表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
557/625

543話 絶望の先に――

 刃と闇がぶつかり合った瞬間、世界がほんの一拍だけ止まった。


 アルベリオの剣筋は鋭く、速く、正確だった。

 だが──そのすべてが、ルーナの纏う加護の結界に触れた瞬間、意味を失う。


「無駄だよ。私に届く攻撃なんて、この世界には存在しない」


 ルーナは片腕で軽く払うだけで、アルベリオの斬撃を“消した”。

 正確には、攻撃の軌道そのものがなかったことにされる。

 空間を塗り替える加護が、因果律ごと断ち切っているのだ。


「……チッ」


 アルベリオは下がらず、刹那のうちに再度距離を詰める。

 横薙ぎの一閃。

 だがやはり、空間が“歪んで直り”、刃が触れる前に軌跡ごと霧散した。


 ルーナの声が静かに響く。


「君の攻撃は全部“視えて”いる。空間も、因果も、未来の流れさえも。

 私の意識に乗った瞬間、それは脅威ではなくなる」


 ──なら、狙うべきは一つ。


 アルベリオはわずかに息を吐いた。

 視線は一点。

 “ルーナの視界外、意識外からの攻撃”。

 そこに勝機がある。


 だがルーナもそれを理解していた。

 だからこそ、彼女は万全だった。


「それに……私は“戻せる”」


 ふっと指を鳴らす。


 世界が一度、黒く染まる。

 次の瞬間、アルベリオの身体が一瞬前の位置に巻き戻った。


「っ……またこの力……!」


「時流の加護。

 数秒だけ、時間を巻き戻すことができる。

 たとえ君が私の死角から攻撃しても、それで“私が死ななければ”──私はすぐ元に戻るだけ」


 つまり。


 ルーナを倒せるのは“ただの一撃”。

 その一撃が彼女の命を断ち切らなければ、何もかも巻き戻される。


 もちろん、ルーナもそれを理解している。

 そのため“リスクゼロの完全防御”を維持しながらアルベリオを追い詰めていく。


「君の勝ち筋は、たったひとつ。

 私の意識の外に入り、“一撃”で殺すこと」


 ルーナは無感情に告げた。


「でもね……君はもう、その条件を満たせない」


 空間が螺旋を描き、無数の裂け目がアルベリオの周囲を囲む。

 ひとつひとつが殺意の檻だ。


 アルベリオは逃げない。

 むしろ、その檻の中心でゆっくりと刀身を構え直した。


「それでも、探すさ。

 たとえ……一度も視られない場所でも」


「不可能だよ。私の加護は絶対だ」


「絶対なんて、この世界に存在しない」


 ルーナの瞳に初めて怒りとも驚きともつかない色が走った。


 アルベリオの全身から溢れる魔力の波動が、空気を震わせる。


 “たった一撃”。

 そこにすべてを賭けた者の、覚悟の波動。


 世界の歪みが叫び、音が消える。


 そして──二人の影が再び弾けた。


 アルベリオは疾風のように踏み込み、地面を裂く勢いで横へ跳ぶ。

 レオンが得意とした高速移動──視界から消える“あの速さ”を真似しようとした。


 だが。


「……おっそ」


 ルーナが呟いたと同時に、空気が波紋のように揺れ、アルベリオの姿が瞬く間に捉えられる。


 いくら速く動けても、アルベリオの身体能力では“人の目では追えない速さ”に到達しない。

 高速移動で作れる死角など、ほんの刹那の視線のズレ程度だ。


 その一瞬では──剣が間に合わない。


 アルベリオは舌打ちし、すぐさま別の策へ移った。


 今度は瓦礫の影、崩れた天柱、舞い上がる粉塵を利用して、視界そのものを遮断しようとする。


 だがそれも──。


「意味ないよ。全部視えてる」


 ルーナが指先をひらりと動かすと、世界が反転したかのように景色が巻き戻り、

 数秒前のアルベリオの動きが、まるで映像のようにルーナの瞳へ流れ込んでいく。


 時流の加護。


 未来と言えるほど先の流れではない。

 だが数秒分の“行動の答え合わせ”ができれば、隠れるという行動は成立しない。


「……クッ!」


 次にアルベリオは幻影魔法を展開した。

 十数人のアルベリオが一度に飛び出し、本体を見極めづらくする。


 しかし。


「本体の鼓動が聞こえてるよ」


 ルーナの空間の加護が、風も音も超えて“存在の振動”を捉える。

 幻は無意味。

 アルベリオの位置は曝け出された。


「どれも正解に届かない。

 ねぇアルベリオ……君、もう手札、残ってないでしょ?」


 嘲るようにルーナが微笑むたび、アルベリオの奥歯はきしんだ。

 焦りが胸を焼く。

 ルーナは完全防御の化物だ。


 意識を外れた瞬間を作らねば攻撃は通らず、通ったとしても“一撃で絶命”させねば、時間を巻き戻される。


 それは──常人には不可能。


 だが、限界に追い詰められていたのはアルベリオだけではなかった。


 ルーナがアルベリオに意識を集中させていたその瞬間。


 ──ひたり。


 背後の空間に、影が滲むように現れる。


 七英雄の一人。

『不死のアムブロシア』。


 ボロ布のような包帯に全身を覆い、気配は濁った水底のように沈んでいる。

 彼は静かに、音もなくルーナの背後へ……“存在を消したまま入り込んでいた”。


「……!」


 羽交い締めのように腕がルーナの背を絡め取る。

 ルーナが初めて驚愕に目を見開いた。


 そしてアムブロシアは、包帯の隙間から開いた“口”で、

 ほとんど聞こえない声量で、ただ一言だけ囁いた。


「……死」


 その言葉が空間に落ちた瞬間、世界が震えた。


『言司の加護』──呪いの言葉。

 発した言葉を“事象”として現実にする、最強格の加護。


 代償は、”魂の寿命”。

 それを消費して、呪言は発動する。


 ルーナの身体が、ほんの刹那、ぴたりと硬直する。


 アムブロシアの目が細められた。


 ──成功した。


 そう思った次の瞬間。


「ッ……!!」


 アムブロシアの身体が破裂するように血を噴き、まるで中身を抜かれた人形のようにルーナの背から滑り落ちた。


 どさり。


 地面に叩きつけられたアムブロシアは、痙攣すらしない。

 その異常なほどの無音に、アルベリオの胸が凍りついた。


 近寄るまでもなく、理解した。


 ──死んでいる。


 アルベリオの思考が追いつかない。


 何が起きた?

 どうして一瞬で?

 今何をした……?


「……あぁ。驚いた?」


 ルーナが振り返る。

 さっきまでの硬直が嘘のように、無傷のまま。


「彼の言霊は確かに届いたよ。

 でも私は死ぬ前に”戻ればいい”だけだし?」


 ──時流の巻き戻し。


 呪いの言葉で自分の死が確定する寸前、そこの数秒だけ逆行すれば“死の事象はなかったことになる”。


 アムブロシアだけが代償を払い、ルーナの死は消される。


 あまりにも理不尽な完封。


 アルベリオは理解した。


「……なんて、化物だ……」


 ルーナは楽しげに肩をすくめた。


「ねぇアルベリオ・セリオン。

 君や七英雄たちは、本当に私より強いんだよ?

 でも弱体化や制約のおかげで、こんなふうに……簡単に死んじゃう」


 黒い瞳が、血の海に沈むアムブロシアを見下ろす。


「これで一人。 残り六人──どうする?」


 ルーナの空間が歪む。


 アルベリオの胸に、怒りと恐怖が同時に燃え上がった。


 ルーナがアムブロシアの亡骸から視線を離し、アルベリオへと向き直った、その瞬間だった。


 ――ずる……り、と背後で“死体”が、立ち上がる。


「……え」


 ルーナが驚いた声を漏らす。


 包帯だらけの身体は折れ曲がり、血で濡れ、骨すら覗くほど損傷している。

 だがそれでも、アムブロシアは――立っていた。


 そして、ゆっくりと、首だけを不気味にルーナへ向ける。


 包帯が濡れ、闇の中で光るように赤い雫を落とす。


 その顔は、死者の顔だった。


 だが、動く。


 そう、彼の異名は “不死”。


 死を超え、死を踏み越え、死を拒絶した怪物。


 “魂の寿命”を代償とする言司の加護のコストなど、彼には存在しないに等しい。


「……なら」


 アムブロシアはしゃがれた、墓の底から聞こえるような声で言った。


「お前の加護が間に合わなくなるまで……“死”を囁いてやろう」


 その言葉に、ルーナはなおも笑った。


 巻き戻しが間に合わなくなるまで、言司の加護が何度も何度も襲いかかってくる。


「“死”」


「“死”」


「“死”」


 アムブロシアは身体が弾けようが、焼け焦げようが、骨だけになろうが、立ち上がって囁き続けた。


 ルーナは巻き戻すたびに加護の負荷に苦悶し、そしてその隙を、アルベリオは逃さなかった。


「アムブロシア……ッ!」


「見るんだ、人族よ。……お前が決める“一撃”のために」


 アムブロシアはもう自分の腕すら動かない。

 立つこともできない身体を無理矢理に動かし、ルーナへと手を伸ばし続ける。


 アルベリオは攻撃を控え、ただ観察した。


 空間の揺らぎ。

 巻き戻しの癖。

 視線の流れ。

 呼吸の乱れ。

 加護を使う瞬間の指の動き。


 すべてを脳に刻む。


「……見える。見えてきた……!」


 アルベリオの胸に、微かな光が灯りかけた、そのとき――。


 アムブロシアの膝が落ち、地面に倒れ込んだ。


「ッ……はぁ……は……」


 彼はまだ生きている。

 だが、もう立てない。


 “死”と“生”の往復は、不死の彼でも体力を完全に削り取っていた。


「……ここまで、か」


 アムブロシアの言葉にアルベリオの胸が締めつけられる。


 ルーナは大きく息を吐き、乱れた髪を一度払うと、唇を歪めた。


「……やれやれ、しぶといね。七英雄と勇者ってそんなに命を投げ出すほど、仲良だったけ?」


 その言葉と同時に――。


「はぁぁぁぁああッ!!」


 戦場に五つの影が飛び込み、ルーナへ向けてそれぞれの得意魔術を叩き込んだ。


 グラトスの土壁が飛び、リガードのナイフがきらめき、リアの爪が空を裂き、リースの巨拳が雨のように降り、ウリェルの翼が轟音を伴って炸裂する。


 だが――。


「遅いよ」


 ルーナが指を弾いた。


 瞬間、五人の身体が宙へ跳ね、地に叩きつけられる。


 祖国アズ=ノスを離れた七英雄は、本来の力の半分も使えない。

 彼らの力は、ルーナの加護の前で無力だった。


「う……ぐっ……」


「は……やはり、駄目か……」


 戦場が静まり返る。


 もう誰も立っていない。

 絶望が、世界を覆い始めていた。


 アルベリオは剣を握りしめる。

 手は震え、汗で滑りそうだ。


「……く……ここまでなのか……」


 考え得る策は尽きた。

 ルーナの加護はあまりに強大。

 自分一人では、もう勝てない。


 その現実が胸を押し潰す。


 ――諦めたくない。

 だが、この状況を覆す手は……もう……。


「――アルベリオさん!!」


 飛び交う光が視界を裂いた。


 ルーナの身体に直撃し、空間が大きく歪む。


 アルベリオが反射的にそちらを向くと――。


 瓦礫の向こうに、血と土埃にまみれながらも気迫みなぎる若者たちが立っていた。


 カイル・ブラックウッド。

 カリーナ・フォークナー。

 ルミエラ・ノクターレ。

 ライナス・ブラックウッド。


 そして、その背後に続々と続く勇者たち。


「アルベリオさん! 俺たちも加勢します!!」


 カイルの叫びが、暗闇に押し潰されかけたアルベリオの胸に――もう一度、炎を灯した。


 絶望に飲まれかけた世界に、わずかだが確かな光が差し込む。


 アルベリオは息を呑み、そして叫んだ。


「……来てくれて、助かった……ッ!!」


 戦局が、変わる。

 世界が、動き始める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ