く、ルミエラが飛び込んで受け止め、俺たちの下へと撤退した。
「フェンリ君!! しっかりして!」
地面に下ろすと、フェンリは意識を手放していた。
カリーナがその体に触れ、青ざめた顔で叫ぶ。
「腕と肋骨が折れてるわ! 急いで治癒しないと危険よ!!」
すぐに治癒魔法を施し始める。
一方、ゼロは俺が撃ち抜いた腕を見下ろし――怒りと快楽の混ざったような笑みを浮かべた。
「貴様……ノワラの勇者、カイル・ブラックウッドだな?」
俺はゼロの前に立つ。
「……許さない」
するとゼロは吠えるように叫んだ。
「それは……こっちのセリフだ!!」
「貴様の動きはずっと見ていたぞ……!
ことごとく私たちの邪魔をしていた小僧が……!!
貴様から殺してやろうかッ!!?」
背後で、仲間たちが荒い息を漏らしているのが分かった。
ライガたちも、ルミエラもカリーナも……みんな限界だ。
(でも、逃げられない……!)
アルベリオたちも、戦える状態じゃない。
俺たちだけでゼロと戦うしかない――。
魔力は尽きかけている。
身体は重い。
ゼロは戦闘を楽しむかのように、蒸気を吹き上げていた。
それでも、俺は前へ出る。
(ここで……退くわけにはいかない!)
ゼロの赤い目が、ギラギラと俺を捉えた。
そして――戦いが、始まった。




