545話 彼のために
ルーナはひらりと銀髪を揺らしながら、フェンリたちの方へ視線を向けた。
その瞳は、まるで壊れやすい玩具を眺めるかのように冷たく、そして――楽しげだった。
「君たちの友情……それがどれほど脆いか、君たちに“証明”してみせよう」
その声音は穏やかだった。
だが、そこに混じる微かな愉悦が、背筋を氷のように冷たく撫でた。
フェンリが歯を食いしばり、前に出る。
「証明って……何をするつもりですか……?」
ルーナは迷いなく、俺の髪を掴んだまま言った。
「決まっているだろう。
――カイル・ブラックウッドを“痛めつける”。
君たち獣族が、本当に人族を想っているのか……その限界を見せてもらうよ」
言葉が落ちた瞬間――俺の身体が空中に放り上げられた。
「ぐっ――!」
骨が軋む音が自分でも聞こえた。
「カイル!!」
フェンリとライガたちが同時に叫ぶ。
だが、ルーナが軽く指を弾くと、俺の身体は再び地面に叩きつけられた。
肺から空気が全部こぼれ落ち、呼吸ができない。
「人族と獣族が……友達になれるだって?
笑わせないでよ。君たちはただ、そう信じたいだけだ」
ルーナはゆっくりと俺の顔を靴先で踏みつける。
額が地面に押し付けられ、視界が歪む。
「ッ……!」
「ねぇ、フェンリ君。
本当に守れる?
この、弱くて脆い存在を?」
フェンリが吠えるように駆け出した。
「カイルから離れろおおおお!!!」
ライガの雷が弾け、ジャンガが低い姿勢で突進し、フィーニャが爪を広げる。
四人が同時に襲いかかる。
だが。
「浅はかだね」
ルーナの身体が七色に揺らめいた次の瞬間――。
四人全員の動きが止まり、次いで吹き飛ばされた。
何かに弾き返されたように、フェンリたちは地面を転がる。
「ぐあっ……!」
「くそっ……! 動けねぇ……!」
「……なんなの、この力……!」
立ち上がろうとしても、膝が震えて踏ん張れない。
ルーナは楽しげに笑った。
「そんなもの?
“人族と友になれる”と言いながら、その程度で倒れるなんて……がっかりだよ」
そして俺の髪を掴んで持ち上げる。
首に激痛が走る。
「う……あ……っ……!」
「カイル君、君もだよ。
彼らが“共にありたいと願った存在”なんだから……もう少し粘り強くてくれないと困る」
右拳が俺の腹にめり込んだ。
肺が逆流し、胃がねじれ、口から血が飛び散る。
ルーナは続けざまに拳を叩き込む。
胸に。
脇腹に。
頬に。
鳩尾に。
ためらいなど一切なく。
「やめろ!! やめてくださいッ!!」
フェンリの叫びは悲鳴になっていた。
しかしルーナは振り返りもしない。
「さあ、フェンリ君。
君の“友情”とやらがどれほど薄っぺらいか――見ていようね」
そして俺の顔を掴み上げ、
血で濡れた指先で俺の頬をなぞる。
「壊れるその瞬間を。
君の目の前でね」
ルーナの手が再び俺の頭を掴んだ。
指は冷たく、しかし握力は鉄のように固く、頭蓋が軋むほど強く締めつけてくる。
「さぁ、もっと“壊れて”よ。
君が壊れれば……フェンリ君たちの心も簡単に壊れる」
次の瞬間、ルーナの膝が俺の腹に突き上げられた。
「――っ、が……は……!」
全身が痛みで白く染まり、意識が瞬間的に飛んだ。
「カイル!!!」
フェンリが叫びながら突っ込む。
まだ震える足を無理やり動かし、爪を立ててルーナへ向かう。
しかし。
「学習しないね」
七色の光がフェンリを包み――弾丸のように吹き飛ばされた。
「うっ……あああっ!!」
フェンリが地面を転がり、動けなくなる。
ライガとジャンガも叫びながら雷の奔流を放った。
「ライトニング――ッ!!」
しかしその電撃も、ルーナの周囲に広がる七色の膜に触れた瞬間、霧のように消えた。
「なっ……!?」
「そんな攻撃、通るはずがないよ」
ルーナは軽く左手を振り、雷鳴のごとく衝撃波がライガを吹き飛ばす。
「ぐああぁぁっ!!」
フィーニャも同じだった。
吠え、叫び、必死に飛びかかるが、ルーナは一瞥するだけで彼らを弾き返す。
「弱い……弱すぎる。……これでは守れるはずがないよ」
フェンリたちの叫びが遠くなる。
意識が霞の中みたいにぼやけていく。
体温が下がる。
視界の端が黒く染まる。
(……あ。これ……やばい……)
胸の奥で、小さく“死”という言葉が浮かび上がった。
ルーナの声が、遠くから聞こえるように響く。
「終わりにしようか、カイル君。
もう十分……見せられたよ。友情の脆さをね」
ルーナは俺の首に手をかけた。
冷たい指が、ゆっくりと喉を締めてくる。
「や……め……ろ……」
声にならない声が漏れる。
視界が歪み、ルーナの顔が二重に見え始めた――そのときだった。
突然、横から烈しい魔力の奔流が飛び込んできた。
ルーナの頬をかすめ、地面を抉り、爆発する。
「……!」
ルーナが思わず手を離し、俺は膝から崩れ落ちる。
土煙の向こう。
朦朧とした意識の中で、俺はその光景を見た。
杖を構え、息を荒げながらも立っている二人の”魔女”。
カリーナ・フォークナー。
ルミエラ・ノクターレ。
二人ともボロボロのはずなのに、瞳は強く燃えていた。
「カイル君に……何してんだよ……このクソ女ッ!!」
ルミエラの怒号が戦場に響く。
杖先からはまだ煙が立ち昇っていた。
どう見ても全力の魔法だった。
続いて、カリーナが真っ直ぐルーナを睨みつける。
「次は……私たちが相手をしてやる……!」
声は震えていた。
けれど決意は揺らいでいなかった。
その瞬間、ルーナの表情は怒りの色を帯びた。
彼女はゆっくりと手を離し、俺から完全に視線を外す。
そして――カリーナたちを睨みつけた。
ルーナはゆっくりと俺から離れると、杖を構える二人の少女へ視線を向けた。
七色の光が周囲を漂い、空気が震える。
「……君たちは彼の、何?」
その問いは、静かで、しかし鋭かった。
まるで心の奥を覗き込むような声音。
だが――二人は迷わなかった。
顔を見合わせることすらせず、同時に叫んだ。
「好きな人よ……!!」
戦場に響いたのは、強くて揺るぎない想いの声だった。
俺の胸が、一瞬だけ熱くなる。
痛みでぼやけた視界の中でも、二人の姿はまるで光のように鮮明に見えた。
ルーナの瞳が細くなる。
「……へぇ。彼のことを“好き”……ね」
その声音は、どこか嘲りを含んでいた。
「また――壊し甲斐のあるモノが来てくれた……」
七色の球が一斉に輝きを増し、ルーナが宙へふわりと浮かび上がる。
次の瞬間。
虹色の光線が二人に殺到した。
「ルミエラ!!」
「分かってる!」
二人は左右に散り、地面を滑るように避ける。
その直後、地面は白く炭化し、波紋のように爆裂した。
ルミエラが杖を振りかざす。
「赫焔連鎖!!」
炎の鎖が幾重にも連なり、ルーナへ襲い掛かる。
炎は空気を裂き、雷のような轟音を響かせた。
だが――。
「そんなんじゃダメダメ」
ルーナが軽く指を弾くと、七色の膜が現れ、炎をすべて消し飛ばした。
火花のように、炎の粉だけが空へ消えていく。
すぐさまカリーナが詠唱を重ねる。
「水刃乱舞ッ!!」
水の刃が雨のように舞い、上下左右からルーナを囲む。
「二属性の連携……悪くないね」
しかしルーナは微動だにせず、周囲の光球を回転させる。
七色の光が水刃をすべて貫き、砕き、霧散させた。
「っ……くっ!」
カリーナの頬に一筋の切り傷が走る。
それだけで、どれほどの力の差があるかが分かった。
地上から、ルミエラが叫びながら飛び出す。
「カリーナちゃん! あたしが合わせる!!」
「……ッ! 分かったわ!」
二人は同時に跳躍し、それぞれ逆方向からルーナに迫る。
炎と水。
紅と蒼。
その魔力が軌跡となり、空に巨大な魔法陣を描き出す。
「炎水交衝!!」
混ざり合うはずのない二つの魔力が融合し、轟音と共に放たれた。
戦場が揺れ、空気が震え、光が爆ぜる。
だが――。
その中心にいたルーナは、ただ静かに笑った。
「綺麗だね。でも――届かない」
七色の瞳が煌めき、彼女が手をかざした瞬間。
衝撃波が二人を襲い、空中から叩き落とす。
「きゃっ……!」
「くっ……!!」
地面に激しく叩きつけられ、砂と土が舞い上がった。
それでも二人は倒れない。
膝をつきながら、必死に体を起こす。
「まだだよ……カイル君が……あんなに頑張ってたんだ……」
ルミエラが荒い息を吐きながら立ち上がる。
「絶対に……絶対に負けない……!」
カリーナの瞳も燃えていた。
その姿に、俺は意識が朦朧としながらも、涙が出そうになるほど胸が熱くなった。
ルーナはただ静かに笑う。
「そう……なら、見せてよ。“愛してる”なら――どこまで戦えるのか」




