548話 作戦……失敗?
「もう、無駄な争いは終わりにしよう?」
柔らかな声音で放たれたはずのルーナの言葉に、ライガたちは一斉に息を呑んだ。
しかし誰も返答はしない。ただ、鬼気迫る沈黙でルーナの一挙手一投足を見据えている。
その沈黙の中――。
空気を裂く鋭い音と共に、ルーナの背後へ岩の弾丸が飛来した。
「……!」
ルーナの身体が揺らぐことなく横に滑り、岩弾は虚空へ弾け散る。
その視線の先に、杖をかざしたルミエラが立っていた。
赤黒い髪を揺らしながら、唇に艶やかな笑みを浮かべている。
「今のも避けるか……。さて、どうやって戦うかねぇ」
完全に挑発だ。
ルーナの瞳が一瞬だけ細められる。その瞬間――。
先ほどルーナが抜け出したはずの青炎が、突如として巨大な顎のように迫り、再びルーナを呑み込んだ。
「――ッ!!」
青い炎柱が天へ昇り、獣の咆哮のような音を響かせながら爆ぜる。
それを遠くから動かしているのは――もちろんフェンリだ。
姿を見せず、炎の支配領域の外縁に身を潜めたまま、ついに“作戦開始”の狼煙を上げた。
「炎が……動いた!! フェンリの“合図”だ!」
ジャンガの叫びに、ライガ、フィーニャが即座に反応し、一斉に駆けだす。
「ルーナの体温が上がるまで、奴の気をそらすんだ!!」
「任せろ!!」
「行くよっ!!」
三人は動きながら次々に魔法を放ち、炎に紛れて攻撃の弾幕を展開する。
一方で、少し離れた場所でその様子を見ていたルミエラとカリーナは、呆然と目を見張った。
「……あの子たち、一体何をしようとしてるんだ?」
ルミエラがぽつりと漏らすと、カリーナが険しい表情で言う。
「分からない……でも、確実に“何かの策”に基づいて動いてる。無茶でもない……考えた動きよ」
そう言いながら、カリーナは俺へ視線を向けた。
「カイル!! 何か作戦があるのね!?」
俺は力なくもはっきりと頷く。
フェンリが立てた作戦――。
ルーナの異常な低体温を逆手に取り、炎で体温を強制的に上げて弱体化させる。
魔力を使うには、魔力循環に必要な“健康な身体機能”が要る。
体温の乱高下でそれが崩れれば、ルーナの防御も攻撃も格段に鈍るはずだ。
上手くいけば……本当に、勝機が生まれる。
そう考えていると――。
青炎を割いて、再びルーナが飛び出した。
だが、今回は違う。
炎もまた、ルーナを追うように軌跡を描いた。
「……なんなの、この炎」
ルーナは眉をひそめ、宙を滑るように素早く移動する。
しかし青炎は、獲物を逃がすまいと軌道を変え続け、執拗に追いすがる。
「しつこいね……」
その声に、焦りは微塵も見えない。だが、明らかに“警戒”はしていた。
その隙を逃さず、ライガたちが再び攻撃を仕掛ける。
雷撃、爆風、氷弾――多種多様な魔法がルーナの視界を奪うように放たれ、動きを寸刻乱す。
その間を縫って、ルミエラとカリーナが俺のもとへ飛んできた。
「カイル! 今の状況、詳しく教えて!!」
カリーナが息を荒げて詰め寄る。
俺は短く説明した。
「ルーナは異常なほど体温が低いんです……多分、三十度を下回ってます。
だから、急激に体温を上げれば――身体の魔力循環が乱れて、加護が使えなくなる可能性があるって思ったんです。
あの青炎は……そのためです」
「……なるほど。だから炎が追いかけてるんだね」
ルミエラが目を細め、その瞳に妖しい光を宿す。
「面白いじゃないか。そういう“嫌がらせ”、あたし大好きだよ」
唇に艶笑を浮かべながら、杖を構える。
「参加するよ。その作戦」
ルーナの周囲で青炎が渦巻き、ライガたちの魔法が光の網を作る――そこへ、魔女が加わる。
作戦は、ついに第二段階へ移行しようとしていた。
ルーナを追う青炎が唸りを上げ、逃げ道を削り取るように迫っていく。
そこへ、ルミエラが前へ飛び出し、杖を振り抜いた。
「――逃がすわけないでしょッ!」
杖先から放たれたのは”連鎖する破砕”。
透明な破砕衝撃がいくつも連なり、ルーナの進路を塞ぐように展開した。
ぶつかれば即座に砕け散る壁のように見えるが、実際は“魔力の振動”が凝縮された刃。
物理でも魔法でもない、第三の概念が織りなす不可視の檻だ。
ルーナは眉一つ動かさず、破砕の壁を一度見つめ――すっと軌道を変える。
その瞬間、青炎が彼女を狩るように再び襲いかかった。
逃げ道は、徐々に、確実に狭まっていく。
ライガは遠距離から雷を撃ち、ジャンガは地面を隆起させ、フィーニャは炎の揺らぎでフェンリの操作範囲を補助する。
完全な連携だ。
だが――俺は、その光景を見ながら、胸の奥に奇妙な違和感を覚えていた。
(……おかしい)
ルーナは青炎を避け続けている。
炎は確かに高温だ。
さっき俺のところまで熱が届いて、思わず顔を背けたほどだ。
あんなものに近づけば、普通なら汗が吹き出す。
皮膚がひりつく。
息を吸うだけでも苦しいはずだ。
だが――。
ルーナは汗一つかいていなかった。
頬も、額も、首も。
炎の光に照らされても、その肌には一滴の水分もない。
(……いや、待て)
思考が、ゆっくりと回り始める。
ルーナの能力――“意識内にあるものは全て無効化できる”。
それは武器や魔法の攻撃だけじゃない。
俺は無意識に“物理的な衝撃だけ”と思い込んでいた。
(もし――“熱さ”そのものも、無効化できるとしたら?)
喉が凍りつくような感覚が背筋を走った。
熱さを感じなければ、身体は体温を上げない。
低体温であっても、それを“異常”として認識しない。
さらに――。
(まさか……寒さも、痛みも、毒も……?)
ただの物理現象ではなく、感覚そのもの。
もっと言えば――事象そのもの。
ルーナがそれを”攻撃”として認識すれば、無効化できてしまう。
フェンリたちの青炎を見つめながら、俺の心臓は痛いほど脈打った。
(だとしたら……フェンリたちがやってること、全部……)
無意味どころか、悪手ですらある。
ルーナが炎の熱を“攻撃”と思わないか、意識外でない限り、体温は上がらない。
いくら炎を当てても、彼女はそれを“攻撃”と見なして弾くことができる。
(……くそ……そんな……)
胸の中が重く沈んでいく。
作戦は最初から破綻している。
誰もそれに気付いていない。
フェンリは、俺のために戦っている。
ライガも、ジャンガも、フィーニャも。
ルミエラも。
全員が命を賭けて――。
(……全部、無駄なのか?)
その思いが、のしかかるように俺の背を沈ませた。
視界が揺れ、呼吸が浅くなる。
喉が乾き、声が出ない。
その瞬間――。
青炎の中で揺らめくルーナが、ふとこちらへ視線を寄こした。
わずかに笑う。
まるで――“気付いたね”とでも言うように。




