544話 獣族の主張
――息が荒い。
けれど止まれない。止まったら終わる。
魔獣の悲鳴、獣族たちの怒号、爆ぜる魔法の音……。
混沌の只中で戦い続けてどれくらい経っただろうか。
俺たちの魔法は着実に戦場を削り、暴走した獣族たちもほとんどが気絶している。
だが――光魔法の消耗は、あまりにも重い。
「……あと、一発が限界かもしれない」
胸の奥が焼けつくように痛い。
足も震えている。
このまま撃てば、俺は数十秒後に意識を失うかもしれない。
それでも、まだ戦いは終わっていない。
全ての元凶。
ノアを眠らせたままにしている存在。
世界の根を狂わせた悪夢――ルーナ。
奴を倒さなければ、全部が終わる。
俺は仲間たちと共に、まだ遠くで煙が上がる決戦の中心へ走った。
吹き荒れる風の中を駆け抜けながら、地面に倒れる獣族の顔が視界をよぎる。
その中に――ノワラの兵士や、どこかの国の市民らしき獣族たちの姿もあった。
「……どうやって、こんな人数を連れて来たんだ……」
奴はまだ手札を隠しているのかもしれない。
そんな最悪の予感が胸を刺す。
だが走っているうちに、その余計な思考すら吹き飛んだ。
俺たちはついに、轟音と魔力の嵐が吹き荒れる戦場の中心にたどり着いた。
そこで目にしたのは――。
崩れ落ちる七英雄たち。
そして、その中心でひとり、血を吐きながらも剣を構え続ける男。
アルベリオだった。
「……っ!」
見ただけで分かる。
彼は――持ちこたえられていない。
俺は考えるより先に魔法を放っていた。
杖がないせいで狙いは甘かったが、それでも光の弾丸はルーナの片腕を掠めた。
パッとアルベリオの視線がこちらを向いた。
「アルベリオさん! 助けに来ました!!」
俺が叫ぶと、彼もまた叫び返す。
「来てくれて……助かった……!」
その声は、限界ギリギリの縋るような響きを帯びていた。
その叫びに応えるように、俺の背後から仲間たちが駆け込んでくる。
ルミエラが炎の奔流を放つ。
カリーナが水流の刃を叩きつける。
ライナスの斬撃が轟き、フェンリをはじめとする仲間の魔法が雨のように降り注いだ。
土煙が爆ぜ、ルーナの姿が視界から消える。
「……やったのか?」
わずかに期待が胸を刺したが――。
隣でアルベリオが、首を横に振った。
「……いや。掠り傷にもなっていないハズだ」
胸が痛む。
理解したくない現実なのに、直感が真実を突きつける。
煙が晴れ――ルーナが現れた。
無傷で。
「……嘘だろ……」
俺の声が震えた。
背筋が氷のように冷える。
あれだけの魔法が――全部、無意味だと言うのか。
すると、アルベリオが叫んだ。
「無駄だ! 奴には“意識内”の攻撃は通らない!
意識外からの“一発”で仕留めなければ倒せない!」
その言葉に全員が凍りついた。
なんて理不尽で、なんて恐ろしい力だ。
理解すればするほど、膝が震える。
武者震いなんかじゃない。
これは――恐怖。
黒い瞳がこちらに向けられたとき、その恐怖は形を変えて胸を締めつけた。
ルーナが、静かに呟く。
「なんで……理性を保ててる獣族がいるの?」
ルーナの視線は、俺の隣に立つフェンリたちへと向けられていた。
フェンリが戸惑いながら呟く。
「え……僕たちのことですか?」
その瞬間、ルーナは目を大きく見開いた。
探るように、深く……深く、フェンリたちの内側を覗くように。
そして、何かを悟ったように瞳を細め――呟く。
「……あの子の仕業か」
その声は、微かで聞き取れなかった。
だが次の瞬間、ルーナの周囲に七色の球体が出現した。
「……ッ!」
全員が武器を、杖を構えた。
ふっと浮かび上がったルーナは、見下ろすように俺たちに言う。
「私を倒せると思っているなら……傲慢にもほどがある」
その声は、これまでのどこか柔らかな声音ではなかった。
怒り。
苛立ち。
そして――殺意。
「私の計画を邪魔するなら……全員殺してやる」
七色の球が輝きを強めた。
次の瞬間――。
光線が降り注いだ。
考えるより先に身体が動いた。
肩を焼く熱さに歯を食いしばりながら、俺は横へ跳んで光線を避けた。
身体が重い。
息が苦しい。
視界が揺らぐ。
それでも――倒れられない。
――俺たちが、やるんだ。
――ノアを……世界を救えるのは俺たちしかいない。
俺は全力で駆けた。
ルーナの視界の外へ逃れるために。
だが、ルーナは一瞬たりとも誰からも視線を外さない。
意識外からの攻撃が致命傷になる――。
その恐ろしさを、奴自身が誰より理解している。
だからこそ、俺たちのどんな動きも――見逃さない。
(難しい……だけど――)
この人数なら。
この仲間たちがいるなら。
きっと、道はある。
俺は光を手に宿しながら、ルーナの視線を追い続けた。
ここから――最後の戦いが始まる。
七色の光線を避けた瞬間――。
空気が震えた。
ルーナの姿がふっと消え、次の瞬間、耳元で風が裂けた。
(速い――!)
気付いたときには、ルーナが俺たちの隊列の真上にいた。
七つの球が一斉に軌道を変え、俺たちの背後へ回り込む。
「ッ――全員下がれ!!」
誰かの悲鳴のような叫びと同時に、光が爆ぜた。
地面が抉れ、熱風が吹き荒れる。
背中が焼ける。
仲間の誰かの声が聞こえた気がした。
そこへ――追撃。
ルーナが指を弾く。
ピン……と軽い音が響いた瞬間、空間がゆがみ、重力そのものが捻れたような衝撃が襲った。
「ぐっ……!」
膝が折れそうになる。
視界が波打ち、天地が反転したように見える。
(この攻撃……どんな加護だ……?!)
そう思ったとき、カリーナの苦しげな声が飛ぶ。
「この力……『時流の加護』と『空間の加護』……一緒に使ってるわ……!」
ルーナは空中でふわりと微笑んでいた。
その笑みには冷たさしかない。
「避けてばかりでどうにかなると思ってるの?」
七色の球が、音もなく再び展開される。
あれが来たら――。
次こそ、誰かが死ぬかもしれない。
――動け。
――考えろ。
――突破口を作れ。
俺は震える足に力を込めた。
そのとき――。
肩を掴まれた。
フェンリだ。
彼の瞳は怯えているのに、それでも前を見据えていた。
「カイル……僕たちは、まだ戦えます」
その言葉に、胸の奥で何かが一瞬だけ熱を灯した。
「……ええ。”全員で”戦いましょうッ!」
仲間たちが、次々と構え直す。
ルミエラの炎が渦巻き、ライナスの大剣が空を裂く。
カリーナの水が槍となり、フェンリたちの魔力が散りばめられる。
だがルーナは――微動だにしなかった。
「無意味だって、まだ理解できてないの?」
七色の球が俺たち全員を正確に捉え――一斉に発射された。
「カリーナさん!!」
俺の叫びに、カリーナが頷いた。
「……分かってる! アクア・ウォール!!」
水が壁となり、光線の進路を僅かに逸らす。
完全には防げない――だからこそ逸らすだけでいい。
そこへライガが雷を叩き込む。
「通さねぇ! ライトニング・バースト!!」
迂回した光線を相殺するように雷が炸裂する。
続けてルミエラ。
「炎舞!!」
燃え盛る炎が輪を描き、さらに光線を削る。
フェンリたちが後方から補助魔法を重ねる。
「ウィンド・シールド!!」
「アース・ウォール!!」
「ライトニング・フィストッッ!!」
全員が、全力で一つの攻撃を”削り”、”薄め”、”そらす”。
本来なら防げるはずがない。
七英雄ですら太刀打ちできない光線。
だが――この人数なら。
「カイル君! 一瞬だけ! 意識をそらす!!」
ルミエラの声に、俺は顔を上げた。
「任せます!」
ルミエラ、カリーナ、ライナス、フェンリたち――。
全員の攻撃が束になって、ルーナの視界を揺らす。
光、炎、雷、水、風が乱れ飛ぶ。
ルーナの瞳が――ほんの一瞬だけ、揺らいだ。
(今だ。今しかない……!)
俺は走った。
喉が焼けるほど熱く、足がちぎれるほどの速さで。
ルーナの視線が、俺から離れた。
その瞬間――俺は意識外へ消えた。
魔力は多分、ほぼ残っていない。
これを外せば終わり。
心臓が、破裂しそうなくらい高鳴っている。
(――全部、助ける)
ノアも。
仲間も。
世界も。
絶対に、助ける。
「うおおおおッ!!!」
俺は全魔力を右手に籠め、ルーナに向けて拳を突き出した。
光が爆ぜた。
拳は、確かに“触れた”。
光をまとった俺の右拳は、ルーナの脇腹に深々とめり込み、ルーナの身体がわずかに折れた。
「ッ……!」
短い息が漏れ、ルーナの口端から血が伝った。
――いける。
そう思った。
確かに届いた。
前までとは違う。
俺の攻撃が通ったんだ。
だが。
ルーナの瞳は、まったく揺れなかった。
静かに息を吐きながら、視線を俺へ落とす。
「……足りない。――全然届いていないよ、カイル・ブラックウッド」
その声には怒りも焦りもない。
ただ“事実”を述べるような、淡々とした口調だった。
ルーナの足元が歪む。
七色の球が彼女の背後に整列し、瞬間――爆発した。
世界が白に塗り潰され、耳が焼けるような金属音が響く。
「うあああッ!!」
ルミエラの杖が砕ける音。
カリーナの水壁が蒸発する音。
ライナスが剣を構える間もなく吹き飛ばされる姿。
アルベリオの剣が空中で弧を描き、地に突き刺さる。
仲間たちが――次々に、倒れていく。
そして残されたのは。
ルーナの足元で膝をついた俺と、背後で震えながらも立ち続けるフェンリたちだけ。
「……っ、は……ぁ……」
呼吸が痛い。
身体が言うことをきかない。
顔を上げようとした瞬間――髪を鷲掴みにされた。
「――ッ!?」
無理に引き上げられ、首の骨がきしむ。
視界の端で、ルーナの白い指が俺の髪を握りしめていた。
「君は……本当に最後まで邪魔をするね、カイル・ブラックウッド」
声は穏やかで、静かで、それが逆に恐ろしくて、全身が凍りついた。
“終わる”。
その感覚が、生々しく背筋を走る。
ルーナの手が、俺の胸へ伸び――その瞬間。
「やめてくださいッ!!」
フェンリの叫びが響いた。
続けざまに、フェンリたち獣族の少年少女がルーナへ飛びかかる。
爪の光。風の刃。小さな炎。
決して強くない。
ルーナにとって傷一つ与えられない。
それでも――彼らは俺を助けるために飛び込んできた。
ルーナの手が止まる。
ゆっくりとフェンリたちを見る。
その瞳は怒りも驚きもなく、ただ“理解できないもの”を見ている、それだった。
「君たちは……戦う必要なんて、ないんだよ?」
ルーナは静かに言った。
「獣族だけは、この世界で生き残れる。
新しい世界の中心になれる。
唯一の存在になれる。
それなのに――なぜ、私の邪魔をするの?」
その声は優しさを装いながら、どこか狂っているほど穏やかだった。
フェンリは震えていた。
足も、声も、目も。
だけど、彼は――逃げなかった。
その背中を見て、俺は呼吸を忘れそうになった。
“怖いはずなのに、それでも前に立つ”。
ルーナの問いかけに、フェンリは震える声で、それでも真っ直ぐに叫んだ。
「僕たちが――いつそんな世界を望んだんですか!
獣族しかいない世界なんて……そんなの、絶対に嫌です!」
その言葉は、傷だらけの身体から絞り出された魂の叫びだった。
ルーナはまるで幼子を諭すように、柔らかい声で続ける。
「本当に? 本当に今のままでいいの?
君たち獣族がこれまで、どれほどの苦しみを受けてきたのか……。
差別、迫害、虐げられ、嘲笑され……歴史は痛みで埋まっている。今もだよ」
その口調は優しい。しかし、その優しさが逆に恐ろしい。
まるで苦しむ子供のために毒杯を差し出すような――そんな優しさだった。
「国の政策が変わったから? 法律が改正されたから?
……差別が消える? そんなわけがない」
ルーナの瞳が、闇を孕んで細められる。
「表面が変わっただけ。人族たちの心の奥底にある恐れと嫌悪は、何も消えていない。
街で石を投げられたことは?
学校でいじめられたことは?
身に覚えがあるだろう?」
フェンリは唇を噛み――しかし、きっぱりと言った。
「……もちろんあります。
辛かった。悔しくて……何度も泣きそうになった。でも――」
フェンリはルーナを真っすぐに見た。
「それでも人族は、そんな人ばかりじゃありません!
僕たちを“友達”と言ってくれた人もいた。
助け合って、喧嘩もして……一緒に笑ったり、泣いたりして……。
僕たちは、そうやって乗り越えてきたんです!」
その声には、長い時間積み重ねてきた思いが宿っていた。
俺の胸は、ぎゅっと掴まれたように痛む。
「でもそれって、君たちをただ利用しようとしているだけかもしれないよ?」
ルーナの問いにフェンリは続ける。
「利用されてるだけ……。
……そうかもしれません。人って、そんなに綺麗じゃない。
でも、色んな人と関わっていく中で――わかるんです」
フェンリの視線が俺に向けられる。
「心から僕たち獣族と仲良くしてくれる人は、たくさんいます。
カイルのように……!」
その瞬間、呼吸が詰まるかと思った。
(……フェンリ……)
俺は彼らにたくさん嘘をついてきた。
突き放したこともあった。
嫌いになったからじゃない、自分の抱える“目的”のためだった。
それでも、フェンリは――俺を友達だと言ってくれた。
共に戦ってくれている。
胸が裂けるほど嬉しくて、苦しかった。
だがルーナは、面白くなさそうに深い溜息をつく。
「……それはただの理想論だよ。甘すぎる。
“善良な人もいる”なんて、それはたった一握りだ。
本質は変わらない。変われない。
種族間は、永遠に分かり合えないんだよ」
次の瞬間――ルーナの足元に七色の光が渦を巻き始めた。
それは、先ほど仲間たちを一掃した破滅の光。
「だから私が証明してあげる。君たちの“友情”がどれほど脆いかを――」
ルーナの瞳が、俺たちを斬り裂くように細められた。




